2-8
酷く喉が乾いて、ウェントワースは跳ね起きた。そこはいつも使っている寮のベッドの上だった。全身をびっしょりと濡らす汗が気持ち悪い。悪夢を見た気がするが、夢の内容は覚えていなかった。身支度を整えて部屋から出ようとすると、扉の隙間に何か手紙のようなものが挟まっていた。差出人を見るが覚えのない名前で恐らく悪戯だろうと机の上に投げ置くとウェントワースは教室へと向かった。
午後からは美術の授業だった。絵を描くことは好きだ。自由でいて、何より没頭出来ることがいい。ウェントワースは思い思いに筆を動かしながら、キャンバスに滑らかな線を描いていた。生徒は皆夕食に出て行き、教室に残っているのは一人きりだった。ウェントワースが再び時計を確認すると、時刻は既に午後9時半を過ぎようとしていた。この時間まで夕食も食べずに絵画に集中していたことに驚きながら、ウェントワースは席を立った。片付けを済ませて教室から出ようとすると、つま先が何かにぶつかった。それは無造作に置かれた(あるいは生徒が片付け忘れた)ペンキ缶だった。蹴り上げたペンキ缶は派手な音を鳴らしながら中身を四方に撒き散らした。床一面を赤く染め上げていくペンキとは真逆にウェントワースの顔は青くなった。
「まずいぞ……」
布巾を手に床をこするがまったく落ちる気配がない。手を真っ赤にしながら必死に掃除をしていると何かの気配を感じて顔を上げた。そこにあったのはうつ伏せになった男の死体だった。しかもあろうことに首がない。首があったとみられる箇所からは肉と骨が見えていて、断裂された血管からは真っ赤な血潮が噴き出していた。ふいに重さを感じてウェントワースは視線を落とした。片手には人間の頭がぶらさがっていて、血に濡れた金の髪が指に糸のように絡みついていた。足元には巨大な斧が横たわり、その刃先はまるで使われたあとのように不気味な光沢を放っていた。
「……っ!!」
猛烈な吐き気と共に声にならない悲鳴をあげると、その光景は嘘のようにかき消えた。しかし残された感覚は忘れようがなかった。ウェントワースは自分を呪わずにはいられなかった。なぜ忘れてしまったのか。忘れたくなかった。忘れてはいけなかった。まだ間に合うのか。これからどうしたらいいのか。思考が駆け巡るよりも早く一切を放り投げてウェントワースは走り出した。
「……レナード……!!」
今度こそ記憶に刻みつけるように友人の名前を唱えながら。
まず、ウェントワースはコモンルームに訪れた。相変わらず賑わってると言えば聞こえはいいが、ぶっちゃけとても騒がしい。下級生達がばたばたと机の上で股の輪をくぐるゲームをやっているし、上級生はソファを占領して謎の議論を繰り広げている。それらを気にも止めずウェントワースは真っ直ぐに目的の人物のもとへ向かった。ウィリアム、マイケル、レイは窓辺近くで談笑していた。こちらに気付くとウィリアムがにこやかに声を掛けてきた。
「やあ、ウェントワース。随分集中していたようだけど、作品は仕上がったかい?」
あの悲壮感を漂わせていたとは思えない晴れやかな表情だった。ウェントワースの知るいつものウィリアム・ラングだ。ウェントワースは微笑んだ。
「まだ完成はしていないけど、おかげでいい出来になりそうだよ。ところで、旅行に行ったそうだね。ミイラ開封パーティに参加したとか」
「よく知っているね。先日参加したよ」
「そこで、首のないミイラを見なかったか」
ウィリアムは一瞬妙なものを見るような顔つきになったが答えてみせた。
「確かにあったよ。ペルシャの王族のミイラと紹介されたかな」
「……最後にひとつ教えてくれ。レナード・リーヴスを知っているか?」
3人は同時に首を捻った。
「知らないな。それは君のよく知る人物なのか」
ウェントワースは頭を振った。そもそも同一の存在が(片方が死亡していたとしても)同じ世界線に存在することができるのかという話から考察しなければならない。それに対して、レナードが気になる説を言っていたことを思い出した。――親殺しのパラドックスだ。あの説は確か過去を変えられないとする説だった。だとすれば。
