嘘と秘密

花咲き荘

嘘と秘密



 昼休み。まばらに開いた席。お弁当の匂いと人の声が混じり合って、教室は混沌としていた。


――真っ黒で綺麗な髪。チラッと見える白い首筋。そして、楽しそうに笑う顔……。


 そんな彼女を自然と目で追っていた。


「――でさ、佳樹よしきはどう思う?」

「へ?」


 突然話を振られて、変な声が出てしまった。


朝倉あさくら、ちゃんと聞いてあげなよ。三谷みたにが泣くぞ?」

「は!? 泣かねぇし!」


 三つの机を引っ付けて、俺たちは弁当を食べていた。バスケ部ですらっと背の高い白沼圭吾しらぬまけいごとサッカー馬鹿の三谷雄二みたにゆうじ。俺たちは1年生の頃からこうして一緒に昼休みを過ごしていた。


「はぁ、俺らもう3年じゃんか。もうあんまり時間もないわけさ」


 三谷は仕切り直すようにそんな事を語りだす。確かに、俺たちは3年になってそろそろ一か月が経とうとしている。少しずつ受験モードに切り替わっていき、夏ごろには恋愛なんてしている場合ではないだろう。


「まぁな」


 俺は適当に相槌を打つ。別にこういう話が嫌いというわけでは無いのだが、どうしてもこんな感じの返答になってしまう。


「――で、そろそろ告白しようかなって話」

「あー、そうなんだ……」


 三谷の思わぬ宣言に、俺は言葉を濁してしまう。あのサッカー馬鹿が告白など言い出すなんて予想だにしていなかったし、それに……。


「で、佳樹はどう思う?」


 三谷は縋るような視線を送ってくる。俺は、三谷の顔を見て、何も言えなくなる。


「まぁ、良いんじゃないか?……三谷、いい奴だし」


 俺は笑顔を作って彼の決意を後押ししてやる。三谷は「本当か?」と嬉しそうな顔を見せる。こいつは本当に素直で、表裏がない人間だ。だから、俺はこいつが好きだ。そして、自分が嫌いになる。


