雪の日 ~赤いきつねと赤いたぬき~

埴輪

雪の日

 ──これだけの大雪は、何年振りだろうか。いや、何十年? もちろん、積もることは度々たびたびあったが、ここまでの大雪は、僕がこのアパートで暮らし始めてから、初めてのことだった。


 公共の交通機関はことごとく麻痺。ニュースでは不要不急の外出を控えるようにと繰り返し伝えていたが、この大雪で外出しろという方が土台どだい、無理な話だった。


 ワンルームの我が家。エアコンはごうごうと温風を吐き出しているものの、外の冷え込みに押し負けている感は否めない。まぁ、いつも通りと言えばそうなのだが、今日ばかりはもう少し、どうにか頑張って欲しかった。……初めて使ったよ、パワフル機能。


「寒いな」


 パワフルに頑張っているエアコンに対し、配慮に欠けた言葉を口にしたのは、空子くうこだった。空子は僕の友達というか、バイト仲間というか、一応、彼女というか……まぁ、そんな間柄の女の子である。出会ったのは高校だが、接点らしい接点もなく、その後、僕が大学へ行ったものの中退し──そもそも、消去法で決めた進路だった──、なれば学費ぐらいは親に返さねばなるまいと、ただ、大学中退ではそう雇ってくれる会社もなく、コンビニのバイトに落ち着いたところ、かつての同級生が先輩で……とまぁ、そこから色々あって、現在に至る。


 本当は、鉄板焼きを食べに行く予定だった。僕のアパートの近くに、こっそりと、でも長年営まれている、隠れた名店があるのだ。だが、この大雪である。空子の実家と、僕が一人暮らししているアパートは、徒歩で三十分は離れていて──勤め先のコンビニはその中間にある。近所のコンビニは、客として利用したかったのだ──、当然、中止だろうと思っていたのだが、空子はやってきたのだ。徒歩で。この雪の中。


 現地集合だったので、空子は鉄板焼き屋に向かったのだが、当然のように臨時休業。だから、空子は僕のアパートへ避難……いや、しにきたのだ。なぜこなかったのだ、と。


 困ったのは僕だ。事態が事態だったので──空子は目に見えて冷え切っていた──、四の五の言わず家に上げたが、こちとら、男の一人暮らしである。どこもかしも、掃除が行き届いてるはずもなく、もちろん、事前にそうと分かっていたら掃除ぐらいはしたが、何を言っても後の祭り。僕が出来るのは、空子がユニットバスを独占している間に、せめてもと、部屋の片付けをすることぐらいだった。


 女の子のお風呂とは、こんなにも時間がかかるものなのか……と思っていたら、どうやら、徹底的に掃除をしてくれていたようである。我が家にも、洗剤や掃除用具ぐらいある。ただ、余り活用されていないだけなのだ。そして、さらなる懸念事項だったタオル、下着、衣服などについては、空子が持参したボストンバッグに詰め込まれていたので、事なきを得た。


 そんな空子は今、ベッドの上で毛布にくるまっている。その毛布は、空子持参の消臭スプレーをこれでもかと噴霧された後、ドライヤーで乾かされた僕の毛布だ。それでもなお、「寒いな」と繰り返す空子に、僕は心からの疑問をぶつけてみることにした。


「どうしてきたんだ?」


 無事だったから良かったものの、この大雪じゃ、何が起こるか分かったものではない。


「約束したからに決まっているだろう?」

「それにしたって──」

「それなら、さっさと中止の連絡をくれればよかったんだ」


 僕はぐうの音も出なかった。ただ、鉄板焼き屋に行くことを決めたのは空子だ。そう、いつだって、予定を決めるのは空子なのである。なら、中止の決定を下すのも、空子の役目ではないだろうか……いや、それは単なる言い訳に過ぎないと、僕は頭を下げた。


「ごめん」


 空子の身を案じるなら、僕が率先して中止を提案するべきだった。でも、そうはしたくない理由があった。鉄板焼きが食べたかった……もちろん、それもある。だけど、それ以上に、会いたかったのだ。空子に。シフトの再編成のせいで、すれ違いが増えてしまったから。


