ソワレの戦い

 時間稼ぎ、と言ってもソワレに出来ることは限られいている。

 なにしろ彼女には魔法が使えないので、元から魔力が込められていて、持ち主の危機に反応するよう作られている護符ごふ以外は、魔法は何も使えないのだ。

 分かっていながらソワレはずっと、これまで魔法使いとして生きて来たし、今も魔法の知識を蓄え続けている。だがそれも、弟子の存在あってこそだ。


「本当はもう、私の方が弟子だと言ってもおかしくないのにな」

 通路の更に奥へ向かう扉を開けて、護符の一つを取り出して確認しながら、ソワレは口元に笑みを浮かべた。

 リアムはずっとソワレを師匠と呼び続けている。名前で呼んでいたのは出会ったばかりの頃だけで、旅立ってすぐから彼は呼び方を改めた。年齢はリアムの方が一つ年上であるにも関わらず、彼のソワレに向ける敬意は変わらず真っすぐだ。

 それは自分には持ち得ない身体能力のためなのか、それとも自信の無さゆえなのか、単にその呼び名が馴染んでしまっているだけなのか、ソワレには分からない。


 だが一つだけ確かなのは、今でもソワレにとってリアムは大切な弟子であり、また今のように彼もソワレを必要としてくれている、という事だ。


「なら、期待には応えなくっちゃね!」

 黒いローブの襟を留めているピンを外すと、ソワレはバサリとその裾を広げた。

 中に着込んでいるのは、ポケットがあちこちに付いた黒いシャツに、動きやすいゆったりとしたパンツ。そして膝下までの長いブーツだ。

 薄暗い施設の中で、盗賊たちが灯しているらしいわずかな光を、その全てが鈍く反射させている。


 ソワレが着こんでいたローブの裏は、金属製のナイフや投げナイフに丸い玉、そして粘着質のヤニの塊にロープと、様々な道具が収められていた。

 その上、鎧のように符を刻んだ金属板が全身に縫い付けてある。護符ではなく、魔力を流し込まれなければ発動しないものだが、逆に魔法攻撃を受ければ瞬時に発動するものばかりだ。


 リアムが作り出した符の中でも、最も他の魔法使いたちに嫌われている符である。

 うっかりその符に魔法攻撃を当てると、その魔力で反射や防御の魔法を発動するというもので、リアムが師匠であるソワレを身内から守るために作り出したものだ。

 護符であれば物理攻撃にも反応する上、込められた魔力を消費してしまえば使えない物になる。だがこの符は、物理攻撃にはまるで無力なものの、魔法攻撃のエネルギーを吸収して発動するため、そちらに対しては極端に有利なのだ。


 しかもソワレは常にローブの下に隠しているし、作ったリアム本人は決して誰にも作り方を教えようとしない。

 単純に魔力に触れただけで発動する、というものなら簡単に作れるが、攻撃の意志を持った魔力にのみ反応する符など、今のところ他の誰にも作れないのだ。

 魔招器に対してももちろん有効で、本来であればこういった仕事のために広められてしかるべきものなのだが、悪用されては困るとリアムが断固として譲らないので、それが嫌われている最大の原因である。


 

 ソワレはローブの中身をチェックし、その中から投げナイフをいくつか抜いてポケットに移し、うち二本は両手の小指で握った。

 その格好のまま、リアムから預かった護符を魔招器からの攻撃に反応しないよう、魔力を遮断する小瓶の中に入れて、専用のベルトで腰に括り付けた。

 ブーツの紐を締め直し、ローブをもう一度羽織る。最後に目を閉じ、革紐で長い黒髪を頭の後ろへ束ね直すと、緑の瞳を大きく見開いた。暗がりの中で文字通り光るその目は、魔法の使えない彼女を唯一、魔法使いたらしめている能力だ。

