終わりの前の赤緑
さかたいった
何を詰めよう
人類の滅亡の時が近づいている。
この世界は、もうすぐ終わろうとしている。
「明日、隣町のシェルターに移動することになった」
父のナオキが唐突にそう言った。長年の苦労が滲んだしわのある顔で。
「まず学校の体育館に集まり、そこから順次シェルターに入っていく。避難が始まれば、もうこの家には戻ってこない。必要な荷物を準備しておくように」
タツヤの耳には父のその言葉がどこか他人事のように聞こえていた。
タツヤは自室に入り、部屋の中央にでろんとリュックサックを置いた。
それから部屋の中をざっと眺める。
マンガ本がぎゅうぎゅうに詰まった本棚。下段には無駄に分厚くて重い辞書と、昔からある動物図鑑。上段には半年ほど前に受け取った、小学校の卒業文集。
本棚の対角に、西日がよくあたる窓と、服の詰まったタンス。部屋の奥のほうにはベッドがあり、その反対方向に地上波放送を映さないゲームプレイとDVD観賞用のテレビ。テレビ台の下にはゲーム機とそのソフトたち。その横の壁際に勉強机。クローゼットの中には今は使わなくなった昔の玩具やゲームが入っている。
タツヤは、自分の部屋にあるものからリュックに詰めるものを考えていく。
ひとまず着替えは必要だ。どれぐらい必要になるのかはわからないが、ズボンにシャツ、セーターに靴下パンツなど、一通りのものをリュックに放り込んでいく。リュックはそれだけで大部分が埋まってしまった。
テレビゲーム機は使えないので、代わりに携帯ゲームを持っていこう。電池が切れたら使えなくなるが。他に、CDプレイヤーとゲームのサウンドトラック。カードゲームのセットとトランプも入れよう。筆記用具も必要になるかもしれない。あとはハンカチとティッシュ、お気に入りのマンガも入れた。なんだかおばあちゃんの家に泊まりに行く時みたいだな、とタツヤは思った。リュックはもうパンパンだ。
その時、ぐーっ、とタツヤのお腹が鳴った。たくさん詰まったリュックとは対照的に貧相なお腹だった。
タツヤは家の台所に行った。
冷蔵庫を開ける。中にあるのは少量の飲み物と調味料の類だけで、タツヤのお腹を満たしてくれそうなものは見当たらない。
冷蔵庫を閉めると、貼りつけられているキャラクターのマグネットが目に入った。母がいた時は、ここに学校の給食の献立や行事スケジュールなどを貼りつけていたが、今はただビーグル犬のキャラクターが寂しそうにしているだけだ。
その後、電子レンジ下の棚や食器棚の下のスペースも探したが、食料品は見当たらない。現在ではスーパーやコンビニからありとあらゆる食料品が消費されてしまった。人々の不安がその事態を引き起こしたのだ。この世界は食料不足となる前に滅びるはずなのに、その前に食べるものが無くなった。
徒労に終わった台所の捜索をやめてタツヤは部屋に戻ろうとしたが、ふと食器棚の上にある赤いものが目に入った。
もしかしてと思い、タツヤは食器棚の上に手を伸ばすが、届かない。椅子を持ってこようとしてその場を動こうとすると、すっと近くから手が伸びてきて赤いものを掴んだ。
「ははっ、見つかっちゃったか」
父のナオキが歯を見せて笑った。
タツヤはナオキと向かい合って座り、食卓を挟んだ。
テーブルの上にはお湯の注がれた赤いきつねと緑のたぬきが鎮座している。
蓋をして、じっと待つ。べつにじっとしている必要はないが、父との間に会話はなかった。
少しだけ寂しい食卓。ここで陽気な声を響かせてくれた母は、もういない。
ナオキが目の前に置かれた赤いきつねの蓋を外した。それを見て、タツヤも緑のたぬきの蓋を取る。
箸でかき混ぜ、だしをスープに馴染ませていく。
「お揚げ、好きだったろ?」
ナオキがそう言って、大きなお揚げをタツヤの器に入れた。
「代わりに天ぷらもらうからな」
有無を言わさずエビ天をかっさらっていった。
ナオキは少しだけ、楽しそうだ。そんな父の顔は最近目にしていなかった。
ナオキが白くてコシのある麺をすすり始めた。
タツヤも箸で蕎麦をすくい、何度か息を吹きかけてから口に放り込む。一口目からかまぼこも一緒に食べてやった。それからやけどに気をつけながらお揚げもつまむ。
美味しい。噛むごとに味が広がっていく。久しく味わっていなかった幸せ。
世界は、もうすぐ終わるらしい。国の偉い人たちが、そう言った。
どちらにしろ、今より幸せだったあのころは戻ってこない。
タツヤは去りゆく思い出を噛みしめるように、麺を咀嚼した。
まぶたから涙がこぼれてこようとお構いなしに、麺をすすった。スープを飲んだ。
ほんの少しの間だけかもしれない。
それでも、ちょっとだけ、心が温まった。
心に染み渡る味だった。
終わりの前の赤緑 さかたいった @chocoblack
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