02-03-20 漢一 呂太后 上への応援コメント
戚夫人の一件がなければ女傑で済んだのかな?しかし息子の恵帝に一番ダメージを与えてる所が哀しい。
作者からの返信
自分の親族を王につけるとかアウトにもほどがありますしねぇ。難しい。生存中に処断されてないことにむしろ自分はびっくりしたものです。
02-03-19 漢一 季布・丁公への応援コメント
季布より夏侯嬰の侠気の方が印象に残るね。まあ入門書な扱いらしいので興味があれば自分で調べろって事なんでしょうね。現代に生きてて良かった!
作者からの返信
夏侯嬰はちらりと蒙求にもいましたね。まぁ十八史略って要はあらすじですから、面白そうな人物の省略も少なくはなさそうですよね…
02-03-18 漢一 蕭何・曹参 下への応援コメント
家臣に犬の功とか言い放ってしまう劉邦さん…そういう所やぞ。
曹参ってどっちかと言うと武臣としての印象のが強いのだけど、その実績あるから治世でも重しが効いたんでしょうね。反乱起こしたら、先頭に立って鎮圧しに来そうだもん。
作者からの返信
頭おかしいですよね……どアウトにもほどがある。お前らもすごすご引きさがんじゃねえよねえよって言う。
曹参は十八史略だとわりとぽっと出なんですけど、史記漢書だと結構活躍しているんでしょうね。そのうち確認してみたいです……そ、そのうち!
02-01-11 秦一 劉邦・酈食其への応援コメント
刘邦,
我个人认为刘邦最后能夺得天下是很有意思的一件事。
说起来就像是森林里,财狼虎豹互相撕咬,食肉动物们先合力咬死了最凶狠的老虎,然后又干掉了熊。最后谁也奈何不了谁了,就推举差不多最弱的狗当森林之王。狗强大以后为了保证地位把其他的食肉动物一个接一个的弄死了。
秦灭六国后,因为灭国战进行的太过顺利。导致各国的贵族阶级力量并没有受到致命打击。这些力量都隐藏了起来,这些力量也是秦灭亡的主要原因。
项羽是楚国贵族阶级的代表,灭秦后,楚国贵族的势力也是最大的。
其他的贵族阶级害怕楚成为又一个秦,于是又一次联合起来灭了楚(也就是项羽)。
当楚国势力受到致命打击后,其他各国的力量几乎达到平衡状态。
这就成了刘邦的机会,刘邦是秦灭亡后各势力中唯一一个没有贵族头衔的。
从道义上刘邦又有成为王的资格“先入关中者,王”。
这个时候刘邦这个皇帝就成为各方势力妥协的一个产物。
然后,汉高祖刘邦,吕后到汉景帝刘启都在做一件事情,就是加强中央集权,弱化战国时期的贵族阶级势力。
经过汉朝多名皇帝的努力,历经六十五年的努力。到汉武帝刘彻才最终将战国时期各国旧贵族势力扫空。
汉朝在中国历史上是一个很难复刻的朝代。中国历史上很多朝代及其想象。只有汉朝很有特殊性。
以上只是个人观点。
作者からの返信
谢谢你的评论!
我认为刘邦是幸运的。
这就是为什么可以说他被天堂所爱。
02-03-17 漢一 蕭何・曹参 上への応援コメント
漢中なので、法三章とか劉邦がぶち撒けたけど、実際は秦の法律を転用したんじゃ無いですかね。百年単位で慣れてる人達へなら反感も少ないし、厳しすぎた所だけ緩和したら、それだけで感謝されそうだし。まあ知らんけど。
作者からの返信
蕭何の動きとかを見ても、だいぶ秦の法律は保存されたみたいですね。ほんに史記にせよ十八史略にせよ「秦は魔王に決まってる!」で書くわりに、じゃあ実際の統治がどれだけ苛烈なのか? をスルーしてるのが怪しくて怪しくて……w
02-03-16 漢一 韓信 完への応援コメント
韓信の臣下の縁者…まあ危険物を処分する良い口実になったんだろな。散々煽ったコンサルは生き残るんだよな…理不尽なのか所詮小物とみなされたか。
作者からの返信
蒯徹はなかなか曲者っぽいですよねー、けど漢の世に、果たしてどこまで栄えられたのか…
02-03-15 漢一 韓信 4への応援コメント
縦横家って悪徳コンサルの類いで、韓信は踊らされてるね。
楚、漢、斉の三石鼎立を受け入れてたら寿命を全う出来たかもね。妙に律儀なんだから…
作者からの返信
うーん、なにが正解かなんてなかなか言えないですしねぇ、滅ぶ選択肢を拾ってしまったところまでを含めて韓信だったのでは、とは思ってしまいます。
と言うか司馬遷も曾先之もあるべき物語に基づいてストーリーを組み立て過ぎというか…
02-03-11 漢一 酈食其への応援コメント
あれ?死因は劉邦の杜撰さなの...さすが劉邦のアニキ、他人には出来ない事を平然とやってのけるぜ!!