「朝倉は好きな人いないの?」

「あ、それは俺も思ってた。顔も良いし、モテるだろ?」


 静かに弁当を攻略していた白沼から唐突に質問が飛んでくる。そして、三谷もそれに便乗した。


「俺は……」


 頭の中に1人の女子生徒の顔が浮かぶ。しかし、俺はそれを綺麗に消し去った。


「いねぇよ。好きな人なんて」


 そう言ってミニハンバーグに箸を伸ばす。ふと気づいた時には誰もすわっていない空の席を見つめていた。








「この前さ、江原えはらと話せたんだぜ!」


 三谷は本当に嬉しそうな顔でそう報告してくる。三谷は別のクラスなのに、こうして何かあれば逐一報告しに来る。


「さいですか」


 俺は古典の教科書を机の中から出しながらそう答える。俺の適当な返答にも、三谷は特に気を害した様子もなく嬉しそうにその時の話を続ける。


「まぁ、佳樹の話題だったんだけどさー」

「は? 俺の?」


 まさかの内容に俺は今までにないほど機敏に反応する。


「まぁ、俺は別のクラスだし、共通の話題って言ったら佳樹くらいだったしな」

「あー、まぁ、そうか……」


 三谷の想い人である江原は俺と同じクラスだ。1年の頃は同じクラスだったのだが、2年から三谷だけが他のクラスになってしまった。


 俺の曖昧な返答に、三谷は少し気まずそうに俺の顔色を伺う。


「何かまずかったか?」


 普段は鈍感なのに、こういう時だけは敏感だ。俺は笑顔を顔に張り付けて、三谷の方を見る。


「いや、何でもない。それよかお前、次体育じゃなかったっけ?」


 三谷のクラスの次の授業は体育だ。その行きすがら俺の教室に寄ったのだろう。三谷は勢いよく振り返って時計を確認する。次の授業まで5分もない。


「あ……やべ。じゃ、また昼な!!」


 そう言って三谷は小走りで教室を出ていく。その時、一人の女子生徒とぶつかりそうになった。三谷は、馬鹿みたいに顔を真っ赤にして、丁寧に謝っている。


 その様子を見ていると、その女子生徒と目が合った。いつもの笑顔を張り付けて、彼女は近づいてくる。


「2人、本当に仲がいいんだね」


 江原京子えはらきょうこは廊下の方に視線を送りながらそう言った。


「まぁ、1年からの付き合いだし……」


 俺は無駄に教科書を開きながら、そう答える。復習などしていない。まして予習でもない。ただ、小難しい漢字の羅列を眺めていた。


 江原は「ふふっ」と小さな声をだして笑うと、自分の席に帰っていく。俺の左前の方角。前から二番目。いつも目が行くその席に。


「……ほんと、お前が羨ましいよ」


 俺は今頃焦って着替えているであろう親友に向かってそう呟く。答えなど返ってくるわけがないのだが。







 ある日の放課後。俺は図書室で居残り勉強をしていた。


 希望進路は既に決まっている。それなりに前から準備もしてきたから、今更焦る必要もないのだが、こうして勉強しないと落ち着かなかったからだ。


 日も暮れてきたところで、俺は勉強道具を片付ける。常連にもなると、司書の先生に声をかけられなくても大体の閉館時間が分かってくる。


 俺はいつもの様に司書の先生に挨拶をして図書室を出る。じめじめとした天気に少し鬱陶しさを感じる。


――今日も雨か。


 そう思って外を見ると、見知った顔がそこにはあった。一人、ベンチに座って佇む男子生徒。彼はぼーっと地面を見つめていた。


「どうかしたのか?」


 俺は無心で彼に近づいていった。俺の声を聞いて、その男子生徒は少し自嘲気味に微笑む。


「今日さ、俺、振られちまったよ」


 無理をしているのはすぐに分かった。けれど、彼の表情には笑顔が張り付いている。

 その笑顔で見上げる空はどのように映っているのだろうか。おそらく、滲んだ空。それは雨によるものではないはずだ。


「好きな人がいるんだって。だから、俺とは付き合えないってさ」

「……」


 尚も言葉を続ける彼に、俺は何も言えなくなっていた。

 彼は静かに顔を下に向けて、肩を震わせる。


「はぁ、上手くいかないもんだな~」


 その声は震えていた。


 その時俺は、初めて親友の泣き顔を見たのだ。







 俺たちはそれからも変わらず一緒に行動した。振られたばかりの時は少し暗かった三谷だったが、時が経つにつれ本来の明るさを取り戻していった。


 そして、俺は県内の大学へ、三谷は専門学校への進学が決まった。よく一緒に行動していた白沼は東京の有名大学に受かったようだ。


 合格が決まって俺たちは仮卒期間を迎えた。といっても、三谷は早々に進路が決まっていたので、仮卒期間を利用して自動車学校に通い始めていたため、忙しそうだったが。







 ある日、俺は白沼に呼び出された。何でも、大学からはテニスを始めたいらしく、元テニス部の俺に道具を見繕ってほしいらしい。


 俺たちは15時に駅に待ち合わせ、近くの大きなスポーツ店に入った。そこは様々なスポーツ用品を取り扱っている店だった。


 俺たちはテニス用品が売られているエリアに向かい、商品を見ていく。必要な物はシューズとラケット、あとは練習用のウェアくらいのものなので、意外とすぐに買い物は終わった。

 後は、ガットというボールを打つ面に張られる糸のような物を調節してもらったら終わりだ。幸い、ガットを張れる店員さんがいた事と、予約が入っていないという幸運が重なり、その場で張ってくれるそうだ。


