青春は嵐とともにやってくる~卒業間近だけど、私、全力であの人を振り向かせてお付き合いしてみせます!〜

きつねのなにか

風光る


 季節は春の始め。それも、この高校に入学してから三度目の。


「す、好きでした! 付き合ってください!」

「うん、ありがとう。でもごめんね、君とは付き合えない」


 この時期になると大量発生する、私に突撃し一か八かの告白をしてくる男子たち。それを今日は何度もあしらってる。もう7人目。はぁ……。

 ああ、この人達があの人だったら良いのにな。


美代子みよこ、もう自分で言わないと駄目よ。卒業まで時間が残されてないのよ?」

 私の親友白石香南しらいしかなんがそう言ってくる。


「わかってる、わかってるよ。でもこれはなんというかなかなか難しい所があって」

「そんなに好きなんでしょ。本当に。それなら告白しちゃいなさいよ。なんなら私が相手に言ってこようか、美代子のこと好きなら告白してくださいって」

 ぐいっと詰めてくる香南。


「そ、それは相手に悪いよ!」

「なら自分で告白することね。もう時間はないし、道は残されてないのよ」


 果南のご助言をいただきながら、コーヒーショップ「ズタバ」で季節のコーヒーシェイクを飲み干した私たちは、それぞれの帰路につく。

 高校生にとって715円する季節のコーヒーシェイクは高い。そうそう何度も買えるものではない。

 それだけ重要な戦略会議だったのだ。完全に一方的な展開だったけど。


 野中竹鶴のなかたけつるくん。私の思い人。3年間思い続けた人。

 容姿はそんなに良い方ではないと思う。

 若干太り気味だし。

 眼鏡だし。

 

 でもそうじゃない、彼の良いところはそうじゃない。そういうところじゃない。


 あのとき彼は守ってくれたのだ、命がけで、私のことを――。


「おはよう、野中くん」

「ああ、おはようございます、北条さん」


 私北条千代子ほうじょうちよこと竹鶴くんは同じクラスだ。だから毎日挨拶はする。出来る。ただ、それ以上のことは……。


「ねー竹鶴ー、あんた彼女とかいないの?」

 あいさつを交わした瞬間、横から香南が割って入ってくる。


「し、白石さん、そんなプライベートなことを」

 たじろぐ竹鶴くん。もしかして、いるの……?


「ははーんさては彼女いない歴=年齢で童貞ねー。そんな人にこそ美代子がおすすめだと思うんだけど、どう?」

 ななななにを言ってるの!?


「いや、えーと、えーとね」

「ちょっと果南! 野中くんたじろいじゃってるじゃない!」

「容姿端麗頭脳明晰、身体からだは最強でおっぱいもデカイ、肌のキメなんて人間を超えているわよこの子。こういう子こそあんたみたいな初心者にうってつけなのよ」

 果南のせいで胸がむにゅっと揉まれ、スカートがひらりとひるがえる。ひいいい恥ずかしいいい。

「か、香南!」

「さーて朝のホームルームが始まるから私はこの辺で。まったねー」


 スタスタと自分の席へ戻っていく香南。


 そこで気がついたのだが、クラスの目線が私たち二人に注がれていた。奇異の目というか、怖いもの見たさというか、興味本位というか。


「じゃ、じゃあ野中くん、またね」

 目線に恐怖を感じ足早に去って行く私。


「ああ、また、ね」



 また? また? また!? 今またって言ったよね!? もしかして私またねって言ってる!? ……言ってるわ!

 ワンステップ前進じゃないこれ!?



