共鳴する墓と人間


 僕のさきほどの憂慮は杞憂だった。いや、杞憂であるべきだった。よくよく考えたらおかしな話だが、しかし、さらによくよく考えれば、ここは夢の中だ。僕だって、崩れる足元を踏み抜き、落下から脱したり、あるいは、夜の海を泳いだりもした。つまり、おそらくこの夢の世界、思い込み・・・・で身体能力が向上する。

 ゆえに、切れた・・・。ここはラノベの中じゃないのだ。むしろそう、無理矢理にでも理屈付けた方が精神的にも受け入れやすい。そうだ、決して、烏羽さん自身がそれほどの、規格外の、言ってしまえば、人間を超えているというほどの達人である、という現実・・は、ないのである。……そう、信じたい。


 ともあれ、そういう事情で、蚊を切ったらしいその、烏羽さんの振り抜いた木の棒は、勢い余って、僕の墓石をも・・・・・・切った・・・


「う、わああああぁぁぁぁ――――!!」


 僕は、ふと感じた生ぬるさに、頭を押さえる。切られた! そして、この感触! 間違いない、やっぱり――だいぶ長いこと迷走してしまったが、自分の墓と、自身の肉体は、共鳴している・・・・・・。おそらく、『共鳴』という語彙と、この現象には、さして親和性がないが、ニュアンスで、それは、僕の中で結合された。


 ぼたぼた、と、押さえても吹き出す血液に、言葉通り、血の気が引く。痛くはない。それはもう、解っていたこと。しかし、やはり、血を流す感覚。これは、背筋が凍るものがある。

 どうやら、墓石の角、そのわずかな欠片を切り落とされただけ。それだけで、僕の左耳は、切り落とされた。


「分美くぅん!?」


 加賀殻さんが、おっとりとはしつつも、駆け寄ってきてくれる。切られた当初、正直、首が落ちたのではないかとさえ錯覚した僕は、地に伏してしまった。その僕に寄り添うように、彼女も、膝を擦るように乱暴にしゃがみこみ、僕の怪我を確認してくれた。びりびり! と、なにかを無理矢理、破る音。そして、左顔面を包む、温もり。


「大丈夫だからねぇ! こんな血なんて、すぐ止まるからぁ!」


 必死になっても、語尾が伸びている。慌てた顔も可愛いなあ。とか、僕は少し、死を覚悟したけれど、ここでどうやら、死ぬほどの怪我ではないと確認する。

 首は、繋がっている。脳を破壊されるほどに頭部にダメージがあるわけじゃない。切られたのは、……耳か、と。


「大丈夫か、アサヒ!」

「すまん。まさか本当に、墓を壊せば、おまえが傷付くとは……!」


 残りのふたりも寄ってくる。だが、問題はない。逆に、加賀殻さんがなにかの布を巻き付けてくれて助かった。これで傷口が隠せる。耳が落とされたと知っては、村坂はともかく、烏羽さんの立つ瀬がなくなる。目覚めれば忘れるとはいえ、わざわざトラウマを背負わせたくなどないのだ。


「大丈夫、大丈夫。あはは。少し耳元を切っただけみたいだから」


 努めて明るく、僕は言った。痛みがないのは本当だ。だから、裏表なく、大丈夫だと言える。それゆえに、顔色も悪くなっていないだろう。

 立ち上がる寸前、足元に落ちた、自らの左耳を確認。それを、今回も素足であった足で、踏み、隠す。


「だが、血がすごいぞ。どれ、傷を見せてみろ」


 烏羽さんは罪悪感もあるのか、そう言ってきてくれる。武道を志す者。ゆえに、応急処置にも通じているから、なのかもしれない。


「本当に大丈夫だから。それより、この異常事態の方が問題だ。自分の墓石が、本人を傷付ける可能性があるなら、早めに自分の墓を見付けて、それを守らないと」


 ともすれば、それが今回のゲームなのか? 墓を、一定時間守る? しかし、だとすれば、それを・・・壊す者・・・がいるはずである。それがたとえば、井奈さんが言っていた『怪物』などであるなら、これまでの間に遭遇していてもおかしくない。だが、僕はそんな異形を見てなどいないし、村坂や烏羽さんも、そんなものを見ているなら、真っ先にそう、言ってくれているはずだ。それがなかったということは、少なくとも、この場にいる四人が、そんな存在を確認していない。


 だったら、いったい、なにから守ればいい? どんな外敵が、ここには存在する?


