第14話 役得?
酔って半分眠っている裕人から、麻木美緒の名前やら岩倉智子の情報を聞き出した加奈だったが、次第に彼が呼びかけに反応しなくなり、寝息を立て始めたので、そのまま眠らせることにした。
念のため、彼の頬を引っ叩いたり、腕を抓ったりして、完全に寝ていることを確認してから、片山範子に電話をする。デートが終わったら、どんなに夜遅くなっても報告する約束をしていたからだ。呼び出し音1回で、すぐに範子が受話器を取ってくれた。
「先輩、待ってましたよ~お疲れ様でした。デートはどうでした?
里中くんと、ロシア料理のディナーには行けましたか?
この時間ってことは、ひょっとしてディナーの後、
どっかで飲んでたとか?聞かせてください!お願いします!」
電話を待ち焦がれていたからか、片山範子のテンションが普段より高い。いつも一緒にいる加奈ですら、今日は最初からグイグイ来るなと感じていた。
「…ノリ坊、電話が遅くなってごめんね、
今日は朝早くから、メイクしてくれてありがとう。
里中さんから、朝一で合コンのときより、
今日のほうが断然いいって褒められたんだ。
デートはね、里中さんが本当の恋人みたいに接してくれた。
里中さんは聞き上手だから、ボク、普段の何倍も話せた。
ディナーは、なかなか言い出せないまま、夕方になっちゃったけど、
思い切って誘ったらOKで、一緒に行ってくれた。
里中さん、ロシア料理が初めてだったみたい。
うん。美味しいって食べてたよ。
でも、いつもの神大路ソルティドックをやったら、
飲み過ぎて酔っちゃって、今、ボクの部屋で寝ている」
「えっ⁈、どういうことですか?
まさか里中くんが、先輩の部屋にいるんですか?」
「うん。いるけど、酔っぱらって完全に寝ている」
「はぁぁぁ⁇先輩、初回デートで里中くんをお持ち帰りですか?
先輩って、そんな大胆キャラでしたっけか?
えーっと、まさか、やっちゃったとか?」
「やってないよ!部屋に誘ったんじゃなくて、
酔って電車に乗れなさそうだったから、
タクシーで連れ帰って泊めてあげただけだよ」
「失礼しました。一人で帰れないほど酔ったんですね。
そういえば、健二が、里中くんはビールを中ジョッキで
2杯しか飲まないとか言ってました。
もともと、お酒に強くないみたいですよ。
じゃあ、今はぐっすり眠っているんですか?
なるほどね。先輩、寝てる里中さんにキスとかしちゃダメですよ!」
「もう、キスはしてくれたから、そんなことしないよ」
「はぁぁぁ⁇キスしたんですか?里中くんと?マジですか⁈
初回のデートですよ?え~里中って、そういう奴だったんだ。
うわ~見損なったな。先輩、ちょっと、わけがわからないんで、
何があったか、ちゃんと話してください」
範子にはロシア料理店で裕人がズブロッカを飲み過ぎた辺りからの顛末を説明した。最初は混乱していた片山範子だったが、詳しい話を聞いて納得した様子だった。
「…で、里中くんが目を覚ましたら、どうするんですか?」
「目が覚めれば、お酒も抜けているだろうから、
朝御飯を食べて帰ってもらうよ。
昨日、ロシア料理店の女将がボルシチを分けてくれたし、
ピロシキもあるんだ」
「まあ、酔いさえ醒めれば、里中くんも馬鹿な真似をしないと思いますけど、
不安なら私、これから先輩のとこに行きましょうか?」
「それは大丈夫だよ。気を遣ってくれてありがとう。
あと、ノリ坊に別件の頼みがあるんだけど、
食文研の後輩たちに短大文科の麻木美緒って子を知らないか聞いてみて。
ほら、うちって教養課程が四年制も短大も一緒でしょう?
同じ授業を履修している子がいるかもしれないから。
え?誰か?あぁ、里中さんの彼女だよ。北海道旭川出身だって。
うん。聞き出した。え?どうするか?何もしないよ。本当だってば。
ただ里中さんの彼女って、どんな子なのか見たいだけ。
そう、麻木美緒。よろしくね」
範子も、前々から裕人の彼女について知りたがっていたが、彼が詳しい話をしないので、この件は依頼されてワクワクしていた。今回、名前がわかったので、後輩に伝えるのは勿論、自分自身でも動いてみるつもりだった。
「それと、岩倉智子の写真ってある?
