権利放棄


 バイト帰り。暗がりにぼやける、見慣れた風景。何時もと変わらない町並みが、眼に映っては惰性的に通り過ぎる。

 昼間は、ひんやりとした空気の中にも、まだ陽の暖かさが混じるけれど、朝晩はかなり冷え込む。寒暖差が激しいからか、体調も崩しやすい。

 バイト先の年配の店長は、この時期と四月頃になると、

『若い頃は、もっと過ごし易くて気持ちが良かった。』『いつからか、春と秋が消えた。』

と、愚痴るように、たまに周囲に漏らす。そんなことを言われても、今の移り変わりを物心ついた頃から、当たり前に過ごしてきたサアヤには、今一つ、ピンとこない。

 時には、『自分達は、もっと素晴らしい時代を生きていた。』と、マウントされているように聞こえる話題もあり、あまり気分の良いものではなかった。


 一応、春と秋と言われる時期は、今でも毎年来ている。ただ、そこまで快適な空気に変わるという瞬間は、一体どんなのだろう、とは思っていた。

 花が好きなサアヤは、毎年、春になると桜が咲くのを楽しみにしている。湿度のある空気の中、傘を差しながら眺めているのがほとんどだが、しとしと、と雨雫に濡れた薄紅の花にある、どこか物悲しい佇まいや風情が、見ていると妙に落ち着くのだ。

 昔は、もっとぽかぽか暖かい気候の中、青空の下で陽気に花見をしたらしいが、果たして、今時のこの国に、そんな華やかで麗らかな光景がそぐうのだろうか…… 憂いのあるどこか厳かな風景が、今の桜の醍醐味だと思う。

 

 そこに、いつもとは違う光景…人影があった。暗闇に浮かぶ、白っぽい像。ストレートヘアの長い髪に、アイスグレーの瞳。顔付きは柔らかく中性的で、男か女か判らないが、目の奥が笑っていないのは分かった。本能的に異変を察知する。

「…………?!」

 咄嗟に、という時の事が、高速で脳裏を駆け巡り、さりげなく、バッグの中の小型高性能電子機器に触れ、手に取る。

 白銀髪を後ろに束ね、純白のタートルネックのカットソーに、白いスラックス姿。靄が晴れていくうちに、造形がはっきりしていき、肩幅や骨格で、男性だと判別出来た。

 しかし、どう見ても外国人か、アニメキャラか何かのコスプレーヤーにしか見えない。ハロウィンの季節は過ぎたばかりだ。

「な、何か用、ですか……?」

 必死に震える声を振り絞り、サアヤは問いかけた。無視して素通りしても良いのかもしれないが、変に怒らせて、逆上されることを恐れたのだ。

「怯えずとも、何も危害は加えない。安心しろ。」

「…………?」

「俺は、一言で言えば、お前達にとって、『あり得ない者』だ。」

 一部始終の彼女の言動を見て、こういう反応には慣れっこの元シロの青年は、淡々とした口調で答えた。こんな時、人間がどう答えるか、どう説明すればなるべく速やかに受け入れるかも、過去の経験から立証済みなのだ。


 一方、目の前の男の、柔らかな声色に反して、どこか妖しい人間味の無い話し方が、理屈ではなく本能的に、サアヤの危険信号を刺激していた。

「あり得ない……? まさか、魔法使いとか、天使、なんて言わないですよね……?」

 いつか何処かで観た、漫画や映画の登場人物が、次々と、彼女の脳裏に過っては浮かぶ。彼が実体化した者ではなく、最新式VRの試験映像か何かだと、信じたい思いに駆られた。

「意外に受容が早いな。どちらでもないが。まぁ、そんなところだ。」

「……信じられません。」

「信じなくて良い。今から話す事柄だけを、が来るまで、覚えていてもらえば良い。」

 明らかに不信感と防衛本能丸出しのサアヤに、元シロの青年は、気にする風でもなく淡々と続けた。

「俺は、お上……お前達が言う、『神様』の使いだ。」

「……神様って、いたんですね。いないと思ってました。」

「そうか。この国はそのような人間が、割と多いらしいな。一応、存在する。ただ、地上の世界には干渉しない。基本的に傍観するだけだ。」

「……やっぱり。」

 真剣に相手をしている訳ではないのだろうが、どこか冷めた口調で呟く少女のには、虚ろな陰りがあった。全て悟っているような、達観しているかのような、全てを諦めている色だ。

 初めて見るではなかった。今までに会った人間のうちの何人かは、彼女と同じをしていた。いつ自分が搾取されるのかを察している家畜のような……無抵抗な生き物特有の、哀しいだ。