 俺たちは40分ほど店内で暇をつぶすことになった。


 一緒にベンチでぼーっとしていると、白沼から話を切りだした。


「なぁ、朝倉。お前好きな人いないのか?」


 以前、同じような質問をされた気がする。俺は白沼の方にちらっと視線を送る。


「なんだよ、急に」

「……。」


 俺の問いかけにも黙って下を見続ける白沼。どことなく真剣な眼差しだった。


 俺もつられて真剣な表情になる。


 好きな人。一人の女子の顔が浮かんだ。真っ黒な髪に白い肌、大きな瞳をくしゃっとさせて、笑う顔。そして……親友の好きだった人。


「いねぇよ」


 俺はそう答える。いや、自分に言い聞かせるといった方が正しいかもしれない。


 三谷の泣き顔。あの顔が頭から離れなかった。


「そうか……」


 白沼は少し目をつぶってそう答える。


 その時の俺は、自分の事だけで精一杯だった。今思えば、あの時の白沼は、何かを決意していたような表情を浮かべていたと思う。









 桜が舞う今日。俺たちは最後の登校を終えた。


 泣いて別れを惜しむ級友、我が子を見るかのように誇らしげな担任。この教室には惜別と希望で満ち溢れていた。


「卒業しても、俺らずっと友達だからな」

「泣くなよ、三谷」


 隣のクラスから三谷がやってきていた。こいつの泣き顔を見るのは2回目だ。だけど、これほど気持ちのいい泣き顔は初めて見る。


 三谷をなだめる白沼の目にも、薄っすら涙が浮かんでいる。卒業すれば白沼だけ離れ離れになる。普段はクールな白沼だが、やっぱり寂しいのだろう。


「ほら、泣くな。今日、この後また会うんだからさ」


 俺は泣きじゃくる三谷と、もらい泣きしそうな白沼の背中を叩いた。


「ありがとな、佳樹~!」


 そう言って抱き着いてくる三谷。こいつは本当に良い奴だ。……自分が嫌いになるほどに。








「――来てくれたんだ」


 そう言って、彼女は笑顔を浮かべている。いつもの様に綺麗な笑顔を。以前より少し伸びた黒髪が、春風に吹かれて靡いている。


「来てくれないと思った……」


 そう言って彼女は白い肌を朱に染める。舞降りてくる桜の花びらも相まって、彼女はこの世のものとは思えないほどの魅力を醸し出す。


「あのね、私、あなたが……朝倉くんが好きなの!」


 顔を真っ赤にさせながら、江原京子はそう叫ぶ。たった一言を言うだけなのに、息を切らして。真剣に。


「1年生の時、クラスに上手く馴染めなかった私に声をかけてくれたよね。それから、ずっと、朝倉くんが好きだった……」


 その目は、俺をしっかりと捉えて、真剣なのに声色には優しさが籠っていた。綺麗な記憶を掘り返し、彼女は俺にそう告げた。


「私と付き合ってください」


 太陽に照らされた髪は少し茶色く見えた。いつもの白い肌は真っ赤に見えた。そして、綺麗な笑顔は鳴りを潜め、真剣でまっすぐに俺を見つめる表情は、今まで一度も見たことがない。


――俺は江原が好きだ。


 綺麗な髪、白い肌、可愛い笑顔……。そんな彼女が好きだった。

 今目の前にいる彼女は、そんな俺の理想からはかけ離れている。なのに……。今まで以上に魅力的に映った。


 決意をしてここに来た。しかし、その決意が揺らいでいく。


 だがその瞬間、頭の中にあの時の顔が思い出された。雨の中、涙を流す親友の顔が。


「……ごめん」


 俺は彼女の顔を見ないように、頭を下げて謝る。


「……そっか。そうだよね」


 彼女はそう呟く。あの時と同じ。彼女の声は震えていた。










 俺は夜の街を歩いている。時計を見れば既に20時を回っている。遅刻だ。


 約束の店に着くと、座席に見知った顔があった。そいつは俺を見つけると大きく腕を振って自分の存在をアピールする。


「佳樹、遅刻だぞ~!」

「わりぃ。ちょっと課題に追われてて」


 俺はそう言って用意された座席に座る。そして、目の前には変わらぬ笑顔の三谷。


「今日は飲めるんだろ?」

「まぁ、明日は大学ないし。それなりには」


 既に、席には枝豆や唐揚げなどのおかずが届けられており、三谷は生ビールを飲んでいた。まぁ、遅刻したしな。


「あー、佳樹はまだ大学生だもんな~」

「子供扱いすんなし。……仕事はどうなんだよ?」


 去年、三谷は専門学校を卒業した。今は保育士として地元の保育園に勤務していた。体力だけは有り余っているので、案外楽しそうにやっている。


 俺たちは自分たちの近況報告をしながら飲み会を進めていく。そして、徐々に会話の内容は高校時代の時の話になった。


 そんな時、三谷は何か思い出したように話題を切り替える。


「あ、そういえば江原と白沼が付き合ってるらしいぞ」


 まさかの内容に、俺は絶句する。確かに、江原京子も東京の大学に進学していた。だから、2人が懇意になっても何の不思議もない。しかし、なぜかその話がすんなりと頭の中に入ってこなかった。


「ほんと、びっくりだよな」


 三谷は遠い目をしながらそう呟く。


「……お前、いいのか?」


 俺は三谷の表情の変化に注視しながら、そう尋ねる。


 三谷は一瞬、俺の質問に不思議そうな表情を浮かべた。しかし、ようやく俺の言わんとすることを察したようで、少し笑う。


「あー、俺が嫌な気持にならないかってこと?」

「あぁ」


 三谷はまた笑った。そして、すぐにまた遠い目をする。


「ならないよ。だって、俺の親友だぞ? 幸せになってほしいじゃん!」


 三谷は快活な笑顔でそういう。その笑顔には何の嘘もなく、全てをさらけ出した表情だった。


「……そうだったな。お前はそういう奴だった」


 俺はそう呟く。

 こいつはそういう奴だ。自分の事よりも、相手の事を心配できる。そして、嫉妬よりも友達の幸せを願えるような、そんな奴だ。だから俺はこいつが好きなんだ。


「今日は遅刻したから佳樹の奢りな!」

「あぁ、じゃんじゃん飲め!」


 重くなった空気を吹き飛ばすように三谷はそう言う。俺も、柄にもなく気持ちが浮ついていた。


「お?珍しくノリがいいな?」


 そんな俺を見て、三谷は不思議そうな表情を浮かべる。

 三谷には分からないだろう。でも、それでいい。


「「乾杯!!」」


 俺たちはグラスを勢いよく傾けた。






 人は嘘をつくし、誰にも言えない秘密を作る。


 そして人は、勝手に相手の気持ちを汲み取って、勝手に良かれと行動する。それが本当に相手の為とも分からないのに。


 だけど、俺はそれでいい。だって、それが人間だから。


 転んで、傷ついて、また立ち上がって……。そうして成長していくのだから。


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