第35話:さよなら、盾野リッタ


「暑いな……」


 まさに夏真っ盛りといった強い日差しに、俺は嫌気が差しながら学校の中庭にあるえんぴつ広場へと向かった。既に夏休み中であり、夏期講習や補習を受けている奴ら、それに一部の運動部の連中しかおらず、校内は静かだ。


 えんぴつ広場に入ると、あのいつものベンチではなく、広場の中央にある大きな木の下にあるベンチへと歩いていく。眩しくて見えないので、手でひさしを作って俺はそのベンチに座る少女へと手を挙げた。


「うっす」

「あ、立野君。ごめんね呼び出して」


 それは久々にリアルで会う、竜崎さんだった。


 ショートカットの黒髪に黒縁眼鏡。膝には読みかけの本。別に夏休み中は私服でもいいのに、律義に制服に身を包んでいる。 


 ああ……いつもの竜崎さんで安心する。


「いや、丁度学校来る用事があったから、大丈夫だよ。そっちは夏期講習の申し込みだっけ?」


 俺はベンチに座ると、途中の自販機で竜崎さんの分も買っておいた冷えたジュースを手渡した。


「ありがとう! うん。今年は受験だしね」

「受験かあ……」


 高校三年生の夏休みに遊ぶ暇なんてない。ましてや受験をするとなると、まさに今が追い込み真っ最中なのだろう。


 だけども、竜崎さんからはそういう焦りみたいなものは見られない。


 <紫竜ひめの>として、益々精力的に活動をし始めたというのに。一体いつ寝てるんだろうか?


「立野君は受験しないんだっけ?」

「大学行ってまで勉強したいことないからなあ。昔は全員進学が普通だったらしいけど、そういう時代でもないし」

「そうだね。じゃあ就職?」

「かなあ。あんまり考えてない」

「そっか……。立野君ならどこでもやっていけそうな気がするけどね。ダンスの講師とかは?」

「姉と同じなのはなあ」


 そんな風に俺達は近況報告しながら、冷えたジュースを飲んだ。


 冷たい炭酸が、少しだけだが暑さを和らげてくれている。


「ああ、そういえば言ってなかったな。竜崎さん、<エステライト>に入ったんだってね。おめでとう! 夏のイベント凄かったよ」


 あの時の興奮を今でも忘れられない。それを分かち合った<ひめの>にそんな言葉を今さら言う必要もなかった。


 でも俺はそれを竜崎さんには何も伝えていない。


「うん! でも、立野君のおかげだよ。ダンス教室教えてくれたし、色々話も聞いてくれた。そのお礼を直接言いたくてね」

「俺は何もしてないよ。竜崎さんの頑張りの結果だと思う」


 あの夏イベントの後――ドラゴンナイトチャンネルのチャンネル登録者数は跳ね上がり、先日十万人を超えた。


 そして、無所属Vtuberであった<紫竜ひめの>は活動を休止した<空乃ステラ>の招待を受け、<エステライト>へと所属した。いまや、<エステライト>所属するVtuberの中でもトップクラスの人気を誇っている。


「……りったんも同じこと言っていたよ。ズルいよね」


 俺と目を合わさずに、ジッと缶の表面に汗をかいたジュースを見つめる竜崎さんの言葉に、少しだけドキリとしてしまう。


 結局俺は――俺が<盾野リッタ>だと言えずじまいだった。


 当たり前だろう。そんなこと今さら言えるわけがないし、言う必要もない。


「全部りったんのおかげなのに」

「彼女は竜崎さんを応援したかっただけだからね」

「りったんだって、私かそれ以上に人気があるのに……無所属のままでいるなんて。しかも活動を控えるって」


 竜崎さんが少しだけ不服そうにそう呟いた。


 そう。<盾野リッタ>は――無所属のままでいることにしたのだ。そしてそれに伴い活動も控えると発表した。


 リスナーや団員からは嬉しいことに引き留められたが、俺の気持ちは変わらなかった。


 <盾野リッタ>は、<紫竜ひめの>を応援する為に存在している。だけども<ひめの>はもう応援なんて必要がないぐらいに成長し、Vtuberとしてこれからどんどん活躍していくだろう。


