第396話 ターニングポイント

 転移波動が、激しい振動で全身を揺らしている。脳を揺さぶられる感覚に天地の感覚は既になく、吐き気すら足許にも及ばないほどの嫌悪感に身体の中を引っかき回されている。


 それらが不意に止んだかと思うと、宙に投げ出される感覚の後、強い衝撃が全身を打った。


「う……」


 低く呻くのが精一杯だった。吐き気が込み上げて来たが、何も吐くものがない。酸っぱい唾液を飲み下すと、口の中が切れていたのか、どろりとした血の味を感じた。


「ホム、エステア」


 呼びかけてみるが、返事はない。暗い真っ暗な森のような場所だ。暗闇のなかに、更に濃い闇が広がっているのがわかる。明かり一つない場所では、二人を捜すことさえ困難だろう。


「炎を灯し行先を照らせ。トーチ」


 真なる叡智の書アルス・マグナを用いて指先に小さな炎を生み出し、機体の周囲を照らしてみる。ホムとエステアの姿はない。少なくとも、ひっくり返ったアーケシウスの機体の下敷きにはなっていないようだ。


 やれやれ。なんとか無事に転移は出来たようだ。


 僕はアーケシウスの操縦桿を握り、噴射推進装置バーニアの力を借りてどうにか機体を起こすと、扉のない操縦槽から機外に出た。


 ざわざわと木々がざわめく音がする。僕が知っているざわめきとは違う、どちらかといえば、蠢いているような不気味な音だ。生温く吹く風にも、肌に絡みつくような気味の悪さがあった。


「ホム!」


 エステアはともかく、ホムは僕の声には敏感だ。少し声を張り上げたところで、近くの茂みで何かが動く音がした。


「ホム……?」


 呼びかけながら指先の灯火を掲げてみる。ぼんやりと茂みの植物が闇の中に浮かび上がる。枯れているのか、茂っているのか分からない毒々しい色の草の葉の一部が、押しつぶされたように広がっている。その真ん中に抱き合ったまま倒れているホムとエステアの姿があった。


 見たところ、二人には大きな怪我はなさそうだ。転移の際の衝撃を全てアーケシウスが引き受けてくれたとみていいだろう。


 ホムもエステアも気を失っているが、ホムは一度立ち上がろうとしたのか、近くに嘔吐の跡があった。恐らく転移酔いだろう。あれだけの衝撃と影響を受けて、三半規管が狂わないはずがない。戦闘の疲労を考えると、ホムが目を覚ますまではそっとしておいた方がよさそうだ。


 一方のエステアも、呼吸は安定しているが顔色が優れない。無意識下で受けている身体的影響を考慮して、こちらも無理に起こす必要はないと判断した。


 けれど、この場所がどこであるかわからない以上、二人をこのままにしておくことはできない。僕の意図を汲み取って真なる叡智の書アルス・マグナがひとりでに頁を捲り始め、幻影魔法の頁で止まった。


「水鏡よ、影を写しとれ。ミラージュ」


 僕は幻影魔法で辺りの茂みを写し取り、ホムとエステアをその中に隠す。近づけば見破られないとも限らないが、周辺に他の生物の気配がないので、恐らく大丈夫だろう。


「さて、ここがどこか調べないとな……」


 邪法の転移魔法陣ではあるが、イグニスが作った祭壇は完全ではない。僕が祭壇の十字架を破壊したことで、発動こそすれ、本来の効果を発揮できなかったことは想像に難くない。


 魔王ベルゼバブは『対面』という言葉を選んだ。つまり、自らの元に召喚するつもりだったのだろう。だが、今目の前にその姿がないことから、ここがベルゼバブが本来転移させようとした場所でないことは明らかだ。


「ここは、一体……」


 僕は茂みを歩き、闇の中で枝葉を揺らしている木々の元へと進んだ。闇に包まれているから濃い影のように見えているのかと思ったが、近づいてみてそれが誤りであったことがわかった。


