第10話 さわらび
あの月夜の夜を境に、急に暖かくなった。
ブリジッドは、ついこのあいだまで住んでいた、あの女中部屋のある棟の裏まで行ってみた。
いま、ブリジッドは、母屋
あの次の日、ブリジッドは料理係の使用人に呼び出された。また怒られて帰って来るに違いないという歳上の女中たちのせせら笑いを背に母屋まで行ってみると、いきなり、きみは料理が得意だそうだから、料理を作ってみなさいと言われた。しかもその夕方にロンドンからいらっしゃるお客様に出すのだという。
あのいじわるメアリー!
さっそく、料理が得意と言ったのを告げ口したな!
思ってもしかたがないし、逃げるのもいやだ。だから、鴨を絞めてじゃがいもとほうれん草を洗うところからはじめて、夕方までにお客様に出す料理を仕上げた。
いや、きっとこうやって作った料理はどこかに捨てられ、お客様には別のちゃんとした料理係が作ったものが出され、ブリジッドは怒られてけなされて軽蔑されて女中部屋に追い返されるのだろうと思っていた。
そうしたら、お客様がたいそうお褒めで、あなたがいてくれたことを誇らしく思う、深く感謝するという旦那様からの言伝てをいただき、そのまま母屋の住み込み女中になった。
あのいじわるメアリー……。
ブリジッドは笑ってみる。
お嬢様がお食事にいらっしゃるときにはメアリーも妹のアンもついてくるので、この二人にはあのあと何度も会った。
たしかにあの妹のアンはおっとりしていてお上品で、どうしてあの勝ち気な魔法使いメアリーの妹がこんなに品がいいのかと思うくらいだった。
だから、ブリジッドは、「アン」という呼び名はこのアンに譲って、自分はブリジッドのままでいる。
ブリジッドは丘を登ってみた。
丘はまだ枯れ草に覆われている。しかし、その下には、短い青い草の芽が少しずつ伸び始めていた。
丘から女中部屋の建物を見下ろす。
いまのブリジッドではまだ言えない。まだ見習いだから。でも、そのうち、この女中部屋の待遇の改善についても申し上げてみよう。
たぶんあのいじわるメアリーも力を貸してくれるはずだ。
ふと、足もとで小さい芽が揺れているのに、ブリジッドは気づいた。
それは、ほかの草の芽と違うようだ。
そこにしゃがんで、見てみる。
それはぐるぐると輪を描いて巻いていた。その輪の縁にはぎざぎざの短い刃が出ている。
あっ、と思った。
メアリーが言っていた「さわらび」というのは、これなのか……。
背が薄ら寒くなるような感じが走ったのは、まだ風の冷たい季節、この丘に登ってうっすら汗をかいていたからか。
ブリジッドは丘から荘園を見渡してみた。
右手には果樹園と牧草地が広がり、正面にはお屋敷附きの芝生、その下には水車小屋、そして、女中部屋のある棟があり、お嬢様のお屋敷があり、母屋や別棟が並ぶ。
空は薄曇りで、日の光ははっきりとは地上に届いていなかった。
女神さまの力で、これを晴れさせてやろうか……?
自分がそんなことを考えたことにブリジッドは微笑した。
そして、調理人見習いの仕事に戻るために、象のようなかたちの丘を下りて行った。
さわらび 清瀬 六朗 @r_kiyose
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