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  • 04-05-03 魏五 拓跋珪への応援コメント

    この辺の役職名前は早口言葉感がある。

    作者からの返信

    タクバツジューヨクケンとか音を把握するの拒否したくなるレベルですよね

  • 03-08-11 漢一 呉主伝への応援コメント

    孫策を王と号したのって、実は孫策直系の子供がいたんですかね?

    作者からの返信

    三国志には「追諡策曰長沙桓王,封子紹爲呉侯,後改封上虞侯。紹卒,子奉嗣。孫皓時,訛言謂奉當立,誅死。」

    とありますね。別に長沙王を継承させたわけでもなさそうです。むしろ長沙王を誰か継承したけど史書には書かれなかったとかなのかな……

  • 03-08-10 漢一 司馬懿 下への応援コメント

    意外と守成の人だったんですかね?
    演義ほど悪賢い感無いですね。堅実な人な感じ。

    作者からの返信

    司馬懿は、三国志現役の方々からは「そつがなさすぎてヤバい」と言われているようです。ここでも諸葛亮に翻弄されると言うよりは堅実一辺倒という印象ですね。「魏を倒した正統国家の創始者」という変数がかかっているのかもしれません。

  • 03-08-09 漢一 司馬懿 上への応援コメント

    うん、司馬懿は冷徹で判断力も優れてるね。ただ面白い人じゃなかった気がする。

    作者からの返信

    首が後ろに回るはさすがに書けなかったんや……w

  • 03-08-08 漢一 諸葛亮 終への応援コメント

    馬謖が旧知であったと言うのは、知らんかったな。馬良を通しての知り合いだったんですかね?

    作者からの返信

    三国志演義では弟子とか書かれていた気がしますね。どうなんでしょうね?(まるで馬謖に興味がないため調べようともしない)

  • 03-08-07 漢一 諸葛亮 4への応援コメント

    蜀兵に狼藉者はいなかったとか若干眉唾だけど、諸葛亮の統制力は大したものだったんでしょうね。

    作者からの返信

    諸葛亮が内政の化け物なのは間違いないと思います。自身に何の地盤もないくせに百万地域を統治しきるとかあたまおかしい。崔浩はあんな行き止まりに引きこもるとかアホかと言っていましたが、引きこもらざるを得ない状況での最良以上を達成していた、と言う感じです。

    全部関羽が悪い。

  • 03-08-05 漢一 諸葛亮 2への応援コメント

    諸葛一族って何なんでしょうね?この時期にパッと蜀、呉、魏でそれぞれ活躍するなんて。

    作者からの返信

    同じことをしている士族はほかにもいたのでしょうけどね。ただ、諸葛氏の打率がやばい…

  • 03-08-04 漢一 後帝劉禅への応援コメント

    劉禅さん、17歳から58歳まで蜀の主だったのか。国を失った事から賢主って感じは受けないけど、41年の長期政権だもんなぁ。でも成功しない北伐を繰り返して国力を損耗し続けたんでアウトなんだろうなぁ。

    作者からの返信

    とは言え「北伐やめろ!」とも言えなかったでしょうしねえ。劉禅の動きを見てると、もしかしたら北伐反対派だったのかも、とか思ってしまいます。

  • 03-08-03 漢一 曹丕への応援コメント

    何がどう文帝なのか、なのか!

    作者からの返信

    文を愛したでしょ!

  • 03-08-01 漢一 昭烈帝劉備への応援コメント

    献帝が殺されたと言うのが誤報だったと分かった時、どう取り繕ったんでしょうね?魏から使者として譲位後の献帝が送られて来たら面白かったでしょうな。

    作者からの返信

    そこは聞いてみたいですよね……正直、絶対やっちゃいけない口の間違いだと思いますし……w

  • なんだろ、赤壁前は降伏論者だった張昭さんが、赤壁後には、配下になるなんてトンデモナイ論者になったなんて心温まる話ダナー。

    作者からの返信

    下は公孫淵のことですね。魏とは別口ですw

    編集済
  • 03-07-06 漢十 呂布への応援コメント

    あれ?陳登って、呂布の事ディスってません?

    作者からの返信

    ディスってるようにしか見えませんよね……これちょっと史書のほう見てみよう。

    始,布因登求徐州牧,登還,布怒,拔戟斫几曰:「卿父勸吾協同曹公,絕婚公路;今吾所求無一獲,而卿父子並顯重,為卿所賣耳!卿為吾言,其說云何?」登不為動容,徐喻之曰:「登見曹公言:『待將軍譬如養虎 ,當飽其肉,不飽則將噬人。』公曰:『不如卿言也。譬如養鷹,饑則為用,飽則揚去。』其言如此。」布意乃解。

    言ってるwwwwwwしかも正史条文で、裴注でなくwwwwwwwww陳登ヤバwwwwwwwwwww

  • 03-07-05 漢十 曹操 下への応援コメント

    ハッタリでも漢中王って呼称が劉備を大きく見せたんだろな…

    作者からの返信

    漢中王名乗りはでかすぎますね、劉備しか取れない手段なのもヤバい。

  • 03-07-03 漢十 献帝劉協への応援コメント

    献帝は、まあ天寿を全う出来ただけ良いですよな。しかし、演義の様に密勅出しまくってたら足利義昭っぽい胡散臭さ満点ムーヴなんでイメージが変わるけどね。

    作者からの返信

    演義、出しまくってるんですね……いろいろ調べ終わったら、演義も踏まえておけないとうまく見えてこなさそうだなあ。歴史受容史みたいなやつも踏み込んでいきたいものです。受容史を見るためにはその当時の歴史も見なきゃ……みたいなことになって地獄っぽいですがw