 俺には、そこまでやる覚悟がなかった。


 楽しそうに配信する<ひめの>をリスナーとして見ているだけで、幸せだった。

 もちろん……竜崎さんとは今後も仲良くやっていきたいし、お付き合い出来ればいいなあ……とは思っている。


 だけども、彼女は受験にVtuber活動と手一杯だ。


 ならば……この想いもしまっておくのが一番良いのだろうさ。


 俺の想いと共に――さよなら、盾野リッタ。


「じゃ、俺行くわ。竜崎さん、受験とVtuber頑張ってね。いつも応援してるから!」

「……うん」


 俺はあえて顔を見ずに、立ち上がった。


 別に二度と会えなくなるわけじゃないのに。


 妙に寂しかった。


「あ、あのさ」


 そう言ったのは俺なのか、それとも竜崎さんか。

 

 もしかしたら二人ともだったのかもしれない。


 俺は思わず振り返り、竜崎さんは立ち上がっていた。


「いや、えっと……」


 俺は自分が何を言おうとしたか分からずにもごもごしていると、竜崎さんが笑顔を作った。


「ねえ、立野君。良かったらだけど……本当に良かったらだけども! またこうやってお話できないかな? 受験もVtuber活動もあるけど……私、それだけで終わりたくないの」


 なぜだろうか。


 暑さのせいだろうか。それとも地面から立ち登る陽炎が見せる幻影か。


 俺には、竜崎さんが<ひめの>に見えた。人はそんなに簡単には変われない。きっと竜崎さんは竜崎さんのままなのだろうけど、でも少しだけ……ほんの一歩分だけ、彼女はあるいは、俺も……成長したのかもしれない。


 だから、俺も笑みを浮かべて言葉を返したのだった。


「当たり前だろ? だって俺達はもう友達じゃん。いつでも話聞くし、今度はダンス教室じゃなくてさ、気分転換がてらにどこかに遊びに行こうよ」


 俺と竜崎さんの物語は……こうしてようやく始まったのだった。


☆☆☆



 ――始まるはずだった。


 竜崎さんとデートの約束を取り付けて、舞い上がっていたその日の夜。


 俺はすれ違う人におかしい奴だと思われるほどに上機嫌で、自宅へと向かっていた。


「ん?」


 車道を唸りを上げて通り過ぎた真っ赤なスポーツカーが、俺の少し先で急停止。


 見た事もないような方法で開くドアから出てきたのは、綺麗な黒髪をなびかせた美女だった。


 黒のイブニングドレスに、どうやってそれで運転してるんだ? と疑問になるようなハイヒール。


 スリットから覗く太ももが艶めかしく、慌てて目を逸らす。


 かなり雰囲気が変わっているが、俺はそれが誰か分かった。だが、なぜこのタイミングで俺の前に現れたかは分からない。


 そして俺は思わず踵を返すと、その美女へと背を向けた。


 だって――ことは……嫌と言うほど分かっているから。


「いきなり背を向けるだなんて。あんた良い根性してるわね」


 彼女はそう言って、ガシリと俺の肩を掴んだ。


「わ、忘れ物を思い出して!」

「乗って」

「あ、いや帰ってテレビ観な――」

「乗れ」

「はい」


 拒否権なんて始めからなかった。


 俺は無理矢理助手席へと押し込まれると、シートベルトを着用する暇もなく、車が発進。


「……一体、何の用ですが――。随分と雰囲気が変わりましたけども」

「やっと、<空乃ステラ>を卒業できたからね。これまではリアルに時間とお金を掛ける余裕がなかったから」

「なるほど」


 光岡さんはバッチリ化粧をしていて、驚くほど綺麗だった。初めてあのオーディション会場で出会った時とは全く別人のようだ。


 だけども、あの目を惹きつけるような不思議な魅力は健在だった。


「で、やっぱり何の用なんですか……?」


 いや分かってる。分かってるし、聞きたくなかったが、この状況で言い逃れできるとは思えない。


 ならば、聞くしかない。


「……なぜ活動を控えた。なぜ、<エステライト>に入らない。あんた達なら間違いなく<エステライト>を引っ張っていける。そう思ってたのに」


 そう、俺は結局<空乃ステラ>の誘いを蹴った形になった。だから、彼女は怒っているのだ。


「<ひめの>ならやれますよ。それに何度でも言いますが、<盾野リッタ>は<紫竜ひめの>を応援する為に生まれた存在なんです」

「だからもう応援しなくてもいいと」

「応援はしますよ。でも、盾野リッタのような存在は――もういらないんだ」

「勝手ね。リスナーが泣いてるわよ」

「……ですね。そもそもVtuberを始めたのもそういう勝手な理由ですし。それに突然活動休止した貴女に言われる筋合いはありません」

「それはまあ、そうね」


 光岡さんは何も言わずに、ドンドン車を飛ばしていく。


 いやマジで、どこに連れていかれるんだ?


