心しみる油揚げ

Cockatiels

第1話

 やっと着いた・・・・・・。機内アナウンスで、定刻どおり8時40分羽田着と伝えられていたにもかかわらず、もどかしさを感じながらシートベルトを外した。

 空港内を急ぎ足で歩きながら、私は昨晩の娘との電話を回想していた。


「パパ。――こんな時間に電話かけてゴメンね。もう寝てた?」


「いや、明日は早朝会議があるから、これから休もうとしていた。みどり、こんな時間にどうしたの?」

 読んでいた文庫本を閉じて、ちらりと壁時計に視線を投げた。時計の針は10時前を指している。


「明日ね、――引っ越しするんだけど・・・・・・」

「ああ、昼ぐらいに業者さんが来るって言ってたよね」


「うん。――正午に、白猫ヤマトさんのトラックが来る・・・・・・」

 スマホから聞こえてくるみどりの声がどこか弱々しい。何か悩みでもあるのだろうか。胸騒ぎを覚えた私は、スマホに意識を集中させる。

 しばらく沈黙があった後、スッーと深呼吸をするように大きく息を吸い込む音が聞こえた。


「パパ、お願いっ!! 引っ越し手伝って!」


 小さい時からみどりはいつもそうだった。なぜか彼女は、本当に助けがほしい時、いつも大声で叫ぶのだ。


 9時55分、私はみどりのアパートのインターフォンを押してドアを開けた。――開けたと同時にめまいがした。


 一人暮らしにはちょうどいい1LDKのフローリングルームは、脱ぎ散らかした衣類が散乱しており、テーブルには、パンくずの残ったお皿と飲みかけのコーヒーカップがある。とっても、だ。


みどり、なんだこれは⁈ あと2時間で業者さんが来るんだろ?」

 開口一番、こう言わざるを得なかった。


「うん。朝早く起きてやろうと思ったんだけど・・・・・・。寝坊しちゃったかも」

 テヘペロ感覚で言い訳をする娘を見て、言葉を失う。


「いいから、パジャマを着替えなさい。父さんが先に片づけておくから」

 男手一つで娘を育てた弊害なのか、小さい時からみどりは、のんびり屋さんだった。

 カーテンを取り外し、脱ぎ散らかされた衣類をたたむ。衣類をたたみながら、みどりの小さかった頃が自然と思い出された。


◇  ◇  ◇


「ただいま~。なぁみどり。今日の夕飯『コンコン』と『ポンポコポン』のどっちがいい?」

 少女物のアニメを見ているみどりに声をかけた。子供ってどうして、あんなにも顔をテレビに近づけるのだろう。

 目に悪いと注意しつつも、どこか可愛らしい仕草に、仕事で疲弊した心がほぐされるのを感じた。

 スーツを脱ぎながらコンビニの袋をテーブルに広げ、電気ケトルのスイッチを入れる。


「おかえり~! パパ~、みどりはねぇ~。『ポンポコポン』がいい!」

 私の所へ駆け寄り、小さな手で『緑のたぬき』を指さす。


「じゃあ、パパは『コンコン』だね」

 みどりの仕草を真似て、『赤いきつね』を指さした。それが嬉しかったのか、彼女はにっこりと笑った。


 テーブルには、赤いきつねと緑のたぬき、コンビニのサラダ、それと私が握ったおにぎりが並ぶ。

 育ち盛りの娘に必要な栄養を確保できているといいのだが・・・・・・。


「手を合わせてください。それでは、いただきます」


 3分たった。私は、緑のたぬきのふたをめくり取り、向かい側に座るみどりに差し出す。狭いアパートに出汁のいい香りが広がり、思わず唾を飲んだ。フィルムを剥がし、天ぷらをそっと乗せてあげる。


 天ぷらが出汁を吸いふやふやになる。流れ出した油は出汁に溶け込み、うっすらと油膜が張られ複雑な光彩を放つ。みどりはこのキラキラと輝く油膜の輝きが大好きなのだ。

 そして、みどりは出汁の旨味をしっかりと吸い込み、ふやふやになった天ぷらを上手に箸で切り分け、満足げな表情で口へ運ぶ。


 5分たった。私は、赤いきつねのふたをめくり取り、カップの上で揺蕩たゆたう油揚げを箸で持ち上げる。そして、ふっくらと出汁を吸い込んだ油揚げを噛み切った。口のなかに油揚げの香ばしさと鰹節風味の出汁の旨味が広がる。

 すかさず、おにぎりを頬張る。私は、おにぎりと油揚げに勝る組み合わせを未だに想像することはできない。


 先にうどんをすすり終え、あえて最後に油揚げを残す。

 しみるなぁ~。私は、油揚げの旨味を飽きることなく堪能しながら、幸せとはこういうささやかなものなのだ。と実感した。


◇  ◇  ◇


「白猫ヤマトさん、1時間ほど遅れるって。渋滞してるみたい」


 突然、声をかけられハッと我に返った。いつの間にか、着替えを終えたみどりが目の前にいる。


「そうか。まあ、ちょうど良かったじゃないか」

 私たちは、ダンボールを入口付近にどんどん積み上げていった。


 このダンボールやけに重たいな。持ち上げようにもびくともしない。 

 中身が気になったが、ダンボールには何も表示されていない。

 あとでダンボールを開ける際に、手間取るから中身を表示しておきなさい。と、あれほど言っておいたのに。


 二人で運ぼうかと、考えがよぎったが父親の力強くてカッコいい所を見せてやりたい。私は、年齢に見合わない無茶を試みた。

 腰を落して、フッと力を入れる。何とか持ち上がったが、ガニ股になってしまい腕がブルブルと震える。これが本当にカッコいい父親の姿なのだろうか。


「パパっ! 大丈夫⁈」

 洗面台で片づけをしていたみどりが、私の窮状を視止め、慌てふためき駆け寄ってくる。


「――うぐっ・・・・・・だっ、大丈夫だ・・・・・・。父さんに任せなさい」

 私は、心配そうな面持ちを浮かべる娘からの助力を断った。ひょっとして、これは非力な中年がただ、やせ我慢をしているだけのイタイ構図になっていないだろうか。と、思った矢先。

