第22話 21 日の当たる場所



 私は今、此処に居る。今思っても、脱出、あの時のドライブは最高だった。兄の運転する二輪の後部座席、私の人生の中で、これ以上のスリルは無かった。そして、兄の運転する車の助手席。真っ直ぐに伸びている道。魂の解放へ向かうように思えたあの道。自由がどれだけ素晴らしいものなのか。それは自由を奪われた者にしか分からない。


 検問もあったが無事にすり抜けた。たかが知的障害者の脱走だ。警察も忙しいらしい、規則だから検問をしました、という所だろうか。


 今も思い出すと笑いが込み上げてくる。あの時の脱出劇で、車中で兄が話してくれたこと。


 それは。ある夜に夢を見たらしいそれは、私が囚われの身になって、もうすぐ自殺をしてしまう夢だったそうだ。不思議と本当にそうなるような気がしたので、兄は実家に戻り、両親(両親と呼べるような存在であれば)に施設の場所を聞き出し、私を連れ去りにきたそうだ。そして、兄は不思議そうに言った。今もあの時の話をする時は、決まって不思議だったと言う。1匹の兎が広っぱから出てきて、兄の前まで来ると後ろ足で立ち両手を合わせて、早く助けに行って、と言ったそうだ。


「マジだぜ、兎が言葉を喋ったんだぜ」


この脱走劇の昔話の終わりは、いつも兄のこの言葉で締め括られる。


 今、私は昼休みで、工場から外へ出て、透き通るような青い空を見ている。兎のムー、あの鉄の門を潜った時に、私の最高の心の友人は門の中に入らずに、一直線に兄を探しにいってくれたんだと、誰がなんと言おうと私は信じている。お前は中年と呼ばれるような年齢になっても、いつまで馬鹿なことを言ってるのか、と笑う奴は笑わせておけばいい。兄なら分かってくれるだろうか? まだ話しちゃいない。兄の、喋る兎の話だけで充分じゃないか。


 そして、工場裏の芝生に座り思う。人は規則を含めて、何かに従わなければならないこともあるだろう。然し、あの時の経験が私に語りかける。最後に残されるのは生か死か、それだけしかない。そして最後の時と思えるような事態であっても、最後に残された決断、それだけは自分で選べる。生きるか死ぬか、と言うことだ。幸いなことに、いや、それ以上の言葉。奇跡。私は、大好きな兄と兎のムーのおかげで、生を選び今を生きている。


 今働いている工場にも規則はあるが、どれもこれも大したもんじゃない。火の用心とか、そう言う類だ。それよりも私は、心の自由は誰にも奪われずに、この大地の上で生きている。それだけで充分じゃないか。


 そろそろ工場へ戻ろう。兄が待っている。兎のムーは、何処へ行っちまったのか今は居ない。その代わりに、私の心の最高の友人は、私に喋る為の言葉を置いて行ってくれた。私は、ムーが居なくなってから、思った言葉を心にしまうのではなく、言葉として喋れるようになった。


 本当なんだ。嘘だと思うなら、近くに来た時は遊びに来てくれてもいい。


 それじゃ、昼休みが終わる前に工場へ戻る事にする。最後まで私の話を聞いてくれて感謝している。


 「ありがとう」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

悪魔の住む森 織風 羊 @orikaze

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