人肌の墓

サクラクロニクル

人肌の墓

 墓にも暖房がついたのはいつの頃だったか。おれは知らない。死体を温めたりしたら雑菌だのウジ虫だのの理想的な繁殖地を提供するようなものだと思えるのだが、日本では死体のほとんどを火葬にしてしまうのだからそんな心配は無用だ。そういう問題ではなく、死者にとっては暖かさなどいうものは無意味なエネルギーの消費でしかないわけだから、これは生きている人間のためになされることだ。つまり、墓を抱きしめた時に冷たくないように、というわけだ。石を温めるのは容易なことではないのだが、それをうまくやるのが現代の科学技術というものだ。

 技術の発展はしばしば人間の感情を機械化する方向に進めるなどといわれるものなのだが、その方がより自然で合理的なように思えてしまう、この光景だった。いまおれは雨の中で人肌に温まった墓を抱きしめる友人の姉の姿を見ている。竜彦はその様子を冷めた瞳で見つめている。当然のことだ。そこには誰も眠ってなどいないのだ。人間は死ねばそれで終わりだ。おれたちは自分の心を慰めるためだけに死者を悼む。だがそのむなしさときたらない。灰にしてしまった人間のことをずっと思い続けるなど。ましてや、なにがしかを語りかけながら墓に抱きつくだなんて、正気ではない。

 いや、実際、そうなのだろう。あちこちからすすり泣きやら酒盛りをする声などが聞こえてくる。みな温かみのある墓を人間の代わりとして利用して、自分たちの狂気を正当化している。

「ああはなりたくないな」と竜彦がいった。

「ああはなりたくないんだ」と竜彦が誰にともなく繰り返した。


 それから二年して竜彦の姉が自殺した。

 彼女の墓も、もちろん暖房が取り付けられ、おぞましいほどの温かみでおれたちを迎えた。

「馬鹿げてる」

 竜彦の言葉だ。

「姉さんの体温そっくりなんだな、この暖かさは。本当にそこに姉さんがいるように思えてくる。なあ、こんな馬鹿なことってのが、この世の中に存在していいんだろうか」

「狂気にとらわれた人間を好きでい続けることもまた狂気で、そういうことをバカなことっていうなら、この程度のことを許容もできないで狂ってはいられないだろう」

 竜彦は泣きながら墓石にキスと愛撫をした。おれはその様子を黙って見つめ続ける。

「こうはなりたくなかった」

「ああ」

「こうはなりたくなかったんだ」

「知っていたつもりだ。そしていつかこうなってしまうこともまた、知っていたはずだろう」

 おれは吸えない煙草と飲めない酒の味を想像した。

 甘い煙となめらかな舌触り。


 芽吹いた狂気が冬に枯れ果てるまでに四年の歳月がかかった。身寄りのない竜彦の灰はおれが受け取ることになった。世間体もある手前、おれは彼を墓に入れざるをえなかったが、暖房をつけることは断った。竜彦の体温データなどは完ぺきに揃っていたが、おれは自分の知らないそれに対して死後に触れる、というような虚しさを許容できる気がしなかった。それに、それが仮に彼の体温だったとしても、そこに存在しない魂を幻視しかねない魔力、その存在を認めるわけにもいかなかったのだ。

 そして竜彦の命日のたびに、墓に無意味な詩の暗唱を聞かせながら、たわしでこすったりしてきれいにしてやる。思えば、こんな行為と竜彦たちの狂気の、どこかどう違うというのだろう。

 だから周囲を見渡して誰もいないことを確認したとき、おれはそっとその墓にくちづけをしてみた。

 その墓石は姉を愛しておれを愛さなかった竜彦の冷たさであり、死んでもなお彼はおれという存在にたいして冷淡であり続けていることの証明なのであった。

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