「いってぇー!」

 バリっと何かが破れる音と同時に、私の足先に激痛が走った。ダンボールの底が抜け中身が全部落ちたのだ。私の足先を痛打したのは大量の書籍だった。

「ぐぅぉー・・・・・・」

 本当に激しい痛みを感じると、人間でも動物の唸り声ような声が出るものなのか。新たな発見であったが、できることなら知りたくなかった。

 みどりは、交通事故の惨劇を目の当たりにしたかのように、目を丸くして両手で口を覆っている。

 私は、うっすらと涙を浮かべながら大丈夫の笑みを彼女に返したが、大丈夫ではない。――心底、痛い。


 忌々し気に、床に散乱した書籍を見渡す。それは、みどりが高校生の時に使っていた教科書だった。

「・・・・・・。勉強、――やり直しているのか?」


「うん。――私、高校生の時ほどんど学校に行っていなかったから・・・・・・。あの時はゴメンね」

 互いの視線が絡み合う。彼女の瞳も、あの時を思い出しているのだろう。


 ◇  ◇  ◇


みどり、今日の晩飯、赤いきつねと緑のたぬきのどっちがいい?」

 寝っ転がりながら、携帯をポチポチといじっている背中に声をかける。

「・・・・・・」

 背中から返事はない。

「おい、聞こえてるんだろ」

 しばらく沈黙が続いた。

「・・・・・・たぬき」

 一言だった。――いつからだろう。食卓に向かい合うと、妙な緊張感が生じてしまうようになったのは。


 みどりは気力のない眼で緑のたぬきのふたを剥がし、無言ですすり始めた。

「いただきます。くらい言わないか!」

 思わず声を荒げてしまう。


「・・・・・・ウザっ」 

「なんだって?」

 聞き取れなかった。


「・・・・・・ウザい。・・・・・・ウザい、ウザい、ウザい! ウゼーんだよ! こんなうち住めるか!」

 箸をテーブルに叩きつけ、ドアを蹴破るような勢いで、彼女は飛び出していった。


 私は一人、髪をかきむしり、テーブルに頭を打ちつけた。衝撃で、赤いきつねと緑のたぬきから湧き出る湯気がゆらぐ。湯気の先に見える仏壇から、妻の朱音あかねが満面の笑顔を私に向けてくれている。

 その笑顔は、無力さに打ちひしがれている私に『あなたなら大丈夫よ』と言ってくれているようだった。自然と頬に熱いものが流れる。私は、油揚げを力なく口に運び入れた。


 しみるなぁ。――油揚げがいつになく塩辛い。


 ◇  ◇  ◇


 親指は血豆になっていた。みどりが応急手当をしてくれたが、痛みで踏ん張りがきかない。


 結局、残りの荷物のほとんど彼女が片づけることになったが、正午にはすべての荷物をダンボールに入れることができた。


「何とか終わったね。ありがとうね。パパ」

 彼女は、すっからかんになった部屋を満足げに見渡す。


 と、その時『ぐぅ~』とお腹の鳴る音が聞こえた。

「アハハ。身体動かしたらお腹すいちゃった」

「そうだな。父さんも腹減った」

「どっか食べに行く? あっ、ゴメン。足が痛いよね」

 私の足を心配してくれている。本当に優しい娘に育ってくれた。


 突然、みどりがパンっと手を叩いた。

「そうだ! パパ! 今日のお昼『コンコン』と『ポンポコポン』のどっちがいい?」

 ダンボール箱から赤いきつねと緑のたぬきを取り出し、嬉しそうに床の上に並べた。


「そうだなぁ。父さんは『コンコン』がいい」

 私はクスッと笑い、赤いきつねを指さした。


「じゃあ、私は『ポンポコポン』だね」

 みどりはにっこりと、緑のたぬきを指さす。その手の薬指にきらりと輝くものがある。 


 子供の幸せを願わない親などいない。――ましてや、世界でたった二人の父娘おやこじゃないか。

 彼女を幸せにすると約束してくれた青年が現れたとき、私は寂しさと同時に、どこかほっとした気持ちになった。


 フローリングの上に、赤いきつねと緑のたぬきが湯気を立てて並んでいる。


「パパ・・・・・・。私のことを大切に育ててくれてありがとうね」


 私が油揚げを頬張っていると、おもむろにみどりが言った。


 口の中に、油揚げの香ばしさと出汁の旨味がしみわたる。それにも増して、胸の奥にじんわりと熱いものがしみわたってくる。

 向かい合わせに座る娘の姿が涙でぼやけて、はっきり見えなくなってしまった。


「・・・・・・っ。うぐっ・・・・・・。しみるなぁ~」


 感極まり、わななく口から何とか絞り出せたのはこの言葉だった。



~おしまい~



 最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。 

 作者:Cockatielsより

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

心しみる油揚げ Cockatiels @paruhaku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