白いお雑煮

 そういうわけで、私は実に数か月ぶりに台所に立った。手を洗って器具を一式ずらりと並べて、まずは野菜の皮むきから……

 とはいえ、昔から不器用な私は野菜の皮をむいて切る作業がとにかくおぼつかない。実家にいた頃よりは上達したが、それでもピーラーの刃は時々引っかかるし(ちなみに包丁での皮むきはもっと下手だ)、包丁を落とすたびにガン、ガンとまな板が音を立てる。おまけに切るのも遅い。相変わらず苦戦しながらにんじんを切っていると、食卓でスマホを見ていたはずのシュウちゃんが、ねえ、とカウンター越しに声をかけてきた。


「ユウの家はお雑煮に、柚子とかかつお節って乗せるの?」

「へ? 乗せへんけど、なんで?」

「調べたら乗せてるのが出てくるし、あのレトルトの写真にも乗ってたよ」

「ああ~、たしかにネットのレシピは乗せてるやつ多いね。でもどうなんやろ、美味しいんかな?」

「分かんないよ、俺に聞かれても」

「せやなあ、ごめんごめん」


 二人で笑いながら、私は少し不格好なにんじんをボウルにあけた。さて、次は大根だ――少しチカチカする目をしばたいて大根を手に取って、ダン、と半分に切ったところで、シュウちゃんが苦笑しながら台所に入ってきた。


「あのさ、やっぱり、俺も手伝うよ。なんか時間かかりそうだし……それに、里芋とか、準備大変でしょ? 俺やるよ」


 私は台所を見回した——にんじんと大根の皮のカスが生ゴミ入れのまわりに散らばっているし、里芋はというとざるに開けて洗ったまま、シンクの真ん中に放置されている。たしかに、この有り様では、晩ごはんがうんと遅くなってしまいそうだ。


「ああ……せやなあ、じゃあ里芋だけお願いしよっかな。あとはお味噌汁とそんな変わらんし、自分でやるわ」



***



「え、鶏肉!? お雑煮にお肉入れんの!?」

「うちはブリ入ってるで」

「うっそお!? まじで!?」


 それって、ただのおつゆって言うんとちゃうん?――とはさすがに言わなかったが、たまたま知った友だちの家のお雑煮は、当時高校生だった私に十分すぎるほどの驚きを与えた。

 私は中学高校の六年間を、市内の中高一貫校で過ごした。そこは関西ではわりと有名な私立の学校で、他府県から通っている子も多い。私の友だちに関して言えば、生まれも育ちも京都という方が圧倒的に少なかったくらいだ。その頃の私といえば、お雑煮の違いと言われても他のところは白味噌じゃなくて、あとはお餅の形が違うくらいしか知らなかった。かくして、ある日の休み時間にたまたま知ったお雑煮事情は、その当時二十年にも満たなかった仲谷優子の人生における最大のカルチャーショックと相成ったわけだ。それ以来、お正月に白いお雑煮を食べるたびに、やっぱこれじゃないとお雑煮ってかんじせえへんよなあ……と思うようになった。


 そんな私が京都から東京に出てきたのは、大学を卒業して就職したときのこと。一方、仕事の関係で出会ったシュウちゃん——当時は上原さんと呼んでいた——は生まれも育ちも東京だ。生粋の江戸っ子ってゆうやつですか?って聞いたら、そんなことないよと笑われたのが出会ったときのこと。そう言う仲谷さんこそ生粋の京都人じゃん、そう言ったシュウちゃんにおどけて胸を張ってみせてからというもの、私たちはあれが違うこれが違うと言い合いながらいつしか夫婦になっていた。式を挙げたのは昨年の春のことだ。