  • 三國志 ことはじめへの応援コメント

    あれ、つまり蜀漢大好きだったけど筋は通した陳寿さんスゲェーって事になるのか。

    作者からの返信

    さすがにその筋は通さないと「魏の後継国家」晋が採用するはずもないかとw

  • 03-06-07 蒙求 下1への応援コメント

    高鳳さん、奥さんに後でめちゃくちゃ怒られたんだろうな。

    作者からの返信

    高鳳さんみたいなひと、ひとごとじゃなくてつらいです…w

  • 03-06-03 蒙求 上2への応援コメント

    やはり動乱期の方が山あり谷ありで読み物として面白いですね。この辺りの話って、何やかんや安定期でないと成り立たないですもの。楚漢戦争時には刎頸の友と言われた人達が、不倶戴天の敵となってしまったりしてましたもんね。

    作者からの返信

    まぁ、確かに乱世のほうが面白いですよね……安定した治世のお話だと曽先之先生すぐドートク的な話に振ってきますしw

  • ぶっちゃけ、党人の方も大概だったと思うのよな。一歩ずれてれば、宦官側が誅殺されてただろうし。どちらの勢力にも国士は居たし、統制能力と自省に欠けた皇帝が続いたのが不運だったんだろうな。

    作者からの返信

    あんまりにも宦官が絶対悪、外戚がわりと悪で、わかり易すぎるんですよね…そんな単純ならもっと話はシンプルだろ、ってゆう。

  • 桓帝もなんと言うか怪物ですね。
    自分の周囲が静かであれば、残りの天下は興味無しなんて。在位期間結構長いのに、食い潰す事しかしなかった感がすげぇ。
    個人としては良い人だったとしても、公人になったらダメな人だ。

    作者からの返信

    桓帝は、思い切り漢を傾けた犯人くらいの描かれ方ですよね。ほんにわかりやすすぎると言うか。せめて資治通鑑を読めば、もう少し後漢の実態が見えてくるのかしら。

  • 儒教的には駄目かもだけど、有能な部下に任せて悠々自適って最高じゃないっすか。

    作者からの返信

    あれ、返信が漏れてた……申し訳ありません!
    後世的には、むしろ部下に任せて、が美徳になっていますね。この辺りは構成の儒学、と言うか朱子学かな、との違いを見出せそうです。

  • うーん、儒家じゃなければ精々道家風だもの。なんかパターン化してますね。まあ当時の理想(パンピーには真似出来ネーゼ!)がこんな感じで記録されてるだけで、一般は泥臭くやってたんでしょうけど。

    作者からの返信

    十八史略のまとめは当時の需要に即したものでしょうし、曽先之一人の記述にああのこうの言っても仕方ないんでしょうけれど、それにしても儒家的名目論に毒されすぎて後漢のまとめ方盛大に間違ってない……? と疑念を抱かずにいられないです。かぁ、答え合わせのために後漢書を読むのはまだまだ先の話になりそうですが……

  • この後漢の隠者志向ブームから竹林の七賢が生まれるんですね。ホントにメンドクサイ人達や。

    作者からの返信

    まぁ、栄達下手にすると殺される時代ですしねぇ…

  • あ、梁冀大将軍様がお亡くなりになった。こんなんに20年暴れさせるとか無いですわぁ。桓帝は呑気か!

    作者からの返信

    前の皇帝を殺した上での推戴ですからねぇ……排除に動くの、かなり恐かったのではないかと。

  • 試験は受けずに有力者に持論を直接送り付けてやったムーブをかましたんですね。
    残酷な肉刑を無くした美談と思いきや、実は厳罰・重刑化だったのか!やるな文王。

    作者からの返信

    桓帝のあたりでは党錮の禁に絡んでたすごいひとのアピールがすごくて、もう、……くさいですwwwwww

    文帝自体はどう考えていたんでしょうね。結果としてそうだったのか、意図した通りなのか。

  • 村の名前を変えさせた県令がお調子者過ぎる。でもこう言うのって、順序が逆転してるかもですね。本当は荀氏が出世したから、阿って出身地の名称をかえてみたのかも。

    作者からの返信

    この辺はより偉大に聞こえる方を選びそうですねー。ほんに十八史略のこの、名士様に阿る感じが、キツいっす(楽しんでる)

  • 03-03-12 漢九 三帝夭折への応援コメント

    邪悪な人間に、図星な事言うとこうなるんだヨ…怖や怖や。

    作者からの返信

    お子ちゃまにはなかなか命脈の保ち方を見極めさせるのは難しくございましたわね……南無。

  • 03-03-11 漢九 順帝劉保への応援コメント

    うぁ、くっそやべぇ梁冀大将軍様じゃねぇっすか。

    作者からの返信

    大将軍、十八史略だけで見ても十分ヤバかったっすw(漢代の歴史を追うの実質初めてマン)

  • 03-03-10 漢八 左雄への応援コメント

    実際の所、採用するなら顔回じゃなくて子貢のような人が良いな。実務で辣腕を振るえなきゃ意味がないし。顔回は賢人だけど政治には向いてなさそうだもの。

    作者からの返信

    たぶん子貢っぽい振る舞いを正々堂々とみせてしまったら、小間使いにされると思います。虚構でも徳目のほうが優先されますし。マジでこの辺のクソ国滅べばいいのに。(滅んだ)

  • 03-03-09 漢八 楊震への応援コメント

    四知の人か。如何せん生真面目すぎたんですね。関西に対応して易東かと思ったら易は易水じゃなくて普通に卜占の方の易だったのか。

    作者からの返信

    生真面目すぎると息が詰まりそうな時代ですよねぇ……
    念のため易水と丁カンの関係を調べてみましたが、ぜんぜん関係ありませんでしたw

  • 03-03-08 漢八 黄憲への応援コメント

    顔回に比べられてもなぁ…善人で賢人だったかもだけど、貧窮し若死したもんなぁ。儒教的には孔子に次ぐ聖人に例えたんだろうけど、半分貶してんじゃないだろか?

