第十一話~記憶の欠片~
「いやいやいや、何言ってんの!? さっきドラゴンと双璧うんたらかんたら言ってたよね!?」
「そんなものなんの根拠もない迷信ですよ。ドラゴン先輩が熊公に負けるわけないじゃないですか!」
「そっちはなんか根拠あんの?」
「女神の勘です!」
つまり、根拠はなかった。ハルマは再度ずっこける。
「そんなの信用できるわけ――」
気の立った猛獣を目の前にし、悠長に会話するどころか目の前の猛獣から目を逸らすハルマ。その隙をオーガナイトベアが見逃すはずがなかった。その巨躯に似合わない俊敏な動きで瞬時にハルマとの距離を詰め、爪の先端を喉元目がけて突き出す。
人間でなくとも大抵の生物ならそれだけで首が文字通り飛んでいただろう。しかし相手はドラゴン。鋼の高度を持つ
これはいけるのでは? 開幕ノーダメージに体の底から勇気が湧いてくる。ハルマは気合をいれ、キッとオーガナイトベアを睨み、グッと拳を握る。そして、
「えへいっ」
ひょえんっというマヌケな音と共に拳が突きだされた……というより、押し出された。拳と同じ側の足が浮き上がり、首ごと頭は明後日の方に向き、なぜか反対側の腕も後ろに突き出されているという、現代アートみたいな恰好になるハルマ。ともすれば人間の拳よりも遅いその攻撃は、俊敏なオーガナイトベアにあたるはずもなく当然のように躱される。
「は?」
ホワイトの口から低い声が漏れる。それほどに、ハルマの行動は道化じみていた。しかし決してふざけているわけではない。前世でこそ不良に絡まれる経験の多かった彼だが、喧嘩の経験など一度たりともないのだ。ましてや相手は歴戦の魔獣。その反応速度と俊敏性は魚の比ではない。
幾度となく変な格好を晒すハルマに向かって、オーガナイトベアは容赦なく爪を突きたてる。首、腹、背中。しかしどれも金属音を立てるだけでハルマにダメージはない。ドラゴンの感度をもってしても捉えられない動きでヒット&アウェイを繰り返すオーガナイトベア。ハルマも気配を察知した瞬間から拳を繰り出すが、やはりそれはむなしく空を切るだけだった。
「こうなったら……!」
ハルマは腹の底に力を入れる。徒手空拳がダメならハルマの攻撃手段はもうブレスしかない。腹の底に力を入れて魔力を込める。高速で放たれるブレスなら、オーガナイトベアも避けるは困難なはずだ。
向かってくるオーガナイトベアに向き直り、ブレスを吐こうとして、
「ダメですよハルマさん!」
ホワイトの慌てた声に、口元まで出かかっていた光が霧散する。その空いた口目がけてオーガナイトベアが爪を振り下ろした。流石に鱗で守られていない口内は危険だと判断したハルマは、大きく首をのけ反らせてなんとか回避する。
後ずさりしつつ振り向くと、いつの間にかかなり距離をとっていたホワイトの姿が目に入る。結界と思しき薄透明の立方体の中から頬をぷくっと膨らませていた。
「ブレスなんて撃ったら、丸焦げになるか、最悪跡形も残りませんよ! そうなったらせっかく大きなお肉が食べられないじゃないですか!」
憤然とした様子で腰に手を当てるホワイト。ハルマはむしろブレスをぶちかますべき相手はこっちなのではないかどすら思った。熊肉のことしか頭にないホワイトに本日二度目のドン引きしてると、オーガナイトベアの猛撃がピタリと止んだ。
距離を取り、四足を地面につけ低く唸っている。突然の静けさに呆然とするハルマだが、次の瞬間大気がドクンと大きく脈動し、オーガナイトベアから不可視の力が噴き出した。
「な、なんだ今の……?」
「魔力です! オーガナイトベアはドラゴン同様、その身に魔力を宿してるんです!」
鬼気迫るホワイトの叫び声と同時に、それは起こった。オーガナイトベアはうずくまって体を丸めると、全身の体毛を逆立てさせる。魔力による効果か、複数の毛が融合し巨大な針が何本も生み出された。熊から一変し、まるで巨大なウニのような姿になったオーガナイトベア。その体を高速で回転させ、ハルマに襲い掛かる。
一瞬で目の前に迫られ躱す暇もないハルマは、それを体の正面から受け止めた。
耳をつんざくような音と共に、大量の火花が散った。
触れただけで生物を肉塊に変えてしまいそうなその攻撃を受けてなお、
ハルマは抱きしめるように両腕で剣山の球体と化したオーガナイトベアを掴み上げ、
「――ふんっ!」
思いっきり、上へとぶん投げた。空中ではどんなに素早い動きが出来ても、翼を持たない限りは自由に身動きが取れない。
そう、翼を持たない限りは――
「っ――!!」
オーガナイトベアの視界を影が覆う。既にハルマはさらに上空へと移動していた。そして、急直下。目にもとまらぬ速さで接近した瞬間に体を宙返りさせ、尻尾を剣山の球体の中心に叩き落とす。
最初の偶然の一撃とは違う。尾の筋力に重力と速度と遠心力を上乗せした一撃は、魔力で強化された鋼の体毛を砕き折り、オーガナイトベア本体の体にめり込む。次の瞬間には隕石が落ちたかのような地響きと共に、オーガナイトベアは地面に叩きつけられた。
