失ったもの、手に入れたもの
「はは、やっぱりあんたは魔法が使えねぇんだな」
「ええ、そうね。私に魔法は使えないわ」
不意に顔を歪めて笑った盾の男に、ソワレは素直に答えた。彼を除いた全員を、一時的に行動不能にしてはいるが、このままリアムを人質にされ動けずに居れば、いずれ全員が意識を取り戻して襲って来るだろう。
そうなればソワレたちの負けだ。と言うより、この状況で弟子を見捨てられないソワレは、もう負けを認めるしかない。
剣を突きつけられたリアムは、言葉こそ発さなかったものの、目だけを動かしてソワレを見上げていた。
彼女がここで負けを認めても、命の保障はないだろうし、もっとひどい扱いを受ける可能性だってある。そんな事になるくらいなら、逃げるでもこのまま攻撃するでも構わない、という言葉が聞こえてくるような鋭い視線だった。
だが次に男が口にしたのは、ソワレの予想とは随分と違ったものだった。
「だったら分かるだろう、あんた。ここにある物は全部壊してくれ」
「……それはどういう意味かしら?」
眉をひそめたソワレに、しかし盾の男はふっ、と不意に疲れたような顔をして笑った。
「俺たちは貧しい村の生まれだったんだ。六十年前の戦争の時は、鉱山で大儲けしたらしいが、その後はすっかり
「そう……」
似たような話は、ソワレも旅に出てからあちこちで聞かされた。
旅の道中で出会い、一時は行動を共にした親子がいたが、その母親は貧しさゆえに、子供の頃に売られてこの大陸に来たんだ、と思い出話のように話してくれた。
だがそうして思い出として話せるのなら、彼女はまだ幸福な方だったのだろう。実際は、今も生活に苦しみながら生きている人々が大陸中にいると聞く。彼らもそうした者たちだったのだ。
「ここを見つけた時だって、俺はこの宝石を売って儲けようって言ったんだ。だがみんな聞かなかった。武器も、武器を使えるようにする道具も揃っていて、こんな根城まである。これでもう、何の苦労もなく生きていけるってよ」
そう言うと、男は自嘲するように目を伏せた。
「それで盗賊になったと?」
「ああ。本当はあの時、もっとしっかり止めるべきだった。けどそれが分かる頃には、もう遅かったんだ。俺たちは何の罪もない人間を、この手で沢山殺しちまった」
そう言うと、盾の男はリアムの首から剣を離し、背負っていたままだった盾を床に下ろした。ガラン、と大きな重い音が広間に響いた。
「こんな恐ろしい事をいつまでも続けられるわけがねぇ。いや、続けちゃならねぇって、昔の皆なら分かってくれたはずだった。でもここを見つけちまってから、皆おかしくなっていったんだ」
「だったらそう言えばよかったじゃない。貴方が止めたいのなら、貴方が動くべきだったはずよ」
「ああ、分かってる!だから何度も止めたんだ。けど誰も耳を貸してくれねぇ。もう俺にはどうしようもないんだ。だから頼む!」
男はそう泣きそうな声を上げると、身を投げ出してソワレの前に膝をついた。その両目から溢れ出した涙が、いつの間にか床へぽたりぽたりと落ちていた。
「こんな恐ろしい物は無い方がいい。こんな場所も。俺たちの事は許さなくていいから、みんな壊してくれ、頼む」
これまでずっと、仲間と共にここで盗賊を続けながら、彼はそれを後悔してきたのだ。幸せになれるのと、楽に生きられるのとでは、似ているようで大きく違う。
彼はいつかこうなる事を望んできたのだろう。自分たちの力では太刀打ちできない何者かが現れて、そして同時に、同じ道をたどる者が現れないように処置してほしい、と。
「師匠……いいですよね?」
身を起こしたリアムは、そう一言ソワレに声を掛けると、男の肩を叩いて頷いた。
「分かりました。必ず貴方が望むようにしましょう。約束します」
「ああ、ああ。ありがとう」
疲れ果てたような男の姿に、他に言うべき事も、かける言葉もなく、ソワレはリアムの言葉に賛同する代わりに黙って頷いた。
「……師匠はこれで良かったんですか?」
「うん? 何が?」
「何がって、あの拠点跡にあった物、全部壊した事ですよ。あのエルフの装置と、魔招器の改造が出来れば、師匠にも魔法が使えるようになったかも知れないでしょう」
「君は毎回それを言うね。最初に言ったでしょ、あんなものは残しちゃ駄目だって」
あの盗賊たちとの戦いから一週間が経っていた。
ソワレとリアムはほぼ無傷だったが、盗賊たちはそれぞれにかなりの怪我を負っていて、待機していたリコリスに応急処置をされ、結局全員が生還した。
