アス・モーンの証言 ─ 後編 ─

友人クラーク・シュムの死は僕アス・モーンに大きな衝撃を与えた。

僕は彼の葬式に出る事さえ許されず、困惑に顔を染めた警官たちから一方的な質問攻めを受けた。

何故クラークの死に、僕が関係があると警官たちが決めつけているのかと言えば、

彼が残した遺書に僕宛てのメッセージが書かれていたからに他ならない。



 *



今は亡き友人クラークとはニューイングランドの赤い霧に関する議論をした後、

帰路に着いたがお互い興奮冷めやらぬという感じでロッドブリッジに立ち寄っていた。


この橋は自殺の名所として有名だった場所だ。

ロッドブリッジは車両・歩行者が通過できる画期的な橋であった。

しかしこの橋が出来て以来、ここでの飛び降り自殺が急増し一時閉鎖までされた。

そこで一人の自称霊能者アノーク・ルヘンは、自殺者が急増しているのは橋が黒いのが原因だ、と市役所に訴えた。

建設後1年が経過し、ロッドブリッジでの自殺者は優に100人を超えていた。


そのため市民の不安も増すばかりで、アノークの主張の真偽はともかく、それに便乗して市役所に対策を求める声は多かった。

結果、市はロッドブリッジを黒から赤色に塗り替えることを約束し、2年かけて工事を終えた。

するとロッドブリッジでの自殺はぴたりと止み、それから5年というもの誰一人この橋から飛び降りていない。

この事実によりアノーク・ルヘンは本物の霊能者として名を挙げ、数々のテレビ番組に出演する様になった。


そして今、僕とクラークもロッドブリッジに備え付けられた木製のベンチで休息をとっていた。

もちろん新しい隠秘学への議論を始めるための休息である。


「アス。こんなことを考えたことはないか?実はこの世界は見えない水に沈んだ世界であると」


今度は僕が鼻で笑う番だった。喫茶店でクラークが僕を笑ったみたいに。


「見えない水だって?流石にあり得ないね。だったら僕たちは既に溺死しているよ」


僕の返答を聞いて少しうなだれるクラーク。


「そうだな...でも俺には"風"というより、"海"という表現がしっくりくる」


誰に言うでもなくクラークはそう呟くと、顔を上げ僕の方を見た。


「アス、言うまでもなくこのロッドブリッジの怪は知っているだろ?」


「もちろん。急増していた自殺者がぴたりといなくなった話だろ?」


そうだ、と指をパチンと鳴らすクラーク。僕は指で音を出すのが苦手だから少し羨ましい。


「アスはどう思う?ロッドブリッジの怪」


僕は...と一瞬言葉を止め、考えをまとめる。そして思ったままに推測を述べた。

黒とは人を暗い気持ちにする色の為、この橋を渡っているうちに憂鬱な気分になり、最終的に自殺しているのではないか。

赤色は目につく色だし、見ていて気分が落ち込む色ではない。だから気分が落ち込む人はいない。


結果、黒から赤へと橋の配色を変える事で憂鬱な気分になる人がいなくなり、自殺者がいなくなったのだと述べた。

当時は今に比べて労働環境が酷く、低賃金長時間労働が多かったことも付け加えて。

クラークは珍しく僕の主張をうんうんと頭を縦に振りながら聞いていた。


「アス・モーン、君が俺の友人である事に感謝するよ」


クラークは喫茶店で送ってきた様な皮肉交じりの賞賛ではなく、正真正銘の敬意を払った賞賛を送ってきた。

僕は嬉しい反面、どこか気持ち悪さも感じていた。


「恐らくその考え方は"科学的には正しい"」


「その言い方からすると別の答え、"隠秘学側の答え"があるってことかい?」


クラークはまたしてもうんと頭を縦に振り、僕の目を真っ直ぐ見ると話を続けた。


「これから俺が言うことは突拍子もないことに聞こえると思う。正直俺自身信じられないでいる」


そう前置きをしてからクラークは語り始めた。

いつの間にか手にしていた黒い手帳を片手に...