作者からの返信
十八史略はそう捉えられるよう書いている、ですね。曾先之も割と「書かないことで人物の印象を作る」が平常運転ですので、史記漢書にはあたっておいたほうが事故がないとは思いますw
02-03-09 漢一 張良 3への応援コメント
お、ようやく張良伝っぽくなった。張良さん一回目靴を拾った時はこめかみにピクピクと血管浮いてそう。
宮廷にズカズカと入ってこれる怪しい道人って…前漢フリーダムだな。
作者からの返信
張良のこのエピソード、正直キョトンとしてしまうんですが、「まぁそういうもんか…」で終わらすしかなさそうですねw
張釋之のやつについては、さすがに招聘されてやってきたと信じたい…信じたいです…w(たぶん漢書ちゃんと読めばいいだけなんですが)
02-03-08 漢一 張良 2への応援コメント
張良はスッと引退したから綺麗に見えるんですね。参戦させる為に空手形出してしまえ的な腹黒い所あんのにね。
作者からの返信
基本的には陳平と同類のはずなんですよね。けど処世がうまい。と言うかまぁ、本気で秦倒すところまでしか関心がなかったんでしょうね。そのあと劉邦助けたのはただのお礼代わり、的な。
02-03-07 漢一 張良 1への応援コメント
張良メインのはずなのに扱い薄いな。
酈食其って儒学がベースの縦横家ですね。なんか胡散臭い。そんなだから煮られるんだ。
作者からの返信
まぁ、全体の中から張良の部分を抜き出す、ですからねぇ。こういう中に名前が登場するだけで十分異常だ、とは言えます。しかも一篇に留まらないw
酈食其みたいな漢以前の儒者って、武帝以降の「ある程度システムが整った」儒者基準でみると儒者ではない、とか言われそうな気もしています。
02-03-06 漢一 高帝劉邦 完への応援コメント
黥布がなんとも憐れな最後でした。
しかし、秦の方が行政組織等よっぽどしっかりしていたはずなのに、なんで続かなかったのか…なんか程よく適当でないとあかんのかね?
作者からの返信
はじめから結果を知るものとしては、「あー、でもこいつ滅ぶんだよなー…」的な目で追いかけざるを得なかったですw
逃げ上手の若君で言っていました。「はじめの改革者は結局槍玉に上がる、世の覇権を握りたいなら二番目になるべきだ」と。もう構造的なものとしか言いようがなかったんでしょうね。
02-03-05 漢一 高帝劉邦 5への応援コメント
呂后もなぁ、不思議な人ですね。項羽に長いこと人質に取られてたのに殺されずにいたし徳が有るような気がせんでもないけど…血を分けた子を守るにはと必死だったんですかね。改心前の鬼子母神みたいな人ですな。
疏広と疏受は如何にも大陸の人な豪気なやり方ですね。それとも何か疑いの目を逸らす韜晦であったのか。
作者からの返信
項羽のところで何らかの性格がねじ曲がるような目に遭った(意味深)んでしょうかね……恵帝の生まれ年計算したら楚に捕らわれてるタイミングだったりしないかなぁ(ポワワ)
疏広と疏受については、やはり韜晦的な面も強かったんじゃないかなあと言う気はします。
02-03-04 漢一 高帝劉邦 4への応援コメント
陳平さんクールに極めるね。この男は劇物なのに良く生き残ってるわ。
婁敬和親 白起坑降は、和親と坑降の対比じゃないのですかね?
婁敬さんって劉姓貰ったみたいだし、終わりも悪くないからトンデモ男の評価はどうなんでしょ?むしろ融和を確実にする為に劉邦へ実の娘、しかも呂后の娘ですよを匈奴におやりなさいと言えるスゲエ男ですよ。それを親族の娘を養女にして送るとか劉邦のセコい所が出てて、それはそれで楽しい。
作者からの返信
陳平はのちに独立して出しますが、劇物なことを十八史略でも書かれていますねw
婁敬の扱いについては、この時代の価値観である「北方民族クソ、滅すべき」から引いている感じです。滅ぼすべき相手に屈するような提案をしたクソ、みたいな感じですね。
ここ最近歴史に差別的表現があるからどうこうと言い出す人が多くなっていますが、差別感情があったからこそ戦争が起こってたって事実に蓋しちゃったら教訓を得ることも出来ず、結果戦争が繰り返されるだけなんじゃないのって思うとです。
02-03-03 漢一 高帝劉邦 3への応援コメント
雍齒って結果的に運の良い男ですね。沛の人なんで、同郷人に甘い劉邦だから助かったのかも知れんけど。
作者からの返信
雍齒の逸話がのこるのって、けっきょくのところ「めったにないこと」だからですものねぇ。韓非子とか読んでいても、人情を無視して理屈だけで物事を動かせる人間なんてそうそういやしないことがあまりにも残酷に描かれていて、まー人間そんなもんですよね-と思わざるを得ません。
02-03-02 漢一 高帝劉邦 2への応援コメント
劉邦が召喚したのに対して、当て付けで自裁した田黄と殉死した500人。それに対する劉邦の対応が神懸かってるね。
作者からの返信
この人こういうところではやけに王者ですよね……
02-02-08 漢一 楚漢戦争 完への応援コメント
魯って最後まで空気読めないで終わるのな。西楚にそんなに恩があったんですかね?かつての魯国を滅ぼしたのは楚だったのに。
それにしても韓信の扱いが雑。取り敢えず兵を取り上げとけ的な...
