あなたは一ヶ月後に何の痕跡も残さず消失します。その場合あなたは何をしますか?

日野 冬夜

第1話 あなたはどうしますか?

 あなたは一カ月後に何の痕跡も残さず消失します。



 ある日突然そんなことを告げられた人は何を思うだろうか?






 空は雲一つない快晴、場所は真っ昼間の学校の屋上、そして寝っ転って空を見上げている俺。側から見ればサボり学生で、隣に友人か彼女でもいれば青春の一ページに見えるだろう。


「問題は友人どころか誰もいないことだよなぁ」


 この場には友人もサボりを咎める教師も誰もいない。彼女?もともといねぇよ!


 正確にはこの屋上だけではない。この学校どころか街全体を見回してみてもおそらく俺しかいない。







 消失病



 ある日何の脈絡もなく世界中でとある奇病が大流行した。


 消失病と名付けられたその病に罹患した人は腕に痣が浮かび、約一ヵ月後に文字通り消失する。痣が浮かんだとしても体調に変化はない。ただある日突然この世から跡形もなく消失するだけだ。もっとマシな名前はなかったのだろうか?


 消失するとは言っても死んだのかは分からない。死んだのか、ただ見えなくなったのか、はたまた異世界転移でもしたのか。


 発生当時は世界中で集団失踪や神隠しのニュースが飛び交い、大混乱に陥った。昨日まで、つい先程まで、なんなら1分前まで話していた人が唐突にいなくなるのだ。混乱するなと言うほうが無理である。


 消失病と名付けられたがそもそも病気かすら分からない。体調に変化はないし、痣が浮かぶ人も完全にランダムで感染しているわけではない。


 その為とある世界的な犯罪組織が誘拐してる、某国の開発した細菌兵器だ、はたまた神の怒りに触れ神罰が下されたといったように陰謀論やら終末論やらが飛び交った。


 まあ実際に世界の終末ではあるのだろう。親しい人の多くが消失して悲しみのあまり自殺する者、消失の恐怖から自暴自棄になる者、どうせ消えるならとやりたい放題する者などが現れた。世も末である。


 まあそんなポストアポカリプスが長らく続いた。だが世界の人口が消失病の発生前の10%を切ったあたりからみんなただ消失を待つだけになった。10%という統計が合ってるのかは分からないけど。最後に聞いたラジオでそう言ってたがとっくに秩序が崩壊してるのに今の世界の人口なんかわかる訳ないだろ。


 正確な人数は分からなくてもかなり多くの人が消失した世の中で俺はまだ消えていない。自分の悪運に苦笑が漏れる。


(それがいいことなのかは分からんが…)


 人が消えるのを見てきた。嘆き、恐怖し、神に許しを乞いながら消えていく人達を。


 友人が消えた。両親が消えた。妹が消えた。多くの人達が消えた。気付けば回りに誰もいなくなっていた。


「残されるのも辛いものだ」


 人の営みが消えた街中を眺めながらそうひとりごちる。暇を持て余し、学校の屋上から何か面白いものでも見えないかとやってきたが、ただ静寂が広がっているだけだった。


「世界の人口は消失病発生前と比べると何%なんだろうな?」


 少なくとも小数点以下ではあるのだろう。ここはそれなりに大きい街なのに久しく人を見ていない。


「どうすっかなー。旅でもしてみるか?」


 なんとなくずっと住み慣れた街に居たが、最後に人と話したのはいつだっただろうか?すっかり孤独にも慣れてしまったが、生き残りを探すのも悪くないかもしれない。だって暇だし。


「思い立ったが吉日。日本一周でも目指してみるか」


 今までずっと地元に居たくせに唐突にそんなことを考える。移動は自転車にしようか?それともバイク?なんなら車でもいいかもしれない。免許なんて持ってないけど咎める人もいないだろう。


「○ーグルが使えないから現在地が分からなくなりそうだけど地図だけで大丈夫か?」


 ネットが使えなくなって久しいから迷子になるかもしれない。まあそれならそれでもいいか。どうせ当てのない旅だ。


「さてさて、どこまで行けることやら」


 日本一周が出来ればいいが望み薄かな?どうせ俺もいつかは消えるんだ。すぐに消えると思って長い時間を無為に過ごしてきたが、勿体なかったかな。


「まあ過ぎた事を気にしてもしょうがない。とりあえず家に帰って準備するか」


 そう呟いて学校を後にし、音の消えた街中を歩く。消失病は人間だけでなく、他の動物や虫にも発生している。人の立てる音だけでなく鳥や虫の鳴き声も聞こえない。自分の足音がやけに大きく聞こえた。