    作者からの返信

    和帝の時代って、下々では実際の実績なんかより空虚な名分が先行したんじゃないかな、と言う気がします。なので顔回についても実績よりも名分だけでみたのかな、って。褒めるとは言っても所詮空虚な名分しか見ていないので、ぜんぜん芯をくってこないというか……w

  • 03-03-07 漢八 虞詡 下への応援コメント

    虞詡は凄いな。さらっと兵法を応用して見せるのだもの。逸話を知って居るだけの者と、それを展開できる者の対比が綺麗。

    作者からの返信

    ほんに、異民族を討伐する将軍のことねっとり書いていて……w

  • 03-03-06 漢八 虞詡 上への応援コメント

    あら、治安悪くなってたんですね。
    へぇ、鄧太后は出した結果には報いるタイプなんですね。親族を優先しない所は素晴らしい。

    作者からの返信

    和帝の時代って、ぶっちゃけ賢人なら政府に仕えたくないだろうなあと思うとです……w

  • 03-03-05 漢八 安帝劉祜への応援コメント

    ドロドロしてますね。この宮廷内権力闘争が起きている時、一般民衆はどんな具合だったんでしょうね?
    重税による巨大反乱など起きていない様ですし、北方・西方の脅威も小さく宮廷のグダグダとは関係なく安定期だったんだろうか?

    作者からの返信

    十八史略の場合、基本的に外敵を倒したか倒されたかに関心のウェートが置かれていそうな感じですね。あとは政権交代か。それ以外だと模範的儒者、でしょうか。

    それ以外のところがかなり乱暴なので、恐らく国内の安定感みたいな部分は「後漢書読め」になってくるかな、と思います。本当に曽先之さんの書き方ひどいw

  • 03-03-04 漢八 班超への応援コメント

    燕のような顎とは一体どの様なものなんでしょうね。
    班超の箴言が凄いね。30年も西域に居ると安定を保つコツがスラッと出て来たんですかね。

    作者からの返信

    顎が細く、鋭かったんでしょうか。まぁたぶん近くにいてほしくはない人相をしていそうですw

    班超は敵を倒しながらも、慰撫にも意を砕いていたのでしょうね。

  • 03-03-03 漢八 和帝・殤帝への応援コメント

    在位十八年は短くは無いけど、十歳で即位だから二十八で亡くなってるんですよね。なんでこんなに若死するんでしょ。妙な不老長生薬飲まされたりしてたんだろか?
    しかし宦官のステロタイプのイメージから離れるのって難しい。こう言う剛毅な宦官も出て来るので困惑してしまう。実際は内宮の警備を担当する者もいただろうし、結構色んなタイプが居たんだろうな。

    作者からの返信

    東晋も内輪婚でどんどん皇帝の寿命が縮んでいますし、そんなもんなのかもしれません。

    宦官は后妃との間に子をなさずに澄む、と言うだけでもかなり便利だったのでしょうね。色んなところに配されていそうな気がしました。

  • 章帝亡くなるの早いですね。
    なんだろ明帝ってそんなにディスられなきゃ駄目なのか?まあ面倒臭い人だったかも知れんが、庶人に対してじゃなくて高級役人に対してだったろうに。

    作者からの返信

    確かに任期そのものも短いですけど、前漢皇帝に較べて扱いが雑な印象もあります。曽先之さんも、なかなか役人目線が抜けなかったんでしょうね……

  • 明帝は馬皇后が余程好きだったんですかね?
    この匈奴に対する外交政策、北方遊牧民は分割して片側に肩入れして全体の力を弱めるって、中国の伝統的な方針になるんですねぇ。偉大な成功例を得たって所でしょうか。

  • なんか明帝の人格に対しては結構酷い評価を(筆誅ですかね?)下してますね。でも在位中の業績に対しては文句が付けられない感じ。

  • なんか面白いですね。当たり前なんですが、匈奴も他部族と外交してたんですね。

    作者からの返信

    のちの慕容拓跋も、結局北からの圧力を受けての南下ですしね。どこもなかなか外圧から自由というわけにも行かなさそうです。

  • 今の所、明帝が何を成した人か不明ですね。雰囲気的には賢帝であった感あるのですが前漢の皇帝達程、事績が記されてない感有りますね。

    作者からの返信

    自分はまだちゃんと読めていないのですが、読んだことのある方によれば「三國志の時代まで消化試合」的になるそうです。なので明帝がどんな皇帝かは、おとなしく文庫後漢書を待てと言うことのようです……曽先之先生……

  • 周党さん、絹反物は受け取ったんかよ。そこは、断るか弊履のように捨てる所じゃあるまいか。

    作者からの返信

    絹は生活必需品だからもらう、とかなんでしょうかね…謎です。

  • 河潤九里って老子がオリジナルぽいのですが、もう慣用句と言うか枕詞の様なものだったんですかね。中国の一里って確か500m位だったと思うので九里で4.5km位?それ位だとなんだか有り難みが薄いなと。洛陽自体の暗喩だったりするんですかね?

