第十五話 便り


 後日——。


 イナノホリ領カシヤミ村の近隣にある森にて、妖魔の遺骸の浄化処理を終えたモミジとトウシロウは、ミモリ達に別れを告げ、二人が腰を据えるミナノモリの街へ戻った。とは言っても、モミジとトウシロウは、ミナノモリの街に居を構えていない。街の外郭の外にある山の山間部で暮らしていた。


 細い小川が流れる横に、凝った作りも無い山小屋のような家屋が建っている。元々そこは、トウシロウと彼の兄弟子であるタツシゲの師が棲家にしていた家屋であった。その師が往生すると、居着いていたトウシロウが、そのまま家屋を引き継いだのだった。


 今そこに、モミジも暮らしている。人里離れたその場所は、穢溜えだまりを内に抱えるモミジにとって都合が良かった。人の居ない山の中で暮らせば、余計な人の悪感情に触れず、己の負の感情が刺激されずに済み、箍が外れる事はないだろう。緑と小川のせせらぎが、自然とモミジの心を穏やかにさせてくれていた。


 そこでの暮らしは、渡守コトリが貪欲に焦がれた豪奢な物など一切無かった。それどころか、慎ましく質素な暮らしである。しかし、彼女は華美な暮らしどころか、のどかな慎ましい暮らしすらも、手にする術を一生失ってしまった。


 あの日、モミジから意図せずに邪気を当てられたコトリは精神を病み、病床に臥した。だが、それも一時の間で、彼女は回復するとすぐさまに、とある寺院に移送される事となった。コトリの独りよがりな考えから犯した罪は、とても許される事では無い。移送先の寺院は、極寒の北の大地と言う厳しい環境で、コトリは苦行を強いられる事となった。コトリが少しでも改心する前に、彼女の生涯は、間もなく終える事になるのかもしれない。どちらにしても、コトリは生涯、そこから出る事は叶わなかった。


 そして、コトリの父である渡守コウジにも罰が下った。


 娘と同様に虚栄心が強かった渡守は、領主代理と言う立場を得た事で、そこに拍車を掛けた。己が管理する領地から必要以上に税を上げ、カシヤミ村のように窮している土地の支援金を渋ったりと、金の亡者となった。更に、仕事を後妻に丸投げして領主代理としての義務を放棄した上、脱税を行った事が後妻のミヨコにより暴かれた。それらにより、渡守コウジは、病に臥せっていた現領主の渡守ショウゾウから絶縁を言い渡され、氏名うじなを失う事となった。


 氏名を失い、後妻にも見放されたコウジは、イナノホリ領から消えた。噂によれば、コウジは隆成家で使われているようだ。どういった経緯で、コウジが隆成家に従事する事になったかは不明だが、隆成家はコウジに掛けられた過度な負債に、預けていた娘——カヨの死の事がある。コウジの待遇はきっと良くないもので、惨めな生活を送っている事だろう。


 領主代理が居なくなった事で、現領主の渡守ショウゾウが表舞台に復帰するかと思いきや、まだ本調子ではないようだ。そこで、現領主はミヨコと養子縁組を組んで、彼女に領主代理を任せる事になった。更に、彼女の腹の中には、コウジとの子が宿っていた。子が無事に生まれ、成人になるまでに立派な貴人となった時、領主の権限はその子に譲渡する事が決まった。


 こうして、イナノホリ領も漸く落ち着く事となった―—。


 ——と言った内容も、ミモリからの手紙に綴られていた。読み終えたモミジは、丁寧に手紙を畳んで文箱に閉まった。


 モミジ達が、カシヤミ村からミナノモリの街に戻って暫く、鹿養家から妖魔討伐のお礼にと、カシヤミ村特産の米と純米酒が送られてきた。その中に、ミモリからの手紙が入っており、その後の顛末が書かれていた。


 それともう一つ、結婚の報告がしたためてあった。ミモリの婚約者であるマサオミが無事に全快し、二人は目出度く結婚する運びとなった。目出度い報告に、モミジの顔は緩み、こちらからも何か祝いの品を贈ろうと考えていた。


「何を一人でにやにやしてんだ? 気味悪ぃぞ」


 窓際にある寝椅子にだらしなく凭れているトウシロウは、面具を外しているモミジの顔を見て言った。


「私の顔が気味悪いのは、普段からですよ」


「いや、そう言う意味で言ってねぇよ」


「すみません。少しイラっとしたので、意地の悪い事を言いました」


「お前な……」


「それよりお師匠様の方こそ、お昼からそんなにお酒を飲むのは如何なものかと思います」


 寝椅子のすぐ傍に置かれたお膳の上には、送られてきた純米酒が入った徳利とお猪口があった。モミジはすかさず徳利を奪うと、「あ、てめっ」と、トウシロウが苦言を漏らした。


「まだ二杯目だぞ」


「肴も無しでは悪酔いしますよ」


「良い酒は悪酔いしねぇの」


「はぁ……」


 それでも、肴も無しに呑み続けるのはどうなのだろうかと、モミジは肯定も否定もせずに曖昧な声を漏らした。トウシロウはお猪口を手に取り、「ん」と、それをモミジに向け、酒を注ぐように促した。