 その瞳で周囲を見回すと、ソワレは先ほど出て来た部屋の続き部屋となっていたこちらの部屋の扉を蹴り開けた。



「どこをにらんでんだ、のろまな盗賊ども!」

 やっと全員が立ち上がったらしく、隣の扉を睨みつけていた盗賊たちは、いきなり真横に姿を現したソワレに呆気に取られたようだった。

 この状況でたった一人、魔招器の攻撃に晒される場所に現れた、しかも身動きの取りにくいローブ姿の女性だ。

 どういうつもりかと目を剥いた彼らは、しかし一瞬の後、あらぬ誤解をしたらしく、不意に揃ってニヤリと笑った。


「なんだ、あの兄ちゃんは死んじまったのか、お嬢ちゃん?」

「それとも怪我でもして動けなくなったか?」

 何を考えているのか、聞かなくても分かるような卑しい笑い声を立てて、盗賊たちはソワレに一歩近寄って来た。

 その距離を取り直す事もせず、ソワレはそっとローブの下で腰を落とした。


「いいや、彼は元気だよ。今もその扉の向こうで、君たちを空の果てまで吹き飛ばす魔法を考えている所だ」

「そうか、そりゃあいい。だがそれなら、どうしてお嬢ちゃんが一人で出てきたのかな?」

「それはもちろん、君たちを思い切りぶん殴るためよっ!!」

 最後は怒声をあげながら、ソワレは先頭にいた剣を持った男の顎の下を勢いよく蹴り上げた。

 

 鉄板を仕込んだ重いブーツで蹴り上げられた男は、それだけで目を回したのか、ふらふらと後ろへ倒れ込む。

 咄嗟にそれを支えたのは盾を持った男で、残りの男たちは一斉にそれぞれの武器を構えた。

 すぐさま青い火の玉が飛んで来る。まるで弓矢の先だけを飛ばすようなその攻撃は、狭い範囲に強烈な一撃を与えるもので、服に仕込んだリアムの符をもってしても防ぎにくい。

 となれば、彼の攻撃には防御の護符で対抗するしかない。


 そう考えたソワレが更に一歩前に進もうとしたところで、不意に背後から勢いよく水が掛けられた。

 そのまま凍結させようとしたのだろうが、あいにくとそれは全身の符が阻む。びしょ濡れになりながらも、ソワレは振り返って水を掛けて来た男に素早く駆け寄ると、反射の護符を構えた。

 途端、再度飛んできた水が跳ね返り、打って来た男の方へと飛ぶ。辛うじて全身に浴びる前に避けたようだが、足元に広がった水が凍り、前へ踏み出してきた彼はものの見事にすっ転んで、床に頭を打ち付けた。


「何だおい、壊れやがったのか!?」

「おい、もう一回打ってみろ!」

「それより追え! 逃げちまったぞ!!」


 きびすを返して走り出したソワレに気付いたのか、再び火の玉が頭を掠めて飛んできた。

 今度はフード付きのローブにして頭に護符を貼るべきか、などと考えながらソワレは袋小路の広間に向かって行く。向かって行くと言っても、リアムの居る部屋から広間まではすぐそこで、通路の方向を除いた七つの部屋の扉はもう目の前だ。

 その七つの扉に、ソワレは走りながら投げナイフで反射の護符を投げて留めていった。


 後を追って来たのは三人で、盾を持っていた男は他の二人を介抱しているらしい。実のところ、一番厄介なのが魔法攻撃を防ぐ彼の魔招器だったので、その幸運に少しだけソワレは感謝した。


 と言っても相変わらず火の玉は飛んで来る。まずはそれを防ぐために、ソワレは通路から一番奥の扉を蹴り開けると、扉を閉めてすぐ防御の護符をあるだけ貼り付けた。

 ビシッ、ビシッ、と火の玉が当たる音が繰り返し扉の向こうから聞こえてくる。それと同時に、一枚ずつ防御の護符が破れていく。

 これが無くなればもう彼の攻撃は防げないが、魔力を込めた宝石は重いのだ。一度に持ち歩ける数には限りがある。

 

 予想通り、残りの宝石が減って来て焦れたのだろう、

「おい、もうやめろ! コイツで俺がやってやる!」

 という声と同時に、バチィッと雷の音がした。


 広範囲に雷を拡散させるその魔招器では、確かに扉一枚では防ぎ切れない。攻撃のため扉に開けられている隙間から雷撃が入り込み、ソワレの体を直撃する。

 が、広範囲に及ぶために同時にリアムの符が発動して、彼女の身を守った。


「ギャアアアアアアアア!!」

 一方で広間の方はと言えば、バリバリバリッと猛烈な音が響いて、男たちの悲鳴が上がった。

 それもそのはずだ。広範囲に広がる雷の魔法は、当然ながら広間全体に広がっていく。その広間の七つの扉には、先ほどソワレが投げナイフで留めた反射の護符があるのだ。

 広がった雷の魔法は、四方八方から反射して彼らを襲った。リアムの符と同じく、範囲が広い代わりに死ぬほどの威力ではないとは言え、それが全て跳ね返って来ては逃げる暇も無く自滅するしかない。