「あんたにアドバイスしようと思ってね」

「アドバイス?」

「本当に大変なのはこれからよ。膨大な量のリスナー、それに伴い増えるアンチ。プレッシャー、責任。トップになるなんて誰でも出来る。でも、居続けることが一番難しいのよ」

「何が言いたいんですか」

「<ひめの>にはまだまだ<リッタ>が必要だってこと」

「……それでも俺には、光岡さんや<ひめの>のようにVtuberをやり続ける覚悟はないですよ」

「そうでしょうね。なのに人気出るのがムカつく」


 その子供っぽい物言いに、俺は苦笑する。この人、大人なのか子供なのか分からんな。


「で、提案。スカウト……といってもいいわ」

「Vtuberはもうやらないですよ」

「そうね。でも<ひめの>を応援……いえ支える方法はそれだけじゃないでしょ?」

「へ?」


 車が緩やかに減速し、そして停車。


 そこは――<エステライト>のビルだった。


「どういうことですか?」

「いいから、さっさと降りなさい」


 俺は車から降りるとそのまま光岡さんにビルの中へと案内された。


「――よお、律太」


 そこで待っていたのは、<エステライト>の社長である幹也叔父さんだった。


「叔父さん、あんただったか」

「おう、俺だ。まあ、どこまで聞いたか分からねえが……俺はお前を評価している」

「はあ」

「もちろん、元のポテンシャルもあっただろうが、それでも無所属のVtuberをトップまで押し上げたその力は素晴らしい。それを捨て置くほど、俺も目は曇っちゃいない」

「俺はもうVtuberやんねえぞ」

「分かってるさ。でもよ、<ひめの>もこれから大変だぜ? <ステラ>に変わってうちの看板を背負っていくんだからな」

「彼女なら大丈夫だよ」

「簡単に言うなよ。お前は、自分の影響を全然分かってねえ」

「影響?」


 どういうことだ?


「――あのイベント、フィナーレ。そして<紫竜ひめの>がエステライトに所属したことによって、何が起きたと思う?」

「……?」

。無所属でもやれる、無所属でも頑張れば……トップに登れるとな」

「結果――爆発的な勢いで無所属Vtuberが増えた」


 光岡さんの言葉が俺に刺さる。


「……マジかよ」

「才能あるのに、どうせ無所属だからと諦めかけていた奴等が次々と出てきやがった。無所属にならざるを得なかった者、事務所に所属すること良しとしなかった者……今俺が追えてる奴らだけでも、お前や<ひめの>クラスの奴がゴロゴロいやがる」

「嘘だろ」


 いや、でも有り得る話だ。


 無名の俺達にだって出来た。ならば自分も、と考える方が自然だ。


「これまではある種、事務所同士の政治的な部分で人気が決まった。だが、こうなってくると別だ。次々と無所属が名乗りを上げてきている。更に、アルタ側が正式にVtuber支援を開始するという発表もあった。こうなると、事務所に所属するメリットが多少は薄くなってしまう。それを受けて……Vtuber戦国時代の到来――なんて言う奴がいるぐらいだ」

「戦国……時代」

「<ひめの>はそんな状況で、<エステライト>のトップとしてやっていかねばならない。もちろん、俺達も全力でサポートするが……はっきり言って、事務所の力が通用しない世界になりつつあるかもしれない」


 幹也叔父さんが、ため息をついた。


「だからよ、律太、お前を仲間に加えてやる。どうせ進学はしないんだろ? うちで働けよ」

「へ?」

「立野律太。そして<盾野リッタ>、どっちもうちで働け。とりあえず光岡の下につける。お前ならダンスを教えることも、Vtuberを支えることも得意だろ?」

「それは……」


 俺の沈黙に、光岡さんが言葉を重ねた。


「私は<空乃ステラ>の活動を休止した理由はこの為よ。後輩の育成に力を入れたかったの。これから出てくるであろう無所属Vtuberに負けないぐらいに凄いVtuberをうちから出す。その為に私と社長で選抜した無所属Vtuberを数人、うちへとスカウトしてきたわ。それを指導、サポート、そして<ひめの>レベルまで成長させる……それを私とあんたでやるの。それが――<ひめの>の応援と支援に繋がるのは分かるでしょ?」