作者からの返信
魯はなんなんでしょうね、漢の時代にも不思議な動きしてますし……それにしてもほんに十八史略、韓信ファンが見たら激怒間違い無しなのがw
02-02-05 漢一 楚漢戦争 5への応援コメント
項羽オカシイ、ヤダ何そのファンタジーって笑われるレベルの異常さですね。
劉邦はダメ人間にしか見えんのに謎のカリスマと後方が有能すぎるんだもの、こっちもこっちで内政チート乙って言われるレベルですな。項羽に荒らされなかった蜀エリアの影響が大きいんですかね?中原は対秦帝国から楚漢戦争でボロボロだったろうから。
作者からの返信
チート対チート、なお人格はともに最低なもよう。なんなんでしょうかねこのふたりの対決……。
確かに、このとき蜀に繋がりを持てたのは大きいでしょうね。と言うか蕭何の集積能力が異常すぎて。
02-02-04 漢一 楚漢戦争 4への応援コメント
再開頂き有難う御座います。日々の楽しみが一つ増えたってもので御座います。
章邯って嫌いじゃないんだけど、最後まで噛ませ犬な運命でした。物語以外でこんな人物いるもんですね。まるでピッコロさん…
作者からの返信
こちらこそ、またお立ち寄りくださりありがとうございます。ただ申し訳ありません、手を広げすぎたため莊子韓非子との交代交代となってしまいます……あれもこれもやりたくて参ってしまう。
章邯はあまりにも不遇ですよね。こういう人物が好物なので、いつかどこかで遊べたらとも思ってしまいました。
02-02-03 漢一 楚漢戦争 3への応援コメント
降ったばかりの章邯を重要な地に任ずるとか、なかなか度量を見せるのにね。嫌いになった相手への振る舞いがガキなのだよな。
作者からの返信
項羽はほんにどこまでも乱世仕様ですよねぇ……乱世の英雄は平和な時代に活躍できないし、逆もまたしかり。どちらにも対応できてしまう英雄なぞ現実にはいないのが、なんとも悲しいこと。
ともあれ、十八史略については再開させていただきました(水面下で作業を続けるだけのモチベーションが保てなかった)。ほかの戦争ものは引き続き非公開のままですが。改めて、よろしくおねがいします!
02-02-02 漢一 楚漢戦争 2への応援コメント
只々司馬遷の文章が凄まじいのだな。
曹躁が唯才とか言って人集めたからだw
作者からの返信
鴻門の緊迫感凄まじいですね……曹丕はまぁ、もうどう転んでも悪者としか書かれない役回りなのでいろいろ仕方がないというかw
02-02-01 漢一 楚漢戦争 1への応援コメント
以前は素直に劉邦の三法はすゲェって思ったんですが、秦の人達ってそこまで今までの法に大変だと思ってたんだろうか?
慣れてしまうと日常習慣になるし、治安が良いのはとても有り難いし、国の仕事をこなせば法に従って位が上がり、貴賤なく立身出世を目指せるってトンデモだな事と思えるんだけどな。
作者からの返信
難しいですよね、十八史略は明らかに秦の法を悪としてて、で、あえて踏み込まないようにしてる史記も、おそらくは基本路線がそちらでしょう。最終的に三法だけだと統制が利かなくて儒を取り入れるわけですが、このとき儒は始皇帝を敵視する立場だから、仮に秦の法が儒のもたらす法と同じようにうまく世を統べるとしても、「良いもの」とは書けなさそうな気もします。
02-01-11 秦一 劉邦・酈食其への応援コメント
酈食其センセーじゃないですか。儒家と言うより縦横家っぽい働きだし釜茹でにされるのにこんなトップバッターで出てきて良いんすか。
作者からの返信
後でまた出てきます、正直曾先之の書き方感じ悪いですw
02-01-10 秦一 項梁・項羽への応援コメント
改めて思うに范增さんの四十代までは七国だったのだよな。若い頃何やってたんだろか?
作者からの返信
史記を拾ってきたら、あの年まで引きこもりだったみたいですw 恐ろしいジジイですこと……
02-01-07 秦一 胡亥・子嬰への応援コメント
二代目があれげな人物だと国が傾く伝統は秦帝国からですね。
これ迄の内容から見て始皇帝はディスられてる感少なめですね。秘匿する為にくっさい干物かなんかと運ばれたという所位ですかね?
作者からの返信
確かに、始皇帝への直接の糾弾は少ないですね。このあたりは曾先之が仕える「趙氏」と祖を同じくすることへの忖度があるんでしょうか…まぁ迂闊に決めきらないほうがいいよね…。
02-01-06 秦一 始皇帝 下 への応援コメント
自分でやらなきゃ気がすまないって辺りは、韓非子の考えとは異なりますね。生殺与奪は握りつつ、無謬として君臨して実務を人に任せられれば変わったんですかね?まあそんな奴には統一は無理だったかもですが。
作者からの返信
正直十八史略が採用した言葉たちってどこまで「始皇帝の実態」をしてしてるのか怪しそうな気がしてならないんですが(これは元ネタとなった史記も含めて)、ただそれでも、そう著わされるような始皇帝の性状が統一への原動力になったのもまた間違いのないことなのでしょうね。
しかし特に狙ったわけでもないのに韓非子と始皇帝の対照が出来てたのは予定外の楽しさでしたw
02-01-05 秦一 始皇帝 中への応援コメント
信頼の厚い蒙恬の元に送ったので、少し頭冷やしてこいって所だったんでしょうね。純法治国家的にトップは情を抑えろ的な。
作者からの返信
南国秦から北国燕の北に出たんなら物理的にも冷えますねhahaha
02-01-04 秦一 始皇帝 上への応援コメント
治世二十六年ですか、意外と年月を費やした気もするし、短かった気もしますね。あ、でもどうなんでしょ、呂不韋粛清後が本番だから実際は十五年位なんですかね。
作者からの返信
個人的に気になったのは、「その気になれば十年で天下を取れてしまうほどの国力」を、祖父父親のぐだぐだの後に立ったにもかかわらず掌握しきったその統率力でした。なんで国力をそんな見事に統一の方向に導けてるの……という。
01-16-12 蒙求 下4への応援コメント
「秦」に仕えた趙簡子の配下のひとり を「晋」に直してくだせぇ。大久保彦左衛門みたいな人だったんですね。居ると五月蝿いんだけど、居なくなるとちょっと寂しい。
作者からの返信
ありがとうございます、直しました!