「1ミリメートルの前進かしらね」

「そんなに短いですか香南さま」

 がっくりとうなだれる私。


「一会話増えた程度で30センチ以上前進したら、お付き合いできた頃には美代子は男子100メートル走の世界記録更新してるわよ」

 私の頑張りをバッサリと切り捨てる香南さま。


 香南は幾度もの破局を乗り越えて現在はラブラブの交際をしている。


「私にとっては世界記録でして」

「いい、美代子。あなたにはもう時間がないの。確かに高校1年の5月くらいならこれでいいのかもしれないけど、今はもう高校3年。しかももうそろそろ卒業よ。時間がないわけ! こんな前進速度じゃダメダメなの」

 ど迫力の顔で正論をぶちまけ、私を殺しに来る香南さま。


「うう、そうだけどさあ……そもそもあんなエッチなところを目の前で見せてしまっているしもう駄目なのでは! うわぁん!」

「男はエロには寛容だから大丈夫、点数あがったくらいだわ。そうね、1日10個くらい、二人の間で話せる語彙や種類、話のネタを増やしなさい。本気で取り組んで。あなたにはあの男しかないんでしょ?」


 超絶難易度の試練を与えてくる香南さま。

 厳しい。


 ううん、でもそれくらいやらないと間に合わない。

 今回の事案は間に合わないのでは意味がない。



 告白しなければ。



 頭脳明晰容姿端麗、高身長にナイスボディ。持ってないものは彼氏くらい(あとお金)。

 それが北条美代子! 出来ないものはない!



 やるぞ!



「おはよう、竹鶴くん!」

「え? ああ、おはよう、北条さん。え、名前呼び?」


 ほああああああ。

 やっちまったあああああ。

 でももう引けねえ、あたしはこの人と結ばれるんだ!


「だ、ダメカナー。あんまり男の子と話したことが全く全然ほとんどないから、まずは野中くんからー、って思ったんだけど」

「いや、別にかまわないけど。恥ずかしいな」

「やった、うれしい! えっと、今見てるのはパンフレット?」


 あれ、竹鶴くんとだと普通におしゃべりが出来るぞ。


「うん、国立西洋美術館でやるゴッホ展があるんだ。貴重な品々が来日するようだし、そこに行こうかなって思ってて」

「へー、私も行きたいなあ……」

「え……え?」


 キーンコーンカーンコーン


「ああ、次の授業だね。私も席に着かなきゃ。昼休みと放課後はノルマがあるから……また今度!」



 るんるん。


 じゃないわ。


 私なんか凄いことしちゃってない!? 私も行きたいなあとか、デートのお誘いの受けだよね!? やり過ぎたかな??

 

 放課後のノルマもこなしたし、教えて香南せんせーえ!


「馬鹿もん、そこは胸を見せながら『私も一緒に行きたいなあ、だめ?』だろうが!詰めが甘い!」

 ゴタバで今日も作戦会議。今はチャイを飲んでいる。香りがいいんだよね。


 しかしせんせえ、それってすげーハードル高いっす。


「でも、でもさ、私と竹鶴くんだと普通におしゃべりできるみたいなんだよ!」

 デデーンとデカい胸を張りそう主張する私。

「……まあ、助けてくれた人だものね。本能レベルで安心できる人って思ってるのかもしれないわね」


 そう、私は以前野中武鶴に助けてもらったことがある。


 あれは入学当初、春の終わりの頃だった。

 超絶美人が入学してきたと言うことで校内の男子が盛り上がり、やたら絡みついてきたり、デートに誘ってきたりしたのだ。

 中身を見てほしいとどれも拒否していたら、お高く気取っているキャラと認識されて男子は誰も相手にしなくなった。


 そんなある日の夜だ。忘れもしない、当時3年生だった九重茂ここのえしげるという奴から呼び出しを受け、嫌々と指定された場所に向かうと。


 対面した直後にレイプされた。実際はされかけた、だけど。


 体中ボコボコに殴られるし、それで目は見えないし、喉は声が出ないように締め付けられてるしで、ほとんどされるがままになっていた。

 もうだめってところで、天から神が舞い降りた。


 野中竹鶴が割り込んできたんだ。


 野中だけでは九重を押さえこむことしか出来なかったので、私が見えない目を凝らしながら必死で火災緊急警報のボタンを探し、それを押して人を強制的に集め、九重茂はご用となった。

