第十二話~悲劇の足音~
――ズボッ!
「もがっ!?」
「ハルマさんハルマさん! 起きてくださいほら早く!」
鼻に枝を突っ込まれては、流石のドラゴンも夢の中から引きずり降ろされる。痛みはないものの鼻腔に侵入した異物を排除しようとくしゃみが吹き出し、ついでに出た小ブレスが近くの木を黒炭にした。
「なぁにホワイト……って、まだ全然夜じゃん……」
「空! 空見てください、早く!」
ベシベシと鼻頭を張り手で突くホワイトを首を振って躱しながら、ハルマは洞穴から出ると、言われた通り空を見上げる。そして、
「――うわぁ……」
思わず感嘆の声が漏れる。いつも夜空に黄色く光る満月が、今宵は鮮やかな青色に染まっていた。煌々と青い光を放ちながら、その周囲からまるで花火のようにいくつもの流星が飛び出している。前世の世界では決して見ることのできない神秘的な怪奇現象に、ハルマは言葉もなくただ目を奪われていた。
「
――まぁ、料理と洗濯ぐらいしか使いませんけど。と、ホワイトはおどけながらも光の雨から目をそらさない。人間以上の聴覚を得たハルマも半分聞き流しながら、光の雨を食い入るように見つめていた。作り物ではない。画面越しの映像でもない。これぞ異世界! という現実を突きつけるかのような、暴力的な美しさを放つ自然現象に、ハルマはただ見入っていた。
音が聞こえてきそうなほどの勢いで飛び出す魔力の光たちは、やがてその勢いを急激に沈めていく。ものの十秒もしないうちに、空を覆い尽くすばかりの流星はすっかりなくなり、夜空はいつもの様子を取り戻していく。
しばらくその余韻に浸っていると、鈴を転がすような声が空気を揺らした。
「ハルマさん、ありがとうございます」
驚いて、ハルマは顔を向ける。絹のような白髪を風に揺らしながら、ホワイトははにかむような笑顔を浮かべていた。これまでの人生で罵られることは多くとも感謝されることは無いに等しかったハルマは思いっきり言葉に詰まってしまう。そんなハルマの心中を知ってか知らずか、ホワイトは顔をそらして再び静かになった夜空を見上げる。
「私の素性とか、なにも聞かずにおいてくれて……実は結構、感謝してるのですよ」
囁くように告げるホワイトの横顔は月明かりに照らされどこか儚げだった。突拍子もなく告げられた感謝の言葉。しかしその言葉に嘘偽りがないことは、彼女の声色と表情からわかる。
ホワイトと出会って十日。ハルマはホワイトが何故森の中で倒れていたのか、一体何者なのか――女神ということは全く信じていない――彼女に問い質すようなことはしなかった。
それは彼女に対して、自分から聞くほど興味がなかったというのが本音だった。加えてハルマにとってホワイトは自分の生活が、主に食の面で豊にしてくれる存在でしかなかった。おそらく、彼の中でまだこの世界はどこかゲームのような感覚があったのだろう。加えて、ドラゴンになって性欲と一緒にそういった人間に対する興味も薄まってしまったようだった。
だが、このときになってハルマは、ホワイトというエルフのことを知りたいと思い始めた。それは初めて優しくされた女子を好きになる感情に似ていた。恋愛感情とはまた違う。長らく忘れていた、名前のない感情が胸に渦巻き、ハルマは返す言葉が見つからずに無言でホワイトを見つめていた。
数瞬の沈黙の後、ホワイトは唐突に立ち上がるとハルマに向き直り、片手を胸元に当てると軽く反りかえる。
「ふっふーん。女神さまからの感謝なんて、そうそう受け取れるものではないのですよ? ありがたく頂戴して頭を垂れてください!」
「……はいはい」
いつもの調子のホワイトを、ハルマは苦笑しながら受け流した。
ドラゴンとエルフ。種族が違えど、今ここに共にすごし、笑い合っている。
