モノクロの方舟

伏水瑚和

第一幕 地上総選抜遊戯

推して、推される者達


 ──創世記。人類の堕落に怒り、神は地上に大洪水を起こした。一縷の希望を託された、善良な一人の少年は、神の指示により箱形の大舟を造った。

 そして、自分と家族、雌雄一対全ての動物を引き連れて乗り込み、海へ放たれた。その為、人類と万物の生物は絶滅しなかったという。


 『旧約聖書 ノアの方舟』より




 西暦20XX年。某月。幾度も時が流れた現代。地震、洪水、干ばつ、噴火、竜巻、疫病。そして、あらゆる人災。何時の世も、世界は何かしら荒れ狂う。

 そんな地上を見下ろす天上界では、地上の死者の魂を天国と地獄に送る役目を担う、白と黒の死神業(通称シロ、クロ)を生業にする者達がいた。



「如何にもな善人や、無害そうなのを残したらいいのかよ?」

 お上の直属の部下から渡された、担当地域の人間の一覧リストを手に、黒い短髪、黒のタンクトップの大男が、不機嫌そうに呟く。

「…自分の安全が、少しでも脅かされたら、途端に保身に走って、平気で周り裏切ったり、無知故に無様な醜態晒すのもいる。」

「まあ、一皮剥いたら、人間も獣と変わらねぇからなぁ。命守る為なら何でもやる奴、山程見たわ。」

「…本性隠す為に、敢えて品行方正に振るまってるのもいる。厄介だ。」

 先程から、辛辣な台詞を連発している、白銀髪の青年は、元シロだ。長髪を後ろに纏めた優男という面構えの割に、ドライで合理的というべきか、所謂いわゆる優しさや慈しみ溢れるタイプではない。手段は選ばず、淡々とひたすら死者の魂を送る、というやり方で仕事をこなしてきた。

 そのせいか、『死人に対して冷た過ぎる。』『泣こうが喚こうが、問答無用であの世に連れて逝かれる。』という、召された魂からの苦情が跡を絶たない。故に、死神業界をクビになり、シロの配下(という名の奴隷)に転属されたのだった。



 地上の時代ときが、幾度も惰性的に廻っている間、明らかに自然的ではない、異常事態と見られる時期は、何度もあっただろう。

 数百年に一度、神(お上)の気まぐれで、シロとクロの配下、又は引退した者達に『推された』、其々それぞれ数十人の人間と、数十匹の動植物、昆虫などの生物だけが、今後も地上に生き残れるという、世界規模の総選抜大会が開催されていたのだ。

 人間に至っては、子供部門、成年部門、中年部門、老年部門に分かれる。これは、地上を傍観してきたお上による、地球の存続がかかった割には適当、尚且なおかつお気楽な丸投げスタンスの遊戯ゲームであった。



「はぁ? なら、どうやって判断すんだよ?全くお上も面倒な事するよなぁ。地上なんてほっときゃいいものを。大体、『推し』って何だあ?」

 初めての今回の仕事が、相当嫌になっている黒髪の男は、お上への不満が積もり積もっていて、吐き散らしている。

「深く考えずとも、試したらいい。」

「担当地域の人間、一人一人にかよ? しらみ潰しというやつじゃねぇか。面倒くせ。」

「お前は、まだいい。如何にも悪人って奴を、消去法で片っ端から選んで、クロに引き渡して地獄に送ればいいだけだろう。」

 始終、抑揚の無い口調で返しながら、リストからめぼしい人間を選び、淡々とチェックを入れる元シロの青年に、ヒートアップしていた元クロの男は、少々ヒヤリとし、思わず息を飲んだ。

「……お前、クロの方が向いてんじゃねぇか? 奴らなら、遠慮なく地獄に送れるだろ。」

「代わりに、血みどろの修羅場や腐り切った人間ばかりに出くわす毎日、なんて御免だ。それに……」

 ──元々は無害だった人間が、不幸に堕ちて自身を殺したり、重い罪を犯して地獄逝きになるケースもある。一番後味の悪い、面倒なパターンだ。


「まあ、シロが、如何いかにも包容力ある優しいタイプじゃないとご法度だなんて、お上もいつまでもステレオだわな。」

「……お前も、クロらしくないからな。冷酷無慈悲、どんな理由だろうと罪人に容赦無し、が固定イメージだろうに。」

「ぶはっ!! 容赦ねぇのはイケるけどよ。」

 黒髪のスポーツ刈り、大柄なゴツい体で豪快に笑う、この強面の男は、所謂人情派の熱血漢、おまけに短気なタチである。

 地獄行きの魂に対して、しょっちゅう啖呵切ったり喧嘩ふっかけたりで、トラブルが絶えないという理由で、クロをクビになり彼らの配下に回されたクチだった。だからと言って、シロの仕事をするには人相が悪く、天国行きの魂に怖がられるという欠点がある。