 九重の動機は「お高くとまってる奴を徹底的に嬲ったら楽しいだろ?」だったかな。恐ろしさで吐き気と震えがする。


「しかし何で私を助けたんだろうね? そんなキャラじゃないと思うんだけどな、竹鶴くん」

「当時から既に好きだったんじゃないの?」


 至極ごもっともな意見を述べる香南。


「ま、本人に聞いてみないとわからないわね。次も頑張りなさいよ」


 香南せんせえから「普通に会話を継続させろ」というこれまたどぎつい指令を受けて会議は終了。

 でもまあ、竹鶴くんとだったら大丈夫かな……?


「竹鶴くんおはよう。今日は雨でしとしとだね」

「おはよう、北条さん。今日はさすがにぬれちゃったよ」

「私もそう。私は徒歩通学でしょ、だから傘なんだけど雨が入ってきちゃって。3年間で大きくなったからなあ」

「そ、そっか」

「うん」

「……」

「……」

「お、大きくなったのは太ももだからね。こ、ここ丘の上に立っているじゃないっ」

 

「い、いや、胸だとかなんて思ってないよ。そっか、太ももか」

 確実に胸を想像したでしょそれー!

「……」

「……」


 墓穴を掘った。太ももだってエッチい。竹鶴君にいやらしいことを想像させてしまったぞ。エロ女って思われたらもう駄目だ。


「じゃ、じゃあ朝のホームルーム始まるから、またね」

「あ、ああ、うん」


 ホームルーム後、果南せんせえに泣きつく。


「墓穴掘っちゃいましたよ果南せんせえー」

「いや、逆に良い! 男はエロにつられやすいから! オギャアした瞬間からおっぱい揉みまくりたいものなの! 次はゴッホ展で賢く攻めて、メロメロにしてしまうのよ! 横で聞いていたけど喋りは……もっとテンポよくなるといいわね」


 恐ろしいことを喋りまくる果南せんせえ。ゴッホ展をどう使えっていうんですかあ。誘えってことですかあ? 私から? 出来る気配がしない……。


 でもやらないと、やらないと、やらないと!


 次の日の月曜日。ききき、緊張がほどけない。人書いて飲む、人書いて飲む……。


 私と竹鶴君は結構朝早くから学校にきている。朝のホームルーム前で人はまばらだ。

 やるならこのタイミングしかない。


「おはよう竹鶴君今日も晴れだね元気だった? 私は引っ越しの準備で忙しかったよもう卒業だもんね四月からは大学だよ」

 め、めっちゃ早口でまくし立ててしまった。


「そうだね、四月からは、別々のところになっちゃうね……」


 あ、そうだ。卒業までしかタイミングはないんだった。

 話せただ、えちい所を見せちゃった、なんてのは些細なことだ。

 もう後がないんだよ。

 

 竹鶴くんとなら普通に話せる。

 普通に話せるくらい仲良くなってる。


 行こう!


「ねえ、ゴッホ展って今どうなってる? 一人で行っちゃった?」

「あ、うん。もう行っちゃったよ。種をまく人やひまわりがやはりすごかったかな。でも描画もすごいんだよね」


 さよならーわたしのーこいー。


 ここで果南せんせえが目に飛び込んでくる。口パクで「もういちど」といっているように見える。


 もう一度お願いする? いやまだお願いはしていないな。

 私と一緒にもう一度行ってください……?

 難易度高くない?

 いや今は難易度を考えている時ではない!


「お、お、お、お願い、もう一度になっちゃうけど、私と一緒にゴッホ展行ってくれないかな?」

「え……何度でも行きたいくらいすごくよかったから構わないけど。僕とでいいの?」


「竹鶴くんとがいいんです! お願いします!」


 教室に響き渡るような声で、頭を下げてお願いした。

 教室の視線が集まる。「え、まじ?」みたいなひそひそ声も聞こえてくる。

 でもこんな方法しか私には出来ないんだ!