 帰宅途中に妙なものを見つけた。道路のど真ん中に人型のなまものが倒れている。


「…………」


 うつ伏せに倒れているので顔は見えないが、体格や長く伸びた黒髪からして女性のようだ。久々に自分以外の人間を見た。


「というかなんで倒れているんだ?」


 消失病以外の病気にでもかかったのか?そうだとしたら医者などとっくに消えたので手の施しようがないのだが。もしくは消失病にかかっても消えなかったのか。そんな例は聞いたことはないけど。その場合消えなかった人は死ぬのだろうか?


「もしもーし、生きてますかー?」


 とりあえず声をかけてみる。


「………お」


「お?」


 反応があるということは少なくても生きてはいるらしい。だが続く言葉に呆れてしまった。


「…おなか…すいた…」


 行き倒れかよ。昔のマンガの導入じゃあるまいし。








「ありがとうございます。あなたは命の恩人です」


 ご飯を食べて元気になった彼女に話を聞いてみると食料を探しにこの街に来たらしい。だがこの街の食料は俺が軒並みかき集めていたせいでろくに見つけれず行き倒れたみたいだ。


 おずおずと食料を分けてもらえないか聞いてくるが、好きなだけやると言うと驚かれた。俺はこれから旅に出るからこんなにいらない。


「どうして旅に出るんですか?」


「どうしてって言われてもなぁ。今日唐突に思い付いただけだし。強いて言うなら暇だから?」


「暇だから?」


「多分この街で未だに消えていないのは俺だけだからな。人に出会ったのも久しぶりだ。あんたは他の街から来たみたいだし」


「私も久しぶりに人に出会いました…」


「まあそんな訳ですることもないし、ここでただ消えていくのを待つよりは旅でもしてみようと思った訳だ」


 そう笑いながら言ってやると彼女は何やら考え込み始めた。少しするとこちらを見て言った。


「私も一緒に連れて行ってくれませんか?」


 こうして唐突に思い付いた旅に道連れができた。








 二人になったので車で行く。いざ出発。


「きゃあああああ!降ろして!降ろして下さい!」


 運転って難しいね。かつて親がしていた操作を思い出しながらエンジンをかけ、アクセルを踏むと車が急発進した。強く踏み過ぎたかとアクセルから足を離し、ブレーキを踏むと今度は急停止。シートベルトが食い込んで息が詰まった。


 彼女に文句を言われつつなんとか道路に出るが、縁石に乗り上げるわ、急カーブでタイヤが浮くわで散々だった。


 流石に不安になったのか彼女が交代を申し出る。


「私が運転します!運転したことないですけど!」


 そう言うので自分の運転を鑑みると文句も言えないから不安になりつつも彼女と運転を代わる。


「ぎゃあああああ!止まれ止まれ!」


 彼女もガードレールに擦り付けるわ、道路に放置されてた車にぶつかりそうになるわで散々だった。


 シートベルトの偉大さが身に染みた。





 そんなこんなで出だしから躓きそうになったけど、どうにかこうにか出発。


「旅に出るのはいいですけど目的地はあるのですか?」


「ない。唐突に思い付いて勢いで旅をしようと思ったわけだし」


「……無計画過ぎませんか?」


 彼女が呆れたように言ってくるが、そんな旅に着いて来ようと思った彼女も同じでは?初対面だぞ俺達。


「まあそんな訳で目的地なんかないから行きたい所があったら言ってくれ」


 そう言うと彼女は少し考えて口を開いた。


「でしたら最初は都会に行ってみませんか?他にも消えずに残っている人達がいるかもしれませんし。どうせなら旅の仲間を増やすのもいいのでは?」


「旅の仲間を探すのはいいがなんで都会?」


「単にもともと人が多くいたのだから消えてないない人もいるのではないかと。いないならいないで諦めましょう」


「まあ確率的に考えて田舎よりはいる可能性があるか」


 特に反対する理由もなかったので最初の目的地は都会になった。







「静かだな」


 運転にも多少は慣れ、なんとかやってきた都会を見た最初の感想がそれだった。


 平日休日問わず人で溢れていたであろうこの国の首都だが、今では人っ子一人見えない。あちこちに車が放置され、暴動でも起きたのか街並みは荒れ果てていた。だが今は俺達の乗ってきた車のエンジン音と風の音しか聞こえない。