    作者からの返信

    これ、潁川が黄河からえらい離れているのがまた謎なのですよね。黄河から九里では、そもそも洛陽にすら届きませんし……訳していても、さっぱり意味が分からないので蓋をしました☆

  • 董宣の逸話が良い話で終わるのは、並み以上の君主の時だけですね。暗君だと首と体が二つに分かれる悪い話になるんだもん。

    作者からの返信

    これを言って褒められるのはあと慕容徳ぐらいですかね……(無理っぽい)

  • 03-01-19 漢七 馬援 下への応援コメント

    なんか色々経緯がぶっ飛んでる気がしますね。馬援の評価(パンピーが真似すると火傷すっけど、あいつは良き漢である)で免官とか変じゃないですかね?どんな理屈が繋がったんだろ。
    いやさ実は後漢の二代目が意外と肝が太いのが驚きです。彼が揺らいでたら後の馬皇后は無いもんね。

    作者からの返信

    確かに、ここの理屈はいまいち分かんないですね…たぶん省略の仕方に曾先之の意図が交じるんでしょうが、まぁのちの課題、ということで。

    二代目もなかなか面白そうですね。間もなく光武帝も終わりますし、明帝は果たしてどんな人物扱いなのか。

  • 軍事面で活躍した功臣達の得意分野ではない行政に携わると失敗で罰せられる事もあるから、それを防ぐ意味もあるでしょうし、地方軍閥化を警戒したのもあるんでしょうね。光武帝の人たらしと良い人ムーブで善意しか見えない所がなんとも凄い。

    作者からの返信

    賈復、呉漢なんて劉邦軍閥に例えれば黥布と韓信みたいなクラスの軍功ですものね。あえてこの二人に関する慰撫を特記したあたりにも、曾先之の光武帝ラブが伝わるかのようです。

  • やっぱり中々こんな皇帝陛下はいませんな。
    西域閉ざすって何かのメッセージなんですかね。西域でワチャワチャやってても何処の後ろ盾にもならんよ的な。まあ公の通商で民間は気にしなかったでしょうが。

    作者からの返信

    本当にすごいですよね、こんなん人間とは思えませんw それにしても「柔能く剛を制す」のくだり、なんで臧宮や馬武が引き下がったのかよくわからない……

    西域からは物珍しいものが持ち込まれるから、老子に言う「五色令人目盲」みたいな感覚で西域からの流入を拒絶したのかも知れないですね。

  • 北方は匈奴一強って時代じゃ無くなったので権威付けの為なのか、前漢期に交易のが楽に物品を手に入れる事が出来るって学んでしまったのか。後は建前でも入朝ておけば定期的に大量の下賜品がもたらされるシステムになっていたのか。
    ジャイアニズム溢れる匈奴さんじゃなくなって、チョット寂しい。

    作者からの返信

    漢が安定してしまったために、いままでの北方人的な接し方だとにっちもさっちも行かなくなってしまったのでしょうね。統一秦は発展する前に崩壊しましたが、漢は統一からに世紀に渡って君臨し続けたわけで、ジャイアニズムを決めようとしたら殺されることを痛感したのではないか、と思います。

  • 烏桓、鮮卑もそれなりの勢力として表に出て来たんですね。匈奴一強じゃなくなっていたのか。前漢の匈奴政策って割と成功していたんですかね。劉氏なら親戚筋やし助けてやろうか的なのあったのかな。

    作者からの返信

    漢は基本的に匈奴を下に見てると思うんですよね、高帝にせよ文帝にせよ自分の娘送ったわけでもないですし、武帝でようやくって感じだったはず。自分たちの『土地が固定されてる』観点でしか匈奴が見れないから、対策が奏功することもなかったんじゃ、と思います。

  • 冀州牧って涼州を統治からすると大出世だけど、地盤と切り離しって事ですよね。罰しないけど匂わせで制約かけるとかさすがっすわ。

    作者からの返信

    えげつないですよね、こっちはコメント入れない方針でやっているから我慢しましたが、めちゃくちゃツッコみたかったです。

  • 03-01-12 漢六 隗囂 2への応援コメント

    隗囂さんケチョンケチョンですね。見る目無しな男扱い。まあ事実ではあるのだけど。

    作者からの返信

    ちょっと光武帝アゲが激しすぎるので、いくぶん割り引いては見た方がいいような気もしないではありません……w

  • 03-01-11 漢六 隗囂 1への応援コメント

    どの辺りが隗囂伝なのか、なのか!

    作者からの返信

    馬援にしたほうが良かった気もしますが、まぁ後の祭りw
    公孫述伝もだいぶアレになりますが、もう諦めるw

    (楚漢戦争のときは最期まで訳しきった上で分類しましたが、今回は逐話公開をしておるのです……明帝以降はもう少しマージンを取って、どうにか各人ごとのエピソードとして公開したいところ……)

  • 選者の好みなのか馮異さんのエピソードが結構出て来るもんですね。キャラ立ってるもんな。

    作者からの返信

    馮異、耿弇が大好きで、鄧禹のことはわりと嫌いなのかな曽先之さん? という気がしないでもないです。

  • 機を見るに敏って人達だったんですね。劉盆子生き残れましたか。

    作者からの返信

    赤眉のひとたちは、更始を殺した功績がありますしね……(コラ)

  • 劉盆子って楚の義帝な感じですね。旗印として担がれるも末路が悲惨ぽい。
    鄧禹は失敗する所がお茶目ですな。失敗しても罷免しない光武帝の度量もまた良い。

    作者からの返信

    劉秀と劉盆子は、水城洋臣さんが素敵なバディものとして仕上げてくださっていますねw
    https://kakuyomu.jp/works/16816927862601851484
    こういうお話、好きですw