 神様、仏様、フィンセント・ファン・ゴッホ様! お願い!


「わかった、わかったから落ち着いて。一緒に行こう。いまの時期だと予約を取らないといけないね。卒業前に空いている日を探してみるよ」

 少し慌てて取り繕うような感じでふるまう竹鶴くん。でもそれでいいんだ。

「や、やったあ……」

 大逆転のチャンスをもらい腰が抜けそうになる私。今までの成果がここで出た。


 朝のホームルームが始まり、席に着く私。

 この日、頭の中はゴッホ展しかなかったよ。

 最近は告白してくる男子が少ないから「告白を断るノルマ」も少ないしね。


「やったじゃないの! これでもう落ちたようなもんだわ! あとは相手に告白させるか自分からするかよ。彼は童貞くんで女の子の扱いになれてないから隙を見て自分から仕掛けたほうが良いかもね」


 メモメモ


「出来るだけリードさせることよ。特に一度行っている彼なんだからゴッホ展には一日の長があるわ。なんでも聞いたりするのよ?」


 メモメモメモ


 ゴタバ・ラテを飲みながら、果南師匠のアドバイスを熱心にメモる私。お金はデートに使いたいからゴタバ会議はもう使えない。これが最後のゴタバ会議だ。

 放課後の教室でもできるけど誰かが聞いているかもしれない。突っ込んだ話はゴタバ会議のほうができるのだ。

 ゴタバ・ラテを飲みきって帰路に着く私たち。



 決戦は卒業日の前日だ。



 決戦の日。前日に高級パックをして、今日はばっちり化粧もほどこしてきた。学生服はクリーニングに出した上に微細なシワまで取った。髪の毛は美容院で整えた。出来ることはやった。


 あまりにも緊張していて待ち合わせの三時間前に上野公園についてしまったけど、脳内作戦会議をするには好都合だ。


 まずA案。出会いがしらにいきなり告白するバージョン。お互いカップルという気持ちでゴッホ展を見られる。でも唐突過ぎて保留される公算が大きい。

 次にB案。見終わった後、お食事中に告白するバージョン。正攻法。これが無難か?

 そしてC案。どうにかして誘い受けをし、告白してもらうバージョン。これが一番うれしいんだけど、奥手であろう竹鶴くんにできるかどうか。でもこれが一番うれしいのは確かだ。でも竹鶴くんに……。


 ああ、思考がぐるぐるする。果南師匠は「ギリギリまで流れに身を任せろ」っておっしゃっていたし、ええい、ままよ!


 頭脳明晰容姿端麗、高身長にナイスボディ。持ってないものは彼氏くらい(あとお金)。

 それが北条美代子! 出来ないものはない!


 竹鶴君は待ち合わせの一時間前に到着した。私にリンクで連絡はよこさなかったようだけど、おっきい彼だもん、すぐに見つかるよ。

 ……そう、リンクの友達登録しちゃったのだ!


「やっほー、竹鶴くん」

「あれ、もう来てたの? 早いなあ北条さんは」

「遅れたくないから早めに、って。でもちょっと前だよ到着したのは」


 三時間前はちょっと、ちょっとである。


「そっか、なら安心した。……きょ、今日は凄いね」

「えへへ、デートだから頑張っちゃった。どうかな?」

「えっと、ええと……凄く良いと思うよ!」


 うおおおお!

 頑張った甲斐があった!


