第12話 第三皇女②

 皇女として露出が増える姉二人に対して、アルゥエラの露出は徹底して控えられた。良妻を目指すならより家庭的な環境で過ごすべきという皇后の考えと、皇女としての過度な露出は嫁入りが難しくなるのではという皇帝の配慮が合わさった采配であるが、それは本人としても望むところであり、皇室の責務から開放されたアルゥエラの生活は実に自由気ままであった。一人になりたければ書庫に籠ればよかったし、厨房にいけば料理の実習や摘み食いが出来たし、庭に出れば美しい花々や虫達と戯れ、皇居を歩けば誰かしらがかまってくれた。


 とは言え、良妻賢母を目指しそのためだけに生きるということは、若く賢く優秀な彼女にとって、いささか退屈なものでもあった。特に、両親に悟られてはならない魔法特訓の必要がなくなってからは、充実感が削がれた感が否めない。飲み込みが早くたいていのことはすぐに覚えることが出来たことも、それを助長した。出来ないことは才覚がないというよりは、体の成長を待つしかないものがほとんどで、そればかりは時間が解決するのを待つしかない。有り余る時間と情熱を向ける先を欲した彼女は、持ち前の好奇心を生かしてあらゆることに挑戦した。そんな彼女が関心と余力を注ぐようになったのは、夜空に輝く星であった。


 あの無数の星々に名前をつけた者がいる、という逸話が彼女の関心を射止めた。そして星の距離はいつでも変わらず、季節や時間によって座標が変わるという事実を知ってからは、のめり込むようになった。星について記された書物を読み漁り、夜になれば部屋の窓から空を眺めた。彼女の頭脳をもってしても到底覚えきれないその物量は、退屈しのぎにはもってこいだった。そうして空を眺めるうち、もっと空に近いところで星を見たいと思うようになった。


 なんとかその方法は無いものかと思案していたある日、皇居には特別高い建物があることを耳にした。それは見晴らし台と呼ばれる円錐状の建造物で、今は儀礼などごく限られた用途でしか使われない廃塔らしい。アルゥエラは夜の魔法特訓で身につけた抜き足を生かして、さっそく真夜中の塔に忍び込んだ。


 塔内部に人はおらず、薄暗くはあるものの全く見えないという程ではなかった。目前の階段は螺旋状にどこまでも上へとつながっており、その外壁には見通し窓が開いており、そこから入り込む月明かりが内部にまで差し込んでいた。外壁は丁寧に整形された石をこれまた丁寧に積み上げ、粘土で塗り固めた頑丈な作りで、壁に触れればひんやりと冷たく、手のひらは一瞬で真っ黒になった。

 階段の途中、木製の扉を見つけるが、目もくれずに足を進めた。星を見るならより天に近い所の方が良いに決まっている、アルゥエラは好奇心を原動力にその未成熟な体を捺して最上階を目指した。

 そうしてやっと最上階にたどり着いたが、屋上へと続くと思われる扉は厳重に閉じられており、アルゥエラは落胆した。いっそ熱して錠を溶いてやろうかとも考えたが、証拠が残ることはいらぬ憶測を呼ぶだろうと、泣く泣く引き返すことを決め、そうして少し降りた頃、途中に扉があったことを思い出した。


 扉は鍵がかかっておらず、軽く押すと錆びた蝶番ちょうつがいの音が塔内に響き、向こう側の小さな部屋があらわになった。長い階段に備えての休憩所だろうか。部屋の中には小さな机と燭台しょくだい、そして椅子には毛皮の羽織がかけてある。机は唯一ある大きな窓に向けられており、そこに座ると、城下町を一望できるようになっていた。


「わぁ」


 城下町は美しかった。夜間だと言うのに、所どころ、人の営みが輝いていた。一際明るいあの店は、酒場だろうか。好奇心に負けて身を乗り出し、机の上に腰掛け、足を窓の外に放り投げる。それはまるで自分が空を飛んでいるかのような錯覚をもたらし、未知の感覚に血が沸き立つのを感じた。 


 そして上を見上げて、再び息を飲んだ。一面が星空だったのである。


 視界には、何も妨げるものがない。宝石が散りばめられた絨毯じゅうたんはどこまでも続き、遠景の山陰を漆黒に縁取っている。その光景に、アルゥエラは思わず身震いした。それは彼女が生まれ初めて体験した、感動という感情だった。世界の広さと無限の可能性を連想させるこの場所を、彼女は痛く気に入り、天候が良い夜は決まって通い詰めた。


 吹きさらしの塔内部は夏場でも寒く、特に冬は厳しかった。そんな時、物を温める魔法は役に立った。塔を構成する石の一部を熱して足元を温めたり、毛布をかぶって小石を温め胸元に忍ばせたり、持ち込んだ水筒を熱して白湯さゆを飲んだり。常人なら滞在するのもこたえる環境に、アルゥエラはなんなく対応できた。そうして長時間滞在できるようになると、彼女の研究は増々捗った。


 研究の成果は、母から贈られていた手帳に書き留められた。書物に記されたそれと実物の差異や、季節によって天空がどのように動いているのか、輝きの色の強さや彩りなど、どんな小さなことも記録した。そうした活動は飽きることなく続けられ、彼女が一一才になった頃には、それは数冊の本となって積み上がっていた。


