5.魂の推理は二度踊る
「なあ、お前らは……本当にミストヴァルトが、アンセル伯爵を殺したと思うのか?」
運ばれてきたコーヒーに口をつけ、ジャックは心底面倒そうに呟きを漏らした。
隣に座っていたアーサーは、無言でカウンターの向こう側を見る。そこには何でもなさそうな顔でカップを磨くアルがいて――アーサーはやれやれと肩をすくめた。
「なんでジャックさんが、オレたちにそれを聞くのかな。警察の公式見解は、ミストヴァルトが殺したってことで決定したんじゃないの」
「だと簡単だったんだがな。我が上司――警部の意見はまた別らしい。他はどうか知らないが、今回の事件をミストヴァルトの犯行だと考えるには、少々無理があると俺も思っている」
ジャックは深々と息を吐き出し、カップをくるりと回した。どうやらジャックも事件の異様さには気づいているらしい。
「へえ、それはどうしてなの? 現場に踏み込んだ時、それらしい痕跡があったわけ」
「ない。というより、『何もなかった』というべきか」
「どういう意味」
「そのままの意味だよ。明確にこれが殺人だ、と呼べるような痕跡はなかった。ただ、室内を探しても“魂の長針”が見つからなかった。これは確かな事実だ」
つまり、『“魂の長針”がなくなっている』イコール『ミストヴァルトが部屋を訪れた』の図式が成り立つわけだ。なくなっているわけだから、それはミストヴァルトが盗んだことに違いない。ちらりと視線を送っても、アルは鼻歌交じりにカップを磨き続けている。
「言いたいことはわかったよ。“魂の長針”がないってことは、少なくともミストヴァルトが部屋に来たという証明になる。だからこそ、アンセル伯爵を殺した容疑者になっているわけだね」
「そうだ。しかし、不思議なことにアンセル伯爵の遺体には、死に至るような傷はなかった。ただ、どういうわけか目と口から出血していて……その様子を見れば、殺人ではなく病死も疑われるわけだが」
「なるほどね。何かしらの発作が起こって、死に至った、ってことかな。だけどさ、目と口から出血って、病死にしても異様だよね。そんな状態になるような持病、アンセル伯爵は持っていたわけ?」
「特になかったと聞いている。だからこそ、異常な状況は全部ミストヴァルトのせいにしたいらしいな。うちの上層部としては」
ジャックの疲れた顔を見つめながら、アーサーは首をかしげる。
病死。もしそうであるなら、この事件には容疑者など存在しないことになる。しかし、何か引っかかる。そもそも、ミストヴァルトは“魂の長針”を盗み出していないのでは――?
「ジャックさん。病死じゃないとしたら……他に体に傷をつけない殺し方って、ある?」
「あ? ん、まあ、あるにはあるだろ。一番手間がかからないのは、毒を使った殺害方法だろ。とはいえこれは、遠距離で対象を狙撃するよりも難易度が高いな。相手にそれと勘づかれずに、毒物を摂取させなければならないわけだから」
アーサーはハンチング帽のつばをゆっくりと下げた。簡単に言えば、警察はその可能性から目を背けていることになる。毒物だとしたら、ミストヴァルトよりも容疑者にふさわしい人々がいる。
アンセル伯爵邸に住まう人々――アンセル伯爵に近しい者たちでなければ、毒物を仕込んで殺すのは難しいだろう。
貴族を殺人者扱いはできない。その意図によって、ミストヴァルトは殺人者の汚名を着せられているわけだ。
「さすがにジャックさん、情けなさすぎじゃない?」
「ぐ、む。そんな目で見るな。ミストヴァルトは容疑者じゃないといったところで、アーティファクトがなくなっているんじゃ、無実の証明もできないだろ……!」
そう、問題はそれなのだ。なぜ、アーティファクト“魂の長針”が消えているのか?