「竹鶴くんも制服がピンとしていて、か、か、かっこいいよ」

「そ、そうかな、あはは、デートだもんね」


 お互いの言葉に照れあう二人。ウブである。


「……そうだ、竹鶴くん。今日くらい、美代子さんって呼んでもらえないかな」


 渾身の勇気を振り絞ってお願いした。これはイチかバチかである。成功すれば一気に親しくなるし、失敗したら相手はそこまで私のことを思っていないということになるからだ。


「み、美代子さんって呼ぶの!?」


 素っとん狂な声でそう叫ぶ竹鶴くん。難易度高いかな。呼ばれる私も心の難易度が高いのだけれども。


「呼んでほしいなってだけから、気にしないで。まだ開館時間前だし公園でもあるこ?」



 上野公園不忍池を歩く。

 会話は、ない。

 でも私がにこやかに歩いているのを見て竹鶴くんもほっとしたのか穏やかな顔になってきた。


 タイミングとしては、良いのかもしれない。


「あのさ、竹鶴くん」

「ん、なんだい?」

「えっとね、私、竹鶴くんのことが――」

「あ、もう開館時間だよ! 一番最初に予約を取ったからすぐに向かわないとね」

「え。……うん、いそごっか!」


 時の神様め。


 ゴッホ展に到着した私達。絵画を鑑賞し始める。

 この時多めに出されていたのはゴッホの描画、つまりデッサン画であり、不思議といえばそうなるゴッホの絵も、高いレベルでのデッサン技術で裏打ちされていたことをうかがわせる。

「何度見ても、やはり基本が全てなんだなあって思うよ……」

 などと竹鶴君はつぶやいていた。


 ゴッホ展をデートに選んだのはそこにあったデートプランだからだけど、案外完璧な正解だったかもしれない。

 さすがフィンセント・ファン・ゴッホの展覧会。人は入場制限で少ないけれど、それでも人だかりができる。

 お互いが離れないように自然と手を繋いだというとんでもない事態がおこった。

 手を繋いでいるから一緒に同じ絵を見ることになる。共通の目的があるというのは素晴らしい。小声でどこがすごいかおしゃべりできた。ジーっと同じ絵画を見るだけで顔が自然と近くなり、もう昇天しそうだった。


「すごかったね、ゴッホ展」

「そうだね、僕も基礎からやり直さないとなあ。……美代子さんはそういうのある?」


 で、

 で、

 で、

 でたああああああ!

 美代子さん美代子さん美代子さん美代子さん!


 み! よ! こ! さ! ん!


「そ、そうだね。人間関係、かな。とある一件から以降、男性が苦手だしね……」

 つとめて冷静にそう話す私。

 っておーい! レイプ未遂事件をちらつかせるんじゃなーい! やりすぎか!


「大学に行ったら色んな事も忘れるよ。ここからちょっとでも移動すればね」

 なんて優しい、優しいよう優しい。心の中で号泣。


「うん。明日の卒業式では一緒に写真撮ろうね!」

「……そうだね。そうしよう!」


 そうして二人は別れた。告白は出来なかった。

 でも、果南師匠に事の巻末を簡単に述べたら「よくやったぞ美代子!」と号泣された。


 もうほとんど勝ちでしょ!


 翌日、卒業式。朝のホームルームの前に楽しくおしゃべりする私達。

「竹鶴くん」

「美代子さん」

 という呼び名で呼び合っているのを見て、「野中が北条を攻略した……!?」「いや、野中を攻略した感じだろ。あの北条さんが野中を、か……」「こんな短期間でとか、マジでありえないんだけど」などと驚嘆の声が上がっていたけど、私達の耳には入らなかった。恋愛脳ってすごーい。


 卒業式はつつがなく進行し、学年トップとして答辞も済ませ、晴れて卒業!


 果南師匠や竹鶴くんと楽しく記念撮影を終え、そして涙を流しながら帰路に着く。

 告白はタイミングを作れなくて出来なかった。でもまあいい、もう勝負は決まってる。あとは今度こそタイミングを作るだけ。明日にでも……うん。


 その帰路。

 少し暗く人気が少なくなるあたりに差し掛かる。

 そこで急に、何かが腰付近に刺さったような感触があった。

 

 振り返るとそこには悪魔がいた。

 

 少し大人びた九重茂だった。


「よーう俺のかわいこちゃん。学校生活は楽しかったかあ? おれはお前のせいで退学はするわまともに就職はできないわで散々な3年間だったよ。さあ、落とし前つけててもらおうか」


「あが……ぐ……う……」

 なにか返事をしたいが腰を深く刺されたようで激痛が走る。喋れない。こいつ人をいとも簡単に刺すのか……?