「……本題に入る。単刀直入に言うが、今年中に、その神が、この地上に生きるに相応しい人間、動植物を選抜する。」

「その中に、お前が選ばれた。近いうち、家族や友人が急にいなくなる可能性があるが、決して後追いはするな。」

 突然現れた突拍子もない男の言葉に、至極驚愕したサアヤは瞳孔を見開き、さすがに絶句した。今まで信じてこなかった対象に、『選抜する』だの『選ばれた』なんて言われても、現実味が無さ過ぎる。しかも、自分の周りの人間が、急に消えるかもしれないなんて、受け入れ難いにも程があった。

 ショックと疑心暗鬼で錯乱する思考をなんとか鎮め、一番疑問に感じた事を、努めて抑えた声色で、サアヤは問いかけた。

「……なんで、私?」

「お前は、堅実で良識がある。動物とも馴染みがあり、所謂いわゆる優しさというものがあるからだ。」

『俺には、よく解らない感情だが。』と、心の中で付け加えた次の瞬間、彼女の言葉に耳を疑った。


「生き残らなくていいです。」


「何?」

「生き残りたくない、って言いました。楽に死ねるなら、消えても構わない。」

「何故だ? お前は選ばれたのだぞ。勿論、一人きりではない。他にも人間はいる。」

「……もう、人間でいるのは嫌なの。私の権利は、他の誰かに渡して下さい。」

 元シロの青年は唖然とした。欲の少なそうな娘ではあるが、何が何でも生きたい、という確固たる生存本能は、基本的に持っているのが人間というものではないのか。

「それは無理だ。規則に反する。」

「なら、花や植物に変えて下さい。それなら良いです。」

「死ぬまでの種族も変えられない。俺も消滅させられる。」

「何、それ…… 勝手に決めないで!!」

「何故、そこまで嫌がる? 万物の最高位のまま生きていられるのだぞ?」

 地球上で最も高い知能と力を併せ持つ生物である人間。何か特殊な状況にでもおかれない限り、他の生物に命を脅かされる事は無い。そんな恵まれた立場に生まれたにも拘らず、何故、ここまで頑なに拒むのか解らなかった。


「……心があるのが、苦しいから。」


「心?」

「空っぽだから、私。何がしたいのかもよくわからないし、何が楽しいのかも、わからない。なのに、色んな事への不快感や寂しさだけは強く感じる。」

「こんなに酷い世界なのに、皆、何でそんなに生きたいのかも解らない。なら、死にたくない人に権利をあげた方がいいでしょ?」

 サアヤの言葉が、元シロの何かに響いた。『空っぽ』という表現かは不明瞭だが、人間の感情というのは、自分にもよくわからないのは事実だ。

 しかし、彼女に少し同意したからとは言うものの、あっさり聞き入れる訳にはいかない。

「それに…… 人間がそんなに良いものだと思えないから。」

「事情は知らない。が、お前が生き残ってくれないと、俺が困る。酷いとがめを受ける。」

「そんなの知らない……」

 虚無感の漂う彼女の頭上には、選抜された証の白い羽根が、既に刺さっている。取り消すことは出来なくも無いが、お上の直属の部下の許可を得ないと出来ない。代わりに、もっと待遇の悪い業務をさせられ、供給されるパワーが減る(人間で言う減給)。

 もしかすると、自分はとんでもない間違いをやらかしたのか、と元シロの青年は焦り、内心、頭を抱えた。まさか、過去にも、『生還者』と選別されてから、そうとは知らずに自殺した人間はいたのだろうか。


 選抜期間終了以内に、老衰や病死、何かしらの不運に遭い、間接的な理由で命を落とす魂は、今回の選別候補者リストの一覧から除外されている為、間違いはない。

 だが、元々、近いうちに死ぬ予定の無い魂は、自殺する場合、ギリギリまで確定しない為、事後に、現場付近にいるクロの地獄逝きリストに、『緊急案件』として挙がるのだ。

 この娘もその類いだったのだろうか。それとも、自分がこの話をしたから、そんな願望が出たのか。だとすれば、とんでもない人選ミスをやらかしたことになる。


「……なら、猶予をくれ。」

「猶予?」

「選抜期間が終わるまで俺と過ごして、お前が人間として生き残っても良い、と思ったら選抜される。まだ嫌だと思ったら権利放棄、俺は諦めて、お上からの咎めを受ける。お互いのメリットを賭けた遊戯ゲームと思えば良い。」

「……圧倒的に、貴方に不利なゲームだと思いますけど。」

「このまま何もしないで、権利放棄されるよりは良い。」

「…………。」

 サアヤは俯いて黙り込んでしまった。

「私より、を生かしてよ……」

 悲壮感に満ちた声で、意味不明な謎めいた事を呟く彼女に、元シロの青年は、はぁ……と、あからさまに深いため息をついた。『これは、面倒なことになった。』と、心底うんざりした素振りで、恨めしげに漆黒の空を見上げた。

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モノクロの方舟 伏水瑚和 @coyori_F

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