第2話

  深い森の中を、子狸が歩いていた。

 山吹色や真紅の落ち葉が、絨毯のように地面を覆っている。それをふわふわの茶褐色の毛に包まれた小さな足で踏みしめ、子狸はつぶやく。


「ええと……このまままっすぐ行って……あったあ!」

 若干不安そうな声が、喜色を含んで弾む。


 やや開けた場所にたたずむ、一軒の古めかしい洋館。たたた、と弾むような足取りで駆け寄り

「ごめんくださーい!」

「はい」

 子狸が声を張り上げると、返事はすぐに来た。

 澄んだ水がさらさらと流れるように、涼やかな声で。


「あ、こんにちは。狐さん」

「こんにちは」


 子狸がぺこりと頭を下げて挨拶すると、現れた若い女性――に化けた狐は静かに挨拶を返す。

 今日は、以前のような大正時代の女学生めいた格好はしていない。ほっそりとした長身を男性的な黒いパンツスーツで固め、その上に上品な淡いグレーのコートを纏っている。

 装飾に乏しい男性的な服装だが、何故か違和感なくしっくりとなじんで、中性的で凛とした雰囲気を醸し出していた。


「あの、これ。この間のお礼に」

 そう言って、子狸が天ぷらを差し出すと狐は、切れ長の眼を軽く見張る。

「ありがとうございます」

 そう言って、しっとりと艶めく桜色の唇を緩めて淡く微笑む。


 (わあ……)

 束の間、子狸はその顔を見つめた。固く閉ざされた花のつぼみが、ほんの微かにほころぶ瞬間を、目にしたような気持になった。

「寒かったでしょう?どうぞ、あがってください」

 そう言って狐は、白い手で洋館の中を指し示す。


「おや、この間の狸の子だね?どうしたんだい?」

 そう言って現れたのは、やや長く伸ばした深みのある色合いの赤毛と、大柄な体躯、彫りの深い顔が印象的な若い男だ。


「あ……鬼さん、こんにちは。この間はありがとうございました、あのこれよかったら、どうぞ」

 そう言って、子狸は青年の姿をした鬼にも天ぷらを差し出す。

(鬼さんにも、これでよかったのかな……)