十八史略で登場したときも面白いと思いましたが、やっぱり蒙求にも採用されていましたね。良いセリフなので納得です。
調べました。おぉ、大久保忠教。初めて知りました。たらいにのって登城とか、面白そうです。ご教示ありがとうございます!
01-16-09 蒙求 下1への応援コメント
虞卿の所は、青年よ大志を抱けっぽく思えた。今貧乏でも切磋琢磨し、怠らなければ出世できるのだ的な。
作者からの返信
あー、なるほど。言われてみて改めて蘇章を調べてみたら、最終官位が冀州刺史でした。確かにこの句、立身出世までが織り込まれてそうですね。
01-16-04 蒙求 中1への応援コメント
紀元前からスッポンが御馳走であったのが何か凄い。レシピとか残ってるんだろか?
作者からの返信
レシピが残るのは、たぶん斉民要術にまで下らないと難しそうですね。あるいは考古史料では何か出てきているのかも? ちらほら「古代の料理を再現」みたいな動画とかブログとかがあるので、何かあるのかもしれないですね。
編集済
02-01-02 秦十 李斯・韓非子への応援コメント
ありゃ?恵文王って惠王と省略されることもあるんですか。終わりが悪いのと韓非子を謀殺した事で李斯はダーティーなイメージがるけど、始皇帝補佐して六国を駆逐し、数十年に渡って曲りなりに安定した治世を実現させたし、その間ずっと宰相だったので有能なんですよね。多分六国には純法治国家が早すぎたんだ。
作者からの返信
恵文王、昭襄王は十八史略中でちょくちょく恵王、襄王って略されてますねー。地味に認識がずれそうになって大変ですし、ご覧の通りうっかり修正し忘れます(直しました、ありがとうございます)w
李斯はは間違いなくクソ有能でしょうね。そりゃ趙高にしてみればなんとしてでも排除したくなろうというものです。
01-15-07 秦十 范雎への応援コメント
ザマァ系のファンタジー小説がぶっ飛ぶ様な復讐譚ですね。登用出来なかったけど、斉王は見る目ある人だったんだ。
作者からの返信
范雎が斉に登用されていたら、と思うとなかなかに面白そうですね。まぁ范雎が飛躍できたのは秦の制度ゆえだったかも知れませんし、迂闊にifにはできませんけれど。
01-15-05 秦九 武王への応援コメント
年代的には逆なんだけど、十字軍の赤髭王みたいな愉快な死に様だなと…
作者からの返信
おうふ、返信できていなかった。失礼しました。調べてきました! 溺れて死亡wwwこれはなんとも残念……
01-15-04 秦八 商鞅への応援コメント
魏ってこういう所やぞと思う。まだ国力は魏が強い頃なのだから、亡命した商鞅を用いていれば滅びたのは逆だったかもって。他にも何やかんやで人材逃して秦に登用されてた気がする。強盛だったり中央に居ると風向きが分からんのだろうな。
作者からの返信
秦からの総攻撃を食らいたくなかった、とかなんでしょうかねえ……ともあれ商鞅の改革の価値を理解できてたのが、結局秦だけだったのだという悲しみ。
01-15-03 秦八 孝公への応援コメント
商鞅の政策と結果見てると、ヒャッハーが横行する他国より余程住み良い国に思えるのだけど、なんか批判の対象になるの良く分からんです。
作者からの返信
「周以来の伝統」を真っ向から否定してることそのものを罪業としている印象があるのですよね。
周を滅ぼした、を罪業にもできますし。まーなんつーか…
姜斉の滅ぼし方、晋の滅ぼし方のがよっぽどエグいのになーと思ってしまいます。あのへんに対する批判って全然見かけないんですよね、あるのかなぁ。
01-15-01 秦 先祖への応援コメント
出子だけ子爵なの?何があったんだろ。お家騒動でもあったのか。西方辺境領で、姫姓でもないのに公なのも不思議。
作者からの返信
出子がふたりいるとかもよくわからんのですよね……まぁ史記読んでこいって話なんでしょうけど(面倒なので確認してない)。
出子生五歲立,立六年卒。
……うわあ、完全に傀儡。
ついでにそのあとの出子(出公は)
前389年或前388年,秦出公出生。
前386年,秦惠公去世,秦出公继位。
前385年,出公母亲自杀,秦出公被杀。
うーんこの。
01-14-03 燕十 姫喜・姫丹への応援コメント
作者は刺客列伝が好きだったのかな?