 半ば道楽の進行役という、それこそ罰ゲームのような仕事を回された、気の毒な悩める迷い子が、彼らのような者達なのだ。

 お上に仕え、基本的に睡眠は不要な性質というのを良い事に、昼夜問わず、あれこれ面倒な事を押し付けられるのを生業にする。

 力ある者に、理不尽に支配される層が存在するのは、どこの世界も同じなのだろうか……



 先程から、オセロのような風貌で並ぶ二人の男は、漆黒の夜空に溶け込むように、街が一望できる位の高さから地上を見下ろしている。

 この人ならず者達は、互いに正反対なタイプであるが、それぞれ天上界に対し、微妙な立ち位置にいるという共通点から、よくつるんでいた。

「はぁ…埒があかねぇな。また、会ったら愚痴らせてくれや。」

「ああ。」

 別れた二人は、選抜する目星を付けた人間の所に向かって飛び去った。




 現在、元シロの青年は、担当地域のリストの人間の一覧から、一人の女性を観察している最中だった。

 名は『サアヤ』。二十歳の成年少女だ。普段は、アルバイトを掛け持ちして働き、月に数回、保護猫シェルター施設のボランティアをしているようだった。

 目立った友人関係や恋人はいないようだが、勤勉で人当たりも良く、職場の人間からの信頼は高い。質素なアパートで、自炊や倹約しながらの一人暮らし。

 生活態度や交友関係を見るに、堅実で真面目、温厚。本性は確かではないが、典型的な優等生タイプの無害な人間だろう、と元シロは考えた。

 何しろ、自分の担当地域だけでも、百人単位の人間がリストに上がっている。時間は幾らあっても足りない。明らかに怪しいと見定めた人間になら、ちょっとした試しを入れるが、このタイプの人間なら、まず大丈夫だろう、と元シロの青年は考えた。


 片手を広げ、ふわっ……、と淡く揺れる、一つの純白の羽根を召還する。生き残りの証の羽根だ。勿論、人間の目には見えない。

 この羽根と、羽根が発する光の信号を頼りに、シロの死神は『推された魂』と判断し、逆に羽根の無い人間を、速やかに天国に送り出すのだ。

 仕事帰りなのであろう、暗がりの夜道を歩く彼女の背後まで舞い降り、彼女の背中に羽根を投げ射つ。

 ふわふわ、と揺らめきながら、虹色の光を放つそれは、パッと見は、とても美しい。『推した魂』だの、生き残りの『生還者の証』だのと、天上では称されているが、その過程は随分と呆気ないな、と元シロの青年の心に、ふと、空虚感が過った。


 過去の選抜で、一人の人間に特別な情を抱き、個人的な想いで羽根を投げた者がいたらしい。

 そのように私情を入れて選び、本来の資格が無いと見なされた場合、『推した』天上の者は、罰を受け消滅させられる。人間の方に至っては、当然、資格は剥奪され、本来の基準で生死を決定される。

 基準についても、色々と思うところはあるが、なにがなんでも生かしたいと願える熱のある感情とは、如何なるものなのだろう、と興味はあった。

 シロの仕事をしていた頃、度々、亡くなった魂に『あの人と離れたくない。』『あの子を助けてから逝きたい。』等と、懇願されることがあった。時には、その相手が地獄逝き確実の人間でも、その魂は必死に側にいたい、と泣きついてくる……


 考えても仕方ない。自分には理解できない無縁の感情だと、シロの青年は雑念を振り切るように少女を追い越し、彼女の行く先を遮るように待ち構えた。

 シロクロ其々の死神の配下には、天上の者にならではの翼が無い為、ぱっと見は普通の人間に見える。故に、いきなり話しかけて、神の選抜だの、お前は生き残りの人間だのなんて話したら、不審者扱いされるだろう。

 しかし、いざ時が来て、周りの人間が一気に消える中、自分が残る事に錯乱し、自殺でもされたら困るのだ。

 神の命の元に、わざわざ『推した』人間に自ら死なれて地獄逝きになるのは、元シロとして、更に大目玉を食らう。大昔の選抜で、友人や家族が消える事態に絶望し、選んだ人間が後追いするケースがあったので、念を入れなければならない。

 故に、選んだ人間に姿を見せて状況を話し、生き残りだから死なないように説明するという、仕上げの作業は必要だった。


 改めて、心底、面倒な仕事だと、元シロの青年は思った。大抵は、初めは怪しんでも、一部始終を説明した後に速やかに去れば、自分が生き残れるのなら良いかと、半信半疑でもとりあえず納得してくれる。

 自分達、天上の者が、シロクロ男女問わず、それなりに整った顔立ちなのは、こういう時の為だとは聞いていた。只でさえ、めちゃくちゃ不審がられるのに、せめて美しい外見でいなければ、即逃げられるか、地上の警察に通報されるのがオチだったのだ。

 更に、魂の案内人であるシロとクロには、其々に純白と漆黒の翼がある。彼らの配下になった当初は、格付けの象徴かと穿っていたが、今は納得していた。

 そんなものでもないと、亡くなった魂は、自分が死んだ事を受け入れられないのだと……


 寿命が無い代わり、何かやらかして消されない限り、一生、お上にこき使われる、自分達天上の者にとって、地上の生物、特に人間は、何故そこまで生に執着するのか疑問だった。

 悪魔や妖魔なら、人間に悪戯や誘惑を仕掛けておちょくる、という道楽もあるだろうが、自分達のような死神に携わる者には無縁な事……



 今日は、やけに念がざわめいて気が散るな、と思考を追い出し、とにかく仕事をこなそうと、元シロの青年は切り替えた。

 先程から待ち構えている、選別の羽根を射した女性にえるよう、白銀の長髪、純白のタートルネックとスラックスという衣装のまま、少しずつもやを晴らすように、姿を現した。

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