 ──ぐう。僕のお腹が鳴った。冷蔵庫を開けても、何も入っていない。そもそも、自炊なんてろくにしないから、あっても飲み物ぐらいしか冷やしていないのだ。仕方がないと、僕は出掛ける準備をする。この大雪に、二人揃って休みという奇蹟を思えば、閑古鳥かんこどりが鳴いているであろう、近所のコンビニの売り上げに貢献でもしなければ、罰が当たりそうだし。


「どこへ行く?」

「腹減ってるだろ? 何もないから、コンビニで何か買ってくるよ」

「あるぞ」

「どこに? あ、もしかして、備えあれば──」


 空子は首を振ったが、「いや、そうなるのかな」と、小首を傾げる。


「とにかく、押し入れを開けてみろ」

「押し入れなんて、夏服ぐらいしか──」

「いいから」


 僕は半信半疑で、押し入れを開け……あった。カップうどんと、カップそばが。


「なんでこんなところに……」

「備えあれば憂いなしだ。もっとも、備えたのは君だけど」

「僕?」

「……まぁ、あれじゃ覚えてないか。私がここに来たことも」

「え、初めてだろ?」


 空子が首を横に振るので、僕は記憶をさらってみる。このアパートに住み始めたのは、僕が大学を中退してからだ。実家に戻るのは気まずかったし、何より、これから社会人になるのだからと、地元かつ、安さにこだわって見つけたのがこの築〇十年のアパートである。それがかれこれ二年前で、空子とこういう感じになたのが一年前だから──


「正月」


 空子の一言に、僕はぽんと手を叩いた。そうか、あの日の僕は──


「店長にしこたま飲まされてただろう? ふらふらしてたから、君を送り届けるようにと店長から言われたんだよ。帰巣本能というのか、家には辿り着いたけど、私の助けがなかったら、君、扉の鍵を開けることはできなかったと思うし、玄関で寝ることになっていたぞ?」

「うわ……全く覚えてない。ごめん」

「いいさ。一応、彼女だからな」

「……で、何で押し入れにうどんとそばが?」

「それを近所のコンビニで買ったのは君だし、押し入れにしまったのも君だ。いつかのためとか、何かそんなことを呟いていたような気もするが」

「いつかって、今?」

「さあ? 君は存外、預言者だったのかもしれないな」


 そんな馬鹿な……でも、今の状況を思えば、過去の自分に感謝せざるを得ない。早速、電気ケトルを持ち出したが、容量の関係で、二人分のお湯を一気に沸かすことはできなかった。


「どっちがいい?」と、僕。

「うどん」と、空子。


 沸いたお湯を、まずはうどんのカップに注ぐ。レディファーストというのもあるが、うどんは5分、そばは3分と、出来上がるまでの時間差を考慮した結果だ。我が家の電気ケトルをもってすれば、2分で湯を沸かすことぐらい、造作ぞうさも無いことである。


 再び湯が沸き、次はそばに……と向かったところで、空子が僕を呼び止めた。


「私がやろう」

「いや、そんな──」

「いいから」


 空子は強引に電気ケトルを奪い取り、そばのカップにお湯を注いだ。


 ──3分後。僕はカップそばの蓋を取り去った。


「……あれ?」

「いただきます」


 はっとして目を向けると、空子が取り上げた割り箸には、天ぷらが挟まっていた。


「ああ! 僕の天ぷら!」

「君にはこれをやろう。等価交換だ」


 そう言って空子が差し出したのは、スープの袋についている七味だった。これが等価……僕は「ありがとう……」と袋を受け取り、自分の分と合わせて、二袋分の七味が入ったそばを乱暴に掻き混ぜると、割り箸で持ち上げ、一気にすすりあげる。……うん、うまい。


「約束を守った甲斐があったな」


 空子がぽつりと漏らす。その一言で、僕も報われたような気がした。だから、僕がつい軽口を叩いてしまっても、不可抗力という奴だろう。


「本当に? この大雪をものともしないほど、鉄板焼きが食べたかったんじゃないの?」

「違う。君に会いたかったんだ」


 空子の手が止まり、割り箸の先からお揚げが滑り落ちる。ややあって、空子はカップを両手で持ち上げ、スープを飲んだ。真っ赤な顔。赤いきつね。僕はきっと、赤いたぬきだろう。


 ……ああ、暑い、暑い。本当、芯まで温まるなぁ。身も、心も、ぽっかぽかだ。

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