…そうか。二年生で中退したから卒アルに載っていないのか。
例の僕っ娘の呪いの人だよね?フィリピン人ハーフの?
里中さんが酔ってボクにちょっと似ているって言ってたけど、本当?
へぇ、二重の目が大きくて鼻筋が通っているのは似てるんだ。
でも顔の輪郭や雰囲気が全然違うのか。なるほどね。
芸能人だと誰に似ているの?いないの?じゃあ、近い人は?
内田有紀に柴咲コウや相沢紗世の目元?
うわ、それ、結構、大人な美人だよね。確かにボクとは違うかな。
今日のメイクは、ひょっとして彼女を意識した?
やっぱりそうなんだ…今度、ちゃんと教えてよ。
まずはマスターして、もっと岩倉智子に近くなるよう改良するから」
範子はメイクを教えるのは全然、かまわないけれど、加奈の顔は遠藤久美子に似ているので、今日みたいに目鼻を似せるのは簡単だけど、顔全体の雰囲気が違うので、無理に寄せるのではなく、どことなく岩倉智子に似てて、しかも可愛い神大路加奈を押し出した方が効果的だと思うと説明した。
「あと、里中さんが岩倉智子のことを、今でも忘れられないって言ってた。
意外とロマンチストなんだなって。ノリ坊は、岩倉さんと話したことはあるの?」
「岩倉さんは隣のクラスで、体育の授業が一緒だったから話したことあります。
一年生の一学期は、誰とも話さなくて暗い感じだったけど、
二学期から人が変わったみたいに明るくなって、その頃、よく話しました。
里中くんと、ちゃんと付き合い始めたのが二学期の終わり近くだったかな?
あの二人は、学校に溢れていた『彼は運命の人~』とか言っといて、
簡単に三週間以内で別れる他のカップルとは、全然違ってて、
信頼し合っている大人カップルみたいでした。
二人で、ふざけたりもするんですけど、不可侵みたいなオーラが出てて、
周囲は見守るだけみたいな。里中くんが一年の三学期から、
アパートで一人暮らしを始めて、岩倉さんが毎日のように通っていたから、
そういう関係になっていたのもあるんでしょうけど。
やっかんでる女子もいたけど、彼氏がいない子は、みんな憧れてました。
だから、忘れらないって、すごくわかります」
結局、範子とは二時間近くも電話で話していた。加奈はボルシチの仕込みを思い出したので、「そろそろ」と電話を切った。
携帯電話とデジカメで自撮りをしてから化粧を落とし、急いでシャワーを浴びて部屋着に着替えると、冷蔵庫の冷凍室にしばらく放置されていたシチュー用の牛肉を取り出す。じっくり煮ている時間がないので、カットしたニンジンと一緒に圧力鍋に放り込んで加熱した。
ロシア料理店からもらったボルシチを大鍋に移し、そこに圧力加熱で軟らかくなった牛肉とニンジンを入れて弱火で煮込むと、やがて良い香りが部屋に充満し始める。焼きピロシキは食べる直前にオーブントースターで焼けばいいから、これで明日は、里中さんに美味しい朝食を御馳走できるなと御機嫌だった。
朝食の準備が終わったので、昨夜、片山範子が使った布団で寝ようとしたが、就寝中の裕人がいい具合にベッドの片側に寄っていたので、この際だから添い寝をすることにした。明日の朝、裕人が目を覚ましときに「酔った里中さんから『こっちで寝ろ』って言われた」とか言えば平気だろう。加奈は、こういうところに妙な悪知恵が働く。
「泊めてあげるんだから、このくらいの役得があってもいいよね」加奈は無雑作に放り出したような裕人の左腕を肩の位置まで持ち上げて腕枕してみた。「麻木美緒は恋人特権で腕枕とか、普通にやってもらってんだろうな」と思いながら、無防備な裕人の顔や頭を撫でたり、触ったりしていたら、楽しくなってきて眠れなくなった。
「やっぱり里中さん、いい顔だな。今、キスしても大丈夫かな?」
躊躇しながら、唇や頬、鼻を触っていたら、裕人が目を覚ました。
「あ、起こしちゃいました?ごめんなさい」
加奈は慌てて、裕人の顔を触っていた右手を引っ込めて、恥ずかしさを隠しながらベッド脇のサイドテーブルに置いてあったメガネに手を伸ばす。
ネオテニー(幼態成熟) 志麻寺みのら @shimaziminora
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