仮にそれが間違っているとしても

「ビッチ」とか「ヤリ〇ン」だとか、そういう言葉が好意的なニュアンスで使われることは、少なくとも私が知る範囲では全くない。「性に奔放」なんて言い方をしたって、冷たい視線を送る者がほとんどだ

そんな「ビッチ」の生き方に(下心を抜きにして)惹かれてしまったとしたら?
そんな「ビッチ」の姿に恋をしてしまったら?
そして、そんな「ビッチ」が、もう「ビッチ」でなくなってしまったとしたら?


まだ自分はその人を好きでいられるのだろうか
「ビッチ」にもどって欲しいなんて思ってしまう自分を認められるのだろうか


「誰かを好きになる」ということは、「その誰かに対して持っているイメージを好きになる」ことに過ぎないのかもしれない


本作は短編ながらその点を丁寧に描き出しているのだと私は解釈した
俗っぽいタイトルに似つかわしくない、素敵な純愛小説だと思う