 そして迎えた初めてのお正月、私はシュウちゃんの実家にお邪魔して、シュウちゃんちのおせちとお雑煮をごちそうになった。人生最大のカルチャーショックから十年近くが経った今年のお正月(早いもので、あと数週間もすれば去年になってしまう!)、私は生まれて初めて白味噌以外のお雑煮を食べた。聞いたことも見たこともない外国の料理を食べるような気持ちで口にしたそれは、思いのほか美味しかった。色々な具がゴロゴロ入っていて食べごたえもあって、味も見た目も華やかだった。でも、なんか違う。小さい頃に一度だけ、ママがおすましのお雑煮を作ったことがあったけど、そのときと同じ感覚だ――白味噌買うの忘れてた、と苦々しげに言って出されたそれが美味しかったけど物足りなかった、ちょうどそんな感じだ。あのときは新年早々スーパーに走って、二日の朝にちゃんと白味噌で作ったお雑煮を食べたときに、ようやく新しい年が始まったと思えたものだ。二人で住んでいるマンションに帰ってからシュウちゃんにそのことを言うと、シュウちゃんはあんまりピンときていない顔で、そうなんだ、と言っていた。


 そして今日、私は完成したお雑煮を初めて二人の食卓に並べた。シュウちゃんは目の前の白いお雑煮を珍しそうに眺めまわしている。私がさっさと食べ始めると、シュウちゃんもお椀を持ち上げて、ズ、と白いおつゆを一口すすった。


「……甘いね」

「そう?」


 シュウちゃんは不思議そうに首をかしげて言った。私はそんなシュウちゃんには構わず、お餅を一口加えてお箸を引っ張った。びろーんと伸びたお餅を追加でちょっとずつ伸ばしながら、スルスルと口内に回収する。やっぱり、私は白味噌のお雑煮が好きだ。この淡い味とほのかな甘さがたまらない。白味噌の風味が具材の味をふんわり包み込んでいて、飽きがくることのない味わいだ。


「でも、美味しい。根菜と白味噌だけだし、どうなんだろうって思ってたけど、これはこれで美味しいよ。してる」

「ふふ、そうやろ?」


 シュウちゃんは珍しそうにしているけど、それでも箸を動かす手は止まっていない。なんか一年前のうち見てるみたいやなあ、そんなことを思いながらシュウちゃんを見ていると、シュウちゃんがお椀から顔を上げて言った。


「なんか、ユウが言ってたこと、分かる気がする。俺も、これはこれで美味しいし好きだけど、新年!ってかんじはしないかも」

「あ、分かる? そうやねんな、お義母さんのお雑煮も美味しいんやけど、なんか違うんよな……やっぱり、我が家の味ってやつ?」

「かもね」


 シュウちゃんはそう言って笑うと、お椀を持ち上げて汁を飲んだ。ふう、と一息ついた顔に浮かんだ柔らかい笑みに、私まで自然と笑顔になる。私はお椀に注意を戻すと、ふんわり柔らかい白色をしたお汁の中から里芋を探し出してかぶりついた。土臭いような独特の風味が苦手な私は、濃いめの味付けで炊いたのが好きなのだが、お雑煮の里芋は不思議と食べられる。ほこほこした食感が好きだなとさえ思えるのだ。シュウちゃんが下準備をしてくれた里芋は、コロコロと食べやすい大きさが可愛らしかった。

 ふと、シュウちゃんが手を止めて木目調のお椀を見つめた。どうしたん、と聞こうとすると、そうだ、と楽しそうな視線が私をとらえる。


「今年は、お雑煮は交代で作る? 母さんもまだ何も言ってきてないし、家で二人で過ごしてさ。俺も教えてもらおうかな」

「あれ、シュウちゃんお雑煮作れへんの?」


 意外な告白に、私は驚いてシュウちゃんを見つめる。シュウちゃんは頷くと、


「ほら俺、元日はいつも帰ってたじゃん? それに二日とか三日はいつもユウと出かけてたし」


 と言った。私は


「そういえばそうやったな」


 と頷き返して、お雑煮をすすった。


「そっか、シュウちゃんのお雑煮かあ。食べてみたいわあ」

「あんまり期待するなよ? 失敗するかもしれないし」

「多分大丈夫やよ、シュウちゃん料理上手やもん」


 私は残りのお餅をくわえると、またお箸を引っ張って伸ばしながら食べる。するとシュウちゃんも、私の真似をしてお餅を伸ばしながら食べ始めた。意外と上手いこと伸ばしてみせるシュウちゃんに、私も負けじとお箸を引っ張る。


「あ、切れた」

「ああ~残念! 俺の勝ち!」

「え、これ勝負やったん? もう一回!」

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白いお雑煮 故水小辰 @kotako

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