「…………」


 目の前にある木々は、幹も枝も葉も全てが黒一色の異様な姿をしていた。焼け焦げて黒くなったのではない。辺り一帯に茂る樹の全てが、同じ漆黒で覆われている。


 錬金術の延長線上で薬草などの知識も豊富なつもりでいたが、そんな僕の知識の中にもこの種類の木々の特徴は見つけられない。文字通り、見たことのない品種だった。


「しかも……」


 呟き、幹に触れてみる。まさかと思ったが、木の幹の内側が蠢いているのがわかる。まるで生き物の鼓動のように、規則的に脈打つ感覚が手のひらから伝わってくるのだ。


 だが、生物ではないのか、僕が触れてもなんの変化もない。


「……武装錬成アームド


 金属片を錬成し、幹に切り込みを入れてみる。灯火を翳すと、傷つけた幹から紫の樹液が出てくるのがわかった。だが、それもほんの一瞬のことで、木の幹が内側から盛り上がったかと思うと、凄まじい早さで傷を塞いでしまった。


「まるで僕みたいだな」


 苦笑を浮かべながら、木の幹から手を離す。このような樹木は帝国には存在しない。あるとしたら、僕も前世の僕グラスも足を踏み入れたことのない場所だ。大陸の反対側か、あるいは――


「……あれは……」


 先ほどまで闇に閉ざされていた辺りに、薄い光が差し込んでくる。ほんの僅かだが、明かりを辿ると黒一色の木々が成す森の奥から差し込む光に気がついた。どうやらあれが、森の出口のようだ。


 見たこともない草木を踏み分けて進むうちに、木々が少しずつ減っていく。空を覆っていた黒い枝葉がなくなると、頭上に赤い空が広がっているのが見えた。


 夜が明けていくときの朝焼けの光に似た眩しさが、けれど赤々とした禍々しさを伴って降り注ぎ始める。太陽の光とは思えないその光源を追うと、血のように赤く染まった空に浮かぶ二つの月が僕を見下ろしていた。


「そんな……そんな、まさか……」


 信じられない光景から目を背けた僕は、眼下に広がる光景に思わず目を瞠った。


 緑とも紫ともつかない腐った水が流れる川は、まるで毒の川だ。


 漆黒の森で覆われ、枯れたような草木が埋め尽くす大地からは、不気味な咆吼が響いてくる。


 何度目を擦っても、夢であれと願っても、目の前の光景は決して変わらない。教科書に描かれていた世界そのものだ。その世界の名は――


「魔界……」


 受け入れなければならない現実が、重くのしかかってくる。前世の僕グラスですら経験したことのない、危機的状況に陥っていることをはっきりと自覚した。


「帰還……できるのか……?」


 今、僕がここに一人でよかったと心から思う。ホムとエステアを前に、決して口に出来ない言葉が、恐怖を伴って口から零れ落ちた。ここからどうやったら帰還できるのか、まったくわからない。そもそも魔界から脱出する手段が存在するのかも、僕は知らない。


 現実から目を背けたくて閉じた瞼の裏に、アルフェの姿が浮かび上がった。


 僕を必死に呼んでいたあの声が、耳朶を打つ。


 ――アルフェ、僕の大切な愛しいアルフェ。


 僕に愛を教え、幸せをくれたアルフェを悲しませることは絶対にできない。


「……そうだ、僕は……」


 アルフェの元へ必ず帰ると約束した。信じてほしいと叫んだ。


 アルフェは、きっと僕を信じてくれている。


「必ず生きて帰る。全員で……!」


 拳を握りしめ、目の前の光景を見据えた。この先にどんな困難が待ち構えていようとも、アルフェと会えなくなるよりはずっといい。そのためなら、乗り越えられるはずだ。


 それが、今世の僕リーフが知った愛の力なのだから。




――――――――――――――――――――

読了ありがとうございました!

これにて第四章及び物語の第一部が完結となります

第5章からは魔界に飛ばされたリーフ達が帰還を目指す物語が始まります


本当はいつも通り数ヵ月休載したら連載再開となる予定だったのですが

先日出展した文学フリマで大爆死をしてしまい

私の創作の心が折れてしまったので再開までは当分時間が掛かるかと思います


noteの方に詳しく記事を書きましたので、よければそちらを読んでみてください

第五章についても触れています。


https://note.com/elto_0079/n/ncb98c328eba6

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アルケミスト・スタートオーバー ~誰にも愛されず孤独に死んだ天才錬金術師は幼女に転生して人生をやりなおす~ エルトリア @elto0079

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