6.新たな旅立ち

 目を覚ますと、自分は見知らぬベッドに寝かされている。

 丁寧に洗われた清潔な敷布からは、微かな石鹸の匂いがした。

 紫堂連はベッドから半身を起こすと、窓の傍に立つ男に目を向けた。




******




「あなたが救助を?」


 エイデンという初老の男は変わらぬ静かな気配を湛え、ゆっくり顔を上げた。

 教会の中にあるささやかな食堂。

 身支度を整えた連は、その場所で彼と向き合っていた。

 目の前には彼が用意してくれたパンとスープがある。

 湯気を上げるそれを前にしながら、連は相手からの返答を待っていた。 


「余計なことだったなら謝罪する。君は瓦礫の中で気を失っていた。とりあえずあの場ではああするしかなかった」

「……いいえ、助けていただいてありがとうございます。ここまでしてくださったご恩は忘れません」

 

 連は礼を告げると、あの瓦礫の街での出来事を思い出していた。

 全てが終わった後、自分は気を失ってしまったらしい。

 それを見つけ出し、赤の他人の自分の介抱までしてくれた相手には感謝しかなかった。


「君はあの時の君とは……いや……これは愚問のようだ、忘れてくれ……」


 彼は何かを思う表情でこちらを見返していたが、そのように呟いて言葉を終わらせた。その表情には複雑とも言えるものが見え隠れする。

 彼は以前対峙した相手と、今ここで向かい合う相手に違和を感じているのかもしれない。あの時存在したをもしかしたら感じ取っていたのかもしれないと、連は思った。


『イングヴァル……』


 連は心でその名を呟いた。

 だが〝彼〟はもうここにはいない。

 復讐を果たした彼は自分の中から消えてしまった。

 先も見えず、果てしなくも感じていた〝彼の〟旅は終わったのだった。


「しばらくの間ここで休養しても構わない」

「いえ」


 連は立ち上がると傍の刀を取った。

 あの場所で望まぬ死に導かれた彼女達の弔いは、既に彼が行ってくれていた。

 ここで自分がすべきことはもう何もなかった。


「もう発ちます。スープとパン、ごちそうさまでした。色々とお世話になりました」


 声をかけても男は頷くだけで何も言わなかった。

 教会を去り、この寂れた小さな町を出るために通りを歩く。


 手を取り合って、ここを去ったあの二人は今どうしているだろう。

 もう一人の少女は、今日もあの森の家にいるのだろうか。

 大事な妹を失ったあの少年は……。

 町を出る唯一の希望をなくしたあの女性は……。

 初老のあの男性はこれからもこの町で贖罪の日々を送っていくのだろう……。

 そして自分は……。


 歩む足を一度止めると、連は背後を振り返った。

 通り過ぎてきた数々の街、数々の場所。

 出会った人達や出来事に暫し思いを馳せるが、所詮自分は流れ者。

 彼らにとっても自分は通り過ぎていくだけの存在でしかないはずだった。



 

******




 揺られる気配で、イングヴァルは意識を開いた。

 視界には、荒れた大地が入り込んでくる。

 傍には若草色と漆黒で染め上げられた見慣れた着物の色と、茶色のブーツ。

 自分に〝触れた〟手の感触をイングヴァルは無い瞳で見上げていた。


「何も見通せない旅だ。私の命もいつまで持つか分からない。だがお前と一緒に行くよ。その時が来るまで」


 彼女が独り言のように呟く。

 その言葉は彼女が自身に向けたものにも、ここにいない相手へと向けられたものにも感じた。


 その時が来るまで。

 それがいつなのか、そのことを知る者は誰もいない。

 遠い未来か近い未来。

 確実に訪れるその日が来る前に、彼女の望みが必ず叶えられることを心から願った。


 力強く大地を踏みしめる彼女の足音が届く。

 刀に取り憑くだけの魂となった自らを思い、イングヴァルは相手のために自分は一体何ができるのだろうと考える。

 気晴らしの会話ができる訳でもなければ、一発逆転の妖術を使えるでもない。

 また死に損なったただの役立たずの元チンピラ。


『まぁ、答えの出ないことをぐるぐる考えても仕方がないか。なるようになるさ』


 この感覚にはまだ慣れないが、要は気の持ちようだった。

 いずれやれることにも気づけるかもしれない。

 元々大雑把な性格でもある。こんな不自由な身でも日々継続させていけば、なるようになっていくものだった。


「次の街が見えてきた。何か手掛かりが見つかるといいな」

『ああ、そうだな。幸運を願ってる』

 

 イングヴァルは彼女を無い目で見上げて、無い声で応える。


 逃げることも回避することも許されない、このさだめ。

 彼女が言うその日をいつか迎えた時、そこから自分は本当に独りになるのだろうと

イングヴァルは思う。

 再々度与えられた彼女とのこの時間も、自らに与えられた新たな罰。

 彼女がいなくなった後、残された記憶を永遠に留めながら、自分は延々と続く独りの時を過ごしていかなければならないのだろう。


「行くか」


 彼女が誰に言うでもなく呼びかける。


『ああ』


 イングヴァルはその言葉に応えるように見えない希望を無い瞳に映して、再度隣を見上げた。


 今日は吉か凶か。

 それは誰にも分からない。

 彼女の力強い歩調を感じながら、イングヴァルは一時いっとき、意識を閉じた。

 



〈了〉

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バイオレット・ヴェンデッタ 殺意と色と人情の復讐旅 長谷川昏 @sino4no69

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