濛々と上がる土煙を、ハルマの羽ばたきによって生まれた風が払いのける。抉れた地面の中心でオーガナイトベアが白目を剥き、力なく空いた口から舌を垂らして気絶していた。
「す、すごいですねハルマさん! あんな動きができるなんて!」
「う、うん……」
怪物同士の大立ち回りを目の当たりにしたホワイトは、着地するハルマへと目をキラキラさせながら駆け寄る。しかし興奮気味なホワイトとは対照的に、ハルマの返事は困惑の色を帯びていた。
ハルマの動きに一番驚いていたのは、他ならぬハルマ自信であった。オーガナイトベアの突進を正面から受けた一瞬、脳裏にある映像が浮かび上がったのだ。
燃え上がる大地の中、大きな翼を持った鳥のような魔獣と空中戦を繰り広げるドラゴンの自分。先の動きはその記憶の中でのものだった。もちろん前世で人間のハルマにそんな経験があるわけもない。
ハルマは呆然としたまま、赤い鱗に覆われた掌を見つめる。
前世で命を落とした彼は、次の瞬間目を開くとこの姿になっていた。
今まで深く考えたことがなかったが、なんとなく、ハルマは何もない空間からフッと突然この姿で現れたのだと思っていた。しかし、もしもこの世界にドラゴンとして転生したハルマが前世の記憶を思い出した時、ドラゴンとしての自分の記憶を忘れているのだとしたら……。
『……今更ですけど、ハルマさんっていままでどうやって生きてきたのですか……?』
ホワイトの言葉が脳裏をよぎり、そしてそれはハルマ自信の疑問になる。
一体自分は――このドラゴンはどういう生涯をおくってきたのだろうか……。
「さてと、それじゃあ起き上がらないうちに息の根止めちゃいますね!」
しかしそんなハルマの疑問を知る由もなく、相変わらず物騒なことを言うホワイト。そんな食い意地女神の様子に毒気を抜かれたように、ハルマの疑問は頭の片隅へと追いやられてしまった。
気絶して動かないオーガナイトベアにホワイトは躊躇なく近づき、手のひらを天に翳す。
「――シャイニングバスタード!」
陽気に発せられた声とは裏腹に、ホワイトの手のひらに浮かび上がった魔方陣から網膜を焼き尽くしそうなほどの光が発せられ、それはハルマの背丈を超えるほどの巨大な剣へと姿を変えた。あまりに巨大な上にデザインが禍々しく、見た目が美少女なホワイトがそれを持つさまは、彼女の内面を知らないものが見れば違和感しか感じなかっただろう。
因みにハルマは寧ろ似合っているとすら思っていた。
「とりあえず、今のままじゃ大きくて運びにくいんで、まずは小分けにしますね……!」
目を血走らせて鼻息荒くするその顔はとても人に見せられるものではなかった。ホワイトはオーガナイトベアの首を狙い、光の大剣を振り下ろそうとして、
「みぃー!」「みぃー!」「みぃー!」
鼓膜をくすぐるような声が響き、ホワイトの動きが止まる。それと同時に、茂みから小さな影が三つ飛び出した。
それは、落とし穴に落ちたのと同じ姿の小熊だった。泣いているような声を上げながら、気絶しているオーガナイトベアに駆け寄り体を摺り寄せている。ハルマは首を伸ばして、落とし穴を覗いてみる。そこでは相変わらず小熊が鳴き声を上げながらボロボロになった爪で壁を引っ掻いていた。
なんだかいたたまれなくなって、ハルマは目を逸らす。その視線の先でホワイトも流石に狼狽の表情を浮かべていた。
「あぅ……」
掲げた光の剣はゆらゆらと輪郭を崩しはじめ、やがて光の粒子となって霧散した。ホワイトは両腕を下げると、がっくりと肩を落とす。
そのことにハルマはホッと胸をなでおろすと、落とし穴の底にいる小熊を掴み上げ、オーガナイトベア――親の顔の近くに下ろしてやった。小熊は「みぃー」と鳴きながら親の頬を舐める。すると親は目を覚まし、小熊の頭に鋭い爪を持つ手を優しく乗せた。その表情は心なしか笑っているようにも見える。
ハルマとホワイトは、しばらくその様子を眺めていた。
☆
翌日。ハルマとホワイトは洞穴で、篠つく雨が降る外をボーっと見つめていた。
ぐぎゅるるるっ、とホワイトの腹の虫が小さく悲鳴を上げる。結局ハルマ達はオーガナイトベアを食料にすることはできなかった。それどころか罪悪感から怪我の手当てをし、取り貯めていたきのみを全て渡してしまったため、いま洞穴には食料は何もなかった。
「……ハルマさん……お腹空きました……」
「……こんな雨の中、外に出たくないよ」
「……ですよね~……」
無気力な声で会話を交わす。ただ途方にくれながらボーっと外を眺めていると、
「「あっ」」
二人の目の前を、蛙が一匹、ゲコッと鳴きながら立ち止まった。
「……蛙って、鶏肉みたいな味がするらしいよ」
「……女神が、蛙食べると思います?」
「いや知らないけど……」
ホワイトも流石に野生の蛙には食欲が湧かないようだった。
雨は翌日の朝まで続き、その日二人は初めて空腹の夜を過ごしたのだった。
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