いつもそばに、赤と緑と君がいる。

Youlife

第1話

 秋も深まり銀杏の葉が舞い落ちる季節、僕・三浦凌平みうらりょうへいは、都心の小さなオフィスで忙しく書類整理をしていた。

 朝方は眠気が残り気乗りしない仕事も、昼頃になると徐々に軌道に乗り、時間が過ぎるのも忘れてしまう位集中していた。

 すると突然、それまで室内で忙しく仕事をしていた同僚たちが蜘蛛の子を散らすように一斉に表へ出て行った。

 僕は驚き、後ろを振り返ると、執務室の時計はいつの間にか十二時を回っていた。その時、隣に座る堀内沙菜ほりうちさなが僕の背中を叩いた。


「ねえ三浦君、もうお昼だよ~!私と愛華と一緒に、近くのカフェにランチ食べに行かない?」

「ごめん、俺、今日もコレなんだ」


 そう言うと、僕はかばんの中から丸いお椀の形のカップ麺を取り出した。


「ええ?またそれ?毎日食べてよく飽きないわね」

「またそれ?って、いつも同じではないよ。今日は『赤いきつね』。昨日は『緑のタたぬき』。毎日代わる代わる食べてるんだ」

「代わる代わる?味は同じでしょ?」


 沙菜は呆れ顔で僕を見ていたが、僕の向かいに座る同僚の藤井愛華ふじいまなかを見つけると、


「三浦君、行かないんだって。二人で食べに行こうよ、ね、愛華」

「う、うん……でも……」

「あのカフェの日替わりランチ、すっごく美味しいんだよ。ま、毎日同じようなカップ麺食べて満足してる人には分からないだろうけどね」


 沙菜は笑いながら愛華の手を引き、愛華は僕の方に目を向けながらも、急かされるように部屋の外へと出て行った。


「味が同じ?美味しいんだから良いだろ、別に……」


 僕は気にすることなく、カップ麺にお湯を注ぎ込んだ。


☆☆☆☆


 ある朝、僕は目覚ましに気付かず寝坊してしまった。慌てて準備をして電車に乗り込み、始業時間ぎりぎりで職場に滑り込んだ。何とか間に合い、僕はホッと胸を撫でおろしていた。

 いつものように時計の針が十二時を指すと、同僚たちは一斉に職場を離れて昼食を食べに出かけて行った。

 僕は一人、いつものようにかばんからカップ麺を取り出そうとした。


「あれ?」


 僕はかばんの中に手を突っ込み、奥の方まで探ったが、カップ麺らしきものはどこにも無かった。


「無い!どこにも無い!」


 僕は思わず声に出して叫んでしまった。慌てて家を出たから、うっかりしてかばんの中に入れるのを忘れてしまったのだろう。

 僕はがっくりと肩を落とし、そのまま机の上に突っ伏してしまった。


「はい。今日はこれでしょ?」


 突っ伏した僕のすぐ目の前に、忘れたはずの『緑のたぬき』が差し出されていた。


「え?ど、どうしてこれが?」


 そこに立っていたのは、愛華だった。愛華は笑みを浮かべながら、僕に『緑のたぬき』を手渡した。


「昨日は『赤いきつね』食べたんでしょ?だから今日はこれかな、と思って」

「どうしてわかるの?」

「いつも本棚越しに楽しみに見てたもん。今日はどっちを食べるのかなあって」

「そんなの、よく見てるなあ」


 僕は愛華の言葉にちょっぴり呆れてしまった。


「というか、これ返すよ。藤井さんの今日の昼ご飯なんだろ?俺のことは気にしないで、自分で食べなよ」

「ううん。私はこれから友達と食べに行くから大丈夫だよ。遠慮しないで食べて。食べないとお腹すいちゃうでしょ?」


 そう言うと、愛華は手を振って僕の元を走り去っていった。

 僕は、愛華からもらった緑のたぬきを手にしたまましばらく唖然としていたが、空腹には耐えられず、「藤井さん、ありがとう」と小声で言いながらカップの蓋をそっとめくった。


☆☆☆☆


 数日後、時計が十二時を回り、僕はいつものようにかばんからカップ麺を取り出し、お湯を注いだ。

 今日は「赤いきつね」の日。僕はスマートフォンをいじりながら、出来上がるのをずっと心待ちにしていた。


「あら、ちょうど食べてる所かな?」


 知らぬ間に、愛華がドアを開けて自分の机へと戻ってきた。ついさっき、沙菜と一緒に近くのカフェへランチを食べに行ったはずなのに。


「藤井さん、どうしたの?堀内さんと近くのカフェに食べに行くんだろ?」

「いいのよ。今日は帰ってきちゃったの。だって、最近はコイバナばっかり聞かされるんだもん」

「コイバナ?」

「そうだよ。沙菜の話は、ほとんど彼氏とののろけ話ばっかり。私はとりあえず相槌打って場の雰囲気を壊さないようにしていたけど、正直もう耐えられないわ」


 そう言うと愛華は耳を覆う位の長さの髪を左右にかき分け、大きくため息をついた。


「まだ昼ご飯食べてないの?良かったら、俺の『赤いきつね』を少し分けようか?」

「大丈夫よ、いつもかばんの中に入れてるから。『赤いきつね』も『緑のたぬき』もね」

「え?藤井さんも、いつも持ってきてるの?」

「うん。だって、三浦君がまたうっかり家に忘れてきちゃうかもしれないもん」


 そう言うと、愛華はかばんから赤いきつねを取り出し、ニヤリと笑った。


「こないだ『緑のたぬき』を三浦君にあげたから、今日の手持ちは『赤いきつね』だけしかないけど、三浦君が『赤いきつね』食べてるの見たら、何だかすごく食べたくなっちゃった」