作者からの返信
確かに、こういった辺りに作者の好みがでそうですね。あとはどういう層向けに書こうと思ったのか、とかもありそうです。一般には初学者向けに書いたとされていますし、そうなると「わかりやすい義の徒」としてピックアップを受けたのかもしれません。
そういった曾先之の思いが、どう江戸時代以降の日本に伝わったのかとか、めちゃくちゃ興味深いです。どこかで日本の史料にも当たれるようになっておきたいものです(言うだけならタダ)。
01-14-01 燕九 昭王・郭隗への応援コメント
中華としては北方の辺境領だから仕方ないね。中原と絡んだ事少ないんだもの。でも正直三十代ぶっ飛ばしは酷くないか。
作者からの返信
春秋の頃の燕もいろいろ面白そうだったのに、盛大に裏切られた気分です……これはひどい……
01-13-05 戦国四君 春申君への応援コメント
春申君の扱いもあれですが、平原君が四君の中で相変わらず噛ませ犬になってるのがワロタ。
作者からの返信
曽先之の「戦国四君だぁ? お前ら持ち上げられてるけど所詮秦止められなかったじゃねえか」感がバリバリに出てて、うーん曽先之さん漢人ー☆ って微笑ましくなりますw
「平原君は戦国四君の中でも最弱…」
01-13-02 楚四 荘王への応援コメント
楚も後世じゃ北朝の領域なのにダァ一ッと流して行きますね。
君子の心構えみたいなもんですかね?上に諛わず、下に密かに徳を施せ的な。
作者からの返信
ちょっとぶっ飛ばされすぎですよね……まぁ燕はそれ以上なのですが。中原に関わらない国の扱いがひどい。
十八史略の書き方だと、三年間の「鳴かず飛ばず」はただの享楽っぽく印象づけられますね。曽先之の書きぶりの意図がどこにあったのかは上手く拾いきれなかったです……。
01-12-02 韓八 昭公・申不害への応援コメント
ざっとWiki見たら昭侯って戦は負けまくってますね。申不害と内政頑張ってトータルで国力アップした人だったんですかね。
作者からの返信
こちらでも確認してきました。……うわぁ、よく滅びなかったですねこの人の代で。まあ各国の折衝点的な存在だったのかもな、とは思うのですが。
01-11-05 戦国四君 信陵君への応援コメント
信陵君は、平原君より良い男振りに書かれている気がする。いや逆か、平原君が基本ダメ男だったんだ。しかし生きる安全保証装置ってゴイス一。
作者からの返信
平原君の扱いはひどかったですねーw 藺相如のほうがはるかに四君の貫禄でした(十八史略では)。史記だとまた違うのかしら。今はまだしっかり読もうとは思いませんが。
01-11-04 魏十 安釐王への応援コメント
魯仲連ってリアルトリックスターだったのか。
作者からの返信
なんか変な人ですよね。面白いは面白いんですがw っと、范蠡のとこの蒙求、こっちにも持ってきとかなきゃ。
01-11-03 魏七 呉子への応援コメント
魯か他国人を将軍にって珍事ですね。まあ戦勝後の扱いがらしいちゃあらしいですが。
作者からの返信
魯人は確かに、全部内々でやろうとする印象がありますね。じゃあ対外戦争に打って出なきゃいいのに……とも思いますが、まぁ☆
01-11-02 魏七 田子方・李克への応援コメント
魏の文侯と武侯上げの回ですね。こんな変人共とも付き合えるエライ的な。
作者からの返信
隠者を尊べる器のデカさ、は、常に君主に求められてますわねーこの国w めっちゃ形骸化しとるやんとは思うのですがw
01-11-01 魏六 桓子・文侯への応援コメント
威烈王って諡号だけ格好いいな。孔子の弟子の第一世代が未だ生きてた事に驚き。孔子より四十四歳年少らしいのですが、それでもびっくり。
作者からの返信
威烈王って(周の権威に対し)甚大な武威を誇ったって感じなんでしょうかねHAHAHA
この頃の子夏は、さすがにもうかなりのおじいちゃんだったのでしょうねえ。
01-10-12 趙十 幽繆王・李牧への応援コメント
趙って人材は居るのな。北辺の将軍が有名になるって匈奴が強くなって来た証でもあるんだろな。
作者からの返信
あとでふと気付いたんですが、曽先之の時代の皇帝って趙氏なんですよね……要は「皇帝の先祖が統べていた国」だから重く扱っただけなんちゃうんか、と言う……
01-10-09 趙九 藺相如への応援コメント
どうだろ、両人とも人前で肌をさらしたのが共通以外無い気がする。人物とすれば格が違いすぎるもんね。
作者からの返信
あー、確かに。士大夫層以上なら肌見せを忌避していてもおかしくないですね。「それだけの謝罪をしたふたり」みたいに括れるのかも。ありがとうございます!
