第23/23話 エピローグ:陰謀詭計

 八月二日、金曜日、午前十二時半。

 品辺競一は、毳沢ロイヤルリムジンの車両のシートに座っていた。通っている高校の制服を着ており、左手首にはリストバンドを装着していた。

 競一の左隣には、朋華が腰かけていた。格好は、いつもどおりで、銀髪をツインテールに纏め、メイド服を着ていた。彼女は、体の左脇に、アタッシェケースを置いていた。

 一昨日、ギャンブルで敗北した赫雄は、九十九回のペナルティロールを受けた。その途中からは、競一の目から見ても、もう、彼が絶命していることは、明らかだった。しかし、森之谷は、ペナルティロールを、きっちり九十九回、実行した。テストなのだから、最後まで完了させないといけない、とでも、律義に考えていたのかもしれない。

 竹彦はというと、実の息子である赫雄が、これからペナルティを受ける、という場面や、現在ペナルティを受けている、という場面になっても、特に行動を起こさなかった。竹彦は、赫雄に対して、最後まで、虚ろな視線を向けているだけだった。ペナルティが終わった後も、素直に帰ったようだ。赫雄のマインドコントロールを受けているせいで、もはや、父親としての感情など、持ち合わせていないに違いなかった。

 森之谷たちは、約束どおり、赫雄の賭けたデータを渡してくれた。すぐさま、中身を確認したが、ちゃんと、所望したとおりの内容だった。

 帰宅した後、競一は、さっそく、インターネットじゅうに動画を流出させた。SNSだの、電子掲示板だの、オンラインゲームだの、あらゆる所に投稿した。もちろん、彼自身の身元がばれないよう、細心の注意を払った。

 予想どおり、世間は大騒ぎとなった。動画に映っている放火犯の正体は、轟橋赫雄という人物である、ということは、それが最初に投稿されてから、わずか数時間で特定された。そして、翌日、八月一日には、警察が、赫雄の逮捕に向けて動きだした。

 しかし、そこで、赫雄の死が明るみに出た。彼は、心臓麻痺で突然死したことになっていた。豹泉の組織が、偽の情報を警察に流したか、あるいは、警察そのものに要請して、捜査の内容を捻じ曲げさせたのだろう。

 日本政府は、即座に、竹彦を、消防大臣の地位から降ろそうとした。しかし、その前に、竹彦と、彼の妻は、自宅に火を放ち、焼身自殺した。

「これで、もう、ご主人さまの家が放火されることは、ありませんね」朋華は、にこっ、と笑った。

「ああ。だが、最後に一つ、済ませないといけないことが残っている。豹泉さんに、借りた金を返さないとな。それさえ終われば、いつもの日常だ」

 そう言うと、競一は、左手首を、しゃ、と軽く振った。リストバンドのケースから、いくつかラムネが飛び出してきて、右掌の上に載る。それらを、口に放り込むと、ぽりぽり、と噛み砕き始めた。

 彼は、体じゅうに、ガーゼだの、絆創膏だの、湿布だのを貼っていた。いずれも、一昨日に参加したギャンブルのペナルティで負った怪我に対する処置だ。車両のシートには、松葉杖を立てかけていた。左足の捻挫については、それほど酷いものではなく、医師からは、完治まで、大した時間はかからないだろう、と言われていた。

 朋華は、窓の外に視線を遣った。「この景色だと……豹泉邸に着くまで、あと、三十分くらいですね」と呟く。「……そうだ、三十分と言えば、昨日、テレビのバラエティ番組で見たのですがね、ハーバート・ジョージ・ウェル──」

 その後、二人は、くだらない会話を交わした。そして、数分後、朋華が、目に見えて、うとうとし始めた。競一の話を聴いている時は、もちろんのこと、自分が話をしている時でさえ、瞼を閉じそうになったり、顔を俯かせそうになったりした。それから、さらに数分後には、ついに、シートの背凭れに体を寄りかからせた状態で、目を瞑り、すう、すう、という寝息を立て始めた。

 おいおい、疲れているのか。競一は、そう言おうとしたが、言えなかった。それよりも先に、大きな欠伸が出たためだ。

 競一は、口を閉じた後、両目を瞑り、瞼の上から、ごしごし、と擦った。(こんなところで、睡魔に襲われるとはな……)と心の中で呟く。(朋華は、もう、眠っているし……無理に起こす必要もないな。少しの間だけだが、おれも、寝るとするか……)

 そう結論を出すと、競一は、体をシートの背凭れに預け、手足を軽く伸ばして、目を閉じた。


 がらがら、という音が聞こえてきて、目が覚めた。

「到着しました」

 そんな声が、左方から聞こえてきた。そちらに、視線を遣る。

 帽子を被り、マスクを着け、スーツを着た男が、競一のいる空間の外に立っていた。

 そこでようやく、競一は、自分が、借りた金を返すため、先方の手配した、毳沢ロイヤルリムジンの車両で、豹泉邸に向かっていたことや、乗っている間、睡魔に襲われ、そのまま眠ったことを思い出した。

