第三百二十九話 忿怒のトリシューラ⑤




◆◆◆かつて最も強く在った自分へ



 誇張でも、自惚れでもなく、最強だった。

 少なくとも、真神カミという領域において己に並び立つ者などいなかったのだ。


 誰もが恐れ、同時に誰もが己を敬った。

 

 強く、負けず、三千世界において比類なき勝者として君臨する者。


 多くの名を持ち、多くの崇拝を集め、最高の神として高みに在り続けた。


 傍らには愛があった。

 多くの友を持った。


 破壊の神。大いなる黒。悪鬼の王。


 森羅万象一切を破壊する破壊神としての在り方を持ちながら、

 同時に次代への篝火を灯す創造神としての側面を持ち合わせた至高の存在。


 全てが満ち足りていた。

 一点の曇りもなく、己は素晴らしいと誇る事が出来た。


 敗北はなく、

 怖れを知らず、正しき事を臆面もなく正しいと説けた輝かしき日々。


 己が完全で無欠であることを知る超越者は、世界の中心を担う者として、尊く、貴く在り続けたのである。

 


 




◆◆◆忿怒のトリシューラ



 夜が消え、金色の光が千日にも渡って空を焦がした。

 後に護法神話とアーディティヤ神群の戦として知れ渡る戦いは、結末として痛み分けという形で落着を迎える。


 しかしそれは、超神的観点から論じた場合の話だ。


 その神話に生きる当事者達の視点から彼の戦について語るのであれば、あれは痛み分けなどではなく、確かな敗北と虚ろなる勝利があったのだ。


 少なくとも彼であり/己にとって、あれは間違いなく敗北だった。


 




 良かれ悪しかれ、敗北というものは敗者を歪める。


 ある者は語るだろう。

 あの敗北のお陰で強くなれた、と。

 敗北という経験が自分の人生に深みを与えてくれたのだ、と。

 勝利の呪縛から解き放たれた。

 負けた苦みを知った事で、優しくなれた。

 やめるきっかけを与えてくれた。区切りがついた。それは勝ちよりも価値のある敗北だったのだ、と。


 正しくはある。

 個人の主観として、あるいは俯瞰して過去を覗き見た場合にその敗北が「結果的に良い契機」となる事はままある事だ。


 ただし、この「善き敗北」には前提として「やり直しがきく事」、何よりも「負けた事によって得たリターンが、負ったダメージを上回らなければならない」という二種の条件が存在する。


 例えばゲームの殺し合いで負けたとしても、ボタンを押せばすぐにやり直しは利くだろう。


 その経験が新たな気づきを与える事もあるだろうし、寧ろ死んで負ける事によって技術と知識を蓄えていく事がいつかの勝ちへと繋がっていく。


 しかし、その「殺し合い」がゲームではなく、現実のものであったとしたら?


 次などない。やり直しは利かない。

 そのたった一度の敗北は、技術や知識や気づき見合うだけのリターンを与えぬまま徒に命を奪い、全てを終わらせてしまうのだから。


 価値のある敗北や、やり直しの利く負けというものは確かに存在する。

 だが一方で、絶対に負けてはならない戦い、敗北が命や尊厳を喰らう勝負というのもまた確実に存在する。



“――――踏まないで”


 その日、シヴァ神は、負けてはならない戦いに敗れたのだ。


“――――踏まないでください”


 あってはならない事だった。

 三千世界を股にかけた異界の神々との戦争。

 自分は要であり、何よりも強く、誰よりも雄々しく、この戦争の趨勢を握る存在であった筈だ。


 敵もまた、真の強者であった。それは認めよう。


 不動の明王かみは、かつて見えたどの者よりも強く、

 彼が携えし一振りの剣は、この世全ての武具達を束ねてなお比する事さえ敵わない程の圧倒的な神気を有しており、

 十を越える敵の真神達を唯一柱で相手取りながら、

 不覚にも不動の真神かみが放つ究極の刃に千の手を断たれた。


 果に対する因の訳は無数。

 疲弊していた。フェアじゃなかった。

 本領とは程遠く、砕かれた武器の数は途方もなく、不動の真神かみに断たれた傷があまりにも深かった。

 敵の本拠地での戦いだった事も多いに関連している。

 破壊と創造の神として、アーディティヤを支えながらの戦であった事も要因だろう。


 