 *



1873年の秋にニューイングランドで発生した赤い霧の原因が、霧を構成する塵が例年とは別物であることを知ったクラーク。


それを知ることが出来たのは兄のスティールから借りた顕微鏡で、赤い霧から採取した霧を構成する水分と塵を観察したからだ。

霧を構成する水分に異常はなかったが、塵の方は違った。形がいびつなものが多く、まるで噛み砕かれたかの様な、食べ残しの様な欠けた塵が多く含まれていたのだ。

クラークはこの事実に興味を持ち、あることを決意する。それは塵を追いかけることだ。


無論それは容易なことではない。ただクラークには直感であれ確信があった。

この塵は何物、あるいは誰かが故意に衝撃を与えた結果、生まれているものだという確信が。

それからクラークはニューイングランドでの赤い霧発生前後のあらゆる情報を集めた。

ニューイングランドで発生する前に、どこか別の場所で赤い霧が発生したという記録は無いか?

または統計学的に見えてくる奇妙なパターンは無いか?と。


そしてクラーク・シュムは見つけた。

それが北東から接近し、ニューイングランドを通過し、近いうちに此処ロッドブリッジを通過することを。


「一体何が通過するというんだい?」


僕は突拍子の無い話と、突然の宣言に驚き、思わず口を挟んた。

まぁ待て、とクラークは手で僕を制すると話を再開した。


あれは正真正銘、形而上学的な生き物だ。そう呟いてから。


クラークが見つけたのはニューイングランドで赤い霧が発生した街を軸に、北東から一直線に延びる死の線だった。

地図上で死の線の上を通過する場所は、レビストンの自然公園、クランドコーンの渓谷、ワルソン広場。

すべて世界的に自殺の名所として知られている場所で、ニューイングランドと一直線に結ぶことが出来る場所だ!