「ああ……」彼は、そう返事をすると、ふああああ、という大きな欠伸をした。直後、ドライバーが、自分を見ていることに気づいて、軽い気恥ずかしさを覚えた。「ありがとう」

 競一は、朋華のほうを見た。彼女は、まだ、眠っていた。肩を軽く揺すって、起こす。

 その後、すぐに、二人は地面に降りた。車両は、いずこへと走り去っていった。

 豹泉邸では、応接室に通された。テーブルを挟んで向かい合わせに置かれている、二台のソファーのうち、西側に位置している物に腰かけて、豹泉が来るのを待ち始める。

 そこで、競一は、ふと、小さな不安を抱いた。朋華に、アタッシェケースを開けさせる。

 不安は、すぐに解消された。ケースの中には、ちゃんと、一億円分の札束が入っていた。

 ケースを閉じてから数分後、豹泉が部屋に来た。「久しぶりね」卉間も、後についてきていた。

 二人とも、格好は、以前と同じだった。豹泉は、薄い紫色の髪を、一本結びに纏めており、ブラウスを着て、スカートを穿いていた。卉間は、短い黒髪を、スポーツ刈りにしており、スーツを着ていた。

 競一と朋華は、立ち上がった。「お久しぶりです」二人して頭を下げた。

 豹泉は、東側に位置しているソファーに座った。それを見て、競一と朋華も、腰を下ろした。卉間は、豹泉のいるソファーの、競一から見て右斜め後ろあたりに立った。

「さっそくですが、一億円、お返しします」

 競一が、そう言い、朋華が、足下に置いていたアタッシェケースを持ち上げ、腿に載せた。

「わかったわ。卉間、確認してちょうだい」

「承知しました」

 卉間は、そう返事をすると、朋華からアタッシェケースを受け取った。それを、テーブルの上に置くと、開ける。中に収められている紙幣を、調査し始めた。

 数分後、卉間は「たしかに、一億円、あります」と言った。

「そう。じゃあ、持って行ってちょうだい」

「承知しました」

 卉間は、そう返事をすると、アタッシェケースを、ぱたん、と閉じた。その後、それを右手に提げ、部屋を出て行った。

「ふうー……」競一は、そんな長い息を吐いた。「やっと、肩の荷が下りました……」

「あらあら……お疲れね」

 そう言って、豹野は、くすり、と微笑んだ。表情や仕草の端々から、上品さが感じられた。

「なにせ、一億円もの大金ですからね。家に置いているだけでも、気が休まりませんでしたよ、泥棒だの強盗だのに入られやしないかと──」

 その後、三人は、雑談を交わし始めた。数分後、卉間が部屋に戻ってきて、前と同じ位置に立った。

「──要するに、テレポーテーションみたいな感じです。ただ、多くの場合、テレポーテーションというのは、空間の移動を意味しますが、この場合──」

「あ、そうそう」豹泉は、競一の台詞を遮るようにして言った。「あなたの借金について、訊きたいことがあるんだけれど」

「訊きたいこと……ですか?」いわば、不意打ちを食らったため、競一は、怪訝な表情を、顔に、露骨に浮かべてしまった。慌てて、相好を崩す。「何でしょう?」

「借金の残り、一億一千万円については、返済の目処は立っているのかしら?」

 競一は口を半開きにした。「は?」すぐさま、我に返って、口を閉じた。「いやいや……何を仰います。さきほど、ちゃんと、返したじゃないですか、一億円、耳を揃えて」

「ええ。それについては、ちゃんと返してもらっているわ」豹野は、相変わらず、上品な微笑みを浮かべていた。「だから、借金全体、二億一千万円から、一億円を引いて、残りは、一億一千万円じゃないの」

 沈黙が発生した。しばらくしてから、競一は「えっと」と言った。「意味がわか……えっと。お借りしたのは、一億円ですよね? 利子も、ありませんでした」

「ええ。あなたに貸したのは、一億円で、利子もなし。でも、利子はなくても、遅延損害金はあるじゃないの。元金が一億円、現時点での遅延損害金が一億一〇〇〇万円。あなたの返すべき金額は、合計で、二億一〇〇〇万円」

 二度目の沈黙が発生した。何を言えばいいのか、わからなかった。

 くくく、という声が聞こえてきた。それは、豹泉の物だった。それから、彼女は、おかしくておかしくてたまらない、といった様子で、眉を上げ、目尻を下げ、鼻孔を膨らませ、頬を窪ませ、口角を上げ、笑い始めた。