「手酌の方がお好みでは?」


「何の話だ?」


「以前、鹿養家が催してくれた宴席で、手酌がお好みと耳にしましたが?」


「忘れたな」


「そうですか」


「どうでもいいから、注いでくれ」


 モミジは一度肩を竦めて見せると、徳利を傾けてトクトクとお猪口に注いだ。なみなみと注がれると、トウシロウはぐいっと飲んだ。


「あぁ……、美味い」


 トウシロウはしみじみと言った。


「それは良かったです」


 すると、トウシロウがモミジが持っていた徳利をひったくり、モミジの前でチャプンと水音を鳴らした。


「お前も飲めよ。村にいた時は、一口も飲まなかったろ?」


 モミジは、外出先での飲酒はしない。酒は、感情の抑制が無くなりやすく、ふとした拍子に負の感情が溢れ、モミジの中に張られた結界が破れる恐れがある。そんな危険を冒してまで、モミジは飲酒はしなかった。


「では、ご相伴に預かります」


 しかし、モミジは飲まないだけで、飲めない訳では無かった。トウシロウの前で彼以外に誰もいない状況なら、モミジは嗜む程度に飲酒をした。


 お膳にあったもう一つのお猪口を取ると、トウシロウから酒を注がれた。モミジは「頂けきます」とお猪口に口を付け、くいっと傾けた。深く自然な甘みが口の中に広がるが、コクリと喉を通すと後味はすっきりと爽快感があり、非常に美味であった。モミジは思わず、ホゥッと感嘆の息を吐いた。


 ……これはやはり肴が欲しいと、モミジは簡単に作れる肴を考えた。市場で購入した釜揚げしらすに、おろしポン酢と青じそを添えようか。油揚げを軽く炙り、小口切りにした細葱を散らして生姜醤油で頂こうか。それとも……。色々と悩んだモミジは、一度台所を覗く事にした。


「何か肴を用意してきます。それと、お水も──」


 お猪口をお膳に置き、モミジは台所に向かおうとしたが、トウシロウに手を取られた。


「お師匠様……」


「ん~?」


「手を放し下さいませんか?」


「もう少し付き合えよ」


「ですから、肴を用意しますので」


 モミジがそう言っても、トウシロウは手を放さなかった。それどころか、そのまま引き寄せ、己の隣にモミジを座らせた。


「お師匠様……」


 モミジは呆れた目で、トウシロウを見遣った。


「酒を飲むと、人恋しくなる質なんだよ」


「では、タツシゲ団長をお誘いしてはどうですか?」


「おっさんゴリラと飲んで何が楽しいんだよ」


「またそんな憎まれ口を……」


「そっくりだろ? 顔面が、部分的に」


「部分的に……」


 モミジは、すぐ傍にあるトウシロウの顔を見た。主に、雄々しく毛長い眉毛に注目した。


「おい。意味深な目でどこを見てた……」


 トウシロウは胡乱な目でモミジを見て、眉をひくひくと動かした。


「お師匠様、申し訳ございませんが、あまり眉毛をぴくぴくと動かさないで下さい。至近距離で見ると、毛虫のようで、なかなかに悍ましく―—」


 不意に、トウシロウはモミジの両頬を鷲掴みにした。


「毎度毎度、口が減らねぇ蛸口だなっ!」


 両頬を挟まれて突き出たモミジの小さく厚い唇は、正に蛸を思わせるような口の形になった。


「やめへくらはい。ほんろうに、たほふちになったらろうするんへふは。この、げじむひひひょう」


「それが師匠に対する口の聞き方かっ!」


 居間に、トウシロウの怒号が響いた。


 自分でも、師に向かって生意気だと、モミジは自覚していた。……でも、これでいい。トウシロウには、不躾で可愛げの無い弟子だと、後腐れなど感じない程に情を抱かないでもらいたかった。モミジは爆弾を抱えている。それが何の脈絡も無しに、いつ爆発するか分からない。だから……。


 ―—だからその時は、貴方の手で、私を葬って下さい。


 あの圧倒的な力で、完膚なきに。


 モミジは、トウシロウのあの強さを目の当たりにする度に、心の底から安堵出来た。トウシロウなら止める事が出来る。身の内に潜む穢溜まりから邪気が溢れた時、トウシロウが傍に居てくれたなら、周囲に災厄を振り撒く事は無い。人に疎まれず、蔑まれず、恨まれず……、モミジは真っ当な人として死ねるだろう。


 だからモミジは、トウシロウとは師弟関係であっても、希薄な繋がりを築こうとしていた。トウシロウがモミジに手を下した時、後ろめたく思わせない為に。


 ……しかし……でも……どうか―—。


 どうか、疎まないで欲しい。挫けそうになった時、手を差し伸ばして欲しい。初めて出会った時のように……―—こうして天邪鬼な事を願うなど、やはり生意気な弟子だと、モミジは頭の方隅で自嘲した。


 唯一の穢溜まりを浄化する事が出来る神子が現れるか、モミジの身の内に宿る穢溜まりが暴走するか……その日まで―—。


 真昼間で酒精の香りが漂う中、この子供じみた師弟喧嘩は、二人が寝椅子から転がり落ちるまで続くのであった。

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タタラレモノ 菜埜華 @k15_nanohana

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