 駄目だ、考えがまとまらない。


 だけども……それは少しだけ……本当に少しだけ、楽しそうに思えた。


「すぐにとは言わねえが……できれば早くこのプロジェクトには着手したい。手を貸してくれねえか、律太」


 幹也叔父さんの言葉に、俺はようやく答えることが出来た。


「……少しだけ考えさせてくれ」


 だけでも、俺の中ではもう決まっていた。<ひめの>を側で支えることが出来るのなら――断る理由はない。


 

 結果として――俺は<エステライト>へと就職することになったのだった。





☆☆――エピローグあるいはプロローグ――☆☆



 <エステライト>VR事務所内部――大型レッスン室。


 そこには、数人のVtuberらしき姿の者が数人集まっていた。


「流石は大手事務所が声掛けただけあって、ルックスだけはまあまあやな」


 そう言って、涼しい目元の美青年が周囲を見渡した。蒼色の和装を纏い、金色の髪の上にはキツネ耳が、背後にはモフモフの尻尾が五本揺れている。


「そうかなあ? イツキお兄様の方が百倍かっこええで?」


 そう言って、その狐耳の美青年――弧条院イツキにしだれ掛かったのは、赤色の和装に身を包んだ銀髪の美少女だった。イツキと同じように狐耳と尻尾があるが、こちらは尻尾が四本だった。


「ヨツハも負けてへんよ」


 イツキがそう言って、優しく妹である弧条院ヨツハの頭を撫でた。


「ふん、派手な奴等はいいよね。だけども僕は、中身で勝負する」


 そう言って肩を竦ませたのは、セーラー服に身を包んだ黒髪ボブの少女だった。確かに見た目に派手さはないが、その表情には自信が満ちあふれている。


「……ううう、なんであたしはこんな所に……もう帰りたい……お腹痛い」


 そう言ってうずくまっているのは、長い赤髪の美女だった。見た目は麗しいがその顔は今にも泣き出しそうだった。


「変な奴しかいないじゃねえか!」


 そう声を挙げたのは、SFっぽい見た目のアーマーを身に付けた青年だった。その声は、知っている者が聞けば――夏に引退したとある毒舌系クズVtuber〝ガラビット〟と酷似していることに気付くだろう。


 そんな個性豊かな者達の前に――騎士風の少女を引き連れた美女が姿を現した。


「――改めて、このプロジェクトの責任者の光岡よ。みんなは、この<エステライト>の次世代Vtuberとしてガンガン育てていくつもりなのでよろしく。それと、私の補佐とダンスコーチを兼任するのが――」

「げっ!? 盾野リッタ!?」


 思わず一人のVtuberが声を上げるが、それを無視して少女――盾野リッタが前へと出た。


「あー、知っている人もいるかもしれんが、盾野リッタです。よろしくお願いします」


 彼女に対する反応はそれぞれだった。目を輝かせる者、冷めた表情の者、挑戦的な目付きの者……。


 だが、リッタは気にせずそれらを受け止める。


「というわけで、第二、第三の<紫竜ひめの>を生み出す為の次世代Vtuber育成計画――〝ドラゴンナイトプロジェクト〟を始動するわよ!」


 光岡の言葉と共に――Vtuberの新たな時代が始まろうとしていた。


 トップゆえに悩み、迷う<紫竜ひめの>。

 かつてのリッタやひめののように、大手事務所所属のVtuberを倒すべく、牙を磨く無所属Vtuber達。

 そんなVtuber戦国時代に、後に〝六王〟と呼ばれる六人のトップVtuberを育成することになる<盾野リッタ>。


 彼ら彼女らの物語はまだまだ始まったばかりだ。



☆☆☆


<あとがき>

こんにちは、あるいはこんばんは。

作者です。

ドラゴンナイトチャンネル編はここにて完結となります。

ドラゴンナイトプロジェクト編については現在未定となっております。


もしよろしければレビューなどいただければ幸いです。感想コメントも是非。


以上、ここまで読んでくださりありがとうございました!

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ドラゴンナイトチャンネル! ~好きな子がVtuberデビューしたけど全く人気が出ないので、バ美肉して勝手に応援してたらなぜか二人合わせて人気爆上がりなんだが~ 虎戸リア @kcmoon1125

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