01-10-02 趙五 先祖 簡子への応援コメント
子供に無恤とか、どれだけ厳しいのよ。
作者からの返信
あるいは、悪諱の方向でしょうかねえ。
うんことか疫病とかつけて、
そういったものが避けられるようにする、みたいな。
とりあえず簡子は自他共にえらく厳しそうです……
01-10-01 趙四 先祖 文子への応援コメント
造父が長生きしたのか、周王の寿命が短かったのか...趙氏は波乱万丈っすね。
作者からの返信
Wikipediaに拠ると、こんな感じのようです。
武王 -1046~-1043 3年
成王 -1042~-1021 21年
康王 -1020~-996 24年
昭王 -995~-977 18年
穆王 -976~-922 54年
飛廉が武王と成王の間くらいの世代として、穆王の治世の早い段階であれば問題なくいけそうかしら、という感じですね。
何か戦国諸侯を見てると、曽先之やけに趙に思い入れあるみたいなんですよね……この人の出身、戦国七雄で言う楚ってことになってますけど、趙のあたりだったんじゃないかって気すらしてます。
01-09-08 戦国四君 孟嘗君下への応援コメント
孟嘗君が好きだったんだろね。面白い人材抱えてるし、度量あるもんな。ただ当人のエピソードは少ないのが面白い。
作者からの返信
いい主人公はよく人を使う、的なアレでしょうかね。十八史略は思いがけない人の存在感が大きかったり小さかったりして戸惑います……これも価値観の違いなんだろうなぁ。
01-09-07 斉九 田単・魯仲連への応援コメント
牛に鶏...後で美味しく頂かれたのか
作者からの返信
焼きムラが激しいので炭化したところをこそぎ落とし、生なところには改めて火を通せばなるまいしで、処理が大変そうです…
01-09-06 斉九 襄王・王孫賈への応援コメント
威王の章で出て来た卽墨が伏線になっていたかの様ですね。特別大事にしていたのかな。
作者からの返信
もしかしたら別の城の話を即墨に当て込んだだけなのかも知れません(ドリームクラッシャー)
01-09-04 斉九 宣王・湣王への応援コメント
孟子は斉においてすら過激だと思われたんですかね。
湣王のエピソードは面白いですね。
作者からの返信
孟子、と言うか春秋戦国の儒家周りは浅野裕一「儒教 怨念と復讐の宗教」 (講談社学術文庫)を踏まえるとめっちゃ面白くなると思います、正直ゲラゲラ笑いましたw
→まともに政府に取り合って貰えなくてモラトリアム爆発させまくってた孔子の怨念を晴らすべく後継者たちが政府に取り入ろうとする、みたいな感じのお話です。
湣王はきっと、史記で読んでも面白いんでしょうねぇ……いろいろいきいきとしすぎでw
01-09-02 斉八 威王・淳于髡への応援コメント
お、時系列から言って趙に援軍に来てもらったのが先なんですね。
威王あっての事とは思うけど、戦国時代に入るとロックな学者(?)が増えますね。
作者からの返信
調べてみたところ、前者が滑稽列伝に乗る威王八年の記述、後者が田氏世家に乗る威王九年の記述なのだそうです。一生懸命田氏世家探して「えっ!? ない、ないじゃん!」ってパニクってましたw
威王、宣王は、きっちり賢者に耳を貸すっていう信頼感もあったんでしょうね。
01-09-01 田斉 先祖への応援コメント
成子の諡号に精一杯の嫌味を感じるべきなのか…
作者からの返信
む、諡法解に拠れば「賞慶刑威」「從之成群」ですね……いま史記を読んできましたが、後宮で子を「成した」感じでしょうかねw
01-08-03 斉五 景公・晏子への応援コメント
御を任せられる人物って晏子の側近なんで誇らしげでも可笑しくないのに、奥方がそれ以上に志が高かった話ですね。
仕官に失敗したからか、孔子が雇われそうになった話は入れて来なかったな。
作者からの返信
ちょっとこの奥方ハイレベルすぎますよね……いわゆる「意識が高い」とは明らかに違うw もっともこの時代、ヘタにイキれば簡単に身が危ぶまれますしね……そのへんも奥方としてはやべーと思ったのかもしれません。
孔子については、魯の三桓と晋の趙氏にノーを突きつけるところばかりを強調してる感じがありますね。それによってあの偏歴も「各地の君主がみなクソだった」と演出できるおまけ付き。曽先之さんのスタンスも、なかなかに朱子学の末裔のようです。
01-08-01 斉二 桓公への応援コメント
やっぱり筆誅を加えてる感ありますね。楚の荘王の段が楽しみになって来ちゃった。
作者からの返信
この調子だと、楚も秦もすごい書きぶりしてそうですよね……w
(まだよめてない)
01-07-01 晋 文公への応援コメント
文公の良い所が書かれていないですね。報奨を授ける為に焼き殺すとか鬼畜や。
作者からの返信
考えてみれば宋の襄公もいいとこなし、斉の桓公もだいぶ悪い面押し出しでしたし、この先荘王穆公がどう書かれてるか楽しみです。曾先之、五覇嫌いな気がしてきました…w
01-06-08 鄭二・陳五への応援コメント
いや、子産が孔子とマブダチの様にしたは盛過ぎでしょ。現役の宰相と就職浪人やぞ…
