機動追跡 -Twenty Four-

米 八矢

プロローグ


[2031年11月20日 深夜二時 間瀬峠 下り]


 闇夜に白い閃光が翔ける。

トヨタMR2、それが閃光の名。リトラクタブルヘッドライトを上げ、前方を照らし出し、フォグランプでコーナーを映し出す。

 四速から三速にブリッピングシフトダウン。スキール音が峠の木々に飲み込まれていく。

 ゆるい二連カーブを三速全開加速で抜けていく。すぐさま四速へシフトアップ。

 峠はまだ中間だ。


「………」


 自分の車の音ではない音はした。かなり攻めている音だ。

(少し待ってみるか……)

 アクセルを緩め、ペースを落とす。十秒と経たずに、そいつは現れた。


「大きいな。GTOか、スカイラインか。なんだ?」


 ミラーに映るヘッドライトだけでは判別できない。

きついコーナーに差し掛かる。ワザとアウト寄りにラインを取る。後続車は大きく空いたインをつき、サイドバイサイド。シルエットをハッキリと捉えた。


「R33……GTRか」


 後続車は白いR33スカイラインGTRだ。その名車は、「マイナス21秒ロマン」のキャッチコピーと共に1995年に産声を上げた。ハッキリ言って、MR2が敵う相手ではない。一輪車と自転車が戦うようなものだ。

純正で280馬力は出ている。しかも四輪駆動。対してMR2はVVTiの採用によりNAながらに200馬力を発揮するが、GTRには遠く及ばない。R33に勝る点はMRという特徴からくるフルブレーキング時の四輪への確かなトラクションと、R33よりも約300kg軽い車体。それくらいだ。

 R33のドライバーはコーナー出口で減速し、MR2の後ろにぴったりとついた。二速の立ち上がりではR33に絶対的な分がある。それを分かって、あえて後ろについてきたということだ。

(よほど腕に自信があるのか)

 手加減されるのは癪に障る。舐められているのだ。

二速のままアクセル全開。MR2の心臓である3S-GEは約6000rpmで最大トルクを生み出す。レブリミットは7000rpm。高回転まで回すのがこのエンジンの乗り方。

 アクセルを床まで踏み込む。タコメーターの針が、一気に6500rpmまで上がる。体がシートに押さえつけられる感覚は、加速力を体感しているのと同義だ。

当然ながらGTRを離すことは出来ない。バックミラー越しの圧に気持ちが負けそうになる。 


 シフトアップ。車体が一瞬前に傾き、再び加速する。オーバー100km/hで走る峠は、法定速度で走るのとはわけが違う。一つのミス、一瞬の油断が死へと直結する。そこに駆動方式は関係ない。MRだろうが、FRだろうが。例え四駆だろうが。高速で走る車は全て不安定だ。不安定さをカバーするのはドライバーという車において最も大切なパーツ。つまりは自分自身だ。

 GTRは不安定さを見せることなく加速していく。対するMR2はフラつかないギリギリのラインで加速している。フロントタイヤが既にタレてきているのだ。

(くっ、今日はバトルをするつもりじゃなかったからな……)

 不慣れなこの峠道で、タイヤを労ることなど出来なかった。道への認知度の低さをタイヤの性能でカバーしていると、いつもの何倍にもタレるのが早くなる。

 再び、二連コーナー。半分ほどしかないグリップ力をカバーするように、減速をいつもより早めにはじめた。

(悔しいけど、安全策を取らせてもらおう)


◆◇◆


「Ⅴ型のMR2か。しかもNAとは。恐れ入った」


R33のドライバーは懐かしむように呟き、その車の後にピタリと張り付く。


「気を悪くするなよな。お前のことを舐めてるんじゃないぞ。俺はただ、走っているMR2が見たいだけなんだ」


 コーナーへ進入。MR2はミッドシップらしい四輪へのトラクションを発揮しながらコーナーを曲がる。


「上手いもんだ」


 GTRはMR2が描いたラインよりも内側に侵入。アテーサETSによる抜群の旋回性能で、コーナーへ進入。出口へノーズが向いた瞬間にアクセルを全開。RB26が火を噴く。その爆発的な加速力でMR2へ喰らいつく。


「車体のふらつきを必死に抑えているな。フロントタイヤがタレているのか?」


 ある程度のドラテクを身に着けた者であれば、一つのコーナーでの走り方を見れば、大まかなドライバーの技量が見える。MR2のドライバーは間違いなく一級品の技術を持っている。峠の中間くらいでタイヤを殺すような腕じゃないはずだ。


