第46話 空を飛ぶ感覚はすごく素敵でした/11
☀
「見て下さい、ソルラクさん! もう見えてきました!」
リィンが突然立ち上がり、前方を指差す。途端、ぶわりとスカートが風でめくれ上がり、中身が見えそうになったのでソルラクは慌てて彼女を座らせた。
「あ、すみません、立ち上がるのは危なかったですね」
どうやらリィンはそんなソルラクの不埒な視線には微塵も気づいてはいないようで、軽い調子で謝る。
「……気をつけろ」
色々と。心の底から、ソルラクはそう懇願した。
「はい、助けて下さってありがとうございますソルラクさん、好きです」
かと思えばさらりとそんな事を言ってくるものだから、ソルラクは彼女とどう接していいものか、完全にわからなくなっていた。
その想いに応えることも出来ないのに抱きかかえているのはどうかとは思うが、鞍も何もないミゼットの背の上だ。万が一リィンが落ちてしまったらと思うと気が気ではなくて、つい強く抱きしめてしまう。
『母はわたしを産んですぐに亡くなってしまって、殆ど記憶がないんです。もしご存知でしたら、お話を聞かせてくださいませんか?』
『教えてあげたいところだけど、私は直接会ったことがないの。シンバが、度々あなたのお母さんの話をしてくれたから知っているだけで──』
リィンのその質問に対し、ミゼットはそう答え。
『だから、聞きたかったら私よりソル君に聞いた方がいいと思うわ』
そして、ソルラクにぶん投げた。
確かに事実をすべて話すよりはよほどいいが。
リィンもソルラクに対して根掘り葉掘り聞いてくることはなかった。そもそもソルラクに聞いたところで、ろくに答えることも出来ないということをよく知っているからだろう。
だが──
『わかりました。それでは……いつか聞かせてくださいね、ソルラクさん』
聞くこと自体を諦めたわけではなさそうだった。
「いよいよ、ですね……」
ぽつりと、リィンが呟く。その表情は既にソルラクに向けた甘いものではなく。
その年令に似つかわしくない、真剣な眼差しへと変化していた。
……いつか話さなければならないのは、確かなことだ。ずっと隠し通すわけにはいかない。眼下に見えるルーナマルケの光景を眺めながら、ソルラクは決意する。
リィンの父を助け、全てが解決したら──リィンに、全てを打ち明けようと。
☪
「お義母様、ありがとうございました」
『いえいえ、いいのよ』
ルーナマルケの首都、ルーナカルテ郊外に降り立ち、リィンはミゼットに頭を下げる。
本音を言えば手伝って欲しいところだったが、流石にそこまでわがままは言えない。何ヶ月もかかる旅路をこうして一日に短縮してくれただけでも望外の出来事だ。
『あなた達は、大丈夫よ』
そんなリィンの思いを見透かしたかのように、ミゼットは優しい声でそう告げる。
『ソル君の事、よろしくね』
「はいっ」
そう言い置くとミゼットは腕に抱えていたピアを下ろし、再び翼をはためかせ、空の向こうへと飛び去っていく。
「はー……」
ミゼットの姿が見えなるのを見届けて、ニコは肩の荷が下りたかのように深く息をついた。
「ニコさん、随分おとなしかったですね」
「いやいやいやいや」
ニコらしくないその様子に思わずそう尋ねると、ニコはパタパタと手をふる。
「逆にこっちの方が聞きたいよ。あの方をお義母様呼ばわりとか、どんな心臓してたら出来るわけ?」
確かに初対面でちょっと図々しかったかも知れない、とリィンは思う。
「でも、ソルラクさんのお義母様ですし」
「ソルラクくんを判断の中心に据えすぎでは!?」
そう言われてみれば確かに、普通ならもっと別に気にするべき事があるのかも知れない。けれどリィンの心の中心には、とっくにソルラクが居座ってしまっているのだから仕方がない話だった。
「まあいいや。それでこれからどうするの?」
「……また変装して、街を見てみたいです」
