「大晦日に縁を結ぶ」

夷也荊

縁のたぬき

 田舎の正月は慌ただしい。特に昔は鏡餅もおせちも一から手作りだったから、女性陣はてんてこ舞いだ。一方男性陣はというと、神棚がある仏間に、七福神やら天照大神やらの掛け軸を壁一面に飾り、親戚を回ったり客の相手をしたりと、こちらも忙しい。仏間はもはや神様だらけのカオス状態だ。しかも、その掛け軸と仏壇と神棚に、それぞれ家族と同じ料理を、ミニチュアのお膳で捧げなければならないという決まりがあった。幼少の頃はおままごとのようで楽しかったが、成長するにつれて面倒になった。母もミニチュアのお膳に苦労していた。

 

 そんな苦労の多い大晦日は、家族全員がそろって早めの夕食を取る日でもある。ちなみに夜は夜食を食べる。この日は客が来ないが、午後には夕食に間に合わせるために、祖母が天ぷらを揚げ始める。私が幼少の頃は、まだ曾祖父と曾祖母が健在であったが、祖母が料理をしていた。何故か大晦日の年越し蕎麦は、天ぷら蕎麦と決まっていた。スーパーでも総菜コーナーはかき揚げの天ぷら一色になる。私は幼いながら、そんなに忙しいなら買えばいいのにと、思っていた。しかし、祖母は「料理をしない女は馬鹿になる」と、本気で言っていた。おそらく曾祖母よりも曾祖父の影響だろう。曾祖父は頑固で昔気質の人だったから、十三人姉弟の長女である祖母を、厳しく育てたに違いない。私は家で作る天ぷら蕎麦が嫌いでならなかった。野菜ばかりで、しかも私が嫌いな玉ねぎが沢山入っているのだ。それに、汁を吸って天ぷらはふやけて脂っこい。私は蕎麦だけ食べて、天ぷらを残そうとするのだが、家族みんなの目があってはそうはいかない。必ず誰かに見つかって、毎年泣きながら駄々をこね、やっと玉ねぎだけは残すことを許される。しかし曾祖父だけは厳しくて、その後仏間に連れて行かれて、寒い中正座して説教を聞かされた。そして、曾祖父はいかめしい顔で私を見下ろし、必ず言った。


「ここには八百万の神様たちがいる。分かるな?」


全く分からなくても、素直に頷くしかない。


「そして人間と神様が同じ物を食べる」


それならば、ミニチュアのお膳があるので、何となく分かった。お膳にはお神酒もあり、捧げ終わったら、両親と祖父母が飲むので、確かに同じ物を食べたり飲んだりすると分かっていた。


「お前、客を邪魔だと思っているだろう?」

「それは」


思わず言葉に詰まった。本当は正月に限らず、お盆や彼岸、日常的にも、家に客が来るのが嫌だった。酒を飲むと皆大声で話し、下品に笑い、私は放って置かれて、ひどい時には邪魔者扱いだ。


「いいか。客を大事にしないのは良くない。この辺りは地縁と血縁が混じっている。つまり、親戚と近所が交じり合っている。だから、縁を大事にしなければならない」

「えん?」

「困ったときに互いに助け合うために、つながりを大事にするという事だ」


ああ、赤い羽根だ。そう私は思った。小学校の先生が、赤い羽根の募金を集める時に、曾祖父と同じ事を言っていたのを思い出したのだ。しかし、それが何故神様の話になるのかは、まだ分からなかった。


「正月には、神様とも縁を結ぶんだ。だから同じ物を食べる」


彼岸には先祖様と、日常では人々と、それぞれ縁を結んでいくのだと、曾祖父は言った。しかし、まだ小学校に入学したての私には、難しい話だった。


「それって、神様も家族になるってこと?」


正月に同じ物を食べるとしか理解できなかった私の、懸命な返答だったが、曾祖父は

びっくりした顔をした。私にはそれが、目を見開いた怒りの表情に見えた。肩をすくめた私の頭に、曾祖父の分厚い手が乗ったのは、その直後のことだった。


「ああ。そいうことかもしれん。さ、風邪をひく前に部屋に戻れ」


私は首を傾げてからうなずいて、ストーブのある茶の間に戻った。この辺りでは雪が降るとコタツを出すが、コタツに電源などはない。ストーブの温風を、太い管でそのまま引き入れるのだ。コタツの中はもちろん、部屋も同時に温まる優れ物だった。


 曾祖父は、私が小学校高学年の時に亡くなった。原因は不明だったが、曾祖父の具合が悪くなったのは、祖母の天ぷらを食べた後だったため、祖母は責任を感じて台所から引退してしまった。家族に残されたのは、誰とも血のつながっていない曾祖母だった。曾祖母は家事を一切しないお嬢様気質の女性で、曾祖父の後妻だった。曾祖母は頑なに、一人であることを貫いた。ご飯も一緒には食べなかった。