クラークは更に調査を進め、ある法則性に気付く。


ニューイングランドから最も遠いレビストンの自然公園で霧が発生した後、自然公園より近いクランドコーンの渓谷で霧が発生、

それからニューイングランドに一番近いワルソン広場で霧が発生。

そしてワルソン広場での霧発生から6日後、ニューイングランドで赤い霧が観測された。


「つまり死の線、自殺を誘発する霧が、一直線上に移動し続けているってことかい?」


あぁその通りさ、死を招く霧が。とクラークは不敵な笑みを浮かべ話を続けた。


クラークは霧が発生していた日は他の日に比べ、特に自殺者が増えていることに気付いた。

交通事故などが増えているのは慣れない霧のせいかも知れないが、自殺者がその日だけ急増するのはおかしい。

クラークはそう思い、ニューイングランドより南西にある、自殺の名所の一つヨアンの塔へ調査の為向かった。


もし本当にニューイングランドを軸に北東から霧が向かってきているのなら、次は南西へ向かう可能性が高いからだ。

そしてその予想は見事的中し、クラークは霧に支配された自殺の名所ヨアンの塔を訪れていた。

彼が塔を訪れた頃には、既に救急車と警察車両が殺到しており、自殺者が出たことは用意に知れた。


しかしクラークは霧に支配されたヨアンの街を歩いていると奇妙な光景を目にした。

それは老婆が横断歩道をゆっくりと渡っている時だった。

クラークは昼食をとるため街を散策していると、ゆっくり危なっかしく歩く老婆を見つけ歩行を助けるべきか悩んだ。

手を貸してやるのはいいが、自分を弱者扱いされると怒り出す老人もいるため、声を掛けにくかったのだ。


そうして悩んでいたクラークはその迷いを抱いたことを後悔することになった。

横断歩道を渡る老婆の頭上の霧が急に渦巻き始めると、渦の中央から赤く染まりだし海月の形をとった。

次の瞬間、その赤い海月の形をした霧は老婆を地面に押し倒した。

クラークはあっと思い、老婆のもとに駆け寄ろうとした。


しかしクラークより先に駆け寄ったものによって老婆の命は絶たれた。

そう、乗用車が道路に倒れた老婆に気付かず轢き殺してしまったのだ。

運転手は老婆の死体を見るなりパニックに陥り、急いで車に戻ると走り去っていった。

一方のクラークは轢き逃げ犯を追う事も、警察に通報する事も出来ずにいた。


何故ならあの海月擬きの赤い霧が、老婆の死体から燐光を発する青白い何かを取り出していたのだ。

クラークは絶叫しながら自分が運転してきた車がある駐車場に戻ると、急ぎエンジンをつけ霧の支配するヨアンの街から脱出した。


「あの海月擬きだけじゃない。鯨だ…赤い霧で出来た鯨が、ヨアンの塔の頂上にいた観光客を落としていやがった」


クラークは吐き捨てる様に、罪を告白し懺悔する様に言った。

僕はと言えばクラークの話の内容が信じられず、ただ黙るしかなかった。

ただクラークの反応を見れば、それが嘘偽りのない事実であることが確かなのだと、悟るのには充分であった。


「恐らく2日後、あの霧がロッドブリッジを通過する」


「えっ…」


クラークの口から出た言葉に絶句する。


「アス、君は黒色が人を憂鬱にするのではないか?と言ったな。違うんだ、黒色はあの霧が好む色なんだ」


そこで僕は気付いた。レビストンの自然公園、クランドコーンの渓谷、ワルソン広場、ヨアンの塔。

これらの場所には全て黒一色で造られた建物があるのだ!

だからこそ次に霧が訪れるのはロッドブリッジであるとクラークは主張する。


「でもクラーク、ロッドブリッジはもう赤に塗り替えられているんだ!その霧が来る理由なんて…」


「あるんだよ。この橋を使用するだけの人間には気づけないかもしれないが、橋の上部、あの面は完全に塗装が剥がれててな…

もし上空から見ようものならこのロッドブリッジは真っ黒さ」


もはや言葉を紡ぐ事すらできず、僕はただ茫然とクラークを見つめていた。

そしてクラークはこの話を出来て良かったと言うと、絶対に2日後の13日は家から出るなと言って一人帰路に着いた。

残された僕は木製のベンチに深く座り直し、先ほどまで晴天だった筈の曇り空を恨めし気に見上げた。


(こんな天気だから暗鬱な気分になってしまうんだ)


そう思わなければ理性を保てそうになかった。

そう思わなければクラークの話を戯言だと笑い飛ばせなかった。

結局僕は日が完全に落ちるまでロッドブリッジにいた。


僕とクラークがロッドブリッジで別れた日、つまり喫茶店に行った日。

それから2日後。例の霧が到来する日であり、クラークの命日であるわけだが。

その日の朝、僕の家のポストには一通の手紙が届いていた。


手紙はクラークからのもので、あの霧の存在を完全に消し去るといったものだった。

僕はいやな予感がしてロッドブリッジに向かおうとしたが、クラークの警告を思い出し踏み止まった。

だから僕はどうか彼が無事でありますようにと、イエス様の像の前で一日中祈り続けた。

しかし天は僕の祈りを聞き入れず、友を奪った。



 *



警官たちが言うにはあの日、霧が到来した日にロッドブリッジで自殺したのはクラーク・シュムただ一人だったということ。

そして彼は橋から落下しながら、何か呪文の様なものを叫んでいたこと。

彼が橋から落ちてからわずか数分で霧が霧散したこと。

でも警官たちが気にしているのは彼が自殺した理由であり、もし自殺する様な理由が無ければ他殺の線も考えているということだ。


僕は友人クラークの末路を聞き、涙で顔をぐちゃぐちゃにすることしか出来なかった。

結局、有力な情報は僕から一切出てこないと判断した警官たちによって僕は解放された。

そしてクラーク・シュムという1人の青年の葛藤と決意を忘れないために、今ここに書き記そうと思ったまでだ。


恐らく僕は彼のぶんまで生きてあげられそうにない。

だってほら、窓に親愛なる友クラーク・シュムの姿をした赤い霧がこちらを覗いているではないか!



 *



以下、クラーク・シュムからアス・モーン宛ての封書


親愛なる友アス・モーン殿


恐らくこの手紙を読んでいるのは例の霧の日か、その次の日だと思う。

うまくいけばまた会えるだろうが、もし失敗すれば俺は君に二度と会えなくなる。

何を言っているか分からないだろうが、俺も何が言いたいのか分からない。


違う。伝えたいことがあり過ぎて、頭の中がぐしゃぐしゃなんだ...すまない。

だがこれだけは伝えておく。

俺は13日、例の霧の到来日。正真正銘、真正な魔術によって奴らを滅ぼす。

もし俺が奴らを仕留め損ねた時、残党がお前を襲うかもしれない。

だから下記に記す呪文をメモに書いて、肌身離さず持っておけ。

それから呪文を唱えるときは、60の面を持つ真っ黒い多角形の石のイメージを描きながら唱える事。


Ago r'deus fine-ar ac re wi cantus-ar amadeus.


再会を祈ってクラーク・シュムより



─完─

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アス・モーンの証言 城島まひる @ubb1756

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