第10話 契約

 ラビスタはケースから金貨を一枚取り出し、それをリューダの前に差し出した。

 これはレッセント皇国の習わしで、契約の前の儀式である。金を差し出す側はそれが本物であるかを相手に確認させ、誠意を示す。そして受託する気がある者はそれを受け取り、目の前で真贋しんがん見定めるのである。重要なのはその前提であり、受けるつもりがない場合は、それを手に取ってはならないということだ。


 条件に不足はない。そしてこの男がわざわざ自分に持ってきた背景にも検討はつく。考えなければならないのは、受けた場合とそうでなない場合とで、どちらの方がより身の危険であるか、ということである。


 傭兵は金で雇われる。そして用が済めば切り捨てられる。用済みになった者が文字通り斬り捨てられることは珍しいことではない。皇国が卑下する傭兵であればなおさらである。リューダにとって恐ろしいのは、己の命を失うことよりも、団員の命が危ぶまれることである。その中でも特に巻き込みたくはない者がこの団には在籍している。


 リューダは風習にならい、金貨を受け取り、それを眺めた。それが偽物である訳もなく、それはラビスタの手腕の証左でもある。


「条件がある」


 リューダは金貨を握りしめて言った。


「なんなりと」

「この依頼は俺個人で動く。団員は無関係だ。代わりに報酬は半分でいい」


 ラビスタは提案に対し、表情一つ変えずに答えた。


「承知しました」


 部隊での捜索と、単独との捜索では、任務遂行能力に大差がある。とりわけ山岳地帯の踏破力は段違いである。単独では行ける場所も距離も限られるがゆえに、こと捜索という任においては事実上機能していないに近しい。それでもこの提案を飲めるということは、それだけ力を買われているか、あるいは端から期待していないか、あるいはその両方であろう。レッセント領という広大な敷地を単独で探すことの無意味さに、しかし優秀な者に広く依頼することでその達成率を底上げしつつ、全域に展開すれば個人の点から広がる索敵網は結果的に単独の部隊に依頼するよりも広くできる。リューダはその駒のうちの一つ、と考えるのが自然だろう。


「確かにその方が団員の補充も無くて済みますね。しかしそうなりますと、残りの者達を誰が率いるかが課題になりますな」

「ああ、それは心配ない」


 その時、部屋をノックする音と、レカの声が聞こえた。リューダは手にした金貨を箱に戻し、蓋をし、目線を配らせると、ラビスタはすっと鞄を脇に隠した。


「――いいぞ」


 リューダは短く返答すると、同じく短く返答があり、扉が開いた。


「失礼します。お茶をお持ちしました」


 レカは器量よく二人に茶を出していく。その様子に、ラビスタはこの場に来て初めて驚いたような表情を一瞬見せた。


「すまん、レカ。茶を出したら外してくれ」


 リューダがそういうと、レカは両者に一瞥いちべつくれてから、かしこまりましたと言い残し去っていった。


「こんなところに女性がいるとは。驚きました」


 足音が離れていくのを確認してから、ラビスタが言った。しかしその言葉が額面どおりで無いことは、先の反応で判別がつく。ラビスタはレカが有する非凡な抜き足の才に驚いたのだ。


「だが並の男より腕は立つ。女だと舐めていると、痛い目を合う。ここはあいつに任せるつもりだ」

「あなたにそこまで言わせるとは。是非、手合わせ願いたいものですな」

「辞めておいた方がいい。相手が格上の男なら、迷わず股間を狙えと教えている」

「なんと」


 ラビスタは扉の方を見つめ、なるほどと言った様子で微笑した。


「目星はあるのか」


 関心をレカから逸らすべく、話題を変える。聞き出したいのは、皇女の行方の目星だ。


「私はすでに領内にはいないのではないかと考えています」


 予想外の回答に、リューダは思わず眼を見開いた。

 その仮説が正しいとするならば、皇女と騎竜はいずれかの関門を通過したということになる。レッセント領の関門は四方にあるが、その中で最も人通りが少ないのはここルンドラ関門で、ひと目を避けるのが目的なら、ある意味では最適な経路にも思える。

