姫はオナラをいたしません!

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姫はオナラをいたしません!(上)


「いいお天気ねぇ、エレナ」

 白いドレスを身に纏った長い金髪の少女は、王城の庭園に設置されたテラスにて紅茶を飲みながら、傍に控えるエレナに声を掛けた。


「はい、姫様」

 エレナが返事を返したその金髪の少女は、エレナが五日ほど前から付き人として仕えているベリス王国の第一王女、プリシア・ベリスその人である。

 プリシアは今年十三歳になったばかりであり、見た目は一見どこにでもいる小柄で無邪気な少女のようであるが、その全身からは気品のあるオーラが溢れている。


「よければあなたもいかが? お紅茶」

「いえ……私は大丈夫です……」

「そんな事言わないで。さぁ、クッキーもあるわよ」

 プリシアがカップに紅茶を注ぎ始めたので、エレナは恐縮しながら席に着く。


「はい、どうぞ」

「あ、ありがとうございます」

 エレナはプリシアに差し出されたカップを手に取ると、ペコペコと頭を下げてから口に運んだ。


「ねぇ、エレナ。あなたちょっと固すぎない?」

「そう言われましても、私はこれまで王族の方と接した事なんてなかったものですから緊張してしまって……。申し訳ありません」

「あのねぇ、王族なんて言っても結局はただの人よ? それに、これからも一緒にいるんだから、もう少し砕けてくれないと私が気を遣っちゃうわよ」

「も、申し訳ありません! 姫様にお気を遣わせてしまい……」

「そうやってすぐ謝るのもダメ! もうちょっとフランクに話しなさい。それから、私の事は姫様じゃなくてプリシアって呼んで。これは王女命令よ!」

「わ、わかりました、プリシア様」

「そうそう、その調子」

 そう言ってプリシアはエレナの緊張を解くかのように、アハハと明るく笑った。


 その時である————


 ボバァン!!


 突如大きな破裂音が響き、プリシアが座っていた椅子が爆発した。

 椅子は粉々に砕け散り、爆発の衝撃でテーブルがひっくり返る。そして椅子に座っていたプリシアは一瞬だけ宙に浮き、石畳に尻餅をついた。


 姫様!!

 姫様大丈夫ですか!?


 遠巻きに二人の様子を見ていたメイド達がプリシアの無事を案じて駆け寄ってくる。

 唖然としていたエレナはハッとして立ち上がり、声高らかに言った。


「今の爆発は私の魔術によるものです!! お騒がせして申し訳ありません!!」と。


 メイド達は

「承知しております」

「承知しております」

 と繰り返しながら、プリシアを助け起こす。

 起き上がったプリシアの目には涙が浮かんでおり、ドレスのお尻の部分は真っ黒に焦げて穴が空いていた。


 一体何が起こったのか。

 それを説明するには、少しばかり時を遡らねばならない————


 ☆


「卒業証書授与。エレナ・アンダーソン。汝は本魔術学院にて、総合魔術基礎課程を優秀な成績で卒業した事をここに証する——」


 今年十八歳になるエレナ・アンダーソンが、ベリス王立魔術学院を卒業したのが七月の半ばの事。そして九月からの就職を控えて実家でゴロゴロしていたエレナに王城から呼び出しの手紙が届いたのが、八月の頭の事だった。


「あなたには来週からこの王城にて勤務して貰います」


 実家から馬車で丸一日かけて王城に出向いたエレナは応接室のような部屋に通され、王族従事長——つまりは王族のお世話をする人達の中で一番偉い人を名乗る、眼鏡をかけた性格のキツそうなおばさんにそんな事を言われた。


「えっと……どういう事でしょうか? 私は九月から王都の魔術研究所に就職が決まっているのですけど……」

「研究所の方にはこちらから断りの連絡をしておきました」

「えぇっ!? そんな勝手に……」

「これは国家命令です」


 国家命令とはこれまた大事である。

 しかし、魔術学院を卒業したてのペーペー魔術師であるエレナに『王城で勤務をしろ』とは、いったいどういう事なのだろうか。

 もしも王城内の魔術研究室に勤務できるのであれば万々歳ではあるが、そこは魔術研究のエリートしか在籍できないという事をエレナは知っている。王族の護衛や魔術指南という可能性も薄いだろう。であれば、いったいエレナは城でどのような仕事をしろと言われるのであろうか。


「そのー……具体的に私はお城で何をすればいいんですかね?」

 エレナが質問すると、従事長はメガネをくいっと上げ、声のトーンを一段落とした。


「エレナ・アンダーソン。あなたは『ヘモリメ』という役職をご存知ですか?」

「ヘモリメ……?」

「『へ』は放屁の『屁』、それに守る女と書いて『屁守女へもりめ』と読みます」


 エレナはそんな役職も言葉も聞いた事がなかった。


「それは何をする役職なんですか?」

「屁守女は高貴な位を持つ女性に付き従い、その方が人前で放屁をしてしまった時に『私がやりました』と身代わりになる役職の事です。即ち、放屁の恥から貴人を守る女性、よって屁守女というわけです」

「へー、そんな役職があるんですね。あ、今の『へー』はダジャレじゃないですよ。で、その屁守女がどうしたんですか?」

「あなたにはベリス王国の第一王女、プリシア・ベリス様の付き人兼屁守女として勤務してもらいます」

「……え?」


 エレナはしばらく開いた口が塞がらなかった。

 それが国家命令であるならば従わねばならないのが法ではあるが、だからといって疑問を抱いてはいけないという事はあるまい。


「あの、なぜ私が……? 姫様のお付きっていうのは、普通もうちょっと高貴な方がするものですよね?」

 そう、本来王族と関わる仕事というのは、そこそこ位があり、身分が保証されている者がなるものである。多少魔術の才覚があるだけで平民出のエレナに声が掛かる事などあり得ないのだ。