    鄧禹はこれ、お茶目ですよねぇ……自分も第一印象が「可愛い」でしたw

  • 良く判らん動きと言うか記述ですね。更始帝排除の為の南下なのに、赤眉来襲に対して援軍送ってみたり。かと思えば即位してみたり。
    初期段階では君側の奸を排除するが建前だったから、不思議な動きになってるのかな。

    作者からの返信

    この当時は、後世ほど称帝併存に極端な排除感はなかったのかもしれません。一旦皇帝として劉秀が権威を再建したからこそ、三國志の時代に称帝併存が不倶戴天の表明に繋がったのかも。
    まぁ、この辺りは後漢書を読むともう少し違ってくるのかもしれませんね。ただ、いまは敢えて十八史略で止めておこうと思っている(そこで止めることによって獲得できる史観もあると思う)ので、敢えて危ういのを承知で十八史略を読んでの印象に留めておこうと思うのですが、この段階ではあくまで劉玄救援の動きだったのかな、という気がしています。

  • 李広利さんにそんな逸話あるんですね。衛さんと霍さんが巨星すぎて地味な印象しかないんですよね。世渡りは上手だった感じ。

    作者からの返信

    李広利は、正直匈奴にいいようにやられる役回りとばかり思っていました…w

  • 更始帝及びその周辺は詰めが甘いよな。一般人なら兎も角、軍事力を抱えた国内勢力の雄を粛清しておきながら、その一族を残すなんて禍根を残すだけじゃないか。お前は殺さなかったのだ、有り難く思えとでも思ったのかな?

    作者からの返信

    劉秀、史書に残ってる記録をみるとだいぶ兄貴に振り回されている…と、光武ガチ勢の方がおっしゃっていましたw あるいは、劉玄にとっては劉秀を引き入れられる自信があったのかも?

    まぁ、真相はみんな昆陽の城の奥ですねw

  • 反乱が小さいうちに、大軍で揉み潰して見せしめにすると言う新側の戦略は間違って無かったのに...劉秀みたいなイレギュラーがおんねんもん。

    作者からの返信

    うーん、正直大軍集めても士気がどべならこうなる、という感じがしています。そこはもはや勝利側のすごさ以上に敗者側のクソさを大きく取り上げるべきのような。
    と、ロシアを見るにつけ思います。マジでおまえらどんだけ無辜の命を消耗すれば気がすむのんや。

  • 後の戦歴見てたら劉秀がそんな温厚とも思えんけど。まあ忖度的な何かなんですかね。

    作者からの返信

    曽先之は劉秀のこと好きすぎなので仕方ないです。まぁそれはたぶん「こういう皇帝がいまの時代にも欲しい」という切実な思いのゆえだと思うんですけどね(元に大絶賛侵略され中)

  • 02-09-07 蒙求 下2への応援コメント

    苟晞をざっと調べたら、大体西晋が悪いんじゃねって思た。なんだあの内紛起こしまくりの国は…ヒャッハー共が横行する中、護民を目的とするなら厳格な統治もするやろ。

    作者からの返信

    むしろ晋人のほうがヒャッハーですからねぇ…お前らどの口で五胡を野蛮とかほざいてんだと。

  • 02-09-06 蒙求 下1への応援コメント

    君章拒獵は、君も良いよな。最悪物理的に首になるもの。

    作者からの返信

    「これが残ること」がどれだけ通常の君主としてあり得ないか、を示していますね。

  • 02-09-05 蒙求 中3への応援コメント

    魏勃のやり方は、伝手のない寒門出身ならやるんじゃなかろうか。没落しなけりゃ取り立てた方の目利き力の話になったのにね。

    作者からの返信

    これは正直ペアに潘岳をくっつけているのがひどいよなーとは思います。おべっか使いの代名詞(後塵を拝するの語源)なわけで、そうすると前者をピックアップしたところにも卑しい行為、的な属性が発生してしまうという。この辺を見出せるのがペアで見る面白さですね。

  • 02-09-04 蒙求 中2への応援コメント

    綠珠墜樓の救いの無さに泣ける。

    作者からの返信

    八王の乱まわりは救いのない話のオンパレードなのがやばいですね……

  • 02-09-03 蒙求 中1への応援コメント

    実際の所、夏侯拾芥は皇帝或いは宰相が出来物で無ければ難しいでしょうね。

    作者からの返信

    夏侯勝はただの生存バイアスですねwww

  • 02-09-01 蒙求 上1への応援コメント

    諸葛氏もやっぱり名族なんですね。

    作者からの返信

    確かに、まさか出てくるとは思いませんでした。しかし十八史略本編のほうに乗るまでではなかったようですw

  • 02-08-04 更始六 劉玄への応援コメント

    そういや劉玄さんの漢は、なんと呼称するんですかね?しかし、この章結構扱いが酷い。漢軍復活バンザーイしといて、いきなり滅亡って。

    作者からの返信

    だいたい更始政権、と呼ばれる感じでしょうかねー。あんまり漢扱いされるの見たことないです。

    いや、このあと光武帝のところでたくさん出てくるだろうとは思うんですが、1巻ラストの始皇帝がわりと分厚かったのと比べるとあまりにも扱いが軽いよなー、とw それを是非アピールしたくなり、こうなりましたw