「で?都会に来たはいいがどうやって消えていない人を探す?」


「……どうしましょう?」


 考えてなかったのかよ。彼女に視線を向けると目を逸らされた。


「……まあ車を適当に走らせてみるか。こんな状況なら車を走らせてるだけで目立つだろ。誰かいるならアプローチしてくるんじゃないか?」


「……そうですね」


 それからしばらく車を走らせたが何のアプローチもなく、こちらからも誰も見つけれなかった。


「……もう私達しか残っていないのでしょうか?」


「……さあな」


 まさかこんな大都会で誰も見つけれないとは…。俺と彼女が出会えたのは奇跡だったかもしれない。


「もう探そうとしても無理じゃね?旅の途中でたまたま出会えるのを期待したほうがいいんじゃないか?」


「……そうですね。まさかここまで誰もいないとは。開き直って旅を満喫した方がいいかもしれません」




 そんな訳で人探しは早々に見切りをつけ、旅を続けることにした。こんなに早く見切りをつけられたのは俺も彼女ももともとそんなに期待していなかったからなのかもしれない。


 それからは特に当てもなく各地を巡った。






 夢の国に行った。人のいなくなった遊園地は不気味だった。


 桜が立ち並ぶ街に行った。見事な桜並木の下でお花見をした。


 自然公園に行った。陽気に誘われ昼寝をしたら日が暮れていた。


 のどかな村で人に出会った。一緒に行かないか誘ったが、故郷を離れたくないと断られた。






「あそこに見えるの人じゃないか?」


「あっ、ほんとですね」


 のどかな田舎道で車を走らせていると畑仕事をしている人を見つけた。向こうもこちらに気付いたのか驚いた顔をしている。畑の近くに車を停めると彼女も近づいてきた。


「エンジン音が聞こえたからまさかとは思ったけど、私の他にもまだ消えていない人がいたんだね」


「俺達も驚いた」


「どこかへ向かっているのかい?」


「いえ、特に目的地はありません」


「そうかい。ここは見ての通り何もない田舎だけど急ぎでないならゆっくりしていきな」


「そうさせてもらおうかな」




 急ぐ旅でもないし、旅を始めて最初に出会った人だ。交流するのもいいだろう。


 畑仕事を切り上げた彼女の家に案内されお茶をいただく。


 しばらく交流を深めていると彼女が誘いをかけた。


「私達は旅をしているんです。あなたも私達と一緒に行きませんか?」


「……誘ってくれて嬉しいけど私はここに残るよ。まだ私には痣が浮かんでないけど、最後まで生まれ育ったこの地に居たい」


「そうですか…。残念ですけどそれじゃあしょうがないですね」


 残念ではあるが故郷を離れたくない人を無理に連れて行く訳にもいかない。


「それに私が居なくなったら先に消えた人達が寂しがるかもしれないしね」


 そう朗らかに笑う彼女の家に一晩泊まり、次の日に笑って別れた。再会の約束はしなかった。


 




 果樹園がある街に行った。採れたての果物は美味しかった。


 山にある綺麗な川に行った。水が冷たく気持ち良かった。


 日本一高い山に登ろうとした。途中で挫折した。


 南の海に行った。肌が焼けるまではしゃぎ回った。


 神社仏閣が立ち並ぶ街に行った。歴史を感じる荘厳な建物に心奪われた。


 痣が浮かんでる人に出会った。最後に人と話せて良かったと笑うその人を見送った。






「あそこに釣りをしている人がいますよ」


「マジか」


 川沿いの道を走っていると彼女が釣り人を発見した。


 こちらに気付いて手を振っている彼に車を停めて近寄っていく。


「まさか消える前に人と出会えるとは…このまま一人寂しく消えていくものだと思っていたよ」


 そう言って嬉しそうに笑う彼の手には痣が浮かんでいた。


「一人残ってしまった時は自分の運の無さを呪ったものだが最後に運が向いてきたらしい」


 多分明日消えるだろうし。そう言った彼に悲壮感は見えない。


「……怖くないんですか?」


「そりゃあ怖いさ。なんたって自分が消えるのだから。だが一人で生きるのにも疲れた。自殺する勇気もなかった俺は痣が浮かんだ時に恐怖と同時に安堵も感じたものさ」


「そうですか…」


「最後にこうして人と話もできた。孤独のまま消えずに済む。だから悪いけど今日はここに泊まって俺の話に付き合ってくれ。そして俺を見送ってくれ」 


 彼と夜通し話し、朝日が登った頃彼は消失した。最後に見た彼の顔は満足そうだった。


 