「あなたは、ベリス王家の血を引く者はある程度の年齢になると、身体のどこかに『聖印』が浮き出る事をご存知ですよね?」

「はい、もちろん。学校で習いましたし……。確か、ベリス王家は女神の祝福を受けた一族であり、代々祝福の証である、魔力を集める聖印が浮き出るんですよね」

 因みに現王であるゴリアス・ベリスはその右手に聖印を宿しており、その手をかざすだけで様々な魔法を扱う事ができるという事は、多くの国民が知っている事である。


「その通りです。そして、ゴリアス王の娘であるプリシア様も、つい先日十三歳の誕生日を迎えたおりに聖印を授かりました」

「それは……おめでとうございます」

「ただ……」

「ただ?」

「浮き出た場所が問題だったのです……」

 そう言われてはエレナも聞き返さぬわけにはいかない。


「どこに……浮き出たんですか?」

 従事長は僅かに躊躇う様子を見せて、更に一段声を落とす。


「……臀部です」

「……デンブ?」

「お尻の事です」

「あぁ、なるほど。で、それの何が問題なんですか?」

「いいですか? 聖印を授かった者は聖印のある場所に大気中から魔力を集め、放つ事ができるのです。つまり……」

「姫様の魔法はお尻から出る……と?」

 従事長はこっくりと頷く。


「それだけならばまだ良かったのですが、もう一つ大きな問題があるのです」

「……と、言いますと?」

「姫様が放屁をされる時に、臀部に浮き出た聖印の影響によって魔力が暴発してしまう事があるのです」

「えぇっ!?」

 従事長は「しっ!」と言うと、エレナの口を塞いだ。


「まぁ、出てしまうものは仕方ありません。ただそこで問題となってくるのが屁守女の存在です」

「はぁ……」

 エレナはようやく話が本題に入ったのを感じた。


「姫様の放屁は魔力による爆発を起こします。もし姫様が人前で放屁をしてしまった場合、ただの付き人が『私がやりました』と言っても誰も信じません」

「……でしょうね」

「なので我々は魔術師を屁守女とする事を考えました。姫様が放屁をしてしまった時に、屁守女である魔術師が『今のは自分の魔術です』と宣言するのです。そうすれば形だけでも姫様の体裁を保つ事ができます」

「いや、それはかなり無理があるのでは!? ていうか、仮にその案が通ったとして、なぜ私が任命されるのですか!?」

「いいですか? 今王国内に存在する魔術師資格を持つ者は、その殆どが医療や軍務や研究職などの国益に関わる仕事に就いています。そこで選ばれたのが、まだ職についていない、あなたを含む新米魔術師だったのです」

「じゃあ、なんでその中から私が……」

「今年王立魔術学院を卒業したのが三十二名、内女子が十一名。あとはほぼ運のようなものです」


 全くもって理不尽な話ではあるが、これがエレナがプリシアの付き人兼屁守女となった経緯である。


 ☆


 エレナがプリシアの屁守女となって二カ月が過ぎた。


 プリシアは聖印の影響による特異過ぎる体質のせいもあり、普段から飲食物等には気を遣い、人前で放屁をする事は滅多に無かった。しかし、放屁は例え聖人でも避ける事はできぬ生理現象である。驚いたり笑ったりした際につい出てしまう事があり、その度に爆発が起こり、その度にエレナは『今のは私の魔術です!』と声を張り上げるのであった。


 そんな日々が続くにつれて、エレナが付き人になったばかりの頃は天真爛漫で明朗快活だったプリシアの笑顔と言葉数は少なくなってゆき、やがてはすっかり自室に篭り切りになってしまった。

 思春期のプリシアにとって、自らの放屁が爆発するというのは心を病ませるのに十分過ぎる理由だったのである。


「プリシア様、今日は良い天気ですよ。たまにはお外に散歩に行かれませんか?」

「行かない……。日光に当たると体温が上がってオナラが出やすくなるって本に書いてあったわ……」

 ベッドに寝転がるプリシアは、寝返りをうってエレナからプイと顔を背ける。彼女が寝ているそのベッドも、この二カ月で三度も爆発によって破壊され、取り替えられていた。


「それは迷信だってお医者様も言っていたではないですか。ほら、王様が特注してくださった防魔布のワンピースもありますし、これなら放屁をされてもお尻が見えたりしませんよ」

「やだ、それ可愛くないもの……」

 確かに、壁に掛けられた防魔布のワンピースは、お洒落に無頓着なエレナから見ても地味な色合いで野暮ったいデザインである。それでもエレナはどうにかプリシアに元気を出して欲しいと思った。


「それでは、こっそりお城を抜け出して、裏手にある森に行きませんか?」

「森に?」

 森という単語に反応したプリシアは体を起こし、エレナの方を見る。

 エレナはかつて従事長に、プリシアは幼い頃は森で遊ぶのが好きで、よく一人で城を抜け出しては森に行き、従事長達を困らせていたと聞いた事があったのだ。そして森で転んでケガをしてからは、王様によって森に行く事を禁止されてしまったのだと。


「はい、森であれば人目はありませんし、放屁をされても恥ずかしくありませんよ」

「そうね、それなら……。でも、二人でうまく抜け出せるかしら?」

「お任せ下さい。これでも私は学院の寮から抜け出す名手だったんですよ」

 エレナはパチリとウインクをすると、透明化の魔法の呪文を唱え、杖を振った。

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