「過去が変えられないのならば、未来もまた変えることが出来ないのではないのか」
レナードが存在したという自身の記憶を疑わないのであればの話だが。ウェントワースは歯噛みした。だが、分かったところで証明する方法がない。500年前にタイムトリップをしたところで、レナードは既に死亡している。遺体を持ち帰ったところで意味はない。レナードは覚えていてくれればいいと言ったが、それだけでは足りないようだ。そもそも彼がそんな曖昧な約束を信じるとは思えなかった。何かあるのだ。命を捧げてもいいとする確信が。
「それは、一体何だ?」
気付けば自室の前まで歩いてきていた。扉を開けると、窓から入り込む月光が青白い帯となって文机に差し込んでいた。そこには先程投げ捨てた封書が鎮座している。表に浮き上がった文字を読み上げた。
――
「――!!」
ウェントワースは急いで手紙の封を切った。中には見覚えのある流麗な字でこう書かれてあった。
ウェントワース=ハード・ウッド様
午前0時、食堂にてパーティを開催いたします。
招待状をお持ちの上お越しいただきますようお願い申し上げます。
敬具
レナード・リーヴス
何故気付かなかったのか。ウェントワースは走り出すと、最短距離で食堂へ向かった。時刻は午後11時58分になろうとしていた。過呼吸になりかけながら食堂に着くと、ウェントワースは時計を仰ぎ見た。午前0時。がらんと静まり返った食堂に時を知らせる鐘が鳴り始める。無慈悲に繰り返される鐘の音はウェントワースを焦らせた。間に合わなかったのか。それとも間違っていたのか。ウェントワースは両手を握り込んでがむしゃらに神に祈った。
「頼む、戻ってくれ……!!」
鐘は鳴り続けている。その鐘が不自然に止まった。かわりにガキンッと壊れたような音が響いた。時計の長針が逆行したのである。そのまま高速で針が回転し始めると、ウェントワースを残したまま周りの景色が移り変わり始めた。気付けばウェントワースは食堂の席についていた。テーブルの上には幾つも料理が並べられていて、いい匂いに囲まれていた。その時、視界の端で金の煌めきを捉えた。
「――ところでウェントワース。君はタイムトラベラーを信じるか?」
顔を上げると、美しいジェイドの眼差しがあった。首には何故か包帯が巻かれていて、レナードはせっせと料理の配膳をしていた。ウェントワースは懐から招待状を取り出すとその細い腕を掴んだ。
「ああ、信じるよ。何故なら僕がタイムトラベラーだからだ! 君の字だ。確認してみてくれ」
その行動にレナードは驚いたように瞳孔を開いたまま一言「へえ」と反応すると差し出された招待状をまじまじと見つめた。そして席につくと先を促すようにこちらに耳を傾けた。
「それでは聞かせてくれ。君の時間旅行の話を」
話し終えるとレナードは考え込むように机を指で叩いた。
「君は並行宇宙の旅をしたのかもしれないね。僕の記憶は無いのが残念だ。それにしてもペルシャ・プリンスとは。知っているか? ミイラの製作は古代エジプト以外でほとんど見られていない。そしてペルシャの故地でミイラが見つけられたことも一件もない。そのミイラが本物かどうか怪しいものだ」
「……その首の包帯は?」
指の腹で包帯をなぞりながらレナードがにやりと笑った。
「別に何ともなっていないよ。今朝起きたら首のあたりがもやもやするんだ。何故だろうな?」
「何にせよ、君が生きていて良かったよ」
安心したら腹がぐうと鳴った。そういえば夕食を食べ損ねたのを思い出してウェントワースは目の前の料理を睥睨した。
「それで……これは食べていいのか?」
レナードは柔らかく微笑んで応えた。
「――君のために用意をしたんだ、召し上がれウェントワース」
首の無いミイラ 小野 玉章 @Riisu
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