 見送った彼の真似をして釣りをした。一匹も釣れなかった。


 温泉街に行った。温泉で旅の疲れを癒した。


 湖のある街に行った。湖面に映る月は風情があった。


 花が咲き誇る高原に行った。一面に広がる花畑に心癒された。


 彼女の手に痣が浮かんだ。かける言葉が見つからなかった。





「視界いっぱいに広がる花畑は綺麗だったな」


「そうですね。昔テレビで見たことはあったんですが、実際に見てみると圧倒されました」


 先程行った花畑に関して感想を語り合う。その後次の目的地について相談する。


「次はどこに行きましょうか?」


「そうだなぁ…海はどうだ?」


「前も行きましたよね?」


「同じ海と言っても地域が違えば新しい発見があるかもだろ?」


「それもそうですね。なら海だけでなく山なども各地で比べてみましょう」



 そう話してまだまだ旅は楽しめそうだなと笑いあっていたが、ふと目に入った彼女の手を見て思考が停止する。そんな俺に疑問を持ったのか、俺の視線を辿った彼女は自分の手を見て息を呑む。そして諦めたように呟く。



「……なるほど。次は私の番ですか…」



 そう言って強く手を握りしめる彼女に俺はかける言葉が見つからなかった。




 北の海に行った。海のバカヤローと叫んだ。


 草原に行った。童心に帰って駆け回った。


 森の中にある滝を見に行った。神秘的な風景に目を奪われた。






「最後は私の故郷に行きたいです」


 彼女の手に痣が浮かんでから三週間ほど経ち、次はどうしようかと思っていると彼女がそう提案した。


「……分かった。どこ?」


「ここです」


 そう言って彼女が地図を広げて指差した場所を目指し車を走らせる。俺には最後と言った彼女の言葉を否定することが出来なかった。


 そうして車を走らせ彼女の故郷に着いた。最初に向かったのは彼女の実家。


「ただいま」


 そう言った彼女を出迎える家族はいなかった。


「ずっと家を空けていたからか埃がすごいですね。申し訳ありませんが掃除を手伝ってもらえませんか?」


「もちろんだ」


「ありがとうございます」


 その日は一日かけて彼女の家を掃除した。彼女はどんな心境で誰もいなくなった家を掃除してたのだろうか?下手に慰めることも出来ず、掃除を手伝うことしか俺には出来なかった。







 次の日は彼女の母校に行った。


「ここが私の席です。ここで授業を受けていたのが遠い昔のように感じますね」


 そう言って彼女は自分の席に座る。


「……最初に消えたのは私の友人でした。何か変な痣ができたと言っていた彼女はある日突然学校に来なくなりました」


 しばらく席に座って外を眺めていた彼女が語り出す。


「家にも帰ってなくて失踪届が出されましたが見つかりませんでした。「また明日」と明日も会うことを疑いもせずに交わした言葉が彼女との最後の会話でした」


 俺にも覚えがある。何気ない会話が最後の会話になった人達が大勢いる。


「彼女だけでなくみんないなくなってっ…!」


 肩を震わせて涙を流す彼女に俺はハンカチを差し出すことしかできない。






「あの…一緒に寝てくれませんか?」


 夜に彼女の家の客間を借りて寝ようとした俺を彼女は呼び止めた。二人きりで旅をしてきたから今更ではあるんだが、部屋が複数あるなら別れて寝るべきではなかろうか?


「ごめんなさい…心細くて…」


 そう言われると何も言えなくなる。


「ああ、分かった」


「ありがとうございます…」


 その日から彼女と一緒に寝るようになった。寝る時に彼女は俺の左胸に耳を当てる。まるで俺がここにいることを感じれるように。



 




