姫はオナラをいたしません!(下)

 城を抜け出して森へとやってきた二人は、木漏れ日を浴びて歩きながら、木々の香りを胸一杯に吸い込む。

 久しぶりの外出はプリシアにとっても心地よいらしく、その顔には穏やかな笑みが浮かんでいる。


「あー、気持ちいいわ……」

「そうですね。たまには外出もいいでしょう?」

「うん。私も聖印がなければもっと外出するのだけど……」

 プリシアの表情が沈む。

 本来プリシアは遊びたい盛りの年頃であり、放屁が爆発しなければもっと外出したいと思うのは当然であろう。

 森の中にある湖畔の縁に腰掛け、プリシアは愚痴を零した。


「どうしてお尻なんかに聖印が浮き出たのかしら……。これじゃ女神の祝福なんかじゃなくて呪いよ……」

「そんな事を言ってはいけませんよ。聖印は代々授かってきたベリス王家の証ではありませんか」

「じゃあ、エレナはある日突然自分のオナラが爆発するようになったらどう思う?」

「それは……」

 それは当然『嫌だ』としか言いようがないのがエレナの本音である。外出どころかおちおち人前にも出られないし、影でクスクス笑われている事を想像してしまい、気分も落ち込むだろう。


「ほらね。私のこれからの人生お先真っ暗よ……。きっと結婚もできないし、一人寂しく孤独に死んでいくんだわ」

「そんな事おっしゃらないで下さいよ……。でも、確かにオナラが爆発するようになったのは悲劇ですが、聖印本来の力は扱えるんですよね?」

 問われたプリシアはエレナを見ると、スックと立ち上がる。すると、プリシアのスカートの尻部分が光を放ち始めた。

 プリシアは右手を尻に手を当て、何かを掴むような動作をし、それを前方に突き出す。すると掌から魔力の奔流が放たれ——


 ドッパァーン!!


 湖畔の水面に大きな水柱が上がった。


「す、凄いです姫様! 今のが聖印の魔法ですか!?」

「うん。でも、滑稽でしょう……?」

 プリシアの放った魔法の威力は凄かった。

 しかし、その動作はさながら品の無い男児がおふざけでやる、『握り放屁』に似ていた。


「やっぱり、聖印なんて授からなきゃ良かった……」

 エレナにはもう何も言えなかった。

 放屁をすれば爆発。

 魔法を使えば握り放屁。

 生涯を皆から注目され続ける王族に生まれて、このような恥ずかしい力を背負って生きてゆくのは悲劇だとしか言いようが無いだろう。


「エレナ、帰りましょう」

 寂しげな顔でそう言ったプリシアの声には、若干十三歳にて自らの人生における幸福を諦めた、重く冷たい響きが宿っていた。


 そして、二人が森を出ようとしていた時である。

 どこからか人の声が聞こえてきて、二人は草むらに身を隠した。


「手筈は整っているだろうな」

「あぁ、問題ありやせんぜ」

 エレナが声のする方を覗き見ると、そこにいたのは小汚い盗賊風の格好をした男と、エレナも面識があるベリス王国の大臣であった。不穏な空気を漂わせる二人の会話に耳をすませると、その内容は恐ろしいものであった。


 その内容とは、今日の夜中に大臣の手引きで盗賊団が城に侵入し、その混乱に乗じて大臣がベリス王を暗殺するというものだったのだ。


(大変! 早くこの事を誰かに報せないと!)

 エレナがプリシアを連れてその場を離れようとした時だ。


 ガッ


 エレナは何者かに後頭部を強く打たれ、気を失ったのであった。


 ☆


 エレナが目を覚ますと、そこは窓が無く薄暗い地下室のような場所であり、手足は壁から伸びた鎖に繋がれていた。

 そしてその隣には、同じように鎖に繋がれたプリシアが眠るように気を失っていた。


「姫様! 姫様!」

 エレナが声を掛けると、プリシアは目を覚ます。


「エレナ……ここは?」

「わかりません。しかしどうやら我々は大臣の仲間に囚われたようです……」

 そんな会話をしていると、盗賊の一味と思われる男が覗き窓から中を覗き込んできた。


「どうやらお目覚めのようだな」

「あなた、今すぐ鎖を解きなさい! 私はともかく、彼女が誰だかわかっているのですか!?」

「あぁ、わかっているとも。これからあの大臣に暗殺されるベリス王の娘だろう? 大臣は処分しておけと言っていたが、これだけの上物を殺しちまうなんて勿体ねぇ。てめぇらはどっかの金持ちに売り飛ばしてやるぜ、ヒヒヒ」

