第一章
1 妹トークその1「妹のつくりかた」
ミステリー小説を読んでいた先輩が、不意にページをめくる手を止めた。
それまで一定のペースを保って聞こえていた、ページをめくる微かな音がいつまでもやってこない。熟読している風ではない。読み込んでいるというよりは興味が離れたというか、何か別のことに思考が及んでいるようだ。
テーブルをはさんで対面の席に座る先輩のそんな様子に気付き、
同性でも思わずどきりとするような、そんな端正な顔をしている。物思いに沈んだ、耽美な表情だ。異性からの人気はあえて語るまでもない。語るべきではない。語ると可哀想だ。そんな先輩が口を開く。
「妹をつくるにはどうすればいいと思う?」
「はあ……」
これである。
運動神経さえ除けば成績優秀、眉目秀麗、長身痩型と見た目も頭も完璧超人といって差し支えないこの文芸部の部長は、残念なことに制服の白シャツの下に、アニメの妹キャラがプリントされたフルグラフィックTシャツを着ているのだ。その妹が睨みを利かしているものだから、異性はおろか同性すらも彼には近づかない。
つまりはそういうことで、この青年はいわゆる「妹」というものをこよなく愛しているのだ。
そしてこんな先輩と放課後の部室でする話題といえば、やはり「妹」に関するものなのである。
「親に頼めばいいんじゃないですか」
そんなクリスマスプレゼントじゃあるまいし、と自分でも思うが、まずは一般的な返答をしておく。お楽しみはこれからだ。
「俺は今すぐ……比較的早めにそれなりのサイズの妹が欲しいんだよ」
「そんな気軽に手に入るもんじゃないでしょ。というか、妹っていうのがなんかもう何かの隠語みたく聞こえますね」
「インスタント妹」
「ラーメンだったのか。……それで? 三分から五分の間に妹を手に入れるには?」
「さすがにそこまで早くはないが……。まず、親に再婚してもらう」
「へえ」
普通すぎて逆に驚いた。そんな安直な答えが出るとは。
しかし。
「そのために親を殺す」
「とんだサイコパス」
どんなミステリーを読んでいたのやら。無論、机上の空論である。インスタント妹獲得のための思考実験、つまりは暇潰しのお喋りだ。
「まあ聞けや。まず、うちは両親ともに健在だが、」
「うちって言うのやめません?」
「まず、両親に別れてもらう。しかしこれには工作に時間がかかるから、事故と見せかけてどちらかに死んでもらうわけ」
「ははあ……。それで? 年下の女の子がいる、どこかの独身男性オア女性と再婚させる――これも結構な工作が要りそうですけど?」
「そこなんだよなぁ……。でも、殺す前に親に保険金かけてさ、その遺産を餌に相手を釣るとか、どうだ?」
「ん……。むしろ、金目当てにこっちが再婚目論むというか……いや、それ以前に金目当てに親殺してるか。金は違うなぁ。親殺すのにもっと理由付けが欲しいです」
「妹欲しかったからって、超インパクトある動機じゃん」
「はあ。それをメインにしたいんですね」
実はこれ、ただの無駄話ではない。いわゆるアイディア出し。創作のためのネタ作りなのである。
ここは仮にも文芸部。読書をしたり文章を書いたりすることが活動だ。
「じゃあ、再婚っていうからには、自分の親にもその意欲が必要じゃないですか? どうやってその気に? 夫か妻を亡くして消沈してるだろうに」
「だから相手方から言い寄ってもらおうと思って」
「それはご都合主義じゃないですか? だったら親も普通の事故死で良くないですか?」
「妹欲しさに人を殺す話なんだよ。なんなら自分の親は事故死で、相手方の親を殺してもいい」
「最悪っすね。真相バレたら妹に軽蔑されますけど、その辺は?」
「バレないように主人公が頑張る」
「そこだけ聞くと日常系ストーリィ。でもこのお話、どうオチつけるんですか? 最後に真相バレてバットエンド風、もしくは実は主人公が殺したのだー、みたいなラストに?」
「キミは現実的だなぁ、もっと遊ぼうぜ?」
「はあ。じゃあ、妹手に入れてどうするんです? そもそも主人公はなぜ妹が欲しい?」
「それは
うーむ、と唸り、黙り込む先輩である。同じく悠秋も黙り込む。さて、今日はどんな回答が得られるだろう。
「それは――妹がいるヤツには分からない、永遠の謎なのだ。俺はこれを妹のジレンマと名付ける。妹がいないからこそ、人は妹を求めるのだ」
「先輩もいるじゃないですか、妹」
彼は絶対に認めないが、相追拓志には双子の妹(あるいは姉)がいるのである。ジレンマというよりシンプルな矛盾だろう。妹いるのにまだ欲しいのか。それはもうただの我がままなのでは?