  • 02-08-03 新六 王莽 下への応援コメント

    光武帝の列伝面白そうですよね。この人はガチで完璧超人に近いもの。

    作者からの返信

    十八史略三巻が光武帝〜西晋滅亡をパッケージングしているのが、極めて興味深いです。光武帝の理想が最終的にどんな形になったのかを語る、みたいな感じがあって。

    どれだけ個人が完璧でも、あとに残された人間がどうその遺産を運用するか、でもろもろ変わるのでしょうねぇ。

  • 02-08-02 新六 王莽 中への応援コメント

    傍系とはいえ一族が次代の王朝建てると、宗室の的な表現になっちゃうんですね。ほどほどの豪族であったとしても、王家ですらなくなってるのに宗室はないやろと。

    作者からの返信

    あ、どうでしょう、これ自分が適当書いたかもしれないです。ちょっと確認してきます。
    →http://suisui.ojaru.jp/18_genbun.html

    漢宗室劉縯、及弟秀、起兵舂陵、

    ……宗室って書いてますね。

    漢書を読んでみたら

    待見未發,會世祖與兄齊武王伯升、宛人李通等帥舂陵子弟數千人,招致新巿平林朱鮪、陳牧等合攻拔棘陽。

    といきなり書いていますので、あっていない表現でもなさそうです。それにしても飛ばすなぁ曽先之さん……この辺りは細かい系図を載せないでいる強みですね。

    十八史略のこの辺りのニュアンス、きっちり拾い上げていかなきゃなと改めて思いました。それこそが自分のやりたかったことですし。ご指摘ありがとうございます!

    編集済
  • 02-08-01 新六 王莽 上への応援コメント

    王莽は前半生を見ると悪く無いんだけど、政治家になっちゃいけない人だったんですね。藤原氏並に狡猾なら、皇帝一族は飾ったまま王氏一族が摂政として取り仕切るって出来たろうに。

  • 口の硬い男がどの様に王莽に媚びたのか、とても興味深いw

    作者からの返信

    蒙求と十八史略で印象が真逆なのが面白いですw

  • 02-07-06 漢五 哀帝劉欣への応援コメント

    王氏全体を粛清まで出来なかったんですね。近衛と帝都警察を実質王氏に握られてたら無理だろうけど。
    哀帝ってなんか酷い諡号だなと思ってたら、中諡なんで並程度なんですね。呂后の時代を除くと在位期間が短かったからかな?

    作者からの返信

    結局王太皇太后は排除できていませんしね。アレが諸悪の根源という感じにもなっていますし、どうしようもなさそうです。哀帝自身はなにかを本格的にやろうとする前に死んだという印象もありますものね。

  • 長期政権は比較的安定するけど、自浄作用がある場合だもんね。醒めてる時は光る所があったんだろうけどな...微妙に良い感じのエピソードが残ってる所が哀しいな。

    作者からの返信

    元帝の時代、どれだけ王氏に権勢を握られたか、のような気もします。そこでもうもろもろ無理と思うならまだ成帝も頑張ったでしょうし。

    ただこのあたりは、結局史料が結果からの逆算でしか語らないのでしょうね。たら、ればを語るのに、変数が少なすぎて悶絶します……

  • ありゃ、王氏の息子なのに史氏が泣いて止めたんですね。外戚同士の繋がりでもあったんですかね?成帝はアホボンムーブしてますね。先祖の遺徳を食い潰してる感。諫言した梅福さん、王氏一門から復讐されなかっただろうか…

    作者からの返信

    やっぱり元帝王皇后の存在がある限り、どうしようもなさそうです。キンとケンが王太后を「董賢の理解者」的に書いてたの、マジで闇深……

  • 宰相級の臣下の身勝手な動きを規制出来ないのは皇帝の責任になるし、ひいては国への災いになるものだし、優柔不断な皇帝では困るのだな。宣帝の後なので実務に優秀な臣下は結構居ただろうに、どうしてこうなったんでしょ。

    作者からの返信

    心優しい、いい人だったんでしょうね。元帝が。宣帝は偉大ですが、では親しく付き合いたいかと聞かれれば断固としてノー。元帝なら友人になれそう。ではどちらが天下をより良く導けるか、と言う。統治者とはなんともままならないもんです。

  • こうして見ると、霍光ってよっぽどまともな為政者だったんですね。一族抑えれなかったのは減点ですが...外戚+宦官の横暴が始まるのかぁ。

    作者からの返信

    霍光はかなりイレギュラーな存在だったと思います、あれだけ自己を律せる人間なんてそうはいない、レベルで。むしろ親族の振る舞いこそが普通なのでしょう。

    それにしても十八史略、控えめに見ても後漢以降の取り扱いが雑になっていくので、どれだけ前漢までのあれこれに重きをおいてたんだよ……と思わずにおれません。確かに五胡十六国末期で遊んでても、漢代以降の人物ってあんまり取り扱われないんですよねぇ……

  • 宣帝の政治家としてのまともさが出てますね。しっかし子供の章でメイン喰ったらあかんでしょ。
    なんやかんや言って、統治には法家の方がましなんでしょうね。武帝の頃の酷吏とされる人達は、優しさのない厳格な法家の類いとも言えるし。後、安定期に入ると権威主義が力を持つのが、糞儒者共的な発言から見える気がする。

    作者からの返信

    曽先之も歴史を綴って、よく「えっ、儒ってそんなにいいもんか……?」って首かしげなかったものですよねw いや確かに論語読んでると心底いいことしか書かれてないなーとは思うんですがw

  • 宣帝は最後まで明君で通しましたね。宣帝が下情にも通じた得難い皇帝と言う事は置いても、運も良い。ただの功臣と言うには難しい霍光が即位後6年で亡くなり、陰惨な粛清避けれたし。在位25年とは言え40代で亡くなったのは惜しいですね。

    作者からの返信

    武帝、宣帝は宋からしてみても「強い皇帝」「再建をなした皇帝」と、強くフォーカスせずにいられない存在だったのでしょうね。

    早逝については……十中八九ストレスでしょうね、漢帝国を法家思想で運用するとか、無茶にもほどが……

  • 于定国の紹介が丞相になっただけで、後は親父さんの話ってなんのこっちゃ?いや、于公が侠気に溢れる良い男なのは判ったけど、于定国は何をしたんだろ?