「まずはセックスできる体勢になろうか」

 そういって私の腹部にパンチを入れて押し倒し、のし掛かってくる。

「ああ、抵抗するとこうなるからなあ」

 なんのためらいもなく私のふくらはぎを縦にザックリと切る。


「いっあっ……うっ」

 あまりの痛みに背中が弓ぞりになり目の前が遠くなる。

 声なんて出す余裕がない。


「いちまーい、それもういちまーい」


 悪魔が私の制服を一枚一枚ゆっくりと剥ぎ取ってくる。

 恥ずかしい……とは全く思わない。ただただ恐怖が私を支配する。


「なーんでここって殴ると気持ちいいんだろうねえ! おらぁ!」


 なにかするたびに悪魔が私のみぞおちを殴り胃液を逆流させる。

 切られた痛みとは質の違う痛み。息が出来ない。


 叫んで助けを呼びたいのに叫ぶことができない。

 何かをしようとしたいのに怖くて痛くてできない。

 でもこのままじゃ殺される。殺されなくても失血死だ。

 死ぬ前の最後の行為はレイプ被害かよ。そんなの嫌だ。

 学生カバンの中にはスマホがある。それで助けを……。


「おーっとこんなところにスマホがあるなあ。こんなの愛し合う俺達二人の前じゃいらないよなあ?」

 投げ捨てられるスマホ。

 絶望感が心を支配する。

 嘘でしょ、だってゴールはもう目の前。

 明日には連絡をとって告白を。

 なんで、こんな、そんな。

 竹鶴くん、竹鶴くん。

 やだ、やだ、やだ。

 レイプされたくない。

 死にたくない。

 死にたくない。

 

 

 嫌だあ!



 でも、もう、なすすべがない。





 こんなさいごって、ないよ。










『えー次のニュースです。港区の路上で暴行殺人未遂事件がおこりました。犯人はその場で取り押さえられて逮捕され~』

『取り押さえた人へのインタビューが入ってまいりました。〈なぜ現場に向かわれたのですか?〉〈あの人はー……僕の彼女なんですけど、たまたま僕にリンクで意味不明な文字の羅列が送られてきて。大げさに転んで文字を打っちゃったか、正確な文字は打てないけれど助けが欲しい何かが起きたかと思い、彼女の下校ルートを急いで走りました。リンクの音声通話にも出てくれなかったので。〉』


「ねえ香南、もう一回そこをかけて」

「はいはい」

〈あの人は僕の彼女なんですけど〉

「もう一回」

〈あの人は僕の彼女なんですけど〉

「もう一回」

「あのねえ、私にも限度があるのよ」

〈あの人は僕の彼女なんですけど〉


 ぐふふふふ、僕の彼女! ぼーくーのーかーのーじょ! 

 質問に慌てて言いつくろっただけかもしれないけど、既成事実!


 そう、私は何とか生き延びた。竹鶴くんが現場に駆けつけてその場を取り押さえ、救急車で運ばれたのだ。

 途中の過程はよくわかっていない。緊急手術が必要だったとか、血液が足りなくて輸血しても間に合うかわからなかったこととか、腰とふくらはぎはがっつり縫わないとだめだったとか、そんなことは教えてもらった。