 

 だから純粋な力比べで負けたわけではない。

 奴と相対する前に起こった不動明王と十の真神との継戦が、己の力を大いにそぎ落としていたのだから。


 故に万全の状態であれば、

 全霊の力を震えれば、


“私達を、”


 お前など、お前など、



“私達をお許しください”


 負けるはずが、なかったのに。



 だんだんと。

 踏みつける足音が木霊する。



 ――――後に『降東』の明王と称されるその青き尊格かみは、若かった。

 位階は亜神級最上位。

 どれ程、己が衰えていようとも、本来ならば負ける筈のない相手。


 更に言葉を足せば、シヴァはこの時一人ではなかったのだ。


“妻は、”


 彼には妻がいた。

 愛すべき神妃パールヴァティ―が。



“妻だけは、赦してください”

 


 相手は亜神級最上位。

 そしてこちらは、己とパールヴァティ―の二柱。


 数的優位も、精霊としての格もこちら側に軍配があった。

 

 疲弊や、衰弱を加味した上でなお優位は此方こなたにあったのだ。


 亜神級最上位一柱に対し、真神を含めた二柱が相対した上で負けた。


 負けた。負けた。そう、負けたのだ。

 絶対に負けてはならない戦いに、

 敗れれば尊厳を失う分岐点で、


“ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい”



 シヴァは、敗れた。

 完膚なきまでに叩き潰された。


 だんだん、 だんだんだんだん、 だんだん


 東の明王に己の身体が踏みつぶされる。

 第三の眼が見据えるは、伏した妻。

 美しき神妃パールヴァティ―の肢体に明王の猛き脚がのしかかる。


 金色の空に響き渡る武神の咆哮。

 己と妻を踏みつける片手間で、百柱の亜神級最上位どうかくを斬り抉り穿ち貫き裂いて潰し打ち滅ぼす三界の勝利者。


 その姿に、シヴァ神は生を受けて初めての恐怖心を覚えた。


 強大な怪物、大いなる神、悪鬼羅刹、阿修羅の群れ。


 かつて相見えた強者たち、更に言えばあの不動の明王かみでさえも、ここまでではない。


 彼等にはおしなべてそう在るべき理由があった。


 例えば異界の真神である不動尊。


 己に迫る神気を持ち、あの森羅万象全てを屠る“究極無比の剣”を持つ彼の明王が己の身を断ち斬った状況には、明確な道理がある。


 あの剣は、至高にして究極だ。

 己の身を断ち斬った事実に何の不足もない。


 然るべきものが然るべき得物を振るい、然るべき結果を残した。

 

 不覚を取った事実に恥じ入る事はあれども、受けた果は因に正しく。


 故にもしも、己を討ち取りし勝者が不動尊あの真神でさえあれば、悔みこそすれ恐れ等しなかっただろう。


 だが、コレは違う。この青き怪物は違う。


 あまりにも道理が通らない。


 数の優位はこちらにあった。

 神としての格も無論、勝っている。

 戦いの中で、強さを増した? 然り。確かに東の明王は、己との戦いの中で幾度となく進化を果たした。

 だがそれは、こちらとて同じ事。

 寧ろ、シヴァという神は「覚醒」や「超越」という側面において、最も三番目の理に愛された益荒男であったのだ。


 覚醒を遂げた数も、超越の深度も、何もかもがこちら側に軍配があった。


 何においても、どのような角度で推し測ろうとも、

 


 だが、負けた。

 だというのに、敗れた。


 その結果として、彼は愛する妻と共に我が身を踏みつぶされている。


 だんだん、 だんだんだんだん、 だんだん



 骨が砕け、臓腑が破れ、血が爆ぜる。


 明王が踏むつける度に、かつて己を構成していた最強シヴァという概念が崩されていく。


 誇張でも、自惚れでもなく、最強だった。

 少なくとも、真神カミという領域において己に並び立つ者などいなかったのだ。


 誰もが恐れ、同時に誰もが己を敬った。

 

 強く、負けず、三千世界において比類なき勝者として君臨する者。



“助けて下さい” 


 それがどうだ。


“赦して下さい”


 何だこの有り様は?


