第3話 羽化

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 ちなみにこの手紙はわたしの従姉妹の家に届きました。肝心な時にちょっと失敗する貴女の性質は、神様になっても変わらないんだなと思うと、少しだけ嬉しくなりました。

 貴女はきっと、わたしが想像する何倍、何十倍もの時間を一人で生きていたのでしょう。それくらい長い時間をかけて、この手紙を書いてくれたんでしょうね。

 一人称が変わるどころか、終盤日本語すら忘れかかっていますし。

 神様が複数体制なのか、加奈子が前任にとってかわって唯一神になったのか。それはこの手紙からも、いかなる文献からも読み解くことはできません。

 だから安易に、“一人で生きていたのでしょう”なんて断定するのもおかしな話ですね。というか加奈子の数え方って今は一人、でいいのでしょうか? 一柱?

 貴女が一柱だろうが一竿だろうが、大切な人には変わりないですが。

 ところで、お手紙の返事はどうすればいいんでしょうか。

 加奈子には神様の不思議パワーがあるのでわたし宛に手紙を出すことは容易だったと思います。失敗していましたけどね。

 反対にわたしは加奈子の住所を知らないうえ、不思議パワーなんてものも備わっていません。

 そんなわけで、しばらく返事を出しあぐねていましたが、ついさっきようやく気が付きました。

 神様のことだから、わざわざ手紙にしなくたって、伝わるんじゃないですか。

 実態はわかりませんが、とりあえず加奈子に物理的なメッセージを届ける術を見つけるまでは、そう信じて貴女宛に想いを念じようと思います。

 まずは簡単な近況報告を。

 今はもう覚えてもいないかもしれませんが、あのアキラ君が結婚して、芸能活動を休止しました。

 全然わたしの近況ではないんですけどね。あれ、覚えていますかね?

 ほら、あの半年間だけドはまりしていたアイドルですよ。

 貴女が結局コンサートに行けなかった話は今でも時々思い出して笑ってしまいます。

 アキラ君はあの後も順当に売れ続け、日本でトップクラスのアイドルになりました。

 そんな彼が結婚したとき、ファンの間に激震が走ったことをよく覚えています。お相手はなんと一般人女性。

 一般人女性ってなんなんですか?

 神様になってしまった加奈子はもう一般人ではないことはわかるんですけど。

こういう場合って、どこまでが一般人なんでしょうね。

 売れないお笑い芸人は一般人なんでしょうか。アキラ君の結婚相手が売れないお笑い芸人だとはどうしても思えませんが。


 そんな話はさておき。

 わたしとしては、アキラ君が結婚したことよりも、活動休止したことの方が驚きでした。

 そうです。彼は結婚をきっかけに芸能界から身を引いたわけではありません。

 ありません、というと語弊があります。正確に言うと彼の活動休止理由は不明ですので。

 ただ、活動を休止したのは結婚の数年後なので、結婚がきっかけとは思いにくいです。

 ではアキラ君の活動休止理由は何なのか。本人は何も言っていないので、あくまでただの推察になりますが、わたしにはなんとなく想像がついています。

 前提として、彼は活動を休止する直前に、あるバラエティ番組でもうすぐ父親になるとコメントしています。

 しかし、彼は父親になる前に芸能界からいなくなりました。

 ねえ、加奈子。

 貴女は言いました。

 生物のデザインもすべて、神様が担当していると。

 ねえ、加奈子。

 アキラ君は、半年間だけとはいえ貴女がドはまりしていたアイドルです。それなりに強い思い入れが、いまでもあるんじゃないでしょうか。

 強い思い入れのある人間の子どもをデザインしようとした貴女は、いったい何をやらかしたんですか?

 それは、人間一人が心を壊してしまうには十分の、何かとんでもない過ちだったんじゃないですか?

 もちろん加奈子を責めているわけではありません。

 神様だって多忙でしょうし、失敗の一回や二回あるでしょう。

 でも、わたしは怖いのです。

 もし加奈子が、わたしにほんの少しでも思い入れがあるのだとしたら。

 いま、私のお腹の中にいる子どもは、いったいどうなってしまうんでしょう。

 ねえ、加奈子。

 もう一つだけ聞いてもいいですか?

 最近、世界中で奇妙な現象が起きています。

 第二次性徴に差し掛かった子どもたちが、性別や国籍関係なく、全員昏睡状態に陥っているのです。

 そして、昏睡状態にある子どもたちはみな、皮膚が硬化し、栄養価の吸収が不要になっています。

 それを見た人々は、専門家もそうでない人も全員が口をそろえて、「サナギのようだ」と言いました。

 事実、硬化した皮膚の中身は、ドロドロに溶けた状態になっているようです。

 ある人は病気だと言い、ある人は終焉だと言います。

 そしてある人は、人類の進化だと言いました。

 神が、人類をもう一段階上のステージへ導こうとしているのだと。

 ねえ、加奈子。

 人間が「神様のせいだ」というときは、だいたい神様のせいなんですよね。

 きっと、生物の進化を促してきたのも神様なんですよね。

 ねえ、加奈子。

 貴女はサナギが好きでしたよね。

「幼虫が、サナギという殻にこもって一度ドロドロに溶かされたあと、あんなにきれいなちょうちょになる。その“羽化”っていう現象が、あたしはたまらなく好きなの」

 貴女の言葉は今でもしっかり覚えています。

 そんな加奈子が神様になったんだし、人間を完全変態で成長するシステムに変えようとしていると言われても納得します。

 貴女が、それがいいと思ったのなら、きっとそれがいいのでしょう。

 でも。

 ねえ、加奈子。

 大丈夫ですか。

 それだけ思い入れのある“羽化”という進化を促して、貴女は失敗せずにいられますか。

 ドロドロになった世界中の子どもたちは、サナギ期間を経て、いったいどんな成虫になるんでしょうか。

 それは本当に、加奈子の想像通りになりますか。

 とんでもない何かが、生まれたりはしませんか。

 ねえ、加奈子。


 ねえ、神様。

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羽化 姫路 りしゅう @uselesstimegs

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