第11話 第三皇女①
アルゥエラは賢い子どもだった。
レッセント皇族の直系嫡子であった彼女は、生まれながらにしてその生きる役目が決まっていた。選択肢は三つ。魔法適正を示して魔法助士になるか、政治手腕を高めて国営を助けるか。そして最後の選択肢、子孫繁栄の母体となるか――それが物心ついた彼女が選択した生き方である。
アルゥエラには二人の姉がいた。長女のユーラ、二女のミシアである。二人ともアルゥエラと同じ両親の元に生まれた正統血統の嫡子であるが、それぞれ一人の人間として異なる個性を持っていた。この姉妹関係が、彼女に斯様な決断をさせるに至った背景である。
姉のユーラは器量に優れた娘だった。皇帝待望の第一子ということもあり、言葉を理解する前から国中の人々が彼女の前に現れては祝福の言葉をかけていった。その数、数百である。物心ついたころ、彼女は初対面であるはずの相手がさも自分を良く知っているかのように接してくることに違和感を覚えたが、それも最初のうちだけだった。彼女にとっては数百あるうちの一人だが、彼らには皇帝の娘という特別な一人であるという乖離を、幼少の頃から肌で理解してしまったのだ。
その結果、彼女は特別な力とでも言うべき、特異な技能を身に着けた。それは、相手が誰でも、初対面かそうでないかに関わらず、旧知の仲かのように接することが出来るというものである。
先に言う通り、数百にも及ぶ顔や出会いを覚えておくことは不可能に近かった。そこで彼女は、全ての人間に対してその区別をなくすことにした。彼女は人と接する前に記憶を呼び起こして態度を決めるのではなく、神経を相手の機微に向けることで挨拶の段階を乗り切り、その後で記憶の断片と結びつけていた。それはつまり真の意味で公平な分け隔てない態度で接することでもあり、それが彼女に対する好感を築くことに繋がった。理想的な皇女としての立ち居振る舞いをごく自然に身に着けた彼女は、文字通り誰とでも仲良くなった。彼女を同席させれば、普段なら難儀する交渉も円滑に進んだ。その才は、まさしく皇族の政治力としてこの上ない能力だった。
一方、次女のミシアは生まれつき体が弱かった。体力に乏しい彼女は体調を崩しやすく、ひと月に一度は床に伏せることを余儀なくされた。憂慮した両親が外部との接触を制限すると、部屋に一人でいることがより多くなった。寂しいと言うにも言う相手がおらず、一人で遊ぼうにも体がいうことを利かない。不自由なくできることは、本を読むことくらい。結果、ミシアは姉のような特異な能力に目覚めることもなく、また徐々に内向的になっていった。虚弱は確実に彼女の人格形成に影響を与えたが、こと彼女に限っては、それは悪いことばかりではなかった。――彼女には非凡な魔力適正があったのである。
魔力適正がある者でもそれを魔法として発現できるかは才覚による。魔力適正がある者の状態は四つに大分され、下から順番に
魔法の才に恵まれた彼女は、なんと五つの時には、何もない所から小さな炎を発生させることが出来るようになっていた。それも、誰に習わずともである。そのおかげでボヤ騒ぎを起こしたこともあるが、それも皇族であるがゆえに良い印象へと据え置かれた。彼女が八つを迎え師事し始めると、次々と魔法を習得していった。天才ミシア第二皇女は、将来偉大な魔法助士になると有望視され、さらには、皇族初の魔頭への到達も夢ではないと、その小さな体に期待を背負った。
さて、そんな個性的な姉二人から少し間を空けて生まれたのがアルゥエラであった。姉二人はアルゥエラを玉のように可愛がり、彼女もそんな姉二人が大好きだった。アルゥエラは幼少の頃より優秀な姉二人の活躍と、それに期待する周囲の目に当たり前に触れてきた。姉二人はアルゥエラにとっては英雄であり、崇拝すべき存在でもあった。
そのせいなのか、彼女にはある種の感情が備わらなかった。それは自分が表に立ち民を率いるという社会的欲求である。彼女は己が人生をどこか他人事のように捉えており、つまり主人公は姉二人で、自分はわき役だった。アルゥエラは姉二人がいかに活躍できるかを第一に考えた。逆に、姉二人が成功すれば自分が矢面に立つような局面は避けることが出来た。それが脇役である自分にとって相応しいと、本気でそう思っていた。その傾向を決定づけたのは、母の存在が大きい。
第二子ミシアの出産以降、皇后は精神的に衰弱していた。皇帝の妻として健康優良な子を成せないということは、周囲が想像するよりも遥かに厳しい重圧として彼女に襲いかかっていた。男児を身籠れるかもわからないのに、その上健康に産めるかもわからないという不安は、彼女をあることに執着させることになる。
ある時彼女は数日書庫に籠もったかと思えば、国中の健康に関するあらゆる書物を集めるよう腹心に命じた。それらが手元に届くと手当たり次第に読み漁り、そこに記された何もかもを実践し、それを幾度となく繰り返した。ミシア誕生からアルゥエラ誕生まで五年という歳月を費やしたのも、その書物の指示に従って己が身体を改善するためだった。そうして誕生したアルゥエラは、やはり特別に愛おしいものだった。