しかし陳の扱い雑過ぎる。
作者からの返信
ツッコミありがとうございます、おれはよっぽど何言ってるかわからないとき以外史記を見ないようにしています(そのほうが将来改めて左伝史記漢書……をきっちり読もうって時に楽しそう)、ツッコミを入れていただけるかと助かりますw 将来左伝史記を読み込むのが楽しみだ…w
曹、鄭、陳あたりは「そこまで略すならはじめから書かなきゃいいのに」感がやばいですねw とは言え田斉の先祖なことは触れておかなきゃいけないのか。セージテキハイリョってやつでしょーか。
01-06-07 衛七 孔伋への応援コメント
魯、周、衛と各国を語るふりして孔子教団篇だったのか。衛が最後まで残ってたのが不思議な感じですね。
孔子は衛を起点に放浪してたけど、戦国期にはメイン街道から外れたのかな。
作者からの返信
周を滅ぼしてしまうなら、あえて衛を残しておく意味もありませんしね。秦に対してしたたかに立ち回ったのかも知れません。このへん史記とか国語とか読めば何かヒントが残されてるんでしょうかね、将来確認してみたいところです。
孔子とその弟子たちについては、十八史略としても何とか大きく残しておきたかったのでしょうね。この辺曽先之と朱子学との関係性で何か探せると面白いのかも? 北宋~南宋の記述に期待したいところです。
01-06-06 衛六 出公・子路への応援コメント
こうして見るとつまみ食い的な書なんですね。興味持ったら別で調べろよ的な。
呉は建国伝説上別格として、後は公侯伯子男順かぁ。衛も一番良かった時を取り上げて貰えないんだな。
作者からの返信
そうですね、ほんにつまみ食いです。別途主要人物一覧を作っているんですが(アウトラインの作成は煩瑣になるだけだと気づき諦めた)、ほんに春秋の扱いがひどいです。おま、もうちょっと人物取り上げてやれよって泣きそうになりました。
01-06-05 周五 老子への応援コメント
孔子も倉庫番になってたけど、なんかもっと特殊技能を持つ役職な気がする。簿記とか物品管理が体系化されていない時代に、読み書き計算が出来て在庫管理間違いがなければ、スッゲェ出来る人感あったのかな。てか読み書き出来る時点で特殊技能だもんな。
作者からの返信
いまからは思いがけない仕事が重任とされたんでしょうねえ。とりあえず倉庫管理って「自分ではあんまり動かなくてよさそう」ではありますし、重職になりそうです。あの時代、いかに下人に仕事を振るか、な気がしますので。
01-06-04 魯六 孔子下への応援コメント
孟子の姓って孟孫氏から来てたのか。
孔子って仕官先探すの、基本的に落ち目の国なんだ。コンサルの魁だね!
作者からの返信
落ち目の国のコンサルとしてすら採用されてないのがわりと大草原ですわね…十八史略とかいう「頑張って孔子を称揚したい書物」ですら孔子の官途を彩れていないのに、涙不可避であります(爆笑なう)
01-06-03 魯五 孔子上への応援コメント
孔子ロックだな。講和会談の場で相手の連れてきた楽士ヤッてしまうとか、そら景侯ビビリますわ。むしろ真実は孔子が景侯を人質に取ったて返還させたんじゃないの…斉の桓公の時の前例もあるし。
作者からの返信
研究とか読むと「孔子がその手のことするわけねえだろアホか」とかツッコミが入ってるのがまた楽しいですw まぁけど儒の始祖サマについてはお強くあっていただきたいでしょうからねぇ…w
01-06-02 魯 歴代公への応援コメント
長いこと持ったけど最後までパッとしないまま終わっちゃった。無理に良いとこ探しても孔子上げだもんな。ただ結構早いうちにトライアングルの寡頭制になったんで国内は安定してたのかもね。
作者からの返信
隱公より前とかならそれなりに強盛誇ったんじゃないのって気もするんですが、なかなか世知辛いですね…
01-06-01 魯 周公旦・伯禽への応援コメント
とても素直に考えると、口の中の物を飲み込んだ方が早いんじゃないかな?
美化しすぎてバグった逸話も多いのかな。西周の箇所じゃ冷徹果断で優秀な政治家で将軍だったのに。
作者からの返信
これが美談になってんだからわけわからんですよね……と言うかどんだけ狭い家だったんじゃいとw 周公にまで任じられるお方の割に、このエピソードから見えるお屋敷の広さが凄まじく狭い……w
01-05-06 宋 三襄六景九康への応援コメント
最後は王を自称してたんだ。なんか殷の後継で最後だし邪智暴虐設定でヨロシコ感あるな。
作者からの返信
「九」と世代している通り、康王は戦国も後半に入っているのですよね。そもそも戦国の各王が自称ですし、「お前らが王を自称してんのに、なんで伝統ある俺が諸侯を名乗らにゃいけねえんだ」みたいな感じだったのでしょう。
まぁほかのみんなは実力があったから王を名乗れたんですけどねっ☆ とゆう……w
01-05-03 越六 勾践への応援コメント
呉の次なので越なのでしょうが、順序的に何でやねん感ある。呉は建国伝説的にも季礼の出身地からも贔屓の理由がある気がするけど...