 ――だが。


「一応聞くが、クーデターの時、軍がここを固めてたんだろう。だったら通してないんじゃないか」


 先にも述べた通り、この関門の堅牢性は尋常ではない。たとえ騎竜を伴っていたとしても、あの鉄の門をこじ開けることはできないはず。内通者の可能性もまず無い。開門には数人の男手が必要になるため、門番全員を抱き込んでいる必要があるからだ。


 本当にこの男の言うように、門を超えているのだろうか。


「上です」


 思案するリューダに、ラビスタは天井を指差し言った。


「まさか誰も闇夜の上空を通るとは思わないでしょう?」


 関門の上。そこを飛行して通過していった。


「それはありえねぇ。ドラゴンの連続飛行時間はそんなに長くない。ここから城まではそれを超えてる」

「お詳しいのですね」

「知ってて言ってんだろ」


 その言葉には二重の意味がある。一つは、ドラゴンの飛行限界を知った上でそんな寝言を言っているのか、という指摘。もう一つは、その知識をリューダが持っていることを認知しているだろうという指摘だ。


 ドラゴンはその巨体ゆえ、渡り鳥のように長時間に渡って飛行を続けることはできない。むしろその真髄は、圧倒的な体躯が生み出す突撃力と踏破能力であり、それこそが皇国が騎竜兵団を組織する理由である。

 通常、こういったドラゴンの性質や騎竜兵きりゅうへい――ドラゴンに跨り戦場を駆け上空から視察する兵――の特性は、一般には知り得ない。ドラゴンは軍部の中でも限られたエリートのみが騎乗することを許され、またその飼育も彼ら自身で行うことが義務付けられている。一般兵はその厩舎に訪れることすら禁じられるなど、騎竜兵団の情報は軍の中にあっても隔絶されているのである。レッセントが騎竜兵によりその地位を維持している国でありながら、ドラゴンの生体が一般に認知されないのも、こういった背景がある。

 しかしそれをリューダはそれを知っている。そしてラビスタも、その事実を知っているからこそ、会いに来ているのだ。


「ご指摘はまさに。ですが、それは通常の竜騎兵の話です。いくつかの条件が重なった時、それは現実のもとなり得る」

「何?」


 ラビスタは片眼のモノクルを光らせ、腕を後ろに組んで、部屋を回遊する。


「――乗せていたのは少女一人。武装した兵よりもかなり軽かったでしょう。さらに、炎に包まれた城はあの日、上昇気流を生んでいた。その気流に乗って上空まで上り、緩やかに滑空することで飛距離を稼いだ。加えて、トルーから吹き下ろす冷気は向かい風となり、高度を維持するのに一役かったでしょう。そして最後に、そのドラゴンは特別に飛行が得意な個体だった――というのはいかがです」


 それは偶然が幾重にも連なって起きた、奇跡の脱出劇。


「まるで夢物語だな」

「これだけ領内を探しても見つからないのです。であれば外にある、と考えたほうが自然ではありませんか」


 荒唐無稽、と一蹴するのは容易い。しかし、ラビスタの言うことには一理も二理もある。ドラゴンと少女が行方知らずになりその痕跡すら残らないということがそもそもあり得ないことなのである。


「条件の追加はできるか」


 だがリューダは俄然興味が湧いてきた。己の常識を超えた者と対峙したい。この眼にしたい。力を求める者がもれなく行き着く好奇心。


「騎竜だ。馬じゃ力不足だからな」


 それは沸々と体をめぐり、無意識に口角を持ち上げていた。 


「無期限でお貸ししましょう」


 瞳の奥に、なにかが燃えている。それを認めたラビスタは同じく口角をあげ、手を差し出した。


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