    作者からの返信

    十八史略ですし、「こいつが立身したことを把握さえすればオケ!」とか本気で言い出しそうですw

    このあとの平帝とか結構治世長いのに、扱いめっちゃ雑ですからね……十八史略を浴びるのに、われわれは曾先之フィルタに対してもっと自覚的にならねばあかんのです……

  • 張敞さんは、やり様が格好が良いな。宣帝の時期って良吏が多いように見えるけど、足の引っ張り合いも多かったんですね。

    作者からの返信

    張敞は、ベースとして有能ならばこそ、という感じですね。

    それにしても宮中に話がフォーカスされていると、宮中はつくづく魑魅魍魎の巣なのだと痛感します……いま哀帝とか平帝に入ってますから、なおのことげぼい。まだ戦争のほうがマシとすら……

  • 前漢時代の七十代って、今の八十、九十代位に相当しそう。古稀が本当に古来稀であった時代ですよね。しかもより環境の厳しい西域に向かうなんて元気ありすぎ。廉頗の再来だね。

    作者からの返信

    老いてなおますます、という感じですねw ここまではつらつとしたジジイはなかなか見ないのでびっくりしましたですw

  • 疏広・疏受は同時に引退したって事は、歳の近い叔父、甥だったのかな。
    今のところ宣帝の治世は穏やかな感じですね。皇帝の発案に対しても下の諫言と言うか言い分を聞き、良否を判別出来るって素晴らしい。

    作者からの返信

    宣帝、曽先之にとってかなり理想的な皇帝だったんだろうなーと言う気はしています。でもしょっちゅう臣下が殺されてて恐いw

  • 尹翁帰と于定国に何らかの関係があったんでしょうね。親しい身内が頼んだのに簡単に頷かない、国家第一と考えるとはやるねぇ的な。

    作者からの返信

    「地元民が郡守やそれを補佐する立場になってはいけない」(地元民に統治させると地元の権益を優先し国への貢献がないがしろとなりかねないから)という名目がこの当時ぜんぜん守られていなかったけど、尹翁帰はひとりそこを厳然と貫いた、的な話なのかなーと思っています。なにせ人事の融通につきものなのは賄賂ですからね、そこをピシャリと突っぱねてきたので、于定国はその堅物さに呆れ半分、感心半分で語ったのかもしれません。

  • 霍氏も終わりが悪かったな。調子にのって排除された外戚一族は呂氏の前例があったのにな。

    作者からの返信

    下手に中枢にたどり着いちゃうと、ほっておいても攻撃される、とかはあったのかもしれませんね。その意味でやはり疎受疎広叔父甥は賢かった。

  • 前漢の皇族って結構フリーダムなんですね。高祖の血筋なのか、周りの付き人も何代か前は侠客だったりでイケイケドンドンだったのか。若様遊侠帖とか幾らでも書けそう。

    作者からの返信

    皇帝としての権威がいまいち確立されきっていない感じがありますよね、こわい……w

    宣帝はきっと、講談に引っ張りだこだったんじゃないかという気もします。あまりにも、治世も含め圧倒的すぎて……w


  • 編集済

    昭帝が長生きしなかったのが残念すぎる。武帝の血と言うより文帝・景帝の血だね。
    あちゃあ、廃位までやっちゃったのか。そりゃ伊尹でもあるまいしとか言われるわ。

    作者からの返信

    若死ににも過ぎますよね、もったいない……
    霍光については、ともすれば大逆と言われても仕方ないようなこと、よく踏み切ったよなと思います。

  • この逸話を読むと霍光ってなんか微妙だな。

    作者からの返信

    権臣でも権力が大きくなりすぎると「これ以上大きくなるのは危うい」として譴責降格をわざと狙う、みたいな動きも発生するようですね。とは言え霍光の動きがそこに当てはまるのかはなぞですけれど。

  • 蘇武が帰国出来たのは昭帝に代が代わってからだったんですね。19年は長いなぁ。

    作者からの返信

    環境が地獄ですよね。よくぞ生き延びたものです。

  • 朱買臣は貧乏だったのか資産家だったのかで評価分かれそう。10代、20代から50代まで働かないロクでなしを支え続けた妻とも取れるし…あれ?元妻が選んだ夫とかあるから妻の実家が資産家なの?朱買臣は成功してしまったニートだったのか!

    作者からの返信

    皇帝に存在が認知される段階でそれなりの家門だったんだろうなーと思わずにおれませんw 今よりも遥かにイエの縛りがきつい時代にガチ貧乏の人がとりたてられる気もしないですしw

  • 儒家を重用するという建前で法家を偏重した事になるんですかね。しかし、パイを大きくせずに取り分増やそうとしても痩せるだけですもん。なかなか富国ができる人材は居ないもんですね。

    作者からの返信

    武帝については本当にわけ解んないですね、ここに書かれている以上に与太者が多かったのかもしれませんし……ほんに、良くもわるくも規格外のひとという印象が強まりましたw

  • 李広利を重用する意味がわかんない。戦績良く無いのにな。

    作者からの返信

    手腕以上に「どれだけ信じきれるか」があったんじゃないかって思います、つまり信じられる有能がいなかったってことで……つらみ……

  • やっぱりどちらかと言うと高祖より始皇帝リスペクトなんですかね?
    前100年で即位して40年位ですか?やっぱ安定期は長期間同一の皇帝でないともたらされないのかな。
    しかし散々やられた匈奴も15~20年で勢力復活してるんですね。