 男は下卑た笑みを浮かべると、どこかに去ってゆく。


「ちょっと! 待って! 待ちなさい!」

 エレナがいくら呼びかけても、男は戻って来なかった。エレナがプリシアを見ると、プリシアはただ俯き、絶望した表情を浮かべている。


「私はどこまでついていないの……。ただでさえ絶望的な運命を背負っているのに、お父様は暗殺されて、私は売り飛ばされてしまうだなんて……」

「姫様! ベリス王はまだ暗殺されたわけではありません! 恐らく国内で大臣達の企みを知っているのは我々だけ……。我々だけが国の危機を救えるのです!」

 エレナの言葉に、プリシアは首を横に振る。


「もういいのよエレナ……。もし大臣の企みを止められたとしても、私は皆に笑われながらコソコソ生きる事しかできないんだから……」

「だからなんだというのですか!!!!!」

 これまで聞いた事のないエレナの険しい一喝に、プリシアはハッと顔を上げる。


「私だって、本当は屁守女なんかになりたくなかった! いくら国家命令とはいえ、せっかく魔術学院を卒業したのに、何が悲しくて姫様のオナラを『自分のせいです』と言い張る仕事に就かねばならないのですか! でも、人生とはそういうものでしょう!? 就きたい仕事に就けない事もあるし、最愛の人と結ばれない事もある! 不死の病に侵される事もあれば、オナラが爆発するようになる事だってあるのです!」

「エレナ……」

「それでも明日を見据え、いずれ来るであろう幸福を求めて歩むのが人というものではありませんか!? それなのに……ベリス王国の姫君ともあろうものがいつまでいじけているのですか!? 今あなたがするべき事は、ウジウジいじける事ではないでしょう!?」

 エレナの叱責に、暗闇に堕ちていたプリシアの目に光が戻った。


「ようやく本音で話してくれたわね、エレナ……。わかったわ! 王国の危機を救いましょう!」

「その意気ですプリシア様!」

「でも、この状況じゃ、それこそ手も足も出ないわ……」

「いいえ、プリシア様。確かに手も足も出ない状況ではありますが、姫様には出せるものがあります」

 二人は顔を見合わせる。


 その数分後、尻に意識を集中したプリシアの渾身の放屁により、地下室に爆音が響き渡った。


 ☆


 魔法と聖印の力により見張りの盗賊達を一蹴した二人が外に出ると、自分達が閉じ込められていたのが王都の外れにある廃墟である事がわかった。

 そして辺りは既に暗くなっており、王城からは火の手が上がっていた。


「お父様……!!」

「プリシア様! 急ぎましょう!」

 エレナが王城へと向かって走り出そうとすると——


「エレナ! 掴まって!」

 エレナはプリシアに腕を掴まれる。そしてその体がフワリと宙に浮きあがった。

 見るとプリシアは、尻の聖印から魔力を放出して空を飛んでいたのだ。


「急ぎましょう!」

 そしてプリシアはエレナの腕を掴んだまま高速で空を飛び、王城へと向かう。


「プリシア様、凄いです……!!」

「……でも、滑稽でしょう?」

「確かに滑稽かもしれません。しかし、国を救うために聖印の力を振るうあなたは……まごう事なくベリス王国の王姫です!!」

 恥ずかしげに笑みを浮かべるプリシアの目には、もう自らの運命に対する悲しみや、聖印に対する恨みは浮かんではおらず、その目は国の危機に立ち向かう一国の王姫のものであった。