「あれは妹ではないのだ」
ほら、認めない。
「というかな、ここで言う妹っていうのは、ああいうものじゃないんだよ。妹っていうのはもっとこう、概念的、象徴的なものなんだよ。たとえばな、アニメとかラノベの妹キャラがいるだろ? あれも、結局は主人公という他人の妹だ。それでも俺たちは『妹』として好きになる。つまりそういうことなんだ」
「これ聞くのもう何回目になるか数えてませんけど、何度聞いても共感は覚えない」
言いたいことは分かる。つまり『妹』という属性が好きなのだろう。ただ、そう簡潔にまとめると屁理屈をこねて反論してくるのが相追拓志という人物だ。
「で、先輩は結局、妹が出来たらどうするんですか?」
「うーむ……」
妹が出来たら、今度は逆にどうでもよくなるのだろうか。それこそジレンマらしいし、その葛藤があるからこそ、この先輩にはその気持ちを吐き出すための創作意欲が生まれるのだろう。
「……いちゃいちゃしたい」
「じゃあはじめは一つ屋根の下で義理の妹とのラブコメ風ストーリィ、ラストは壮絶バッドエンド、と」
「真実を知った妹を監禁する病みエンド? え? 何? お前そういうの好きなの?」
「いや、真相を知った妹に復讐されるの想像してたんですけど?」
「現実的に闇が深いわ……」
と、そこでいったん会話が止まる。部室に誰かやってきたのだ。
「失礼しまーす」
ドアを開き現れたのは、一年生の部員が二人。その顔を見て「セーフ」というように一息つく先輩に、悠秋は噴き出しそうになる。
「なんですか? 猥談ですか? ぼくも混ぜてください!」
女の子みたいな顔をした金髪の少年が、その顔からは想像も出来ないような台詞を発しながら、見た目に良く似合った笑顔を浮かべていた。
「俺たちは比較的文学的なトークに花を咲かせていたんだよ」
先輩が三年生然とした爽やかな表情で嘘をつく。これに後輩、
「文学的っていうにはすごいヒートアップしてましたよね! 廊下の向こうからも聞こえましたけど。やっぱり猥談ですよね?」
「むしろ猥談をそんな大声でするか? というかそんなに響いてたの?」
フルグラTシャツを着ているのに妙なところで小心者の先輩である。ちらりと廊下に目を向ける。小麦の傍で少女がジト目をしているが、拓志が気にしているのは他人の目や耳より、別の人物の存在だ。悠秋はその辺をやってきた二人に確認する。
「二人だけ?
