『赤いきつね』と『緑のたぬき』と銀河の帝王

一矢射的

日本では古くからそう呼ぶのです、A様



 それは肌寒い初冬のことでした。

 受験勉強が追い込みの時期にも関わらず、机へ向かう僕のエンピツときたら相変わらずナマケモノも同然で、スッカリ夜もふけてきたというのに時計の針ばかりがただコチコチと進んでいくばかりなのでした。

 家族も既に寝静まり、我が家で起きているのは僕ひとり。

 目に映る連立方程式にまったく興味が持てなくて、集中力の奴は僕よりも先に居眠りを決め込んでいる有様でした。


 これはダメだ。ちょっと休憩きゅうけいして夜食でもとろうかな?


 薄暗い自室の片隅にはお向かいの真美ねえからもらったダンボール箱がありました。

 中身は大量のカップ麺。なぜそんな物をくれるのかと言えば、姉ちゃんの勤め先が東洋水産という即席カップ麺で有名な食品メーカーだからなのです。


 姉ちゃんは予備校通いの浪人生こちらを心配してくれる親切な人なのに、僕ときたら「もう子どもじゃあるまいしカップ麺なんて安物もらっても嬉しくない」などとつまらぬ見栄を張ったせいで今は断絶喧嘩中。あれは違う、大学受験に失敗したことを知られて恥ずかしかっただけなんです。

 昔はよく彼女とあちこち遠出したものでした。

 デートの練習になるから、男らしく振舞うために場数を踏んでおけって。

 姉ちゃんが就職してからはすっかり疎遠そえんになって、今じゃこんな有様です。

 デートの本番も真美姉ちゃんと行きたかったのに。


 僕は溜息をついて、ダンボールから目を逸らしました。

 姉ちゃんはまだ起きているだろうか? 

 そう思って何気なく窓を開けたその時でした。

 いきなりそれが部屋に飛びこんできたのです。


 真っ白な気体が渦巻く円盤状えんばんじょうのなにか。

 それは秋の天気図で南の海から襲来する迷惑な奴にソックリでした。

 そう、初めは小さな台風が部屋に入ってきたのかと思ったのです。

 でもよく見れば雨雲の集まりなんかじゃなくて、室内を漂う「それ」は光り輝く粒子の集合体でした。目を凝らせば粒子には赤い奴や水色の奴、リングのついた奴も混じっており、渦を構成する粒のひとつひとつが お互いぶつからないように独自の軌道で周回しているのでした。


 僕は椅子に座ったまま、ぼう然とそれを見上げていました。渦の放つ光で暗い部屋がぼんやりと照らされる様は、まるでクリスマスのイルミネーションみたいでした。

 やがて光の渦はグルグル回りながらゆっくりと降下してきて僕の膝小僧にチョコンと乗ったではありませんか。



「それはね、君が住む銀河そのものなんだよ」



 不意に声がして僕が顔を上げると、自室のドアを塞いで誰かが立っていました。

 全身が黒ずくめの酷く不気味な男でした。

 トレンチコートに山高帽、それに顔ときたらラバーマスクでも被っているのか目も鼻も口もない「のっぺらぼう」なのです。


 僕の真っ青なツラを見ると、そいつは大袈裟おおげさな身振りを交えながら言いました。



「いや、違う強盗なんかじゃない。そう心配するな」

「じゃあ誰?」

「人は私をN氏と呼ぶね。ミスターエヌだ」

「ふざけているの?」

「君が抱いている銀河ほどにはふざけてはいないだろう? 偉大なる宇宙の帝王A様に仕える矮小わいしょうな存在だよ、私は。その銀河のミニチュアだって、A様のお力で作った君への贈り物なんだ」

「冗談なんでしょう?」

「違うって」



 N氏と名乗ったその男は、そこでせき払いをしてからこう続けました。



「君は辛い毎日に嫌気がさして『全部ぶっ壊したい』と願っただろう? その祈りに呼応して私はあらわれた」

「ええ?」

「遠慮はいらないよ。その銀河を壊せばいい。両手で握り潰すだけでいいんだ。そうすれば本物もすぐにそうなるから」

「なんて恐ろしいことを! それに人違いです。僕はそんなこと願っていません」

「おや、おかしいな? 今年は何年? 二〇二一年の日本、ふーむ」



 N氏は懐から黒い手帳をとりだしてペラペラとめくり始めました。

 そして、ぴしゃりと額を叩きながら肩をすくめてみせたのです。



「おお! なんてこった! 来る時代を間違えたよ。百年ほどズレてる。わざわざ銀河の果てからやって来たのに」

「えーっ!?」

「もう君でいいから、サッサとそれを壊してくれないかな?」

「誰がそんなことを! こんな物、持って帰って下さいよ」

「それがねぇ、気の毒だけどタダでは帰れないんだ」



 何でも利用者はN氏を呼び出した代償に、素晴らしい「みつぎ物」を出さなければいけないルールだというのです。



「す、素晴らしい?」

「難しく考えることはないよ。君たちの文化なんて、我々からすれば全てが珍しい玩具オモチャなんだから。前の人は自宅で焼いたクレープだった」

「そんなのでいいの?」

「要はA様の退屈をまぎらわせる物なら、何でもいいのさ。あの方が興味を失くしたら。私はあの方の関心をくために『この世の素晴らしさ』を一生懸命かき集めているんだよ。さぁ、素晴らしいと思う物を出したまえよ、君」

「そ、そんなこと急に言われても」



 僕はN氏を呼んでいないしみつぎ物なんて出す義理もないのですけれど。このまま会話を続けて、家族が目を覚ましたら大事です。

 N氏には一刻も早く帰ってもらうのが得策でした。

 僕は膝からミニチュア銀河をそっと除けると立ち上がりました。


 でも、素晴らしい物なんて僕の部屋にあるのでしょうか?