「あ、ごめんなさーいお話してました? 北条さん、面会希望者が来てますけれどもどうしますか? 野中竹鶴さんという方なのですけど」


 看護婦さんが面会希望者が来たことを伝えに来る。


「野中さんですか。会いたいです、通してください」


 胸が高鳴る音がする。


「それではお通ししますね。まだ体に負担をかけられないので静かにしてくださいね、ふふっ」


 呼吸が早くそして荒くなる。


「失礼します」


 その声は間違いなく竹鶴くんで、


「生きているところを見られてほっとしたよ」


 微笑んだその素敵な笑顔は間違いなく竹鶴くんで、


「体、大丈夫? っと……」


 近づこうとして機械に当たりそうになり、いったん離れるその慎重さは間違いなく竹鶴くんだった。


「大丈夫だよ、近づいても。そう簡単に機械が壊れやしないって」

「そっか、なら……」

 寝ているわたしの顔のそばまで来て椅子に座る。


「いやあ、生きているところを見て本当に安心したよ」

「私ちょっと外に出てるわね」

 そういって退室する果南。

「血液がまだ足りなくて動けないんだけどね。さっき看護婦さんにお盛んはやめろって言われちゃったよ、へへ」

 てへへ、と舌を出す私。

「お盛んって……。今の美代子さんは触れるのも怖いくらいだよ」

「私もちょっと今はやめてほしいかな……残念」

 体調が戻ってないせいか、なんか浮ついたことを言っている気がする。


「リハビリするためにも早く動けるようになるといいね」

「うん、リハビリはちょっとづつ開始しているよ。足首を上げ下げしたりする運動とか」

「そっか。早く元に戻れるといいね。いやあ、小、中、と 相撲部に入っていたことが、2回も美代子さんを助けることにつながるなんて」

「リハビリすれば大丈夫だってさ。その脂肪の下には強靭な肉体が隠れているんだよねー。スポーツテストのときとか毎回上位に入っていたって言っていたもんね」


 そ、竹鶴くんは元相撲部。高校からは相撲の道を離れてしまったけどね。まだちょっと太ってるのは相撲部だったころの名残だ。

 それでも必死でダイエットしてここまで絞ったのを私は見てきている。もしかしたら男子のことはあの事件以降竹鶴くんしか見ていなかったような気がするな。

 相撲の人の体は本当に強靭。九重茂を抑え込めたのは相撲から離れたあとでも毎日基本練習をしっかり行って作り上げた、その体と技によるもの。


「今回の件で基礎って本当大事だなって思ったよ。九重にぶちかましをして一撃で気絶させたのは毎日の鍛錬の成果だと思う」

「ゴッホも基礎をすごい大事にしていたもんね」

 そうだね、と笑う竹鶴くん。


 思えばゴッホのおかげでここまで来たのかもしれない。うん、最初で最後のきっかけと、最後の一押しをしたのはフィンセント・ファン・ゴッホ様のおかげだ。

 ゴッホ様の絵画がこのタイミングで日本に来日して、それを偶然知って。清水の舞台から飛び降りる覚悟で誘って。ゴッホ様の展覧会を一緒に見に行って。

 これがなかったら仲良くなりきれず、2回目の襲撃の時に助けが間に合わなかったかもしれない。


 ありがとう、ゴッホ様。


「私が2回あいつに襲われて2回とも竹鶴くんに助けてもらうなんて。何かのめぐりあわせかな」


 そういって竹鶴くんの目を見る。

 竹鶴くんも私の目を見返す。


 長い沈黙がその場を支配する。

 でもそれは嫌な雰囲気ではなくて、逆に心地よくて。

 ま、最終的にお互いはにかんじゃったけど。


「……僕、報道のインタビューで口走ってしまったけど、正式に申し込んでないことがあるんだ」

「あー、あれね。100回はきいた。……私もさ、正式に申し込んでないことがあるんだ」


 心が震える。でも、もう迷わない。


「私のは凄い正式な申し込みだよ?」

「僕もそうだね」

「せーので言う?」

「当たるかなあ」

「まあ、やってみようよ、せーの」




「「お付き合いしてください!!」」


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