作者からの返信
あ、越は世家立てられてないんですよ十八史略w あくまで呉のおまけ的扱いで。自分も「別に越の世家あるよね……ないのぉ!?」ってびっくりしましたw
01-04-03 諸侯概説への応援コメント
召公は姫姓で良いのですか?功績大で一族扱いしたのかな。
でもなんか元々の根拠地から相当離れた地に封土貰って微妙だったんだろうな。結果的に楚だの秦だのに飲み込まれなくて助かったのだろうけど。
作者からの返信
「史記に倣えば」、ですね。現在だと別姓説が出ていますが、十八史略の段階では断言していますので、ここではそこに従いました。
ほんに、燕とか僻地も僻地ですよねぇ……ただ、東北エリアからの騎馬民族を防ぐのに信頼の置ける人物を充てたかった、って気持ちもわからないではないです。史書に書かれていようが書かれていなかろうが、北族が豊かな南土を狙うのは自然の摂理とすら言えるでしょうし。
編集済
01-04-01 周 春秋時代への応援コメント
え、霊王って諡が酷くないですか?後世の評価が高いなら、後継ぎと揉めたのかな。
解説ありがとうございます。良い諱かっちゅうと、それは審議入りっすね。
でも思った程悪くは無いのか。生まれた時の鬚が諱にまで祟ったんですね。
作者からの返信
どうしても霊帝がいるから悪い諡に思われがちなんですが、諡法解によると
・死して初めて志を成し遂げた。
(死而志成)
・乱にあっても生き延びた。
(亂而不損)
・よく祭祀を知る。
(極知鬼神)
・特に働いていないのに
名を挙げた。
(不勤成名)
・死後霊となってあらわれた。
(死見神能)
・祭祀大好き。
(好祭鬼神)
といったケースで用いられていたそうです。この場合は霊験あらたかな出生の上、よく祭祀も執り行った、みたいな感じだったんでしょうね。
01-03-08 周 褒姒への応援コメント
とはいえ外も内も治められなかった幽王が一番悪い。古代の悪霊のせいにすんなよ…しかし褒娰さんは笑わなかった所がクローズアップされてるけど、太子を交代させたし内宮でバチバチ争ってたのかな?
作者からの返信
幽王もねー、ばっきだっきほーじと3代の王朝の滅び方が足並み揃えすぎていて胡散臭さがただごとではないです…何なんでしょうね。いや寵姫にかまけたせいで滅んだ国は確かにあったのでしょうけど。
妄想をたくましくすれば、東周平王が「褒娰に廃嫡されかけたことを恨んで歴史上で仕返しした」みたいな妄想も許されるとは思うのです。
いま、周の時代の考古史料がバカスが出ているそうですので、今後どう殷周の歴史が塗り替わるか、楽しみですw
01-03-05 周 成王・周公・召公への応援コメント
周公旦って殷との戦の時は存在感無いのに戦後の反乱鎮圧となると七面六臂の大活躍だね。成王がむしろ身内を遠ざけて召公の方を近づけたのも意味深な気もする。周公旦が死ぬまで緊張感あったんだろな。
作者からの返信
基本召公奭と一緒って感じですものね。なんだかんだ、成王って最後まで周公旦を信頼してなかったんじゃ…とも思ってしまいます。
01-03-02 周 先祖への応援コメント
「公叔鉏」とカッコで括ってると、なぜ公叔なのかって思ったり出来ますね。地味にお家騒動でもあったのかな。
作者からの返信
周の名前はよくわからんとですね……なんか異言語を漢語化させたようにも見えますし。「周って元々羌族だったんだろ」という説も、あながち名前の面から見過ごしきれないのかもです。
編集済
01-02-07 殷 箕子への応援コメント
別章立てるって箕子は特別な人なんですかねぇ。詩の解釈としては宮城谷昌光氏が王家の風日で書いた所を採用したいな。
今、手元に原本無いので曖昧ですが、身内のいたずら小僧に対する様な解釈だったかな。ちゃんと読み返さないとダメっすな。申し訳ない。
作者からの返信
特別かどうかというより、別章立てるくらいに曾先之が分量を盛り込んでいる、と言う感じなのですよ。省略、簡潔を旨とする十八史略の中で「やけに分厚い」人については、おそらく何らかの思想が隠されているのではないか、と考えています。
宮城谷昌光氏の解釈はどのような感じなのでしょうか。お教えくださいますと幸いです(宮城谷氏はなんだか文章との相性が悪くて読めないのです…)
詩についても、ありがとうございます! どこかで宮城谷氏の文章にも再トライしておかねば……
01-02-04 殷 湯王への応援コメント
追放で終わったのか、前章にあるように自死まで追い込んだのか...古代の未開エリアへの追放はシャレにならんって事なのか。
作者からの返信
古代の伝説的事績については、わりと「あなたの想像におまかせします」になりそうです。いや、コンテキストを共有できてるんなら問題ないんですが、この辺の史書記述を読んでると「読者がコンテキストを共有できない」ことに想像が及んでなさそうなんですよね…。
夏についてのあれこれがどのくらい解明されるのかとか、考古学的知見の進展がマジで楽しみで仕方ありません。すくなくとも婦好について論じるとか、わずか半世紀前の人間にすら許されなかったことがらですしね。
01-02-02 夏 少康までへの応援コメント
三代目がろくでなしなのに、よく続いたもんだね。「相」は王としての名はなかったのかな?
作者からの返信
夏の末年のエピソードが「これ明らかに後の時代のネタねじ込んできてんだろ」と言われていますし、また周の史書記述ですら出土史料とだいぶ食い違ってきています。まぁ、「道徳の教科書」以上に考える必要はないと思います。
王号はよくわからんですね…夏と殷は名前をどう扱うのが正しいのかさっぱりわからんです…
01-01-01 始祖への応援コメント
9人x30年x150世代で40,500年?5000年位足りないけど誤差かな。
作者からの返信
あ、三十年はこっちの余計な年数ですね。雑計算をしすぎました、こちらは削除します。ご指摘ありがとうございます!
02-03-21 漢一 呂太后 下への応援コメント
王陵丸損やん…陳平の要領の良さにチョット嫉妬しちゃうw
作者からの返信
王陵は世説新語https://kakuyomu.jp/works/1177354054884883338/episodes/1177354054888619701
でも、損な役回りとして描かれてるんですよね。まぁ、陳平と比べられたら役者が違うのはどうしようもなさそう…w