アルは相変わらず聞いているのか聞いていないのか。楽しげに棚をあさり始めてしまった。どうも今回の件に限っては、怪盗にとっても予想外の出来事が多かったように思える。
「アーティファクトって、魔法の美術品だろ。それで事件の様子とか見えないのかな」
投げやりに言いつつ、アーサーは自分の言葉に顔をゆがめた。
そんな便利な機能は聞いたことがない。むしろ面倒な部類の効果しかなかった気がする。たとえばアーサーが猫になってしまうのだって――。
「アーティファクトは、ディアスという謎の芸術家が創り上げられた作品だ。確かに不思議な力はあるが、使い方を知らなければただの美術品でしかないんだよ。それに万能じゃないしね。発揮される力も多種多彩。ほら、こんな風に」
棚から戻ってきたアルは、アーサーたちの前に一冊の本を差し出した。古びた本の装丁はぼろぼろだったが、かろうじて表紙に『アーティファクト名鑑』と書かれているのだけは読み取ることができた。
「あ、『アーティファクト名鑑』? なに唐突に出してきているの」
「む、何だねこの空気読めないみたいな目は! これは市場に出れば高額必死のレア本だというのに! ああ、これだから見る目のない子猫ちゃんは救いようがない!」
「な、子猫言うな! 気持ちの悪いこと言うのやめろよこの怪人奇人変人!」
そんなものがあるなら早く出せばいいのに。両手を振り上げても、アルはからからと笑うばかりで気にも留めない。
ジャックはジャックで、差し出された本をじっと見つめている。興味深げなまなざしを向けて、指をアーサーたちの間に突き付けた。
「お前ら元気だな、ムカつくぐらいに。それよりもアル、そこに載ってないか。“魂の長針”っていうアーティファクト」
「ん? ああ……“魂の長針”ね。どこかで見た記憶が」
ふむ、とうなずき、アルは本のページをめくり始める。ページをめくる音だけが静かに響き、しばし。カウンター向こうに立つ怪人は、あるページで指を止めた。
「お……これだろう。“魂の長針”」
「見せてみろ」
ジャックの求めに応じて、アルは本を手渡してくる。ジャックは無言で受け取り、生真面目な顔で視線を落とす。アーサーはそっと隣から、本文を覗きこんだ。
「ええと、“魂の長針”とは……」
――“魂の長針”……アーティファクト№57――。
ディアス中期の作と考えられる、装飾品の形をとるアーティファクト。
アーティファクトの中では武骨な見た目であり、装飾品としての価値よりも、魔法の効果によって名が知られていた。
質素な造形とは裏腹に、魔法の効果は苛烈にして残酷であった。
人間の時×××り、死すらも××る魔法効果は、穏便な暗×に用いら××ことも多く、血なまぐ×××も絶え×い。
××なる作品として、“魄の××”がある。
「なんか肝心なところがかすれて読めないんだけど」
「えー、だって古いしさー。そこはご愛嬌ってことで」
ジャックから本を取り上げると、アルは無責任に微笑む。不穏な単語が並んでいることから、“魂の長針”は美しいだけの美術品ではないのだろう。そればかりか、使いようによってはかなり危険な部類の品物だと思われた。
「ねえ、ジャックさん。“魂の長針”は無くなっていたって言ってたけど、それ確かなの?」
「ん、ああ、確かだよ。アンセル伯爵家のお嬢様が確認したんだから間違いない。取り乱して大変だったんだぞ。『ミストヴァルト様、どうしてお父様を殺したの!』ってな」
ミストヴァルトがアンセル伯爵を殺した。その言葉はいったい何を示しているのか。
ごく当たり前に聞こえる言葉に、裏を感じてしまうのはなぜなのか。現状、ミストヴァルトが殺していないと信じているのは、実像を知っている者たちばかりで――。
「ずいぶんそのお嬢様って冷静なんだね。どうしてミストヴァルトが殺したとわかったんだろう」
「なにも知らない人間があの状況を見れば、ミストヴァルトを疑うのはおかしなことじゃないと思うが。まあ、なんにせよ、この件はもう俺の手から離れつつあるしな」
「どういうこと」
思わず横を見れば、重々しい表情でうつむく男の姿が見えた。冷めかけたカオスコーヒーを飲み干したジャックは、本当に死にそうな顔でため息をついた。
「この一件は、ロンデル市警刑事課の管轄なんだってよ。つまり怪盗犯罪対策特別課はお役御免なんだとさ」
「ほう、それは大変困った事態だ」
「そうなんだよ本当に困った……って。なんでお前が困るんだよ霧の怪人」