 悲鳴を上げて倒れた男たちは恐らく追って来た三人だ。残るは盾を持っていた一人。

 しかしそう思ってソワレが息を吐いた瞬間、背筋に寒気が走った。


 咄嗟にくるりと振り返りながら、ローブの裾を広げてナイフを抜き、顔の前に構えたところでギィンと鋭い音がした。

 間一髪のところで、ソワレは背後から突き出されて来たナイフを受け止めていた。


「そういえばここ、通路で繋がってたわね」

 そこに立っていたのは、追って来ていた男の一人、ナイフを持っていた男だった。

 この廃拠点を事前に調べた時に分かっていた事だが、七つの部屋はその奥に扉があり、細い通路があって行き来できるようになっていたのだ。

 おそらく魔招器の攻撃を弾く音を聞いて、攻撃している間は些細ささいな音はこちらに届かないと察したのだろう。火の魔招器で扉が叩かれている間に、ナイフの男は通路を使ってこの部屋の扉を開け、ソワレが油断する隙を窺っていたのだ。


「ずいぶんと仲間思いね!」

「あいにくとあの雷だけなら死なないんでな。それよりあんたこそ、お仲間一人守れないとはとんだ魔法使い様もいたもんだぜ!」

「さっきも言った気がするけど、彼は一人でもここで死ぬような人間じゃないわ。徒党を組んでも私一人殺せないあなたたちと違ってね!」

 皮肉を言い合いながらも、ソワレは襲って来るナイフを受け、弾き、受け流し続けている。

 その間にも、もう片方の手で殴りかかろうとしたり、ローブの裾を掴もうとする男から、壁を伝って逃げながら、ソワレは反撃の機会を狙っていた。


 やがて攻撃が通らないことにいら立ったのか、男はナイフを大きく横薙ぎにしてソワレを扉の際まで追い詰めると、頭上からナイフを振りかぶった。

 その瞬間、ソワレは膝を曲げて思い切りかかとで扉を蹴りつけた。同時に踵の隙間に放り込んだ反射の護符が、それを攻撃と認識したのか、瞬時にソワレの体を跳ね返す。勢いのまま体勢を崩さないよう踏ん張りながら、ソワレは手の中でナイフをくるりと反転させた。

 直後、どすっ、という鈍い音と共に、男のみぞおちにナイフの柄が突き込まれた。


「ガハッ!」

 あまりの痛みのためか、男はナイフを取り落として床に転がると、そのまましばらく床を掻きむしった。だが耐えきれなかったのだろう、そのまま意識を失い、くたりと床に伸びてしまった。


 これで本当に、あとは盾の男だけだろう。

 扉をそっと開けて隙間から外を確認しながら、ソワレは息を殺して、静かになった広間の様子を、足音がしないかうかがった。

 しかし盾を持っていた男はどこへ行ったのか、近付いて来る気配はない。



 まさか、と思ったソワレは慌てて外へ飛び出した。そしてそこに、嫌な予感がした通り、首に剣を押し当てられ床に押さえつけられたリアムと、馬乗りになった盾の男が居た。

 盾の男が持っている剣は、昏倒した男からの借りものだろう。それがぎらりと不気味に光を反射する。

「リアム!!」

「動くな!!」


 見れば部屋の床一面に、リアムが作ったと思しき符が散らばっていた。彼がいつも持ち歩いている紙で作られたものもあれば、部屋の中に残っていた宝石で作ったのであろうものもある。

 彼は見事に自分の仕事を終えたのだ。今この場で、すぐに使える未使用宝石は一個も無いのだろう。


 だが同時に、ソワレも動くことが出来ない。これ以上一歩でも動けば、リアムは殺されてしまうだろう。

 床に押さえつけられたリアムの金髪は、束ねていた紐がほどけてしまったのか、符と同じく冷たい床に広がっていた。その光景にソワレの中では燃えるような怒りが湧き上がって来るが、どうすることもできない。

 ありったけの護符はソワレがリアムから受け取ってしまった。今彼を守るものは何も無い。

 彼の仕事が終わるのが予想より早かった、というのは言い訳だ。ソワレは盾の男が追って来ないのを幸運だと思っていたが、リアムの周囲に動ける者を残していたのは、完全に彼女の手落ちだった。

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