 こうして、我が家の台所は母が仕切るようになった。この世代交代と共に我が家の食卓は和食から和洋折衷になり、パン食が導入され、時には中華料理も出るようになった。祖母はその度に文句を言っていたが、結局祖母は酢豚が大好物になった。それともなって、インスタント麺やカップ麺も買い置きが増えた。小学校では、カップ麺は塩分が多いので、食べ過ぎには注意するように言われていたが、火を通すこともなく、洗い物も出ない便利で美味しい文明の利器には馬耳東風だった。


 両親が共働きだったこともあり、すぐに食べられて片付けもいらない、その上美味しい物は、あっという間に我が家の食卓を占拠し、和食は夕食だけになった。もちろん、正月の食卓も変わった。一から手作りしていた餅は、鏡餅を買ってくるようになったし、おせちも出来合いの物を組み合わせて、詰め合わせるだけになった。そして大晦日は天ぷらを揚げなくなった。母が緑色のパッケージのカップ麺を、人数分買ってくるようになった。誰もが知る「緑のたぬき」である。これを天ぷら蕎麦の代わりにすると初めて聞いた時、祖母は烈火のごとく怒った。神様に失礼だとか、手抜きだとか、言いたい放題だった。そしてやはりあの言葉が飛び出す。「料理をしない女は馬鹿になる」という、古くなった論理である。母は引かなかった。農業をやっている内は、時間もあって野菜もあったから天ぷらを揚げる余裕があった。しかし今は両親ともに会社勤めで、時間もないし、野菜の天ぷらを揚げると高くつく。それに、生麺の蕎麦は賞味期限が短い。だから今年からはカップ麺にすると豪語し、宣言した。祖母が全面的に言い負けて、この年の大みそかから、我が家の年越し蕎麦は「緑のたぬき」に決まった。ただ、神様に捧げるミニチュアにカップ麺は大きすぎたので、仕方なく母がここだけは折れて、蕎麦の生めんを袋に入れたまま添えることになった。私は快哉を叫んでいた。緑のたぬきの天ぷらには、私が嫌いな玉ねぎが入っていなかった。しかも、後入れサクサクだから、衣がぶよぶよにならずに済む。自分好みで食べられるとは、何と画期的なことか。そう思いながら、皆でみどりのたぬきを食べ始めるが、祖母だけはまだお湯も注いでいなかった。まだこのカップ麺を信用していないらしい。しかし、強めの出汁の香りと、蕎麦を啜る音、そしてサクサクと天ぷらを食べる様子に、さすがの祖母の腹の虫も音を上げた。ぐう、と音を出して空腹を伝えると、祖母は顔をしかめながら緑のたぬきにお湯を注いだ。いまだに仏頂面をして三分待っている祖母に、私は曾祖父の言葉を思い出した。


「まあ、緑と縁って似ているから、神様も許してくれるよ」

「知った風な口をきいて。こんな物ばかり食べているから、舌が馬鹿になるんだ」

「ほら、もう食べれるよ」


私が時計に目をやると、祖母もそれに倣い、視線を緑色の蓋に目を落とす。そして、祖母は人生で初めて、カップ麺を食べた。天ぷらは固いのが嫌だと言うので、あらかじめ中に入れて麺と一緒に戻しておいた。湯気に混じる風味の効いた出汁の芳醇な香り。触感が残っている蕎麦。ふんわりと仕上がった天ぷらは、小エビがまだサクサクしている。蕎麦を啜ると、出汁が絶妙な脂の層を纏って口の中に入ってくる。祖母はカップ麺がこれほどのクォリティであるとは、思ってもみなかったようで、掻きこむように一心不乱に食べ終えてしまった。その後祖母は、バツが悪そうだが、満足そうに口角が上がっていた。全く素直ではない。


 そしてある年の大晦日。私は一人、病院で過ごすことになった。精神科の閉鎖病棟で、もちろん年越し蕎麦なんか出ない。年末年始だけ帰宅する患者が多かったから、正月の閉鎖病棟はしんとしていて、どこか肌寒い。医師からは一時帰宅の許可は下りていたが、私は首を縦には振らなかった。一日でも早く回復して、この病棟から退院したい。その思いの方が強かった。一日でも早い回復を心に決め、私はガラガラの病棟から、中庭を眺めていた。雪が降っていた。自宅では積雪のために、除雪作業が大変だろう。雪は正月だろうがそうでなかろうが、関係なしに降る。来年こそは、私も除雪作業に従事しよう。


 大みそかは雪のピークでもあるから、雪かきで疲れたら家に入って、家族みんなで揃って緑のたぬきを食べるのだ。そして夜食に赤いきつねを食べながら、皆で年末恒例のテレビを見る。私が精神を病むまで、ずっと当たり前のようにやってきた、大晦日の行事。大丈夫だ、と思った。この空の下で、皆が繋がっている。神様も人間も、同じ物を食べて、お腹いっぱいになれば皆が自然と笑顔になれる。


 曾祖父の死や台所の世代交代、私の入院。それに伴う食事風景の変化。大事にしていて、不変だと思っていたことでも、時代と共に変わっていくことは仕方のないことだ。それでも、きっと変わらないことは、記憶や心の中にある。食べるって、不思議だ。みんなで温かい物を囲む。ただそれだけで、もう家族の匂いがする。


                               〈了〉


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「大晦日に縁を結ぶ」 夷也荊 @imatakei

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