「居桜妹さんなら帰りましたよ。友達と遊ぶから今日はお休みだそうです」
「あ、そう。良かったっすね」
悠秋を気にしてか、それとも照れがあるのか、拓志は毎度の
「あ! やっぱり女子には聞かれたくない話してたんですね!」
「君の隣にも女子はいるけど?」
その隣の女子、
「ほらー、先輩が猥談してるから真倉さん帰りましたよ」
「え? 俺のせい?」
「あいつはあれです、用事があるそうです」
と、その自称幼馴染みをしている小麦が言う。
「なんでも、知り合いが亡くなったそうです。落ち込んでるんですよ。あとでぼくが慰めないといけません」
「お前さらっとすごいこと言うよね。そしていつもメチャクチャ自信満々だよな。どこから出てくるのその自信? ところでその知り合い小麦クン知ってる人?」
「いえ、ぼくがいない間に知り合った人だと思います。ぼくがいない寂しさを埋めてくれてたんじゃないでしょうか。でも今はぼくがいるので安心ですね」
「なんだろうな、その顔してるからかな、不思議と笑って聞き流せるわ。まあ、笑える話じゃないんだけど。最近は身近で人がよく死ぬな……」
先輩と後輩の謎のやりとりを聞きつつ、悠秋は何も言わず去っていった少女の事を考える。明日はケーキでも買ってこよう。
「ところで先輩方、ぼくは伝言係じゃないんですよ。猥談の続きをしましょう。僕もこの文芸部の仲間ですよね? ぼくも混ぜてください!」
「仲間か?」
と、この部の部長に振られ、悠秋は「さあ?」と返す。少なくとも、この人と仲間だとは思われたくないところ。
「そんなことより、」
ぱんぱん、と手を叩き、悠秋は本当に猥談を始めそうな暇人ふたりに声をかける。
「部活をしましょう。何かやってないとまたぶっ潰されますよ、この部」
「猥談してたのに?」
「猥談はしてません。俺たちは部活をやってました」
「人には聞かせられない会話をしていたのは認めるがね……」
「猥談じゃないですか!」
なんでこの子はこんなに猥談したがるのか。そして意味深な笑みを浮かべるな先輩。
気を取り直し、悠秋は部室の棚から原稿用紙を取り出すと、テーブルの上に置いてあった文庫本を二人の前に置く。図書委員から渡された課題だ。
「今月の課題はこちらです。宮沢賢治。何か一冊、著作を読んで感想を書きましょう」
感想というより、レビューだ。図書室に掲載し、本をお勧めする――それが文芸部の活動の一つである。
「ちなみに、宮沢賢治といえば?」
「クラムボン」と、小麦。「銀河鉄道」と言ったのは拓志だ。それから、「雨にも負けず」「春と修羅」。二人は顔を見合わせる。
「年代の違いというか、学年の違いですかね。人によっていろいろ出ますね。この部屋にも何冊かあるんで、まあ気になった本を見つけて何か書いてください。出来れば図書委員と被らないやつで。うちのレビューのお陰で貸し出し数が増えたとなれば、これも立派な文芸部の実績になります」
「俺、宮沢賢治はシスコンだと思うんだよな……」
「怒られますよ。単に家族思いだっただけでしょう。ふざけてないで部活、部活。ほら、稲浪くんも。ちなみにクラムボン出てくる『やまなし』はこれね」
はーい、と大人しく席につく後輩。不良な部長は原稿用紙の裏面に何かメモを書き始める。ともあれこうして、文芸部のいつもの時間が始まった。
◆
スマホに、母親からおつかいをしてほしいと連絡があった。
そのため真面目に本に向かっている先輩と後輩を残し、居桜悠秋は先に下校することにした。
誰もいない廊下を歩く。足音を立てることは憚られるような静寂のなか――とはいえ外から部活動の掛け声は聞こえてくるが、なんとなく、息を殺すようにしながら昇降口へ向かった。
靴を履き替えようとして自分の靴箱を覗き込んだ時、上履きを入れるスペースに何かが入っていることに気付く。
――封筒だ。
白い、いかにもな感じの封筒。
(ラブレター……?)
少なくとも、果たし状といった印象は受けない。
なんだろう、と何気なく手に取った。
それが始まりだった。
妹だから問題なんです 人生 @hitoiki
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