その頃には姉二人は表舞台にたつことも多く、母親の手がかからないようになっていたこともあって、皇后は特にアルゥエラのために時間を使うことが出来た。何一つ不足はさせないと先回りもした。アルゥエラにとって皇后はまさに理想的な母親であり、女性としての手本のような存在でもあった。その中で、母が毎晩のように語り聞かせてくれる皇族の物語があった。アルゥエラはそのお話が大好きで、彼女も幾度とその話をねだったりした。それは皇族女性がどのように立ち居振る舞うべきかを暗喩しており、その結果、アルゥエラの魂にその価値観が刷り込まれることになった。
つまりアルゥエラは、三種の選択――政治か、魔法か、出産か、を選択することになんの疑問も抱かなかったのである。また賢い彼女は、三姉妹でそれぞれを分担することが最も効率的な方法だという事にも気づいていた。それが万事解決であり、国にとっても、大好きな姉二人にとっても、それが一番良いことだと、それが自然なのだと思っていた。もちろん、自分にとっても。
しかし課題はあった。ミシアの体質である。彼女の体調には波があり、特に魔力を消費するとそれが顕著になった。いくら魔法の素質があろうとも、使用の度に床に伏していたのでは仕事は務まらない。このままでは、魔法助士の枠が空席になってしまう。そう危惧した彼女は、誰にもばれないようにこっそりと魔法の練習をすることにした。
これには二つの意味があった。一つは、ミシアが道をあきらめた時、自分が代わりになれる土台を作ること。もう一つは、ミシアの奮起。己しか魔法助士になる人材はいないのだと意識した時、それが姉を支える気力になると考えたのだ。
それを想えば、自身が魔法を発現できるという事実はなんとしても秘匿しなければならなかった。それはつまり、毎晩付き添って眠る母親の目を盗み、夜な夜な時間を確保し特訓し、かつ睡眠不足や体調の変化を悟られる訳には行かないという困難な道であった。――しかしアルゥエラはなんと、これを難なくこなして見せたのである。
実のところ、アルゥエラにとって魔力を消費するという行為は全く苦ではなかった。それゆえ、夜間にどれだけ魔法の特訓をしようが、ミシアのように体調を崩すことが無く、この夜間特訓が露見することは無かった。そればかりか、魔法学の本はすぐに理解できたし、応用もできた。こと魔法という方面において、彼女はなんの苦労もしなかった。しかも彼女はそれが世の常だとすら思っていた。自分にできるのだから、天才と呼ばれた姉はもっと出来るに決まっている。それができないのは、病弱な体が枷となっているのだと、本気でそう思っていたのである。
だがそれは事実と異なる。ミシアが少々病弱であったことは違いないが、問題はアルゥエラの方である。ミシアが特別弱かったのではない、アルゥエラが特別に頑丈だったのだ。
先に上げた母親の涙ぐましい努力は実を結んでいた。結果、アルゥエラは姉二人よりも優れた素養と肉体をもって生まれてきていた。しかし斯様な環境が、母親の愛が、周囲はおろか本人すらもその事実に気づかぬまま過ごさせることになった。皇族初の魔頭誕生――その悲願達成は、誰にも祝われることがなかったのである。
だから彼女には知る由もなかった。自身で発現した対象物を温める魔法が、レッセントの魔法史においてどれ程重要な意味を持っていたのかを。
それ故、彼女は疑問を抱くことになった。姉が懸命に炎で鍋を温めているところを見て、なぜあんな非効率なことをするのだろうと。
それらはきっと、魔法助士になるために必要な行程なのだと納得することにした。
こうして彼女の目標は立てられた。いざとなれば、姉の代わりに魔法助士に。そして姉が魔法助士になれたなら、代わりに元気な子供をたくさん産むのだと。
ところがミシアはある時を境に、体調を崩さなくなった。魔法を使っても苦しそうな顔をすることも無くなり、その活躍も目覚ましいものとなった。
いよいよ唯一の不安も解消されたことで、アルゥエラは改めて、残りの人枠である子孫繁栄の母体をなる生き方を選んだ。――彼女が八歳の時のことである。
その後、アルゥエラは姉二人の人生を安泰にするために、無能を演じ続けた。政治に関心を示さず、魔法はうまく扱えないふりをした。反対に、女性教育には熱心に取り組んだ。習い事、マナー、時には厨房に忍び込み料理を学んだ。さらに、夢見る少女を装うために、いつか白馬の王子様が迎えに来るのだと目を輝かせてみたりもした。それを見た両親も、娘の凡庸な女性としての幸せを願い、表舞台に出すことはしなくなった。アルゥエラは見事に、たまたま皇族に生まれただけの、何のとりえもない凡庸な女子になることに成功したのである。
このまま過ごせば、凡庸な幸せが待っている。その時の彼女は、それを信じて疑わなかった。
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