忌み地


「じゃー今度は私ね。ライトちょうだい」


 話が終わり、茶髪の少年が口を閉じるのが早いか遅いか。

 余韻に浸る暇も与えられず、橘が弾むような声で自らの番を主張する。

 言われるがままにライトを差し出した右隣りの少年も、明かりが遠退きはっきりとは見えなくなったが、怪訝な表情を浮かべているように見えた。

 遠くで鳴いているのか、蝉の小さな声。

 雨が降るのか、どことなく濡れた木の香り。


「おい。後日談とかなくていいのかよ」


「うん。そろそろ先生来ちゃうだろうし。それにこの話は絶対に――に聞いてもらいたいから、悪いけど切っちゃうね。んま、平然と登校再開はどうかと思ったけど」


 それは私も思ったことだ。

 だが、人の想像の範囲外の状況下に置かれた際、どれだけの人が正気でいられるものだろうか。

 どれだけの人が正確に事態を把握し、対応出来るだろうか。

 私は難しい、としか言えない。

 考える猶予が与えられているのなら、徐々に打開も可能だろう。

 だがすでに手遅れ寸前だったのなら、私も含めて多くの人が不測の命ずるままにその渦へと引き摺り込まれてしまうだろう。

 そしてそれを終えて目立った外傷がなければ、夢だと、想定外との遭遇によって見た刹那の幻だと、己を無理やりに納得させようとするのだろう。


 この先の私も。


「聞いてもらいたい話?」


「そう。すごい大切な話だから、ちゃんと聞いてね」


 私の問いによって幕が開く。

 いや、すでに舞台は開いていて、語り部が話し始めたというのが正解か。

 見回した橘と私を除いた四人分の黒い輪郭は、みな橘へとわずかに傾いていた。


「それは、昔。この学校が建てられるより前の話。知っているかもしれないけど、この辺りは合戦が多かったんだって」


 合戦という言葉で、刀や槍を持った鎧武者達の姿が脳裏に浮かぶ。

 今では関ヶ原などの有名どころしか覚えていないが、授業でその辺りの歴史を学んだ際に、この学校や私の家が建っている地域にある古戦場が多く感じた覚えがある。

 だからどうと言うことはなく、記憶の片隅に追いやられていたのだが。


「平らに見えるけど、この辺りって意外と上がり下がりがあるから、馬を走らせるのも、大変なんだって。地元の農民達はお金になるものを根刮ぎ剥ぎ取るけど、その後の死体を集めないこともあったから。だから、ちゃんと埋葬されてない人の死体が普通に転がってた。蝉の死体よりも多いって書かれていたこともあったみたい」


 私の家から学校に向かって、かなり緩やかな上り坂になっている。

 理由はおそらく学校側に見える山だ。進学したての頃は登校の度に膝がじんと痛くなった。

 その坂が馬が走りにくい理由なのだろうか。

 騎馬隊が動きにくい平野。さぞかし弓兵が活躍したことだろう。

 十分に離れればいいとは言え、刀や槍とは射程が違う。

 負傷して下がるのも容易ではないはずだ。


「剥ぎ取られて丸裸にされたまま野晒し。腐敗は進む。ウジが湧き、カラスに啄まれる。それでもむくろは放置され、成仏出来なかった怨念もそこに残る。当時でも幽霊騒ぎが絶えなかった」


 当時でも・・……?

 気がつけば蝉の声は聞こえなくなっていた。

 だがそれよりも、先程の言葉が歯に挟まった野菜の繊維のように気になる。


「行き場を失った怨霊達はより留まりやすい場所に集まった。その場所がここ。この学校がある土地」


 おかしい。

 忌み地であるのなら、その周囲には神社や寺が。

 そして慰霊碑などがあって然るべきなのではないだろうか。

 社の一つくらいあるべきなのではないだろうか。

 それなのに、私はこの辺りで一度もそう言ったものを見ていない。

 その理由がこの話の先にあるのだろうか。


「溜まった怨念が渦を巻き、それに引き寄せられるように周辺地域にも不可思議な出来事が起こるようになった。人魂騒動、集団変死、餓者髑髏がしゃどくろ。日毎に騒動が大きくなっていく。和泉いずみの坊様も手が足らず困り果てた」


 腹の底で汚泥のようにずしりと重い。


「彼女は忘れられることを恐れている」


 突然、話が飛んだような感覚。

 するりと耳に入った冷ややかな声。

 今まではこの土地の話だった。

 それなのに彼女? お坊さんが女性だったのか?


「声を忘れ、顔を忘れ、形を忘れ、心を忘れ、人でなくなることを恐れている」


 なんだ。やはりおかしい。

 橘が話しているはずなのに、橘でない気がする。

 別のなにかが橘の顔でしゃべっているように見えてしまいそうだ。

 私の目の前で話し続けている橘の顔をした存在は、なんだ?


「だから真似た。慎重に紡ぐその声を。楽しげに向かうその顔を。夕闇を歩むその形を。恐怖し震わせたその心を」


 怖い話をすると寄ってくると言うが本当だったのかもしれない。

 ましてや忌み地の学校だ。怪談をするのは迂闊にも程があると言うものだろう。

 今の様子からして、おそらく橘は何者かに憑りつかれている。

 すぐにお祓いを受けさせなければ。

 だが、近くに祓える所があるように思えない。

 今は清めの塩のような気休めでも欲しい。


「話の途中すまない。橘の様子がおかしい。清めの塩かなにかを持っていないか」


「彼女に真似されていても害はないの。彼女を私達が覚えていて、真似されていることに意味があるらしいから。ただすこし気が散ることが増えるだけ、かな。見えるようになるものも、直視さえしなかったら大丈夫」


 私は周囲に視線を巡らせたが、誰も私へと顔を向けずに橘の話を聞き入っていた。

 長時間黙っていたからなのか声が掠れてしまったのだろうか。


「すまない。清めの塩かなにか」


「合いの手はやめてくれないか」


 ……耳元で聞こえた声。

 今のは、いや今だけじゃない。

 橘に違和感を覚えたあの口調は――


 乱雑に開けられた扉が悲鳴を上げた。

 ぬっと教室を覗き込む鬼の形相。

 霊的な恐怖が行方不明になった瞬間だった。


「時間だ。早く帰れ」


 カズ先が眉間に皺を深々と寄せて、言葉を発した。

 橘が鬼へと振り返り、臆することなく口を開く。


「えー。五人目だけど、もうすこしはダメ?」


 目を合わせるのすら憚られる男によく言えたものだ。


「駄目だ。業者と交代だからな。見つかっても庇えん。今年は黒猫入れて六人だろ。ほれ、早く帰れ」


「しゃーない。じゃあみんな、今日は集まってくれてありがとー。もうお開きにして帰るけど、暗いから忘れ物とか気をつけてー」


 橘が立ち上がり、足元を照らす。

 それを皮切りに続々と立ち上がり、忘れ物の有無を確認し、カズ先に校門まで先導され、帰路に就いた。

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