 愛華は赤いきつねに湯を注ぐと、カップを持ったまま席を立ち、ヒールの音を響かせながら僕の隣に座った。

 隣に座った愛華は、ずっと笑顔を浮かべながら僕が赤いきつねをすする姿をじっと凝視していた。


「ば、バカだな。じっと見てたら落ち着いて食べられないだろ?」

「だってすごく美味しそうに食べてるんだもん」


 しばらくすると、愛華は「赤いきつね」の蓋を外し、割り箸を手にすると、両手を合わせて「いただきます」と小声でつぶやき、ゆっくりと麺をすすった。


「美味しい!麺のやわらかさもちょうどいいし、何よりこのスープ、かつお節の風味が良くて、ちょうどいい位の濃さでたまらないよね~」


 愛華ははじけるような笑顔で、麺をすすり、ふうふうと息を吐きかけて冷ましながら油揚げを噛み、最後に両手で容器を押さえてスープを飲み干した。

 さっきは愛華が僕の食べる様子を凝視していたが、いつの間にか僕が、愛華の食べる様子をじっくりと凝視していた。


「な、何見てるのよ?三浦君、怖いなあ」

「だって……あまりにも美味しそうに食べてるから」

「そうなの?分かっちゃった?」


 愛華は頭を搔きながら、舌を出して苦笑いした。


「でも、美味しいんだもん。しょうがないでしょ?」

「まあね」


 愛華は空になった容器を机の上に置くと、僕の方を向いた。


「三浦君、本当に好きだよね、『赤いきつね』と『緑のたぬき』」

「うん。やっぱ美味しいんだもん」

「三浦君の家に行ったら、いっぱい置いてあるのかな?」


 僕は愛華から返ってきた言葉に驚いた。


「ま、まあ、いつも買いだめしてるからね。近くのスーパーで安い時にガッツリ買っておくんだ」

「今度食べに行こうかな?三浦君の家に」

「え?そ、それって……俺んちに遊びに来るっていうこと?」

「だって、私も食べたいんだもん。いいでしょ?はい、決まり~!」


こうして、トントン拍子で僕の部屋に愛華が遊びに来ることが決まってしまった。


☆☆☆☆


 愛華が僕の部屋に来る日、築三十年近い木造アパートに住む僕の部屋は、立て付けの悪い窓からすきま風が入り、暖房をかけても寒く、僕はすっかり風邪をひいてしまった。

 僕はくしゃみをしながら、愛華を迎え入れるために部屋の掃除をしていると、古びた木製のドアをコツコツと叩く音が響いた。


「こんにちは~」


 愛華が手を振って僕の目の前に立っていた。僕はマスクをかけて風邪をごまかそうとした。


「どうしたの?風邪なの?」

「いや……ちょっとね、アハハ」

「アハハじゃないでしょ?ちゃんと栄養のあるもの食べなくちゃだめじゃん」

「まあね。でも、あいにく『赤いきつね』と『緑のたぬき』しかないよ」

「それがあれば十分よ。ちょっと失礼」


 そう言うと、愛華は冷蔵庫を開けて、中をじっくりと見定めた。


「何だ、探せば色々あるじゃん」


 そう言うと、生卵と長ネギ、ニンジン、大根を取り出した。


「これだけで?卵はたまに目玉焼き作ってるし、野菜はこないだ味噌汁作った残りだぞ」


 愛華は手際よく野菜を切り、ぐつぐつと煮える鍋の中に入れた。

 その中に卵を割り、「緑のたぬき」を投入した。


「え?今、『緑のたぬき』を入れた?」

「そうよ。さ、もうすぐ出来上がり!先に座って待っててよ」


 しばらくすると、愛華はどんぶりを二つお盆に載せて、小さなちゃぶ台の上に置いた。


「さ、食べてみて」


 僕の目の前に置かれたどんぶりを覗くと、それは蕎麦屋で食べる月見そばのようだった。


「これ?本当に、『緑のたぬき』?」

「そうだよ。ちょっと食べてみると分かるよ」


 愛華に促され、僕は箸をどんぶりの中に入れ、麺をすすった。


「本当だ!いつもの『緑のたぬき』だ……!」


 その後僕はスープに浮かぶ野菜をつまんだ。ネギもにんじんも大根もしんなりとして食べやすく、スープの味が染みて食べやすい。一人暮らしをしていると、調理が面倒なこともあって野菜を摂ることも少なくなり、栄養が偏りがちになるので、こういう組み合わせにすると自然と野菜を多く取れるのが嬉しかった。

 最後に麺の上に載った卵を割ってスープと混ぜると、まろやかさが加わり、いつも飲んでいるスープがよりおいしく感じた。


「美味しい!いつもの『緑のたぬき』なのに、ここまで美味しくなれるんだね」

「そうでしょ?」

「冷えてた身体もすごく温まった気がする。愛華、ありがとう」


 すると愛華は僕の隣に座り、どんぶりを持って体をそっとくっつけてきた。


「な、なんだよ、いきなり」

「こうすれば、もっと体が温まるだろうなって」


 僕は照れ隠しに、両手でどんぶりを押さえながら、残ったスープをゆっくりとすすった。すると愛華も、僕の腕に頭を載せながらスープをすすった。

 窓の外では北風が唸りをあげて吹き付け、部屋の中にも時折すきま風が入ってきたけれど、僕は全然寒くなかった。なぜなら、僕の部屋には暖かいこたつと、「緑のたぬき」と、愛華がいるから。

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