「とにかく、僕は僕の墓を守る。近くに加賀殻さんの墓もあったし、僕らは協力して、互いで互いを守ろう」


 ことに乗じて、僕は加賀殻さんとの協力プレイを申し出た。それに、『互いで互いを守ろう』とか、ちょっと格好良くないか、僕。


 と、ちょっと陶酔していたけれど、目を向けた彼女、加賀殻さんの足元にふと、目を向けてみると、その、膝を隠すくらいはあったはずの入院着の裾が短くなっていて、……なんというか、絵的にヤバいほどに、素足がとても、露出していた。


 あの、えっと、……見えそうな、ほどに――!!


「うごおおぉぉ――!!」


 すさまじい勢いで、ぼたぼたと、また、血が流れた。……鼻から。……僕、かっこわるっ!


        *


 それを、強く気遣える状況では、すぐに、なくなった。


「む……?」

 まず、起きたのは、ささやかな疑問だった。


「ふむ。……切られた、か」

 なんのこともなげに、烏羽さんは言った。それでも、傷は、致命的だった。


「……やけに感覚が鈍い。……辿れるか……?」

 ぼそりと、言う。自分に問うように、小さな、声で。


「ちょ、どうするつもり!? 刀子……さん!」


 さすがに学ばないほどの馬鹿ではない。村坂応次は、烏羽さんをさん付けにして、気遣う。いや、学んでいなくても、いまの彼女に、わずかですら失礼を働くのは、躊躇われただろう。それだけの――俗な言い方だが――オーラが、溢れていた。あるいは、気迫か。または、殺気が!


「刀子ちゃん、だめよぉ! そんな状態で……」


 おそらく加賀殻さんは、烏羽さんに対するちゃん付けをそもそも容認されているのだろう。それでも、言葉を途中で区切ってしまう。だが、一言でも制止の声を発したのは、褒めてやるべきだ。とはいえ、それは本来なら、言うべきことだ。


 だって、両目が横一文字に、切られていたのだから。眼球が潰されたかは解らない。が、その状態で正常に周りが目視できているはずもない。


「かな。悪いが言葉を交わしている余裕はない。私は失礼するぞ」


 言うが早いか、烏羽さんは行ってしまった。たしかに、即断即決。動くべきではある。いったい何者が彼女の墓を傷付けたかは解らないが、そこには、彼女を傷付けるという意図が含まれている可能性が、高い。であれば、身を隠していても仕方がない。どうせ、隠れても逃げても、攻撃は避けようがないのだから――!


 そうだ。避けようがない。このゲーム、そこが一番厄介だ。僕は自分の墓を見付けて、そのそばにいるが、自らの墓を見付けていないプレイヤーは、それを守る術もない。そもそも、自分の墓を傷付けられれば自分が傷付くなどという荒唐無稽、基本的に思い付きさえしないだろう。仮に自らの墓をどこかで見ていたとしても、そこに多少の興味を抱いていたとしても、なにもせずに素通りすることもあるだろう。あとからその場所を想起しようとしても、思い出せないほどにしか記憶に残らないこともあるだろう。

 どう、見えない攻撃に抗うかすら解らないプレイヤーが、きっと、ほとんどだ。それがこのゲームの一番厄介な点なのだろう。


「村坂……おまえも行け」

 僕は言う。耳からも、鼻からも血を垂れ流す僕を、慮ってもらっている状況でもない。いつ、村坂が――村坂の墓が、攻撃されるとも解らないのだ。


「でもよ、アサヒ――」

「いいから行け! 僕たちは大丈夫だ!」


 勝手に加賀殻さんまで巻き込んでしまう。だが、いくら加賀殻さんのためと言っても、村坂を犠牲にしてまで、僕たちの役に立ってもらおうなどという、卑怯な考えは、素直に、僕の中からは出なかった。


 人間はみな、自分が一番可愛い。でも、その利己だけで渡っていける世の中でもない。そうして、表面上だけでも取り繕った仮面は、いつからか、まるで本心のように、その心を侵食する。


 命がかかった、こんな状況でも。大切な人すら危険な、こんな状況でも。

 僕たちは人間利他の皮をかぶった、人間利己だ。


「……ああ、解ったよ。……でも、なんかあったら、声上げろよ!」


 そう言って、なんか親指を立てた握り拳を向けて、気色悪いウインクで、村坂は走って行った。


 あいつ、たぶんまだ、なにかを解っていない。



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Wonderland Game(s) 晴羽照尊 @ulumnaff

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