2-7



 ウェントワースは獰猛で昏い感情が湧き上がったのを自覚した。捨て置かれた斧を跨ぎ、レナードの胸倉を掴むとその翡翠のような瞳を睨んだ。


「まったくもってふざけている!」


「至極真面目だよ。君よりはね」


 レナードが掴みかかった手に視線を送る。


「君の悪いところはすぐに手が出るところだ」


「……」


 ウェントワースは冷水を浴びたようにさっと青くなるとすぐにレナードから手を離した。嫌な記憶を呼び起こされたのか苦々しい顔つきになる。レナードが口の端だけで笑った。


「あまり気にするな。それは使いようによっては長所になり得る」


「……考えがあると言ったな?」


 レナードは肩を竦めた。


「その通り。僕は自殺願望があるわけではないし、死ぬつもりもない」


 レナードは近くに置いてあった薪割り台を持ち出すと、ずるずると引き摺って道の真ん中に寄せた。


「君は親殺しのパラドックスという説を知っているかな」


「いや……」


 ウェントワースが首を振ると、レナードが人差し指を掲げた。


「例えば僕が過去に戻って、自分の親を殺すとする。そうすると僕の親は死ぬわけだから、僕という存在も産まれなくなる。僕という存在がいなくなるということは、過去に戻って親を殺す存在もいなくなる。つまり、親殺しは成立しない。過去は変えられないとする説さ。――それを踏まえた上である仮説を立てた」


 何かが引っ掛かったが、考える間もなくレナードが語り始めた。


「500年前カージー村でミイラが製造された。そのミイラを古美術商であるトーマス・ペティグリュー氏が買い付けたことが事の発端だ。では、その買い付けたミイラとはどのミイラのことだったのか。僕はそれをあの首のないミイラだと見ている。だが、あの地獄のような場所に首のない遺体は存在しなかった。これがどういう意味か分かるか」


 全身の血が抜かれるようだった。ウェントワースはごくりと唾を呑み込んで答えた。


「つまり、今ここで作るつもりか。その首のないミイラを」


「正解だ。察しが早くて助かるよ」


 ウェントワースは信じられないものを見たように首を振った。


「あのミイラが君だったとでも言いたいのか」


「右足の甲が折れていただろう」


「それだけで君だという判断はできない。第一、それなら僕にもできるはずだ」


 レナードは服を脱ぎながら、目を瞬かせた。


「今から足でも折るつもりか。あれは君の背格好ではなかったように思えるが。……首を落としたら衣服とともに人目につかないところに捨ててくれ。土に埋めてもいい」


 もはや確定事項のように話を進めるレナードにウェントワースは狼狽えながら声を上げた。


「皆で逃げればいいじゃないか。あの殺人鬼と戦ってもいい!」


「いいか、ウェントワース」


 下着姿になったレナードは服を畳もうとした手を止め、その辺に投げ捨てた。


「失敗することを恐れているわけじゃない。もう失敗することが出来ないだけだ。マイケルとレイは捕まってしまったら間違いなく次の夜まで保たない。宝物庫に並ぶミイラは2体に増えるだろう。そうなってしまったら、僕達はそれを知覚することができない。何故なら2人がいたという事実を忘れてしまうからだ」


「それなら、君のことも忘れてしまうのではないのか」


 レナードが口端を吊り上げた。


「そうはならない。君には確定した事象がある。それを利用させてもらう」


 レナードは薪割り台に抱きつくと、うなじに細い指を当てた。


「頚椎の骨のつなぎ目を狙え。熟練の執行人でなければ、一度で首を落とすことは難しいらしいが」


 別に聞きたくもない情報を説かれながら、ウェントワースはのろのろとした動きで斧を手に取った。


「本当に、この方法しかないのか……?」


「ウェントワース、ここは過去だ。僕達に出来ることはそれをなぞらえることだけだ。過去を変えることは出来ないのだから」


 未だに逡巡しているウェントワースに落ち着いた声音が響く。


「――僕のことを覚えていてくれ。覚えていてくれさえすれば、僕は存在できる」


 ウェントワースの口から思わずハッという声が漏れ出た。


「忘れるものか。こんな所業をさせる、悪魔のような友人のことを」


「……」


 伏せられているため表情は分からないが、恐らく笑っているのだろう。

 ウェントワースは大斧を持ち上げた。そのずしりとした重みが手に伝わると心臓が跳ね上がった。鼓動が全身を駆け巡り、肩で息をする速度が上がっていく。斧を握りしめた手は汗で濡れ、思わず滑り落としそうになる。目の前には金の毛束が顔を覆うようにして前方に垂れ、そこから白い首筋が覗いていた。そこにこの残虐な刃を突き立てようとしていると考えるだけで、身体が居竦んだ。

 その時、ふとレナードの組まれている手の方を見た。薪割り台を囲うようにして伸ばされている手。それがぴくぴくと小さく震えていた。

 ――痙攣? いや。


「――」


 気付けば震えは止まっていた。神への祈りのように頭を垂れる友人の名前を呼ぶ。


「レナード」


「――――やれ!!」


 鋭い叱咤を飛ばした瞬間、ぐるんと視界が一回転した。遠くで鐘の音が聴こえ始めると同時に誰かが隣で泣き叫んでいた。垣間見た空の景色は一瞬で黒く塗りつぶされ、幕切れのように突如として意識は途絶えた。




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