国に引き渡された盗賊たちの今後は、二人の知るところではない。しかし盾の男の願いは、リアムが魔法使いの同盟に伝えて、願い通り実行された。
特殊な金属で作られたエルフの円盤は破壊が難しく、少なくとも人の手に渡らぬよう、或いは破壊もされるよう火山に投げ込まれた。もちろんリアムが大量に作った符も焼かれ、メモも残さず処分された。
そうして本当に跡形もなく全てを片づけておきながら、ソワレの内心を気に掛けるこのリアムという弟子に、ソワレは毎度苦笑してしまう。
出会ったばかりの頃から、ソワレが本当は魔法を使えるようになりたいと、そう思っている事をリアムは気付いていた。
だから初めて魔招器を目にしたその時、彼はソワレがそれを手に入れようとすると思ったらしい。
それがむしろ、「こんな物は求めてはならない」と言い出したのを見て、リアムはとても驚いたようだった。
今まではどう言われても最終的には、「そもそもいつかは使えなくなるものだから」と言って誤魔化してきたが、今回はそうではなかったのだ。
二千年もの昔から不変だった、宝石に魔力を補充するための道具。現在の魔法使いには作り方も分からない上に、そもそも必要ないため作られもしないその符が見つかったのだ。
正直に言えば、ソワレはそれが欲しいと思った。武器としてしか残っていない魔招器も、かつては日用品として使える道具だったと言われている。ならばそう作り変えればいい、と思わないわけではない。
だが、その事実そのものがソワレの心に警告を発するのだ。
かつては日用品だった道具、それがいつの間にか恐ろしい武器と化したのが魔招器だ。
魔力を単なる暴力に変え、破壊しかもたらさない道具。
初めてリアムとそれを目の当たりにした時、ソワレは同時に、これは求めるべきものではなかったのだと理解した。
だから思うのだ。今になってそれを日用品に戻したところで、いつかは同じことが起こるだろう、と。
その上、無限に使える道具として作り上げてしまえば、一体どんな恐ろしい事に使われるか知れたものではない。だからきっと、これからもしまた同じような事が起きても、ソワレは全ての破壊を望むのだ。
かつて必死で望んだ、自力で魔法を扱えるようになれれば、という夢は失われた。恐らくそれを求めれば、今回のような悲しい事件が増えるだけだと、更に思い知らされたばかりだ。
それでもリアムがこんな事を聞いて来る理由に、ソワレは心当たりがある。
ソワレはかつて、彼女の学んだ知識をリアムに継ぎ、彼を魔法使いとして一人前にする事で、そうなれない自分を満たそうとした。
もちろんリアムにも学ぶ動機はあったが、ソワレが密かに彼に対して、自分の代わりを望んでいた事を、気付かなかったわけではないだろう。
だからソワレの思いを気にするのだ。自分は今でも、彼女にとって望みを満たせる存在なのか、と。
「リアム、私は君が例え私の弟子じゃなくなっても、君とならどんな場所でも戦って、生きて帰れると信じてるよ」
「……それは、どういう意味ですか?」
「どうもこうも、そのままの意味だよ。君は君でいいんだ、それが私には大事なことだから。ああ、別に君を単なる凶悪な武器だと言ってるわけじゃないからね。ただ、あんな恐ろしい物になりかねない武器より、私の思いを汲んでくれる君が一緒に居てくれる方が、ずっと心強いってことだよ」
「そうですか。……それならいいです」
かつての夢はソワレが自ら壊してしまった。この大陸にはもうエルフは居ないし、知識も残されていない。魔招器を開発したというドワーフも死に絶えている。
そうと分かっていて、それでも壊すことが出来たのは、この弟子が隣に居てくれるお陰だと、ソワレはもう分かっている。
彼はもう、単なる彼女の夢の代用品ではない。十年を共にして、彼女がリアムに与えたものも確かにあるが、それよりもリアムが彼女に与え続けているものの方が、よほど大きくなっているのだ。
常に自分を励まし、信頼し、心配してくれる誰か。そんな相手と共に旅した世界への愛着。それらは彼と出会わなければ、きっと一生手に入らなかったものだ。
丁寧にお辞儀して部屋を出て行くリアムの背中を見送りながら、ソワレはそっと、誰にともなく微笑んだ。
失った夢よりも しらす @toki_t
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