「……そうか。お前はこの峠を知らないんだな」


 目の前に走るMR2は二連コーナーへと進入していく。減速が少し早い。


「やはりか」


 著しく性能の落ちたタイヤでコーナーを曲がるにはブレーキングポイントを早めて、進入速度を遅くするのは最も安全だ。


「勝負よりも安全を取るか。すばらしい」


 R33のドライバーは口角を上げ、少しアクセルを緩めた。


◆◇◆


「減速したのか」


 後ろのGTRと離れた。


「こちらの状況を掴んだか」


 70km/hでコーナーへ進入。リアタイヤで姿勢を保ちながら、抜けていく。これは後輪駆動のらしさだ。

 GTRもなんなくコーナーを曲がる。しばらくの直線に入ったその後、GTRがハザードを点滅。


「トラブルか?」


 GTRは道の途中にあった空き地に車を止めた。その地点よりも少し下った所でMR2は転回。空き地に入り、GTRの右横に停車した。

サイドブレーキを引いて、車から降りる。GTRのドライバーも下車し、こちらを見つめていた。


「トラブルですか?」

「いいや。車は快調さ」


 歳の頃は中年。GTRが似合うおじさんという感じ。意味が分からず戸惑っていると、おじさんが口を開いた。


「少し、君と話をしてみたかった。名前は?」


 敵意や悪意を感じない。ただ純粋に話をしたかっただけらしい。


「……天河宗介です」

「天河……そうか。まだ若いのに素晴らしいテクニックだな。MR2のもつポテンシャルを最大限に活かして走っている」


 おじさんは笑顔で褒めてくる。それが少し照れくさい。


「あの、あ。えっと……」


 相手の名前が分からない。おじさんと呼ぶわけにもいかなわけで。


加賀屋信輝かがやのぶてるだ。よろしく」


 こちらの心情を察して、名乗ってくれた。


「加賀屋さんこそ、綺麗な走り方でした。峠では扱いづらいR33で」


 R33GTRはどちらかと言えば不人気なGTRだ。それはR32に比べ、大きくなった車重とホイルベースのせいで峠で走りづらくなったから。だが実際はサーキット走行に重きを置いていたため、サーキットでは素晴らしいマシンに仕上がっている。スカイラインは奇数のときにコケるとはよく言ったものだ。そもそも土俵が違うんだ。


「天河君はR33を馬鹿にしないんだな。大抵の奴らはR33は日産の失敗作だと言う。俺はそれが悔しかった」


 それは全てのR33 GTRオーナーの心情だろう。もちろん好みはあるから、みんながみんな好きな車なんて存在しない。けれど、R33は少し不遇だ。一体R33を馬鹿にする人のうちの何人がR33を走らせたことがあるのだろうか。どこかで聞いた話だけで判断しているような人がほとんどだと思う。

 それはMR2も似たようなもの。すぐに滑る危険な車だとよく言われていた。主にとある番組のドライバーの発言のせいなのだが……。


「俺は一度だけR33に乗ったことがあります。それは俺が中学生のときだったから運転はしていないですけど、助手席で感じる振動や、音に感動したのを覚えています」

「嬉しいね。自分の好きな車を褒められるっていうのは」

「えぇ、本当に」


 車が好きな奴ならみんなそう思うだろう。


「間瀬峠にはよく来るのか?」

「いえ、今日が初めてです。いい山坂道ですね。MR2みたいな車には丁度いいです」

「そうだな。逆にGTRだと少し走りにくい」


 確かに。大きな車を走らせるのには向いていないだろう。


「普段の俺は湾岸を走ってるんだ」

「……湾岸、ですか」


 湾岸は宗介にはあまり馴染みのない道だ。そして、どうしてもルールのなっていない連中が連想されてしまう道だ。


「渋い顔をしているな。俺はルーレット族じゃない。仕事で走っている」

「お仕事はタクシー運転手か何かで?」

「いや、これさ」


 上着の胸ポケットから取り出した一冊の手帳。ドラマで見慣れた桜の紋章が金色に輝いている。


「警察……」

「月島警察署で勤務している」


 月島警察署は確かに湾岸に近い。


「では交通機動隊で?」


 信輝は煙草をくわえ、火をつけた。吐いた白い息が闇空に上る。


「警視庁警備部、特科車両二課、機動追跡隊。これで伝わるかな?」


 宗介は眉をひそめた。その組織は走り屋の敵だ。


「機動警察……」


 増加する危険運転に抵抗するために結成された部隊。隊員は高度なドラテクを持っている精鋭ばかり。


「そうだな。そっちの方が一般的だ」


 宗介はR33を見た。白いボディーに純正のホイール。何の変哲もないノーマルのGTR。ただ一つ、助手席の不自然な電子機器たちを除いて。


「……思い出しました。『湾岸の白鯨』、そいつからはどんな車も逃げられない、そう言われているR33 GTRがいたことを」


 白いボディとその巨体さからついたあだ名は白鯨。


「なんだそりゃ。俺はそんな異名がついているのか」


 宗介は無意識に信輝に対して警戒を張る。


「身構えなくてもいい。俺は君を探してこそいれども、逮捕する気などないよ」

「探していた?」


 宗介は信輝のことを知らなかった。でも言いぶりからするに、向こうは知っていたことになる。


「週末になるとどこかの峠に現れる凄腕のⅤ型のMR2。そいつはNAながらGTRやスープラにも食らいつく獰猛さを持った獣」


 宗介は自分のMR2を見つめた。信輝の言ったMR2の条件と一致している。


「君なんだろう?」


 知らないふりをしても無駄だ。この人は確信を持っている。嘘や誤魔化すのは無理だろう。


「ようやく出会えた」


 信輝の声には嬉しさがこもっている。


「どうして俺を探していたんですか?」


 信輝は煙草をポケット灰皿に入れ、身なりを整えた。そして、宗介を見つめて言った。


「俺の所で働いてほしいんだ。機動追跡隊で」


 11月の終わり。秋が過ぎて冬が来訪する頃。


宗介は運命の人と出会う。

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