 その後数日かけて彼女にあちこち連れ回された。まるで彼女の思い出の地を巡るように。


「ここが私のお気に入りの場所です」


 彼女に痣が浮かんで一カ月。その日最後に案内されたのは街を見下ろせる丘の上だった。


 シートを敷いて並んで座る。街と青空が見える丘からの景色は絶景だった。


「昼間もいい景色ですけど夜は満天の星空が見えるんですよ。私はその星空が大好きなんです。あなたと一緒に各地を巡りましたけど、ここから見える星空が私は一番好きです」


「そいつは楽しみだ」


「ええ。楽しみにしてて下さい」


 それからたわいのない話を続けていたが、不意に彼女が俯く。


「……覚悟はしてました。回りの人達が消えていく度にいつか自分の番が来るのだと。だけど回りに誰もいなくなるまで私の番は来ませんでした」


 そう震える声で語る彼女の表情は見えない。


「一人っきりが嫌で他にも残っている人がいないか探しているとあなたに出会いました」


 行き倒れるとは思いませんでしたけど。そう戯けるように言うが、まだ彼女は俯いたままだ。


「それからの日々は楽しかったです。消失病が発生する前なら行くことはなかったであろう場所にも行けました。日本各地を巡ることができるなんて思ってもいませんでした。……旅の途中で会った人を覚えていますか?」


「もちろんだ」


 先に消えた人が寂しくないよう故郷に残ると言った彼女。消える前にもう一度人と話せて良かったと笑った彼。日本各地を巡ったが出会えたのは二人きりだった。


「故郷を離れたくないのも理解できます。現に私もこうして故郷に帰ってきました。…最後に人と話せて良かったと笑っていた人の気持ちも理解できます。一人っきりで消えるのを待つのは耐えがたい恐怖でしょう。一人っきりで生きていたあの二人に比べれば私は恵まれているのかもしれない。でも…でもっ!」


 そこまで言って彼女は俺に縋り付いてくる。


「私は消えたくないっ!もっとあなたと旅を続けたいっ!」


 そう俺の胸に顔を押し付けて叫ぶ彼女を抱きしめてやることしか出来ない自分を呪う。慣れていたはずだった。人が消えていくのをただ見ているのは。


「……ごめんなさい。こんなこと言われても困りますよね」


「ああ、困る。確実に引きずる」


「そうですよね…」


 そう呟き俺から離れようとする彼女をさらに強く抱きしめる。


「だが忘れない。たとえお前が跡形もなく消えたとしてもこの胸の痛みと共に抱えていく」


 無力な俺に出来るのはこれだけだ。しばらくそうしていると彼女が口を開く。


「本当に私が消えてしまっても忘れませんか?」


「お前のこととお前と一緒に旅をした日々を俺は忘れない」


「……本当に忘れませんか?」


「絶対に忘れない」


 そう言うと少しして彼女が声を出す。


「……ふふっ。私のことは忘れてくださいと言おうと思いましたが、そう言ってくれるならさらに刻みつけちゃいますよ?」


「おう、どんと来い。お前が刻まれるなら本望だ」


 そう言うと彼女は顔を上げて俺にキスをした。


「私のこと忘れないで下さいね?」


 少しして口を離した彼女の泣き笑いの顔を俺は決して忘れない。







 それからはただ黙って寄り添っていた。この時間を噛み締めるように。そうして時間が過ぎていくと日が沈んできて辺りは茜色に染まってきた。


「昼の景色もいいが夕焼けも綺麗だな。夜はさらに凄いのか?」


 彼女に問いかけたつもりだった。だが返事は返ってこなかった。


「ッ!」


 いつの間に寄り添っていたはずの彼女は消えていた。


「…………」


 彼女が大好きだと言っていた星空を一緒に眺めたかった。それを最後の思い出にするつもりだった。だが隣には何の形跡もない。まるで始めから誰もいなかったみたいに…。


 覚悟はしていた。だが覚悟していたからと言って傷付かない訳ではない。しばらく俺は項垂れていた。








 どれくらいそうしていただろうか。気付けば辺りは闇に包まれていた。立ち上がる気力もなかった俺は仰向けに寝転んだ。


「ッ!」


 そうして息を飲む。見上げた先には満天の星空が広がっていた。


「ああ…」


 思わず感嘆の声が漏れる。彼女は消えてしまったが遺してくれたものがある。彼女と旅をした日々は俺の中にある。


 明日からまた旅を続けよう。消えた後どうなるか分からない。だが俺も消えれば彼女と同じ場所に行くかもしれない。そこで旅の間に見たものを語ってやろう。






 彼女の遺してくれた景色を胸に秘め、俺は旅を続ける。いつか消えてしまうその日まで。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あなたは一ヶ月後に何の痕跡も残さず消失します。その場合あなたは何をしますか? 日野 冬夜 @CELL

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