街に入れば、敵に見つかる可能性はゼロではない。しかし、リィンはどうしても今のルーナマルケを確認しておきたかった。それにまさか『本物の竜』の背に乗って、防衛線を全て突破しここまで早く首都に辿り着くとは思わないだろう。広範囲を探していた分、手薄になっている可能性も高い。
「オッケー。じゃあ、リィンちゃんはまた男の子の服で、僕は女の姿になるとして、問題は……」
ニコはソルラクをちらりと見やる。黒尽くめで長身のソルラクが一番目立つことは間違いない。それに、あんなに格好いいんだし、注目される度合いも高いだろう、とリィンは思う。
「ぷおおお」
と、その時、ピアが鳴き声を上げた。そう言えばミゼットが何か荷物を持たせてくれていたはずだ、と思い出す。まずはそれを確認しよう、とピアの身体に据え付けられたバッグを開き。
そこに入っていたものに、リィンは思わずニコと顔を見合わせるのであった。
「これが……ルーナカルテ……?」
ルーナマルケの首都にして、もっとも栄えた都、ルーナカルテ。
その門をくぐった瞬間、リィンは思わず己の目を疑った。
あまりにも変わり果てていたからだ。
リィンは、筋金入りの箱入り娘だ。聞き分けもよく、素直で大人しい性質だったから、城を抜け出してお忍びで城下町を歩いた……などという経験もない。
それでも社会経験として護衛付きで街を歩いたことは幾度となくあったし、王族の一員としてある程度の様子は把握していた。
だが、リィンの知る活気に満ち平和な首都の姿は、もはや見る影もなかった。
目抜き通りですら人の姿はほとんどなく、足早に行き交う人々の表情は暗い。かつては盛んに交わされていた呼び込みの声は消え失せ、そもそも殆ど店が開いていない。
もはや首都とはとても呼べない光景が、そこにあった。
「リィンちゃん……」
「だいじょうぶ、です」
気遣わしげに声をかけるニコに、リィンは首を横にふる。ショックでないと言えば嘘になるが、こうなっていることを予測していなかったわけではない。武力で無理やり王都を制圧した者たちが、まともな政治をするとは思っていなかった。
しかしそれでも、僅か数ヶ月でこれほど変わり果てた姿になってしまっているのは、つらいことではあったが。
「宿に……向かいましょう」
果たしてこの状況下で営業を続けている宿があるかどうかが心配だったが、幸いにしてそれはすぐに見つかった。
以前リィンが働いた『銀の魚亭』のように、大抵の宿屋というのは食堂や酒場も兼ねている。旅人がやって来なくてもそちらの方で存続している店は少なくなかった。
問題は、敵と思しき兵士たちが酒場に溢れていることだ。『図化』で確認するまでもなく、港町でリィンたちを捕らえようとしたのと同じような装備をした男たちが、まだ昼日中だと言うのに飲んだくれている。
「じゃあ……行きましょう。お願いします、ソルラクさん」
「ああ」
しかしそれは言い換えれば、情報を得るチャンスだということでもあった。
リィンはぎゅっとソルラクにしがみつきながら、酒場の扉をくぐる。途端、兵士たちの視線が一気にソルラクとリィンに集中した。
「おい、あいつ……」
「ああ……」
ヒソヒソと潜めた声で交わされる。しかしリィンがそちらを向くと、彼らはぐるんと露骨に顔を背けた。
念の為『図化』を用いて彼らの言葉を捉えても、リィンたちの正体に気づいた様子はない。リィンはほっと胸を撫で下ろすが、その心臓が普段よりも早く脈打っているのも、自分自身の魔術ではっきりと分かってしまった。
「……大丈夫ですか?」
「ああ」
小声で尋ねると、小さく、しかしいつもと変わらない落ち着いた声色で返事がかえってくる。
この鼓動は、周囲の兵士たちに見咎められることを恐れているからか……それとも。
ソルラクに肩車してもらいながら大きな兜の中に隠れ、二人で巨大な鎧騎士のフリをしているからなのか。
今のリィンには、判別がつかなかった。
月が太陽に追いつく日まで 石之宮カント @l_kettle
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