 最強という自負。

 揺るぎない自信。

 その栄光かこが輝かしく、尊く美しいモノであればある程に今の自分が醜くて、恥ずかしくて、


“降りますから”

 

 たまらなく死にたくなっていく。


 

 だんだん、 だんだんだんだん、 だんだん



 明王の脚が容赦なく己のプライドを撃ち砕いていく。


 己の最も愛するひとを蹂躙する不倶戴天の敵に、

 最強たる己が涙を流しながら、惨めに命を乞わなければならない屈辱的な時間。


 絶対に負けてはならない戦いというものが存在する。

 敗北が即ち命取りとなり、尊厳もプライドも何もかもを奪われる背水の勝負。


 その戦いに、彼は敗れた。


 愛する人を踏みつけられ、何も出来ない自分をまざまざと見せつけられ、

 

“私を差しだしますから、貴方達の神話に降りますから、どうか妻だけは”



 そうして無限のとも思える自己否定と自己崩壊の果てに、


 護法神話の伊舎那天は、かつての己シヴァと分かたれたのだ。





◆皇都“龍心”禁域ダンジョン・肆の律『降東』・第三十五層(現在)



 殴打の感触と共に時が停まる。

 赤き理を纏いし骸の龍人が撃ちつける拳は己の身体を幾度となく痛めつけ、当たる度に“早さ”という概念が奪われていく。


 行動速度自体は、雷速に満たぬ程。

 しかし骸の龍人が放つ奇怪な術により時間を簒奪された伊舎那天にとって、今の“彼”の動きは余りにも速く、覚醒と超越を繰り返して尚、一手間にあわない。


 敵が破壊神の力を有している点も、厄介だった。


 互いの破壊が互いに届かない。

 故に己の法則を以てこの強者を打ち倒そうと『忿怒形』の法則を構えるも、これも不発に終わる。


 どうもこの敵は、己を良く知っているようだ。


 こちら側の手札を見透かしたように立ち回り、的確な対策を打ち出し、盤面上の優位を固めていく。



『…………』



 思わず口元が歪む。


 それは『降東ここ』で使、初めて見える類の化生であった。


 であれば、是非も無し。


 シヴァの異神格としてではなく、『降東』の伊舎那天として、彼は我が身に宿りし十二天の加護を解き放つ。


瓔珞髑髏ようらくどくろ・六天開闢』



 瓔珞髑髏ようらくどくろ

 それは、十二天・伊舎那天が主より授かり受けた固有の加護の銘である。


 胸部に具現化する敗者の象徴たる髑髏。

 分類としては『模倣コピー』に分類されるその力が十全に働く為には、第一に敵を破らなければならない。


 故に、



『【邪龍天聖・光臨降世ドゥシュ悪禍繚乱クワルナフ】』



 故に伊舎那天は、かつて己が邪龍アジ・ダハーカの崩界術式ゼニスを顕現させた。

 灰の地を虚無の闇が暗色に染め上げた次瞬、世界の法則はいとも容易く爆ぜて壊れた。



―――――――――――――――――――――――



Q:邪龍おじさんは、いつ『降東』に来たんですか?


( ´_ゝ`)「……いや、おれ行ってない」


( ´_ゝ`)「というか、こんなやつしらない」






 

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チュートリアルが始まる前に~ボスキャラ達を破滅させない為に俺ができる幾つかの事 髙橋炬燵/ハイブリッジこたつ @hasainoraigoku

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