 その活動の折、彼女は星の中で全く動かない星があることに気づいた。それはたとえどんな時期であろうとも、方角も高さも全く変わらずに、ここより北に位置するトルーの山陰の頭上に輝いているのである。その星の存在に気付いた時、彼女はまず最初にトルーの山々との関連を考えた。書物によれば、トルー山岳地帯には雪という白い宝石が降り掛かっているらしい。らしい、というのは、直接それを眼にしたことはないからである。彼女は遠景を一望できる塔に幾度となく通いながらも、しかしそれを陽の下で見ることができなかったのだ。

 日中、皇居敷地内では親衛隊が巡視している。紛いなりにも皇女である彼女には、一度皇居から出ようものなら、あらゆる者の監視の目が光った。さらに、公務と関係の薄い彼女は、城の上層階へ行く用事も許可もおりなかった。陽光に照らされた城壁の向こう側を観測する機会はなかなかに訪れてくれない。

 そうしている間にも、北に輝く星とトルーの雪への関心は募るばかりだった。もしかしたら、北の星はこの白い宝石の結晶なのかもしれない、とか、あるいはトルーにかかる白い粉の正体は北星の欠片なのかも知れない、などと夢を膨らませた。いつしか自分のちからで赴き、その手で触れてみたい。それは彼女の目標の一つとなった。


 そんな、ある春先のことである。いつものように塔の一室で星空観察をしていた深夜、突如としてその扉が開かれたのである。


「父上」


 そこにいたのは現皇帝にして父である、ダトゥ・レッセントゥカ、その人であった。彼はアルゥエラの姿を認めると、彼女がなにかを言うのを制するように、口を開いた。


「衛兵がお前の姿を見たというのでな」


 ダトゥはゆっくりと部屋の様子を眺めながら、あごひげを揉んでいた。部屋にはアルゥエラが持ち込んだ快適道具達が陳列されている。彼はそれらに眼を向けながら言った。


「最近、見張り台に何者かが侵入した痕跡がある、という報告も上がっていた」


 その内のいくつかを手にとって、様々な角度から眺めている。中にはアルゥには貴重な暖用の石ころもあり、こればかりは用途がわからず首を傾げていた。


「見て見ぬふりを続けるつもりではあったのだが、報告まであげられると、さすがに知らぬ存ぜぬでは通せなくてな」


 そしてその言葉には、それにしてもよくぞここまで、と続けられた。


「あ、あの」


 アルゥエラの熱心な研究は、この部屋をいつの間にか秘密基地にまで仕立てていた。棚に陳列された備品達も、何もそういう環境を構築しようと目論んでいたわけではないのだが、たまたまその時の対策として用意したり、試してみたりと、刹那的な取り組みのために持ち込まれた残骸達であり、そういう細かい積み重ねも、年単位が過ぎて第三者が見てみれば、なるほど一目瞭然の変貌なのであった。見張り番がそれに気づかぬ訳はない。父に指摘された今、彼女はようやくそれに気付いた。そこまで気が回らなかった自分の浅はかに、紅潮して喉が詰まった。


 アルゥエラは叱責を覚悟した。父は偉大で優しいが、しかし時として皇帝としての厳しさも見せる。以前、ユーラの失態について激を飛ばす様は、当時幼かったアルゥエラに深く刻まれている。他の日は、頬を打たれたミシアが倒れる場面もあった。その大きな手が伸ばされると、恐怖で体が動かなくなった。


「こ、これは、その」


 しかしその手は、アルゥエラの頭の上にそっと添えられた。


「良い」


 彼はそう言い、部屋の奥に進んで行く。そして今しがたアルゥエラが記入していたノートを手に取り、ぱらぱらとめくり始めた。


「これはお前が?」

「は、はい」


 ダトゥは驚いたよう目を見開き、それを読み始めた。


「星が好きなのか」


 片手で促され、アルゥエラは恐る恐る近寄り、椅子にかけた。しばらく読むふけった彼は、やがてそれをと閉じると、アルゥエラの胸に差し出した。


「すべてお前一人で調べたのか」

「はい」

「さすがは我が娘だ。お前には学問の才があるのかも知れないな」


 ダトゥは膝をつき、いつになく優しい表情でアルゥエラを見つめている。


「学者になれる者は限られる。本人の素養はもちろんだが、何より環境が物を言う。その点、お前は恵まれている」


 生きるのにただ懸命な層――それはレッセント城下町外周に住まう農民の大半がそうであるが――には、学ぶ時間も、教材を買うお金も、何よりそれを受け取るだけの教養が十分ではない。世の中には学びたくても学べない、そんな者達がありふれているのだと、ダトゥは語った。


「蓄えた知識はやがてレッセントをさらなる繁栄へと導くだろう。お前が見た世界の美しさを、いつか己が子に教えてやるといい」


 要領の良いアルゥエラはあまり叱られたことが無い代わりに、褒められたこともあまり無い。明確に長所のある姉二人と比べると、アルゥエラはあまりにも凡庸であった。それが演じられたものだったとはいえ、両親を落胆させていたのかも知れない。ただただ要領よくこなすだけでは、人から認められることはないのだと、心のどこかでそう思っていた。


「今度、私にも星を教えてくれるか。お前が見ているものを、私も知りたいのだ」


 アルゥエラはこの瞬間、初めて父に認められたような気がして、その喜びは涙となって彼女の頬を流れた。

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ランダと蒸魔機竜のアルゥエラ 〜ドラゴンと女の子が降ってきたので蒸気機関で飛ばしてみた〜 ゆあん @ewan

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