足りなかったもの

「18番、橘星空さん。神戸FSC」


衣装の上からジャージを羽織った翔が、急いでリンクサイドに駆け寄る。


リンクにはスパンコールが散りばめられた衣装に身を包んだ橘星空。

リンクの中央で止まり、ポーズをとる。


静まり返った会場に音楽が流れる。曲は「ロミオとジュリエット」。


星空、ゆっくりと滑り出し、そのままスピードをぐんぐん上げていく。

その姿を見た翔は少し違和感を感じた。


(いつもと最初のジャンプの軌道が違う。それに、やけにスピードを出してる…)


星空、そのままスピードを落とさず、前向きに踏み切って跳び上がった。

翔、目を見開く。


(3A……⁉︎) ※3A=3回転半/トリプルアクセルのこと


星空、空中でピューっと音を立て、凄まじいスピードで回転。


着氷時、氷に身体を激しく打ち付け転倒する。

しかし、すぐに立ち上がり、再びスピードを上げていく。


(まさか……)


星空、再び前向きに踏み切って高く跳び上がった。


*ーー*ーー*ーー*ーー*ーー*ーー*ーー*


リンクに仰向けになって天井のライトを見つめる翔。

瑠璃がその隣にしゃがむ。


「覚えてるよ!あの時、確か翔ちゃんがノービス推薦者最上位の8位で、お兄ちゃんが12位だったんだよね!今思うとすごいよね。初出場の全日本ジュニアでトリプルアクセルに初挑戦しようと思うなんて。失敗しちゃったけど…」

※シニア→ジュニア→ノービスと主に年齢でカテゴリー分けされている。全日本ノービスで結果を残した選手は推薦で、特別に全日本ジュニアに出場することができる。


瑠璃、激しく転倒する星空の姿を思い出し、苦笑いをする。

翔も苦笑し頷く。


「ほんとな。でも……あの時の俺はアイツの挑戦を心の中で笑ってたんだ。失敗する確率の方が大きい技をなんであんな大舞台でやろうとするんだ、バカかってな。……でもアイツにとってはそれでよかったんだ。アイツは、あの時すでに……俺と同じ場所を見ていなかった」


*ーー*ーー*ーー*ーー*ーー*ーー*ーー*


全日本ジュニア試合終了後―


目標であった入賞を果たした翔は、賞状を受け取った後、更衣室に戻ろうとしていた。

前から、星空が俯きながら歩いてくる。


「よ!星空!」


翔の声を聞き、顔を上げる星空。


「あ、翔……」


星空、翔が手に持つ賞状をちらっと見る。


「入賞おめでとう」


照れ臭そうに笑う翔。

星空に元気がないことに気づき、励まそうと星空の肩をポンポンと叩く。

そして、わざとらしい元気な声を出す。


「お疲れ!でも、3Aやろうとした時はびっくりしたぜ」


星空、少し悔しそうに笑う。


「正直、失敗するだろうなとは思ってた」

「はぁ?失敗するってわかっててなんでやったんだよ。しかも2本も。全日本ノービスと同じ構成で上手くやれば入賞できたかもしんねぇのに」


「いづれは必ず必要になる技だから」

「そうだよ。いずれはな。でもノービスの俺らにはまだ必要じゃないだろ?」


星空、なにかを人に聞こえない声で呟き、拳をぎゅっと握りしめる。


「でも来年からはジュニアだ。そしてその先にシニア、そしてオリンピック」


真剣な顔で話す星空。

その雰囲気に耐えられなくなった翔はわざとらしく笑う。


「お前、またそんな先……」

「失敗するかもしれなくても、今は必要じゃなくても、やるんだ」


目の前の翔ではなくどこか1点を見つめる星空。


「……」

「挑まなきゃ…」


*ーー*ーー*ーー*ーー*ーー*ーー*ーー*


「…何も始まらない」

仰向けで天井を見つめながら呟く翔。

瑠璃、それを聞いて、目をぱちくりさせながら、翔を見つめる。


「挑まなきゃ何も始まらない…?何そのかっこいいセリフ。翔ちゃんらしくない」

「俺じゃなくて!アイツが言ってたんだよ」


翔、顔を真っ赤にして、瑠璃のほっぺたをつねる。


「いてて……お兄ちゃんが?……確かに言いそう……」


翔、瑠璃の頬から手を離し、再び仰向けになって、天井を見つめる。


ライトに照らされ、白く光っている天井に、光の輪っかがいくつも見える。

翔、天井に向かって白い息を吐く。


(なぁ、星空……。あの時、お前は……

一体どこを見ていたんだ……?)


白い息が白い光の中に消えていく。

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