『子供部屋小父さん』物語
冷門 風之助
PART1
如何にも”下町の豆腐屋でござい”という風情を残したその店は、荒川区根岸の商店街の外れに、ひっそり佇んでいた。
”新井豆腐店”
という看板は、ところどころ擦り切れていて、そこがまた如何にも昭和の風情を残している。
だが、店先は静まり返っている。
パッキンが甘くなったんだろう。時折水道の蛇口から水が漏る音が聞こえるだけだった。
俺は奥に向かって何度か呼びかけてみたが、応答はまったくなかった。
どうしようかと迷っていると、買い物かごを下げ、俺の後ろを通りかかった小母ちゃん(正確には”婆さん”と言った方が良いか?)が、
『豆腐屋さんなら、今留守ですよ。確か配達に行ってるんじゃないかしら?でも、お母さんがいたと思ったけど・・・・』
俺は礼を言って、もう一度店の中に声を掛けてみる。
だが、やはり応答はない。
『無理もないわよ。ここのお母さん、コレだから』と、彼女は耳を触る仕草をして見せる。
俺は豆腐を浮かべる水槽やら、大豆をこねる機械。
そんなものの並んでいるコンクリートの土間を通って、まっすぐに進むと、ガラス障子を開け、中を覗いてみる。
確かに人の気配がした。
よく見ると、炬燵に茶色のカーディガンを着た、白髪の老女が横になっているのが見えた。
息があるというのは、二の腕までかかっている布団が上下していることからでも判断できた。
『もしもし、すみません』
俺はさっきよりもっと声のトーンを上げて呼びかけてみた。
すると、老女が上体を起こし、俺の顔を不思議そうな顔で見ながら、炬燵板の上に置いた眼鏡を取ると、こっちに向かってにじり寄ってきた。
『はい、何でしょう?』
耳に手を当て、聞き返す。
俺は更に声のボリュームを上げた。
二・三度それを繰り返して、やっと言葉が通じた。
『ああ、
彼女は畳に手をつき、済まなそうに何度も頭を下げた。
俺は
”ちょっと待って下さいね”といって立ち上がり、奥へ入って行った。
六畳ほどの部屋だ。
真ん中に炬燵。
茶箪笥。
壁に掛けた振り子時計と、和服姿の和久井映見が微笑んでいる、どこかの酒屋の店名が入ったカレンダーに状差し。
昔のホームドラマにあった、昭和の空気がそのまま残っている。
『どうぞ、番茶ですみません』盆に急須と湯呑、それに小さなせんべいの入った菓子鉢を載せて戻って来ると、炬燵に足を突っ込んだ俺の前に置き、茶を注ぐ。
『昌一さんは、何時頃戻ってきますか?』俺は彼女の耳に向かって声を張る。
『倅ですか?倅は今配達に出てまして・・・・あと1時間くらいで戻ってきますよ』
彼女はまた頭を下げた。
俺はせんべいを齧り、茶を飲んだ。
出直して来ようかとも思った。
それも面倒だ。
どうするかなと考えていると、車の停まる音が聞こえた。
俺が出てみると、店のすぐ隣にある車庫に白いライトバンがあり、
中背の、人の良さそうな顔をした四十がらみの男が一人降りてきた。
白っぽい作業服の胸には、
”新井豆腐店”とある。
『新井昌一さんですね?平賀弁護士の紹介でやってきました。私立探偵の
俺はそう言って、彼に
『あの・・・・依頼の件については母には・・・・・』彼は首から下げていた手ぬぐいで顔を拭い、店の方を気にしながら、声を潜めて言った。
『いえ、まだ何も、私は探偵です。詳細は依頼人としか話しません。それにまだ内容を全くうかがっていないのでね』
”そうでした。すみません”
彼はそう言って頭を掻き、
『もう一度家に入って下さい。今度は私の部屋で』
そう言って先に立って店に入ってゆく。
『母さん、ただいま』
昌一は自分の口を母親の耳に近づけ、特段声を張って、
”僕はこの人に用事があるから部屋に行くよ。食事の支度は少し遅くなるから”
そう告げると、俺を案内して、二階に向かう木製の階段を上がる。
階段を上がると、二階には三部屋あり、南側に彼の部屋があった。
六畳一間ほどの広さで、片側には本棚、それと向かい合ってパソコンと小型のテレビが置いてある。
彼は俺に座布団を進めてから、
”改めて”
そう断ってから、新井昌一、年齢は今年で丁度40歳になります。と、答えにくそうに自己紹介をした。
俺は遠慮なく座布団に胡坐をかくと、ポケットからICレコーダーを出して座卓の上に置き、
『始めにお断りしておきます。私は違法行為でもなく、反社組織とも無縁で、かつ結婚や離婚に関係していなければ、大抵の依頼は引き受けます。しかしその前にまず依頼内容をお話しください。その上で受けるか受けないか決めさせて頂きます。宜しいですか?』
俺の言葉に、昌一は黙って頷くと、ズボンの尻ポケットから財布を出し、そこから一枚の写真・・・・いや、正確には切り抜きだ・・・・を抜き取り、俺の前に置く。
『彼女を探し出して欲しいんです。』
少し擦れたような声で言った。
パンフレットのようなものから切り抜いた写真だった。
『誰なんです。この女性は?』
俺の質問に、彼は少し下を向いて、しばらく黙っていたが、やがて、
『私を・・・・私を騙した女です』
重い口を開いた。
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