「ありがとう。皆で食べるよ」

 内心不安を覚えていた子狸だったが、鬼の言葉にほっとする。

「……それで、後ろの狸さんは?君のお父さん?」

「……え?」

 鬼の質問に子狸は首をかしげて振り返り……そのまま、凍りつくように動きを止める。

 子狸のちんまりとした体より、二回りほど大きい身体。ふわふわの茶褐色の毛並み。全体的に、ずんぐりとした丸みを帯びた輪郭。

 それらが醸し出す独特の愛嬌を、黒々とした瞳に宿る、敵意に満ちた眼光がすべて帳消しにしていた。

「……お……叔父さん?」

「叔父さん?」

 鬼の青年が眉をひそめる。


「し……親戚です。でも、なんで黙って僕をつけてたの?」

「この間、聞いたからな。お前が狐に誑かされかけていると」

 子狸の困惑交じりの質問に、叔父の狸は低い声で答える。


「え?あの……俺、狐さんと鬼さん達に親切にしてもらったって話しただけで、誑かされたなんて、一言も……」

「それが誑かされているというのだ!」

 子狸が抗弁するが、それを大声で遮る叔父狸。

 鼻を突きそうなほど濃い匂いに、子狸は顔をしかめて言う。

「あの、おじさん。もしかしなくても、酔っぱらって……」

「いいか。狐というのは、とにかくいけ好かない奴らなのだ。お前にもそう言っただろう?」

 無視して続ける叔父狸。


「……あの、それって自分の好き嫌いを子供にも押し付けようとしているだけなのでは?」

「鬼のアンタは黙っとれ!」

「ええ……」

 ぼそりと鬼の青年が口をはさむが、叔父狸はそれを断ち切るような返答をする。

 困惑したように、赤毛に覆われた頭をボリボリかく鬼に、子狸が謝る。

「ごめんなさい、叔父さん、思い込みが激しくて短気な性格で……」

「い、いや。君が謝ることは無いけど……」

「その、狐がお嫌いな理由をお聞きしてもいいでしょうか?」

 苦笑を浮かべて手を振る赤毛の鬼の隣で、淡々と狐が問いかける。


「……羨ましいからだ」

「……はい?」

 沈黙ののちに返答がくるが、狐は思わず眉をひそめて聞き返す。

「だから!羨ましいからだ!狐は全国的に祀られているのに対して、狸は四国以外ではほとんど祀られていないだろう!」

「……」

 帰ってきた言葉に、狐と鬼は沈黙する。子狸は恥ずかしさのあまり、頭を抱えていた。

 そういえば叔父は酔った時等に、狐に対する妬みやコンプレックスがにじむ愚痴を延々垂れ流す癖があった。

 自分が常日頃から狐に抱いている羨望と嫉妬が混じる複雑な気持ちも、半分以上叔父の影響かもしれない、などと子狸が考えている間にも叔父と狐のやり取りは続く。


「い……いえ、四国では有名な隠神刑部の他にも団三郎狸や金長狸・六右衛門狸、太三郎狸、お袖狸など神通力のある狸そのものを神として祀っていますが、狐の場合、稲荷神の使いとして……」

「そんなことは分かっている!だがな、狐そのものを祀ってある稲荷神社もそれなりに多いだろうが!葛の葉に、源九郎狐、白蔵主に、『京の風流狐』と呼ばれる宗旦狐と、御辰狐!濡髪大明神に蛻庵狐、桂蔵坊に、澤蔵司!おとら狐に、アグリコ狐に、与次郎狐。それに何といっても、玉藻前!」

「え……ええまあ」


 叔父が流れるようにつらつらと、有名な狐の名前を挙げていく。

 叔父の最後の言葉で、狐は何故かほんの少し気恥ずかしそうに苦笑する。


「それにな、『狐はあくまで神の使い』と言っている稲荷神社でも、神の使いの狐に『命婦』という位を授けて命婦社や白狐社で、祀っているだろうが!……狸はそんなもの、もらっていないというのに」

「お……お詳しいですね」


 がっくりと膝をついて悔し気に丸っこい身体を震わせる叔父狸に、狐が言う。

 その横で、子狸は尋ねてみる。


「あの、『みょうぶ』って何ですか?」

「朝廷に出入りすることができる女官や、官人の奥様につけられる称号のことです」

 狐は明瞭な口調で答えてくれる。


「何より、腹が立つのはだな!」

「まだ続くんだ……」

 ぼやくような鬼の言葉を無視して続ける叔父狸。


「安倍晴明や『日本霊異記』で描かれた日本最古の狐女房の子孫、そして栗林義長など、優れた能力を持つ人間が狐の血を引いているという伝説が多い。が、狸にそういう話はぶっちゃけない!何故かわかるか?」

「え……ええと……さあ?」


 狐は表情に乏しい美麗な白い面に困惑と精神的疲労をにじませ、つぶやく。


「正直に言うけど、怒らないですか?」

「なんだ。言ってみろ、鬼」

 狸の視線を受けた鬼は、ためらい交じりに答える。


「そういう話の目的って『人間ではない存在の血を引いているから、人間離れした能力を持っている』という拍付けだけど。ええと……『狐の血を引いている』ならともかく、『狸の血を引いている』だと、いまいち拍付けにならないって、人間たちから思われたんでしょうね」