 数秒後、豹泉は、笑うのをやめた。ずず、という音とともに涎を引っ込めてから、「期日、ひっく、過ぎているじゃない」と言った。「返済期日は、八月十一日。今日は、八月二十二日だから。十一日分の遅延損害金が発生しているわけよ。遅延損害金は、一日につき、元金の一割、一〇〇〇万円だから、十一日分で、合計、一億一〇〇〇万円」

 三度目の沈黙が発生した。さいわいにも、今回は、何を言えばいいか、容易に判断できた。

「豹泉さん。勘違いなさっています。今日は、八月二日です」

「いいえ」いつの間にやら、豹泉は、いつもどおりの、上品な微笑を浮かべていた。「今日は、八月二十二日よ」

 四度目の沈黙は発生しなかった。その前に、彼女が、「嘘だと思うなら、確認してごらんなさいな」と言ったからだ。

「確認って……」

 競一は思わず、眉を顰めた。豹泉の発言の真意がわからなかった。

 とりあえず、彼は、言われたとおりに行動することにした。スラックスのポケットから、スマートフォンを取り出す。ホームボタンを、かちり、と押して、真っ暗になっているディスプレイを、明るくした。

 それの待ち受け画面には、「8月22日」と表示されていた。

「な……?!」

 競一は、目を瞠った。横から覗き込んできていた朋華も、驚愕したような表情を浮かべていた。

「そんな、馬鹿な、そんな……」

 その後、競一は、インターネットブラウザーアプリを立ち上げると、いろんなウェブサイトにアクセスした。しかし、どこも、今日が八月二十二日であることを示していた。

「ね?」豹泉が愉快さの滲んだ調子の声で言った。「今日は、八月二十二日でしょう?」

 今度こそ、四度目の沈黙が発生した。しばらくしてから、競一が、「そうか……」と呟いて、それを打ち破った。「車に乗っている時か。ここに来る時に利用した、毳沢ロイヤルリムジンの……あの中で、おれと朋華は、寝てしまった。その間に、十一日分の時間跳躍が行われたんだ。

 きっと、おれたちは、眠った後、そんな感じの【ハンド】を有している人間の所に、連れていかれたんだろう。さては、おれたちが睡魔に襲われたのも、偶然じゃないな。睡眠ガスの類いでも、客席に散布されていたに違いない……」

 そこまで独り言ちたところで、競一は、視線を豹泉に向けた。眉間に皺を寄せ、きっ、と睨みつける。

「あんたの仕業だな?」もはや敬語を使う気も失せていた。「あの車両を手配したのは、あんただし、このことで恩恵を受けられるのも、あんただからな。

 おそらく、あんたは、八月一日までのうちに、毳沢ロイヤルリムジンを装った、偽の車両やドライバーを用意した。で、八月二日、おれたちを、その、偽車両に乗せ、この家に向かわせた。その途中で、偽ドライバーは、睡眠ガスの類いを使って、おれたちを眠らせた。

 それから、偽ドライバーは、あんたが雇った、時間跳躍を行うような【ハンド】の持ち主と落ち合った。そいつは、おれたちを、車両ごと、八月二十二日に跳躍させた。その後、偽ドライバーは、何事もなかったかのように、この家に向かうのを再開した、ってわけだ。

 すべては、おれに、借金の返済期日を越えさせるため……ひいては、おれに、多額の借金を背負わせて、資産を差し押さえるためだ」

「あらあら。悪人扱いだなんて、ひどいわねえ」豹泉はおどけるような調子の声で言った。「わたしとしては、返済期日を無視したあなたたちが、今日になって、ようやく、借金の一部を返しに来た、っていう認識なんだけれど。あなたの言ったことは、すべて、出鱈目なんじゃないの? 本当は、自分の失敗か何かで、期限までに金を用意できなかったくせに、それを、わたしのせいにして、遅延損害金の支払いを免れよう、っていう魂胆じゃないのかしら?」

 競一は、豹泉を睨み続けた。彼女は、相変わらず、顔に優雅な微笑を浮かべていた。

 しばらくしてから、彼は、「帰らせてもらう」と言った。「差押日は、八月三十一日……あと、九日だ。要は、それまでの間に、金を全部、返せばいいんだろ?」

「そうね」豹泉は、こく、と頷いた。「あ、でも、忘れないでよね。遅延損害金は、すべての返済が行われるまで、毎日、一〇〇〇万円ずつ、発生するんだから」

「言われなくても……」

 競一は、ソファーから、がたり、と立ち上がった。「行くぞ、朋華」と言うと、応接室の出入り口に向かって、すたすた、と歩きだす。彼女は、「承知しました」と返事をして、後をついてきた。

 後ろから、豹泉が声をかけてきた。「帰りの車、手配しましょうか?」

 競一は、返事をせずに、歩き続けた。


   〈了〉

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