もし前世で、ホワイトのような人間と出会えていたなら、自分は変わることが出来たのだろうか? ふと思い至ったそんな考えを、頭を振って脳内から消し去る。どうせ今考えたところで、意味のないことだった。
その後、ハルマは眠気が再発するまで洞穴の外の景色を眺めていた。満天の星空を泉が鏡のように映しだしている。見慣れたはずのその景色が、いつもよりも美しく見えた。
しかし、彼は思い知ることとなる。
どんな世界だって、美しいだけの世界など、あるはずがない。
そんなこと嫌というほど、わかっていたはずなのに――。
☆
「……?」
翌日、まだ日の高い午後の時間。相も変わらず惰眠をむさぼり続けるハルマだったが、ドラゴンになり敏感になった彼の聴覚と嗅覚が違和感を捉えて目を覚ました。
足音が四人分、こちらに向かってきている。中には金属がぶつかるような音もある。明らかに野生動物のそれではない。ドラゴンとしての本能が危険を知らせているように感じた。思わず体を起こすと、尾を枕にしていたホワイトの頭が地面に落ち、「ふぎゃっ!」と小さい悲鳴が鳴る。
「つ~……どぅしましたぁ、ハルマしゃん……」
「しーっ、ホワイト、静かに……ゆっくり、奥へと行こう……」
寝ぼけて呂律の回らないホワイトだったが、今まで聞いたことのない神妙な声音に一気に眠気が吹き飛ぶ。言う通りに奥へと行くと、ハルマも足音をたてないようにゆっくりと移動する。ドラゴンほどの聴力も嗅覚も持たないホワイトは何事かと不安な表情でハルマと外を交互に見ることしかできない。ハルマは耳を澄ませ、どんどんと足音が近づく音を聞きながら外をジッと睨みつける。洞穴という閉鎖空間が仇となり、外の広い空間から届く音の方向までは聞き分けられなかった。
やがて、足音がピタリとやみ、沈黙が流れる。数秒、数十秒経過しても何事も起こらない。……自分の勘違いだったのだろうか、すこしだけ警戒心が緩み、おそるおそる首だけ出して外の様子を眺めた、その時だった。
「――バーンデッドボム!」
突如、森の奥から巨大な火の玉がハルマ目がけて一直線に飛来してきたのだ。あまりに突然のことに動けないハルマの頭部を火球が丸のみにする。
「ハルマさんっ!?」
悲鳴を上げるホワイト。だが悲劇はそれだけにとどまらなかった。火球の外殻に亀裂が走り、凝縮されていた爆炎が一気に巻き散らされた。急激に広がる破壊の炎と衝撃は洞穴を埋め尽くし、壁が崩れ始める。ホワイトは自分の命を絶ちにくる光と熱の奔流に動くことすらままならず、一瞬で視界が真っ黒に染まった。
数分前まで平和で溢れていたその場所には、ただ悲劇的な破壊の跡だけが残った。
☆
「……けほっ、あれ。私、生きて……?」
せき込んだ衝撃で、ホワイトは目を覚ます。視界が澱んでいるのは周囲を舞う砂埃のせいだ。吸い込まないように口元を手で覆いながら呼吸しつつ、周囲を見回すと、自分の周りを巨大な岩石が囲っていた。運よく潰されない位置にいたのだろうか。一瞬そう思ったが、すぐにホワイトは意識を手放す前、一瞬目にしたものを思い出す。
爆炎に呑まれそうになる自分の前に開かれた巨大な翼。上から降り注ぐ岩の雨から自分を覆い隠してくれた巨大な影。
――ウォオオオオオオオオオオオオオッ!!
「……ハルマさん?」
爆撃のような咆哮が聞こえ、ホワイトは岩から身を乗り出す。金色の瞳に映ったのは、傷だらけで倒れる人間たちの中心で、天に吼えるハルマの姿。
「ドラゴン――」
少女の呟きは、竜の雄叫びに飲み込まれる。
居心地のいい洞穴も、澄んだ湖も、活力漲る木々も、透き通った空気も。
全てを奪われてた竜の、泣いているかのような咆哮が、どこまでも悲しく響き渡った。
竜になったニート 叶川史 @Kanaigawa
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