    作者からの返信

    イデオロギー的に曽先之は始皇帝を認めづらそうですが、とは言え劉邦に対してもだいぶうさんくさい目を向けてはいますよね……w
    匈奴もそうですし、北魏と戦う柔然もそうですが、なんというか、彼らを見ていると「なんなんだその無限のリソース……」と思えてしまいますよね。おそらく広いところで常在戦場し続けてるから育成って言う概念が存在しないゆえなんでしょうけど。

  • 武帝自体は良い所と悪い所と諸々あるけど、軍を率いる将に人を得た時代ですね。そりゃ強大な外敵を打ち破った時代の皇帝だもの、後世からは評価されるわ。
    あと衛青も霍去病も外戚なのに政治向きに手をださなかったのが良いね。

    作者からの返信

    衛青と霍去病が強すぎますよねぇ……外征で強い、ともなると、そりゃもう曽先之さんがハッスルして紹介する……のでは、と思いましたが、ここから先、曾先之さんもなかなかうまくブテーヘーカを評価しきれないでいたっぽい話が続きます。まぁ、この人はねぇ……というw

  • おぉ、暴れん坊皇帝が成り立ちそうな逸話。
    怪しい連中って一人見かけたらホント20人は出てくるんですよね。

    作者からの返信

    さらっと載ってて面白いですよね、のちの神仙にかぶれた武帝ならもう猜疑心の塊になっててできなさそうですけどw
    曽先之的には「よくあろうとした皇帝だけど、とち狂った」のようですね。まぁ史記漢書読んでも同じような評価にはなりそうですけれど。

  • 百家が廃れたの董仲舒が変な献言したのもあるのか。ソフトな焚書やん。しかも春秋に全ての要素があるのアクロバティック解釈系だなんて。

    作者からの返信

    儒一尊の悪弊化は武帝に始まる、はよく言われますね。このあと明帝のところでもキッツいのが待っていそうで、楽しみなような恐ろしいような、です。

  • 02-04-05 漢二 周亜夫への応援コメント

    文帝と景帝の度量の差みたいな章ですね。まあ譜代諸侯が没落して中央一強となった時に強大な力を持つ配下をどう扱うかだったのかもですが。

    作者からの返信

    結局臣下が力持ちすぎるのが危険、は変わりませんしね……蕭何とかよく生き伸びたもんだと思います、とほんと。

  • 02-04-04 漢二 景帝劉啓への応援コメント

    景帝は、なんか普通の皇帝ですね。皇帝自身の能力は兎も角バランス能力はある感じ。呉楚七国の乱時点の勢力図(広さと人口分布が)欲しい所です。結構拮抗しているんだろな。中央集権化を図る一派にしたら強大な地方勢力は邪魔ですもんね。
    何にせよ周亜夫がボンクラ二代目じゃなくて幸いでした。

    作者からの返信

    「普通の皇帝」たることがどれだけ希有なことなのか……という感じですね。いま宣帝をやっていますけど、宣帝マジでこわいです。「ただ回せる」ことって、ほんに重要、ほんに重要……(現実とかも見ながら)

    周亜夫はすごいですね、そのぶん末路が悲惨というか。

  • 呂太后時代の密やかに生きてた時代の経験が役立ったって感じですね。谷あり山ありで、この皇帝の時代も小説になったら面白いかもしれません。
    そりゃまあ高祖や武帝の時ほどドラマティックじゃ無いかもですけどね。

    作者からの返信

    文帝の小説、たしかに面白そうですね。続くのが景帝ですし、割とハッピーエンドなのも良き。もっとも、まもなく呉楚七国の乱が待ち受ける以上、あまり手放しにハッピーエンドにしきれないのは悩みどころですね…。

  • 漢の文帝さん、これらのエピソード見てるとカーッとなるけど、聞く耳持ってて一時の感情を抑えられる人なんですね。
    反乱起こされても、兄弟だから流刑で留めたのに...酷い言われように涙ですね。

    作者からの返信

    反乱については、どちらかというと「反乱を起こさせるほど追い詰めた」ことが批判されてるみたいですね。世説新語でも「唯一の批判点」みたいに言われてました。
    https://kakuyomu.jp/works/1177354054884883338/episodes/1177354054885274527

    って、それ言ったの自分でしたわ…うわー変なところで思い違い…

  • 前話と半分被ってるんですね。
    劉邦の息子とは思えない勤勉さですね。でも呂氏一族に目を付けられない様に振る舞えた強かさもあるのかな。まあこう言う人物には陳平が良い教本になったんだろな。

    作者からの返信

    そうなんです、尺があまりにも足りなくて……しかし改めて見ると、続けてるんだし省いてもよかったですねw(楚漢戦争~文帝は、いろんな人物が入り乱れる関係上いちど通しで書き出して、そっからのピックアップを図ったのです)

    劉恒は地方に出ていた関係で呂氏に目がつけられにくかったのかも知れませんね。陳平と王時代にどれだけ関係があったのかとかも気になるところです……いや、それこそ史記漢書読んでこいという感じですねw

  • 02-03-22 漢一 陳平・周勃への応援コメント

    周勃織薄にチンペイショクハクとルビ振られるとか、周勃さんイジられすぎw

    作者からの返信

    はい! ただのミスです!

    いやぁ、気付かんすね…気付きません…とは言えこのリプを投稿してる段階では既に修正済みなので、なに言ってんのかよくわかんない感じのアレよね…