ジャックはひどく濁った眼を向ける。しかし、霧の怪人呼ばわりされたアルは、気にした様子もなくキリっと表情を引き締める。
「それを聞くのか、相変わらず君は味覚だけでなく思考もカオスだな! 考えてもみたまえ。ジャック・エリオット、君が暇になるということは、毎日ここに入り浸る。その分僕の活動時間が割かれる。従って店の経営に差し障り、その結果」
「店がつぶれる? うわ~、それオレも困るな。次の就職先見つけないと」
「って、俺はそこまで迷惑人間かよ! それにそんな入り浸るわけないし! 俺だってそんなに暇じゃないし! 品行方正を地で行くと」
「なるほど! そういうずれた認識があるから、街で職務質問を受けるんだな!」
「受けてねえよ! なに捏造してんだこの怪人!」
「ふふふ、隠さなくてもいいんだよ親友。君のガラの悪さは僕が保証してあげよう!」
「いるかボケ! というか親友言うなこの嘘つき怪人詐欺師がぁー!」
この会話自体がカオスだった。カウンター越しに顔をつきつけて、あまりに馬鹿らしい会話をかわす幼馴染たち。見事な現実逃避だった。
アーサーは無言で『アーティファクト名鑑』のページをなぞる。まだはっきりしないが、可能性としたらこれも一つなのではないだろうか。
「あのー、よろしいですな」
「あ、今は準備中で……」
ドアベルが鳴る。視線を動かしたアーサーは、そこにあった二つの姿に目を見張った。
「お、いたいたジャックっち。なんか楽しそうだねぇ。エゼル」
「自分はそうは見えないであります。警部補殿が一方的に遊ばれているようにしか」
半開きの扉から、二人の人物が顔をのぞかせていた。武骨な大男と少年(?)。制服警官の二人は、アーサーも見覚えがあった。
「ええと、ジャックさんにご用ですか? お巡りさん」
「そうなんだよねぇ。我らが警部殿のお達しで。ちょっと呼んでもらってもいい?」
「え……今この状況で?」
アーサーは渋い顔をする。にもかかわらず、警官二人は笑顔でうなずいて見せた。
正直関わるのを避けたい状況だった。だが、ずっとこのままというわけにもいかない。
「ジャックさーん! 呼んでますよー!」
半ばやけくそに叫んでも、言い争いはやまない。どうにかしなければ。だが、どうするべきなのかわからない。
仕方なく視線をさまよわせると、傍らの新聞が目に入った。折りたたまれた紙面には、なぜか『ミストヴァルト様同好会』会員募集の文字が――。
「ミストヴァルト様同好会ってなに」
「なに?」
敏感に反応したジャックは、振り上げた腕を止める。同時にアルも首をかしげて、アーサーに視線を向けてきた。
「ミストヴァルト……様同好会ってなんだい」
「俺も知らない。知らないぞ!」
「おー、暴走列車ジャックっちを止めるとは君さすがだねぇ。さー、エリオット警部補」
「あ? って、お前ら……うおっ!」
停止した暴走警部補に、警官たちが歩み寄ってくる。容疑者確保とばかりにわきを固められ、ジャックは口を半開きにした。その両脇で警官たちは、敬礼をしつつにやりと笑う。
「迅速な確保に協力感謝です!」
「ご協力感謝であります」
「あ、はい、ご苦労様です」
「って、待てお前らー!」
暴れるジャックに構わず、警官二人組は店の外へと歩いていく。静かな通りに、ジャックの叫びがこだまする。だがそれも、扉が閉まればほとんど聞こえなくなった。ドアベルの音が響く店内で、アルは不可解な笑みを浮かべていた。
「ふふふ、アーサー君。ミストヴァルト様同好会ってなーに?」
「知らないよ。知らない方が幸せなものも世の中にはあるだろ。それよりこれからどうするんだ? 怪盗ミストヴァルト」
「ふむ、これからか。そうだね……」
カウンターの上の新聞をつまみあげたアルセウス――ミストヴァルトは、含みのある声で呟いた。
「ひとまず今は様子見だ。このミストヴァルトはそう簡単に落とせないのだよ!」
「……だといいけどね。本当に」
何が面白いのか、怪盗は心底楽しそうだった。そんな様子にため息をこぼしつつ、アーサーは窓の外に目を向ける。
穏やかな光に照らされた通りには、暗いものなど一つも感じられない。だが、それはきっとただの錯覚なのだ。
光は必ず影を生む。定められた運命のように、いつだって残酷に現実を引き裂くのだから。
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