 二人が城の屋上に着地すると、盗賊達によって火を付けられた城内は混乱の坩堝の中にあった。

 エレナ達は凶刃を振るう盗賊達を退けながら、王の寝室へと辿り着く。そして扉を開くと、そこには腹を刺されて倒れているベリス王と、短剣を手にした大臣の姿があった。


「お父様!?」

「プリシア様!? 屁守女!? なぜ貴様等がここに!?」

 動揺する大臣に、エレナは魔力を込めた右手をかざす。すると、エレナの前に尻を光らせたプリシアが進み出た。


「エレナ、回復魔法は使えるわね? あなたはお父様を。大臣は私に任せて!」

「しかし、危険です!」

「大丈夫! 私を信じて!」

 プリシアが右手を尻に回すのと同時に、エレナはベリス王の元へと駆けた。

 大臣はベリス王にとどめを刺そうと短剣を振り翳すが、プリシアが魔法を放った事により、咄嗟に身を躱す。


 その隙にエレナはベリス王を抱き起こす。

 胸が上下している事から、まだ息はあるようだが、出血によりその顔面は青ざめており、目は閉じられたままだ。


「王様……お気を確かに!!」

 エレナが必死に回復魔法を掛ける中、プリシアと大臣は魔法による激しい応酬を行なっていいた。

 大臣は呪文を唱えて杖を振り、プリシアは尻に手を回して聖印の魔力を掴むと、前方へと放つ。

 互いの魔法を撃ち落としあう戦いの中、一手先んじたのはプリシアであった。


「はあっ!!」

 プリシアの右手から放たれた魔法が直撃した大臣は、その場から吹き飛ばされ、窓ガラスを砕いてバルコニーへと放り出される。


「おのれ小娘が……」

 口の端から血を流す大臣は懐から巻物を取り出し、それを開いて空中に放り投げる。すると空中には巨大な魔法陣が浮かび上がり、その中からは巨大な飛竜が姿を現した。


「飛竜よ! 我が命に従い、眼前の敵を焼き尽くせ!」

 飛竜の背中に飛び乗った大臣が命じると、飛竜は翼を広げ、大きく開かれた口内に灼熱の炎を点した。

 そんな中、プリシアは尻に右手を回すと、静かに目を閉じる。


「ベリス王家に伝わる聖印よ……。お願い!! どうか私に力を貸して!!」

 プリシアの祈りに応じるかのように、尻に印された聖印がより強く輝きを放つ。目が眩むほどの輝きに、エレナは目を細めた。


 そして飛竜の口から火炎を放たれると同時に、プリシアは右手を前方へと突き出し、握り込んだ力を解き放つ。


聖なる尻撃ホーリー・ヒップ・バーン!!」


 プリシアの放った輝く魔力の奔流は、迫り来る火炎を掻き消し、大臣と飛竜を飲み込む。そして光が消えた時、飛竜と大臣はそこに存在した痕跡すら残らず消滅していた。


 魔法を放ち終えたプリシアはまるで全ての力を出し切ったかのように、その場にペタンとへたり込む。

 その時、エレナの腕の中でベリス王がゆっくりと目を開けた。


「プリシア様! 王様が……王様が目を開けました!」

 エレナが声を掛けると、プリシアは振り返り、ニコリと笑ってVサインを見せた。


 そして司令塔を失った盗賊達は城の兵達に撃退され、散り散りになって逃げ去っていったのであった。


 ☆


 大臣によるベリス王暗殺未遂事件より一月が過ぎた。


「プリシア様、短い間でしたがお世話になりました」

 トランクに荷物を詰め込んだエレナは城門の前にて、見送りに来たプリシアに深く頭を下げる。


「何言ってるの。お世話になったのは私の方じゃない。今日までありがとう。エレナ」

 不思議な事に、あの一件からプリシアの放屁が爆発する事は無くなった。城勤の魔法研究者によると、プリシアの放屁による爆発は、プリシアの体内に魔力が充満する事によって起こっていたらしく、それが解消される事によって爆発が起こらなくなったらしい。

 そしてお役御免となったエレナは、元々就職する予定だった魔法研究所へと勤務する事となった。


「プリシア様、どうかお元気で」

「えぇ、エレナも元気でね。たまにはお城に遊びに来てちょうだい」

 プリシアの聖印は相変わらず尻に刻まれてはいるが、彼女がもうそれを嘆く事はない。プリシアはそれを前向きに受け入れて生きて行くと、自分に、そしてかけがえのない友に誓ったのだ。


「それでは」

 エレナは再度礼をすると、手を振るプリシアに背を向けようとした。すると——


「プリシア姉様!」

 城の方から、プリシアの妹であるアリシアがこちらに向かって走ってきていた。


「姉様聞いて! 私も聖印を授かったのよ!」

「まぁ、おめでとう! でも、まさかお尻にじゃないでしょうね……?」

「ううん、違うよ! 私の聖印はね……へっっっくしゅん!!」


 ズォォォォッ!!


 アリシアがくしゃみをした瞬間、謎の爆風が巻き起こり、プリシアとエレナはその場から吹き飛ばされたのであった。





 姫はオナラをいたしません!

 〜完〜

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