 受験に落ちたくらいで好きな人へ当たり散らす僕の部屋に。


 もし有るとしたら、それはきっと僕個人の所有物ではなく。こんな僕に気を使ってくれた真美姉の贈り物こそが『素晴らしい何か』なのではないかと。

 僕にはそう思えるのでした。決心すると僕はダンボールを開きました。



「はい、じゃあこれを差し上げます」

「うむ、何かねこれは?」

「カップ麺です、二個セットで。お湯を注ぐだけで簡単に出来上がって、しかも美味しいんですよ」

「ほう、これがそうか。話には聞いているよ。人類の偉大な発明の一つだとか」

「長期保管が簡単に出来て、被災地や、救助活動の現場なんかでも重宝されているそうです。いざという時に欠かせない必需品ひつじゅひんなんですって」



 真美姉ちゃんの受け売りですが、どうやら安価なカップ麺がN氏の興味をそれなりにきつけたようです。



「うむ、それではこれを頂いていくとしよう。お邪魔したね」

「まったくですよ」



 僕の悪態なんてどこ吹く風で、飄々ひょうひょうとN氏は窓枠を乗り越えて出ていきました。

 ここは二階なのですが、まったく気にかけていない様子でした。

 ミニチュア銀河も煙のように消え失せ、後は遠くの家で犬が吠えているばかり。恐々と窓から表をのぞいてもそこには見慣れた住宅街の夜景があるだけなのです。



「A様が興味を失くしたらこの世は滅びる? 冗談じゃないよ、まったく」



 そんな相手に渡す品が本当にカップ麵で良かったのでしょうか?

 僕は不安になりながらもブルルと身を震わせて窓を閉じるのでした。











 ここは銀河の最果て。

 暗黒惑星に降り立ったN氏がペコリと一礼すると、地平線まで真っ黒な大地に亀裂が走り、割れ目が開いて巨大な「ひとつ眼」が現れたのです。



「A様、今回のみつぎ物をお持ちしました」



 N氏が言うと巨大な瞳が彼を睨みつけ、尊大な声が辺りに響き渡りました。



「うむ、苦しゅうないぞ」

「地球の地元民に愛されているカップ麺です。商品名は『赤いきつねうどん』に『緑のたぬきそば』と言うそうですよ」

「おやおや、宇宙の帝王ともあろう者が安く見られたものだ」

「さっそく庶民の味を試してみますか?」

「フッ、その必要はない。食べずとも構成物質を知れば見当がつくわ。どれさっそくアナライズしてみようか」



 恐るべきA様。

 その眼力にかかればカップ麺の内容物なんぞ容易く見抜かれてしまうのでした。

 決して容器に書かれた原材料を盗み見たわけではないので誤解なきよう。


 カップ麺の左から右へと赤い光が走り、分析が完了したその時でした。

 不意にA様がスットンキョウな声を上げたではありませんか。


「むむ! おかしいぞ!」

「どうなさいました?」

「おかしいではないか。『赤いきつね』に『緑のたぬき』という割には、素材に狐と狸の肉が入っておらぬ」

「どうやらそのようで」

「ならば名前の由来は何だ? 鴨南蛮には鴨が、チャーシュー麵には焼豚が入っている。それが世の道理というものではないか。油揚げが狐で、天ぷらのかき揚げが狸とは? 化かされた気分だ」

「これは不思議ですね! 私は何も聞いていません」

「実に不可解だ。これは興味深いぞ。フハハ、これだから探求は止められん。よし! この謎が解けるまで地球を滅ぼすのは延期としよう」

「かしこまりました」



 N氏は胸をなでおろし、慇懃いんぎんに一礼するのでした。

 安価なカップ麺に秘められた謎と、伝統重んじる気持ちが地球を救ったのです。

 このミステリーは宇宙の帝王にも解けはしないでしょう。










 お湯を注いで五分待つだけ。たったそれだけで身も心も温まる。

 鰹節のダシが効いた汁を飲み、コシのきいた麺をすする。

 油揚げを噛みしめるとツユがあふれてひとときの口福こうふくがたまらない。


 僕は両手をあわせて「ごちそうさま」を済ませると、食休みがてら携帯を手に取りました。いつも遊んでいる無料ゲームアプリを起動しかけて、そこでふと指が止まりました。


 あれからN氏は音沙汰なし、きっとA様もカップ麺を気に入ってくれたに違いないのです。それも全ては真美姉ちゃんのおかげ。でもそんな事情を知っているのは地球上に僕ただ一人だけなのです。誰も、誰も彼女に感謝なんかしません。

 カップ麺なんか、有って当たり前だから。

 それなら、せめて僕だけは……感謝しないと。



『真美姉、この前はゴメンなさい。受験に落ちたのが恥ずかしくてイライラしていたんだ。もらったカップ麺を食べながら来年は頑張るよ』



 メッセージを送るとすぐに返信がきました。

 小さな感謝が未来を変える事だって時には起こり得るのです。

 どこにでもあるカップ麺が世界を救ったように。

 どこにでもある誠意が人生を救うことだって、きっと……。

 奇跡というのは案外あちこちで起きているのかもしれませんね。

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