「おのれ、狐えええっ!」


 ためらいがちだが率直な言葉に、叔父狸が八つ当たりと逆恨みにまみれた声を上げる。

「お……叔父さん!いい加減に……」

「狐にはできない狸の技を見せてやる。くらえ、たんたんたーぬきの……!」


 そう言って、叔父狸は体の一部をみるみる膨らませていく。

 狸の金玉 八畳敷き――という言葉がある。それを用いて人間を襲って食おうとするなどと語られ、江戸時代の浮世絵などでも、多く描かれた。

 江戸時代末期の浮世絵師として名高い歌川国芳の作品では、膨らませたそれを傘代わりにして雨をしのぐ狸など、下品だがどこかユーモラスな姿が描かれている。


「……仕方ない」

 赤毛の鬼がため息をついて懐から何かを取り出して火をつけ、ぽいっと何かを投げた。

「あ」

 それはタバコだった。淡い光を放ちつつ、叔父狸が膨らませている途中の身体の一部に、落下する。

「ひぎゃあああああ!」

 聞いているだけで、痛覚を刺激されそうなおぞけのする絶叫が上がった。

 膨らませたそれに、煙草の火あるいは針などを落とされて、人を化かし襲おうとした狸が失敗する――というのは、昔話でよくあるパターンである。


「……何があったのだ?」

 部屋の奥から、漆を塗ったように見事な長い黒髪を垂らした、線の細い青年の姿をした鬼が姿を見せて問うた。

「……うちの叔父がバカ騒ぎして自滅しました。ご迷惑をおかけして、ごめんなさい」

「?」

 ぺこりと子狸が頭を下げて謝ると、黒髪の鬼は眉を顰める。

「前から思ってたけどさ……化け狸のこの術って、ぶっちゃけメリットよりデメリットの方がでかいのでは」

「はい。だから、俺も親から『危ないから使っちゃダメ』って言われています」

 赤毛の鬼の呟きに、子狸が答えて携帯を取りだし、叔父の妻に連絡を取り出した。


「この度は、この馬鹿が大変ご迷惑をおかけしました」

「いえ、こちらこそ、ご亭主にひどいことをしてしまい、申し訳ありません」

 丁寧な口調で詫びる赤毛の鬼に、叔父の妻――豪快そうな雌狸は、首を振る。

「いえ、この馬鹿の自業自得です。それではこれで。……坊やもごめんなさいね」

「いえ。おばさんも気をつけて帰ってね」


 子狸がそう言葉を返すと、雌狸は気絶した亭主を引きずって山道を下りていく。


 その姿を見ながら、これだから狸は下品で滑稽で間の抜けたイメージがあるのだろうなと思いつつ

「……今日は、お礼しに来たのに、ご迷惑をおかけして本当にごめんなさい」

「汝が謝ることではない」

 子狸が改めて頭を下げると、黒髪の鬼が古風な口調で答える。

「でも……」

 叔父ほどではないが、狐へのあこがれや劣等感は自分も持っていたのだ――多分今も。

 俯く子狸に、狐はしゃがんで目線を合わせて言葉をかける。

「そんな顔をしないでください。私は狸の皆さんをうらやましく思っています」

「……え?」

「ユーモラスで、親しみがあって、どこか愛嬌があって。……狐の私にはないものを持っています」


 そう語る鈴の音色のような声に、羨望の色を聞き取り、子狸は思う。

 みんな、自分が持っていないものを持っている誰かを羨ましく思いながら、生きているのかな、と。


「……あの、また尻尾触っていいですか?」

「……はい」

 子狸がためらいがちに言うと、狐は淡く微笑を浮かべて頷きするりと尾を出してくれた。ふわりと柔らかく、優美な形の尾。九本もあるそれが、子狸のちんまりとした体を柔らかく包み込む。

(あったかくて柔らかくて気持ちいい……)

この狐さんの尻尾にくるまれて眠ったら気持ちいいだろうなと思いつつ、子狸も尾を出すと、狐もそれを遠慮がちに触る。

 お互い、相手の尻尾をもふもふと触ってから、狐に送ってもらった。

 初めてここに来た時と同じように。


 送ってくれた狐に頭を下げて、子狸は帰路につく。

 (あの狐さんも、狸のこと羨ましいと思ってるって聞いたら、叔父さんはどう思うのかな)

 自分とは違う者同士を妬み合っていがみ合うのではなく、素直に認めあい讃えあうことができたらいいのに。


 そんなことを思いながら、子狸は早く家に帰ろうと歩みを進める。歩みながら思考はいつの間にか別の方向へ転がりだしていた。

(僕にもできることないかな、狐と狸のどっちが優れているか伝える話じゃなくて、両方の魅力を人間たちに伝えられること)

 現代では、昔のように自分たちの存在を示すために幻術等で人を化かすことは禁じられている。自分たち妖怪はもはや物語の中にしか存在しない者として、人間たちに認識されているからだ。

 ならばどうするか。うんうんと唸っていると、ふと閃いた。


「そうだ。今日の出来事を元にして物語を書こう」

 今はインターネット上に小説を書くことができる。そしてそれは何歳からでも可能だ。

 妖しくも神秘的で美しい狐と、下品だけど滑稽で愛嬌がある狸。それぞれの魅力が伝わって、人間たちが夢中になれるような物語を書いてみよう。

 本当の話だと知ってもらえないのは少し寂しいけど、全然知られないのはもっと寂しい。だから、架空の話としてでもいいから人間たちに伝えたい。

 うまくいくかどうか分からないけど、多分これがまだ変化の術が未熟な自分にもできる『人間の化かし方』だ。

 タイトルは――

「狐と狸のもふりあい。これで書いてみよう」

 そう呟いて子狸は帰路を急いだ。

 

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狐と狸のもふりあい 緑月文人 @engetu

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