そもそも親が本当に『現実を見て』、『現実を現実として受け止められてるのか?』ってのを気にしなきゃおかしいと思ってるんだよね

 私はさ、親が子供に対して、

『現実を見ろ!』

 とか、

『現実は甘くない!』

 とか大上段に言う前に、そもそも親が本当に『現実を見て』、『現実を現実として受け止められてるのか?』ってのを気にしなきゃおかしいと思ってるんだよね。

 その大前提にあるのが、

『子供をこの世に送り出したのは、何をどう言い訳しても百パーセント親の勝手』

『子供を養育するというのは、子供を勝手にこの世に送り出したという親自身の行いの尻拭いでしかない』

『子供が親を選んで生まれてきたなんていう事実は、ない』

 っていう<現実>を親自身がちゃんと見て受け止められてるか?ってことなんだよね。それができてないんなら、子供に対して『現実を見ろ!』とか『現実は甘くない!』とか、

『いや、現実を見て受け止められてないのはあんたの方じゃん』

 って話でしかないんだよね。

 こんな風に言うとさ、それこそ自分を正当化するためにひたすら詭弁を並べようとしてくると思うけど、いや、詭弁ならまだマシで、それこそ立証しようもないただの<オカルト>を並べ立てようとするのもいると思うけど、もうその姿勢が、

『現実を見て受け止めようとしてる姿勢じゃない』

 じゃん?


 私はさ、自分がダメな人間だってことは百も承知なんだよ。子供に対して偉そうにできるような立派な人間どころか、ただの<ロクデナシ>だってことは分かってる。だけどさ、人間って完璧じゃないじゃん? 完璧じゃないのにこれまでだって生きて子供を作って育ててきたんだよ。それもまた現実。

 だからさ、完璧である必要はないんだよ。自分が生きてることを認めてほしいのなら、自分以外の人間が生きてることをまず認めなきゃいけないし、それができればだいたい何とかなるってだけだよ。

『子供は自分じゃない』

 その現実を認めて、

『人間が人間以外の生き物を生むはずがないんだから、子供だって人間だ』

 って現実を受け止めて、

『人間として接する』

 てのを心掛けてたら、子供はそんな親の姿を学び取ってくれるはずなんだよね。

 だってさあ、子供がどうやって<言葉>を覚えるかってのを考えても分かるじゃん? 別に学校の授業みたいなことをして教えてるわけじゃないよね? 親や周りの人間が口にしてることをラーニングしてるんだよね? それ考えたら、

 <人間としての在り方>

 だって、親をはじめとした周りの人間からラーニングしてるはずでしょ? 親をはじめとした周りの人間の振る舞いこそが、子供にとっての、

 <人間としての在り方の基本>

 になると思うんだけどねえ。

 そしたら、

『人間を人間として扱うという在り方を親がしていれば、子供だってそれを学び取る』

 ことはできるんじゃないの?




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蒼井霧雨 ~私が子供達に伝えたいこと~ <親>なるもの 京衛武百十 @km110

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