PART3

『彼女は当時”小山内静子”と名乗っていました』

 その表現に、俺は少しばかり、奇妙な感覚を覚えた。

 奥歯にものが挟まったような、婉曲すぎるように感じたからである。


『しかし、ともかく私に関心を持ってくれたことは確かでした』

 昌一は、これまで一度も女性と付き合ったことがない。

 20歳くらいの頃、高校の先輩(彼は一応野球部に所属していた)に誘われて、一度キャバクラに行ってみたことはあったが、酒も呑めず、煙草も喫えない彼にとっては、ただ窮屈なだけで、面白くも何ともなかった。

 その後は父親が亡くなったこともあり、家業が忙しくなって、遊んでいるどころではなくなってしまい、女性との接点も消えてしまい、今の年齢になってしまったのだという。


”もう自分はこのまま一生独身なのかなぁ”

 そう思っていたところに、これが最後と申し込んでみたのが、件の”婚活サイト”だったという訳だ。


『最初、彼女に会った時、あんな素敵な女性が、僕みたいな男に声を掛けてくるなんて信じられませんでした』 

 小山内静子は、確かに素敵な女性だった。

 ただ美人なだけではなく、話も上手く、そして人柄も良かった。

 

 二人は度々デートをして、それで・・・・

え?

”それで、どうした”って?

 何を期待しているんだよ。

 30を過ぎ、40になろうとしているというのに、キスはおろか、女と手も握ったことがない男が、

”それ以上の何か”なんてできる訳がないだろう。

 勿論、

『そういう気持ちがあったのは事実です』と、素直に自白はしたが、彼女の気持ちを考え、踏み込めなかったし、向こうもそれ以上を望まなかったので、結局二人は単に”デート”だけに留まっていた。

 

 小山内静子の様子が変わったのは、二人が付き合い始めて半年ほど経った時のことである。

 ある日、新宿で映画を観た帰り、喫茶店に入ったところ、彼女の様子がいつになく落ち込んでいるので、何かあったのかと、新井昌一は訊ねてみた。


 彼女は、

”いいえ、別に”と答えたものの、その後も何度かため息を繰り返した。

”僕で良かったら、話してみてください。大したことは出来ないかもしれませんが、静子さんの為なら、微力ですが何でも力になります”

 気が弱い昌一としては、珍しく勇気のある言葉を吐いた。


 静子は何度か迷った後、思い切ったという感じで、

”あの・・・お金を貸して頂けないでしょうか”

 そう切り出したのだという。


 彼女がイラストレーターを目指しているのは、もう既にご存知だろうが、今度

 大学時代の友人と、小さなデザイン事務所を始めることになったのだが、そのための資金がどうしても足りないのだという。


 あちこちからかき集めて、どうにかあと少しというところまで来たのだが、その

”あと少し”が足りないというのだ。

”幾らなんですか?”

 昌一が訊ねると、彼女は遠慮がちに、

”あと120万円”と答えた。

”それだけあれば、事務所が開くことが出来て、私もイラストレーターとしてやって行けるんです”


 昌一は、

”分かりました。何とかします”と彼女の手を握って答えた。

 亡くなった彼の父親が子供たちのために遺してくれた預貯金がある。

 兄妹三人と母親で分割したが、自分の相続分が3百万円ほどあった。

 彼は元から道楽などない人間だったから、それがまるまる残っていたので、

百万程残して、後の2百万を全部貸してやったという。


『で、その後当の小山内静子嬢は雲隠れしてしまった。』俺がそういうと、

 彼は驚いたような顔をし、

”どうして・・・・”と、途中まで言いかけ、また苦しそうな顔をしてうつむき、うなずいた。


『そして、彼女を探し出して欲しいと、こうなんだね?』

 また彼は頭を下げる。

 



 

 


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