第7話



「となり、いい?」


 ベランダの手すりに顎を乗せてうとうとしていると、放課後に似合わない制服姿の彼女がそう声をかけてきた。

 なんで違う教室の、と思って固まる。すると、彼女はうんうん唸って目の前に何かを差し出してくる。


「どっち飲む? コーラ? カルピス?」


「え、なんで」


「引退したから、今からジュース解禁するの」


 数日前のわたしのように、彼女は一歩距離を詰めてくる。反射的に後ずさりしかける。

 彼女もそうだったのだろうか。そうだろう。めっちゃ怖いなこれ。

 不意打ちは頭が働かなくなる。


「カルピスでお願いします」


「敬語?」


「カルピスが飲みたいなー」


「どうぞどうぞ」


 彼女から缶を受け取って、プルタブ上げて、乾杯。

 変な感じだ。お互いの頭の上にはてなマークが浮かんでいるのはたしか。


 ……ていうかあれ、引退したからって言ってなかったかさっき。

 それって、まさか。まさかのまさかなのか。去年より絶対速いのに?


「負けたの?」


「うん、負けたよ」


「なんで、え、どうして? 引退ってことは決勝行けなかったの?」


「そうそう」


 顎を大きく動かして頷く姿は誇らしげで、悔しそうな顔を一切してない。

 あの負けず嫌いな彼女のイメージがかなりブレる。彼女はわたしの顔を見て苦笑する。


「これで私の陸上は終わり。もう部活では走らない」


「大学で続けないの?」


「うん」


「もったいなくない?」


 驚きの連続で、ついつい質問攻めをしてしまう。


「あなたってどこの大学受けるの?」


 質問に質問が返ってくる。

 ええなにそのしつもん……と思いつつも返答する。近所の大学。


「成績いいのね」


「まあ、華の帰宅部ですし」


「そっか。私もそこ受けるっていま決めたから」


「えっ」


「走ってるときのあなたみたいに受験までに失速したりしないでよ」


「……えぇと」


「あなたが前か横にいてくれないとつまらないの。走るのも、何もかも」


 なにを言われてるんだ。

 景色がふわふわしている。夢なのかこれは、と頬をつねる。「なにやってんの」と言われる。

 うおおめっちゃリアルっぽいなあ。痛いからリアルそのものだけど、痛覚の方が遅いってやっぱ夢なのでは?


「ねえ、これから時間ある?」


 腕時計を指差して、彼女は穏やかに首を傾げる。

 反応にひどく困る。暇は暇だけど。


「暇だよ」


 心の中では悩んでる気がしたけど口が勝手に動いていた。


「そう、なら何か食べに行かない? ファストフードでもレストランでもなんでも」


「どうして」


「引退したし女子高生やってみようかなって」


「……あの、そうじゃなくて、なんでわたしと」


「……駄目?」


 そんな目で見られたら。


「駄目じゃないっす、おっけーす」


「じゃあ決まりね」


 地面に下ろしていた鞄を手に取って、彼女はわたしに笑顔を向けてくる。

 初めて見たような、かわいい顔。こういう顔を常に見せてくれれば、わたしももっと何かあったかもしれないのに。


 ていうかいろいろとすっ飛ばしてるし、こんだけ話してるのまだ信じられないし。

 友達……なのか? 友達感全くないけど。や、二人でごはんなんて行ったらそれもう友達か。つまりこれから友達になるってわけだ。

 そんで、友達だったら一緒に走ろうってお願いを聞いてくれるかもしれないわけか。

 っていう論理の飛躍。なんだかにやける。今まで考えるのを避けてきたことに結論が出る。


 楽しければそれが一番じゃないか。

 そして、楽しめる状況をつくるのはわたし自身じゃないか。


 彼女と、もっと仲良くなってから言うことにしよう。

 今この瞬間からなのだ。新しいスタートを切るのは。


「ね、あのさ──」


 流れに身を任せ、彼女の方へと一歩踏み出した。



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スタートダッシュ @9vso2a

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